救済

現実世界の常識という概念が脳裏に張り付かぬよう

腐りかけたらアップルパイになりたい

 うまくに生きれないせいで虐げられる世界も、悲しみが怒りに変わる世界も嫌いだ。私が選んできたであろう過去とかいう記憶の産物が邪魔をして、私が私で無くなろうとしてそもそも私って誰なんだっけなんて無限ループからブレイク出来なくなっていく脳みそと体が同時に揺らされる今、満員電車。私は過去を連想させるようなものが苦手で、その中に現実世界での本名ってかなり強みを帯びてることを最近知った。私という個人名義が生まれた時から死ぬまで付き纏って過去もこれからの未来も全部フォルダに閉じ込められて書き換えられない様に思える。そんな時、私を救うのはインターネットでの匿名や友達が名付けてくれるそれ私のこと??となるようなあだ名。23年間叩きこまれた常識とか作法とか他人から見た私や第一印象が仮想的にリセットできる。名前ってすごい。便利。声にも同じような要素がある気がする。もしも、自分の声を変えた経験が無いならば試して欲しい。所謂、萌え声とかイケボとか、ウィスパーボイス等だ。声を変えて他人と会話すると喋り方まで変わって、その声と理想のキャラクターを形成しようとして性格のようなもの(喋り方)まで変わる。さっきのフォルダに閉じ込められてるような感覚の話に戻るけど、胸を張ってロードできる人生にしていくことがこれからの目標。

駅に着いたので本日の作文は終わりです

世界はつねに夜なのよ

 自分で集めてきたピンクと白が基調になっている自堕落さが垣間見れる空間で過ごしている。今日は床が茶色になって壁がアイボリー色にリフォームされる夢を見て、物凄く怖かった。自室、それは世界の中心で幸せと呼べそうな空間。そんな甘い積み上げが、無駄だったねって言われてるような気持ちになる無機質な茶色の空間に勝手にされた。こんな気持ちになるのはもう嫌だ。才能が無いから多くをやったら本当に何も出来ないって事を思い知らされた。恐怖心と空虚感は5歳くらいから変わらない。もしかしたらそれよりもうんと前にもあったかもしれない。パパとサーカスを見に行ったときから、私は違和感に毎日会うから、早く宇宙と同化してしまいたいと思う。宇宙は真っ暗できっと独りで行ったら臆病な私のことだからすぐに尻尾を丸めて逃げ出してしまうだろうな。それでも宇宙に対する憧れがものすごくあるから、一層のこと宇宙そのものになってしまいたい。星を見る側よりも、見せる側になりたい。精神が参った時に安息をくれたあの星々に感謝したい。ちょっぴり淋しくなっちゃってたけど、綺麗なモノを見ながら感じる淋しさは気持ちよかったよね。宇宙にはとっくに降伏してるから、もしもポジションが空いた際には是非ともオファーをください

きみの言い訳は最高の芸術だった

 神様にはとっくに見破られている、僕の浅はかさをどうか君には気づかれませんように。僕自身が僕であるためにした判断は、僕を守ったのかわからないし、元からおかしな暗号だったから正しい事でもエラーが生じちゃうのは分かってたよ。覚悟の上だった。僕は自分のアイデンティティも自己形成も出来てないでいるのに、他人の事は知ってやろうという気になる、とんだ嫌な奴だ。文章に起こすと更にカッコ悪さに磨きがかかる。はじめっからかっこよくなんて無いんだからと、知らんぷりするのが得意。電車を待っている間に思い出し電車が通り過ぎるとともに思い出していたことすら忘れてしまうような存在で構いません、誰か私のことを覚えていてください。あなたが死ぬときに思い出す女の子にも、あなたの人生のトラウマにも、もうなれなくていいんです。心細さは時間と新しい神様が解決なさってくださるでしょう。お酒は嗜む程度に、信号はきちんと自分の目で確認してから渡ってください。どうか、末永くお幸せに。

