脱モラハラでダイエット

 離婚してから、2年ほどで4〜5kg痩せました!
20代の独身時代と変わらなくなりましたが、筋肉は確実に落ちているので、体型が同じとまではいきませんが。

出産を通じて徐々についてきたお肉は落とすのは無理なのかと勝手に納得していました。
運動で痩せたのは、運動部の夏合宿で食べられなくなった時だけなので、「適度な運動は食欲増進効果のみ」という自己流の考え方でいましたし、食事制限も特にしていませんでした。

しかし、不思議なのですが離婚後ストレスフリーになったせいか、自然と必要な量だけ食べたら満足するようになり、それが腹八分なのか七分なのか定かではありませんが、満腹になるまで食べる気がしなくなりました。

過食症や拒食症もストレスからくると言われていますが、もしかしたら、プチ過食症だったのかもしれません。
1日3食食べると重いので、昼は食べなかったり軽く済ませたりするくらいでちょうど良くなりました。

元々習慣的な間食はしていませんでしたが、甘いものは食べないでいると欲しくなくなるので、月1回くらい和菓子を買ったりする程度ですが、それも買わなきゃ買わないでも良いかな〜という感じです。
目が欲しくなって、洋菓子もたまに買ったりしますが、買わなくてもよかったな〜と反省することが多いです。

抗がん剤治療中は、お腹が空くと気持ち悪くなるという妊娠中の経験があったのと、薬を飲む都合もあって3食食べましたが、3kg太りました。(笑)

現在は、youtubeの体操を参考にしながら調整中です。
年と共に徐々に筋肉が落ちていくのは実感するので、筋力キープのためにも家で気軽にできる体操はしていこうかなと思います。

1週間で〇kg痩せる!は、そういう人もいるのかな?という程度に信じてますが、経験上はなんでも習慣化して毎日するのが苦でなくなった頃に効果が出るような気がしています。
今まで数々の毎日した方がいいことが消えて行きましたが、自分がこだわったことだけが残っていくのかもしれません。

抗がん剤治療中は味覚が変わり、あまり感じなくなった味や鼻について食べられなくなった味がありました。
塩味をあまり感じられなくなり、料理しているとやたらと濃い味になってしまい、後で食べられなくなったり、匂いが気持ち悪くなるので、わざわざ冷蔵庫に入れて冷たくしてから食べたりもしました。まぁ、妊娠中も似たようなものでした。

ちょうど暑い時期でもあったので、さっぱりした酸味のあるものが食べたくなり、新生姜の甘酢漬けや、子供のお弁当用に以前よく作っていた甘めのピクルス作りも復活しました。
それでも、きゅうりや人参、セロリなどは味が浸かるのに多少時間がかかるので、最近は新玉ねぎをスライスして甘酢漬けにしたら時間短縮になることに気づき、一人でガッツポーズをしています。
納豆に混ぜても、サラダの上に乗せても美味しいので大活躍しています。
少し塩をふれば、酢玉ねぎで温野菜サラダもドレッシングいらずでおすすめです。

抗がん剤治療中は多少家事を手抜きしようかと、いつもは使わないレトルトやスーパーのお惣菜を買ってみたりしたのですが、抗がん剤のせいなのかよく分かりませんが、とにかく薬品臭くて食べられませんでした。
添加物の薬品の匂いに敏感になっているようでした。

口当たりの良いものがいいかなと思い、10数年ぶりに自分用に1個アイスを買ってみましたが、甘味が不自然に強すぎるしこれも薬品臭くてダメでした。
買ったから、頑張って1個食べてしまいましたが・・
元々、アイスもあまり好きではなかったからかもしれません。
冷たくして食べるものの甘味って、どうしてあそこまで尋常じゃない甘さなんでしょう?気持ち悪くなるほど甘くしなくてもいいのに。

そこで、友達のアドバイスもあり、冷凍果物に行きつきました。
バナナをスライスしてタッパーに入れておけば、好きな量だけ食べられるし傷ませることもありません。冷凍マンゴーも大活躍でした。

ウイダー類も薬品の匂いでダメになりました。
夏の通院時に熱中症予防で持っていたのですが、気持ち悪くなりました。

治療中に栄養指導してくださる栄養士さんに相談したら、「出来合いのものが食べられないのは、全部手作りしないといけない大変さはあるけれど、添加物の強いものを避けられるから良いことです。」と言われて、安心しました。
コーヒーが飲みたくなくなったり、辛味のある味が嫌になったりしましたが、その時使っている薬の影響で避けた方がいいものだったりして、体が自然と理にかなったことをしていると言われました。
治療中の栄養士さんのアドバイスもこれからの食生活にものすごく参考になり、良い経験でした。色々経験するとそれだけ経験値が上がって、今後に活かせるようになるんですね。

あ、それから、「ダイエットは食事や運動だけでなくストレスを軽減することが大事です。」とyoutubeで言ってる人を見つけて、私が離婚後痩せたのは、やはりそういうことだったのか!と納得しました。

動物として健全な反応

 今まで、夫に身体的暴力を振るわれたという数人の知り合いの話を直接聞いたことがあります。

新婚旅行で海外に行った時に殴られて、通りすがりの人が

"Don't hit !"と言って止めに入ってくれた。という人もいました。

離婚した人もいれば、していない人もいます。

2回暴力を振るわれて離婚した学生時代の友人は、
「結婚したのだから、何か良い思い出があるはずなのに全く記憶にない。」と言っていました。
そして、今は相手に死んでほしいとまで言っていて、そこまでの心境になるものかとその時はかなり驚きました。

でも、実際に自分も離婚してみて、元夫の良い記憶が全部消えてなくなっていました。今となっては、元々良い記憶がなかったのか消えたのか判別がつきません。

私自身は、身体的暴力の危険性は感じていましたが、実際には受けずに離婚までこぎつけたので、友人ほどの激しい憎悪まではいきませんでしたが。

おそらく、身の危険を一度でも感じてしまうと今までの関係と完全に別モードになり、危険人物という目でしか見れなくなってしまうのではないかと思います。
それは、動物として当然の反応なのだと思います。
身の危険を感じる相手と、何度も関わっていくこと自体が異常なのです。
動物であれば、逃げるのが当たり前の反応です。
それが、優しいところもあるから(?)などの理由で動けなくなってしまうのは、その時点で危険を危険と判断できなくなっている、深刻に病んだ状態だと思います。(優しい人は暴力を振るわないはずですが・・)
もはや、植物化して動けなくなっているのではないかと。

小さい頃からロープで支柱に繋がれて育ったサーカスの象は、自分の体が易々とロープをちぎって逃げられるようになっても、大人しく繋がれたままになるそうです。

ネズミも何十時間も泳げる身体的能力があるのに、はじめに何分か押さえつけて諦めさせると、何分もしないうちに溺死してしまうという実験があると心理学者の加藤諦三さんが言っていました。

動物として健全に能力を発揮できればかなりのことができるはずなのに、それをできないようにしてしまう何かに囚われてしまうと、そこから抜け出すことができなくなるんですね。

加藤諦三さんが翻訳をしたアメリカの学者の言葉に、
「人間の唯一の義務は自分自身であること。それ以外の義務はありません。」というものがあります。
「自分でない自分を演じようとして不幸になる。」のだそうです。

無理をして、自分を偽っているうちに、何が自分なのかがわからなくなってしまうと、健全な反応ができなくなっていくのかもしれません。



 

再発率

 私の乳がんのタイプはトリプルネガティブなので、他のタイプに比べて再発率が高いと知りました。
当初はやはり、嫌だなぁ〜とか不安だなぁ〜という気持ちになりました。
治療後、5年間は他のタイプの乳がんより再発率が高く、それを過ぎると低くなるそうです。
乳がん自体は、寛解という言葉は使わず10〜15年は定期的にチェックが必要と言われているそうです。

では、再発率が何%なら安心なんだろう?と思った時、90%だろうが10%だろうが安心じゃないし、そもそも自分がどちら側になるのかわからないなら、悩んだり心配しても意味ないのでは?と思い至りました。
とっても悩んだ人は、再発率が何%か下がります。とかいう統計でもあったら悩みがいがありますが。(笑)

暴飲暴食せず、一般的に体に悪いと言われているようなことは避けながら、自分がやりたいことをして楽しく暮らす方が現実的じゃないかなと。
自分が人生の後半になり、今まで生きた時間よりもこれからの時間が確実に少ないだろうと思うと、意味のない苦しい時間はもったいないですよね。
今まで散々時間を無駄にしてきたので、心からそう思います。


生物である限り、必ず死ぬわけで致死率100%です。
その日は明日かもしれないし、何十年後かもしれないけれど、確実にその日が来るわけです。
完全な健康体であっても、交通事故に遭うかもしれないし、それは誰にもわかりません。

限られた時間しか自分には割り当てられていないなら、自分が悩んだところで1ミリも変わらないことを悩んでも時間の無駄にしかならないような気がしてなりません。
世の中には乳がんの他にも無数の病気もあるわけで、キリがありません。
自分が苦悩することで、新薬開発ができたりする人はまた違うのかもしれませんが。

・・・とここまで考えて、5年間は要注意、10〜15年は経過観察ってなんだかどこかでこのスパンで考えてたことがあったような・・と思い出しました。
あ、元夫の対処法だ!!と。
離婚後5年間(数年)は徹底的にこちらの情報を出さないよう厳重注意、10〜15年は警戒を完全にとかない・・それが自分に課していた元夫対策でした。
別にマニュアルがあったわけではありませんが、今までの元夫を見てきて私が感じていた警戒レベルがこれでした。

乳がんの予後の経過と同じスパンだから、分かりやすくてちょうどいいと思いましょう!