幸福が有限の資源だとすれば、君の不幸は余剰を一つ産みだした

 ここで笑っちゃうの私たちだけだよねっていう関係性を築き上げたかった。移り変わる形容詞なんてクソ食らえだと思う。ここ最近は殴り書きもしなくなって、Blogを更新しようにも2行書いてはDeleteキーを押してしまう。そう、もうひとつの私生活での変化といえば、不本意に行動している事を忘れさせてくれる忙しい日々の方が楽になってしまったよ。今までちゃらんぽらんしているのが至上主義だと思っていた私にとってはこれは大事件なんだ。SMSで3円で送られてくるスマホの明かりで心を弄られてしまうくらいなら、冷蔵庫の中にある近所の自販機で買った130円のコカ・コーラには一体どれほど人知を超えたものが秘められているのだろう。もっと楽しく生きたいもっと楽しい人を呼びたい"もっと"を求め探すより今あるものにしがみつき現状維持するのに必死である。けれども、それでも良いかなぁなんて思えてくるのは、諦めなのか頑固さが緩和されたということなのか、良し悪し考えるのすら億劫になってきてしまった。昔はそういう終わりのない討論が大好きだったはずなのに。私はこれからも好き勝手想像しては消していく。はやくEnterキーを躊躇なく押せる人間にならせてよ

2019年2月19日の殴り書き

 ランドセルに次の日の時間割通り教科書を詰められなかった。子供の頃からだらしなく、誠実さが欠けているとよく説教をされた。きちんと、がしっかり出来ないのならば、それじゃあ、しっかりと破茶滅茶にすることは私にも可能なんじゃないかと思った。薬を飲んでポジティブな虚無感を持ち合わせながらラリりまくってやろうとしたら何故か社交的になり友達が増えたような気がした。正しいことを言うのは、きっと正しくないのに、みんなそれに気づいていない、きっと、みんなが送ってる忙しない日々は鬱々とした無意味さの気付きを曖昧にするために存在していて、みんなが忙しい中ひきこもり天井を見ているだけでは憂鬱という罰が与えられるきっとそんな世界を作り上げたのはわたしで、わたしがいなくなれば世界もなくなる。

通学路にセンチメンタルを感じる程大人にはなれてない

 宗教を作りたいとかインターネットにお墓を建てるプロダクトを作りたいとかよく言ってた気がする。話を掘り下げ、具体的に宗教を作って何がしたいか”救済”と答えるのだけど、果たして可能なのか、嘘っぱちだ。もしもの話それが途中まで成功したとしてもだ、信仰者が何かを悟り虚無を感じてしまったら私には救済処置は出来ないと思う。責任が取れない。いくら知識がついて崇められる対象になったとしても、うわべだけをてらうだけだろう。誰かを救済したいは結局字面が良いだけだったのかもしれない。そう、きっといつかの未来も私は自分のことも救えないし、あなたのことも救済出来ない。最後に白い部屋で、これを噛みしめる日が来る事を思うととても哀れだ。

 

 

 悪戯を踏み潰す事さえ出来ず仮名義は何の役にも立たなくて僕が僕である事の現実が漠然と現れる日々の憂鬱はツイートで誤魔化し自分をちゃかす、さよならを言って情緒を擽る遊びはもう飽きたし嘘はいけない大人になったら分かると言い放ってた先生に矢が向きそうだだって僕達の今まで培ってきた言葉を捻り出して使う慎重であるつもりの言葉に一体どれ程的確だと言えるような気持ちがあるというのでしょうか空気を読んじゃう正論ほど痛いものは無くて歪んだ正義感を持った人間は悪人呼ばわりだね、あぁそうそう宇宙になる夢はもう2年前に諦めましたこの話まだしてなかったっけ寝ぼけ眼で明日に向かう午前四時は退屈だからじゃがりこの音を大げさに鳴らすひとりあそび