行動と動機

 心理学者の加藤諦三さんのyoutubeをいくつか見ました。
加藤諦三さんは現在80代で、テレフォン人生相談を40年以上続けている方です。
人間の悩みは令和の時代でも、ギリシャ神話や旧約聖書の時代から変わっていないそうです。
ナルシストやエディプスコンプレックス、パニックなどギリシャ神話由来の言葉がいまだに使われています。

私が学生時代に著書を読んだことがありますが、その時より今の方が心に入ってきます。
私が未熟だったのか、加藤諦三さんがさらに進化しているのか、その両方なのかはわかりませんが。

加藤諦三さんは次のように言っていました。
「行動が同じでもその動機が違うと、その意味は全く異なるものだ。」
ということです。
よく子供が何か事件を起こした時、テレビのコメンテーターたちは
「近所の人たちの話では、きちんと挨拶する良い子だったというのに、信じられませんね。」と言っているが、行動しか見ていないからで、その動機が何なのかを考えればすぐにわかることだと言っています。
私も子供の時から、専門家のコメントって、どうしていつもこんなにトンチンカンなのだろうと感じ、結局何もわかってないのに専門家になってるんだな〜と子供心に思っていました。

なぜ良い子として振る舞っていたのか?その動機はただ、親の顔色を見ているだけだったのか、それとも自分でそうしたいと思ってしていたのかで全く違うのだと。
動機自体も色々な要素が含まれている場合もあるでしょうが。

営業マンがお茶や食事をご馳走してくれるのと、親しい友人が家で食事を振舞ってくれるのとでは、同じ行動でも全く意味が違う事はわかりますよね。
人に親切にするという行動が、その後に何か見返りが欲しい場合と人に優しくしたいからの場合とでは、180度異なる意味を持つのだと。

母親や、元夫がしていた行動の動機は、「自分が有利になるため」で一貫していました。
愛情や優しさからする行動と同じ場合もありました。
だから、混乱して罪悪感を感じたり、悲しくなったりしたのかなと思います。

加藤諦三さんは、同じ事実でもそれをどう捉えるかで全く変わると言っています。
同じ年齢でも、「あ〜もう老人になって、自分はダメだ。」と考えるのと「老いていくのではなく、成熟していくのだ。」と考えるのでは全く違うし、糖尿病になって悩んでいた人が、ガンになった友達に「ガンになってわかったけど、糖尿病なんて病気じゃないよ。」と言われて気が晴れた話もしておられました。

ただ事実は事実として、それをどう感じるかは別の話であるというのは理解できます。
事実と感情って別物で、それが一体化して切り離せなくなると話がややこしくなるし、悩みが解決しにくくなるんだなと思います。

行動と動機も別物だという認識で周囲を見ると、理解できることが増えるような気がします。

言葉の持つ絶大なエネルギー

 「言葉はナイフにも毛布にもなる」と言いますが、本当だなと実感しました。
モラハラ夫の言葉は、聞き流す、気にしない!と決めていたのに、実際に不機嫌で睨みつけながら発してくる嫌な言葉を浴びていると、ものすごくダメージを受けていたようです。

それがわかったのが、離婚後でした。
もう嫌なことを言ってくる元夫と関わらなくていいし、会わなくていい。
信じられないほど体が軽くなり、「あ〜、今日は何も嫌なことを言われない1日で幸せだった!」と思える毎日になったのです。

今まで、身体中に鉄アレイでも巻きつけられて生活していたのか?と思うほど体が重かったことがわかりました。
倒れずにやってきた自分の体力が底無しにあったのかもしれません。

友達にそんな話をすると、「言葉って不思議だね。物理的には痛いはずないのに、心無い言葉はグサッときて、一方で優しい言葉は物理的には温度なんてないのに温かくなる。」と言っていました。
哲学的というか、詩的というか、そういう感性の友達がいることにまた感動してしまいます。

特に私が乳がんの治療が始まってから、周りの人たちから浴びた、優しくて温かい羽布団のような言葉を思い出しながら、眠りにつくのは至福の時です。
幸せってこういうことだよね〜と思いながら夢の国に向かうって、もはや生きているのか天国にいるのかわからなくなる感覚です。

プラス方向にも、マイナス方向にも言葉にはものすごいエネルギーがあるんですね。
素敵だなと思うことやありがたいなと思うことは、言いそびれて後悔しないようにすぐに言葉にしないといけないなぁと思います。
その言葉を聞いた自分も幸せになるからです。
ましてや、誰かが温かい気持ちになってくれるなら、さらに素敵なことですよね。

モラハラ元夫に感謝できるようになった!

 昨年4月から抗がん剤治療が始まり、9月初めに抗がん剤終了。

4cm以上あったしこりが2cmほどになり、9月下旬に部分切除後、約1ヶ月後から放射線治療開始。
平日連続して16日通院し一連の治療は終わりました。
今は経口の抗がん剤を再発予防に飲みながら、定期的に薬をもらいに通院しています。

ここまで来るまでに、気づいたらあっという間に1年が経っていました。

抗がん剤の副作用も想定内のもので、今は気持ち悪さを軽減する良いお薬があり、一昔前の抗がん剤=ひどい吐き気、という図式ではなくなっていました。
副作用は本当に個人差があり、一緒に治療に通っていた方ともかなり違いました。
吐き気以外にも、味覚の変化がありましたが、これも妊娠中に同じような経験をしていたので、「そういえば以前にもこんなことがあったなぁ〜」と言った調子で乗り切れました。

そのほか、脱毛やだるさや手足の痺れ、爪の変色等々実際に治療してみないと知らないことばかりでしたが、生活に困るようなことまでにはならず、まあまあなんとかなる位で済みました。スキンヘッドも期間限定ですし、なかなか自分からはできない髪型を堪能しました。

つわりの方が吐き気どめは飲めないし、何ヶ月も船酔い状態でムカムカしていて、でも家族の食事作って当たり前・・という生活だったので、きつかったです。
妊婦って病気じゃないからと言われて、甘やかしてもらえなかった!
看護師さんに「吐き気どめなしで全男性に抗がん剤を義務化したらどうでしょう?署名活動します?笑」と言ったら、「激しく同意!!」と言っていました。

病気の大きさや状態がある程度わかり、対処法があり、それを選択するだけの問題って、何でキレて不機嫌になるかわからないという対処法のないモラハラ夫に比べれば、なんて楽勝なんだ!!という感動がありました。

モラハラ元夫に感謝する日が来るとは思えなかったのですが、意外と早くさっくりとやってきました。
「ありがとう。おかげで乳がんの治療が楽勝と思えたよ!」

もう会うことも関わることもないと思うけれど、元夫に心から感謝の意を表します。

 

涙って温かい

 毒親のもとで生まれ育ったので、家の中で緊張しないでいるということが理解できませんでした。
家=緊張 しか経験したことがないのだから、想像すらできません。それに、親からすれば、親が私に課すことは全て私のためで、それに従えば良いのだから、ありがたいと思えという感覚なのです。

 

だから、子供の時からほとんど泣いたことはありませんでした。
そもそも、悲しいとか辛いとかいうマイナスの感情を感じることに罪悪感を持っていたからです。
「はい、こんなことでグズグズしてないで、やるべきことあるでしょ?」と言われるからです。
「そんなことしてる場合じゃないよね?」そう言われるに違いないという前提で、その先の行動をしていました。
何手先も親の出方を想定できました。

だから、できるだけその意に沿うような行動をし、今日1日布団に入って眠りにつくまでなんとか無事に過ごすにはどうしたらいいか、全神経を集中して過ごすのが、家庭での全子供の過ごし方だと思っていました。

少なくとも、そういう過ごし方しかしたことがなかったのです。

 

選択肢がないのだから、とにかく現状に対応していくしかなかったのです。

 

そうやって我慢して過ごすことが当たり前だった子供時代の影響で、やすやすとモラハラ夫の餌食となりました。

長い長い時間がかかりましたが、今は親からも元夫からも解放されて、ただそれだけでとても幸せな毎日です。

乳がんの治療はありますが、「無理せずに大事にしてね」という友人の優しい言葉が身体中に染み渡って、思い出すだけで涙が止まらなくなります。

子供の頃から、勉強で頑張っても、運動会で活躍しても「頑張ったね。よかったね。」と労われたことないなぁ〜と思い出して、「今は、こんなに優しい言葉をかけてくれる友達と、治療中の体調を気遣ってくれる医療関係の方々に囲まれて、「私には味方しかいないんだ!」と嬉しくて涙が溢れます。

布団の中で涙が止まらなくなって初めて気づいたんですが、涙って温かいんです。目の周りがジワ〜っと温かくなります。

感情を自然に出せるって、幸せですね。