夏の融点

かき氷は想像の三倍くらいの速さで溶ける。

いま、僕の目の前にはあんみつが、彼女の目の前にはかき氷がある。向かい側に座った彼女の、胸元のすこしひらいたワンピースが涼しげで素敵だ。さしせまった今夏の予定を話し合うためにここに来たから、スケジュール帳を確認しようと彼女から視線を外し、そしてそれに気づいた。かき氷、もうちょっと溶けてる。

来るべき素晴らしい夏の予感を纏って我々の目の前に登場したはずのそれは、すでに頼りなさげに形を崩し始めていた。かき氷ってこんなにすぐ溶けるものだったっけ、などと考えながらしばらく動かなくなった僕を見て彼女が言う。

「ねえ、はやくしないと夏終わっちゃうよ」

僕は「あー、うん。そうだよね」とぼんやり答えながら、これから想像の三倍くらいの速さで過ぎていくだろう夏のことを思った。

陸に帰る

短歌研究新人賞に落ちた連作です

  

   陸に帰る       佐藤廉

アスファルト踏めば沈んでいきそうでこの夏は終わらない気がする

深海はとても遠いさ、行ったことないのになぜか匂いがわかる

パラレルもパラソルもだいたい一緒 どこにいたって逃げたくなるよ

自動販売機が照らす空間にさみしい夜風吹きにけるかも

「そんなんじゃ全然だめだ。もうすこし雑に弾かなきゃギターじゃねえよ」

許された罪がたくさん。パトカーにまぶしいほどの月光が降り

「星をとってこれたらいいよ」と笑いながら猿の人形抱えて君は

りんご飴ひと口ごとにわけあって、過去って鳥の鳴き声みたい

夏風邪の微熱を頬に保ちつつガス爆発の工場跡地

窓際の席に座ったことがない 雨が降っても動揺しない

ハンバーガーショップの店員暴れだす停電の夜 家においでよ

陽だまりを見つめていたらなんとなく時が止まってすぐ飛び出した!

あれが水平線である証拠などなくてさかなの真水中毒

文庫本やわらかく手におさまって乗換駅で一時間待つ

陸に帰る ケーキを切り分けたあとのナイフにのこる甘い岸壁

僕たちはか弱くてただクーラーのきかない部屋で自慰したりする

空中に水があったら泳げるね。そんな荷物でどこまで行くの?

僕のため用意されたる朝食にあこがれて真夏の汽水域

未来都市生まれの人は感動をしない 夕方五時のサイレン

消防車つぎつぎ僕を追い越して知らない家の火事なら綺麗

自転車を盗まれた日の真夜中に金魚を逃がす、市民プールに

詩にすればなぜか愛しい日々だった 窓をはさんで夕焼けを見る

ローマの休日的休日の昼下がりベランダのサボテンがまぶしい

レイトショーから帰るときエラ呼吸のほうがいいなと突然思う

大陸には人がたくさん住んでいる冷凍庫から取り出すアイス

処方箋持ってそのまま逃げだせばぼんやり僕を呼ぶ蜃気楼

ぬばたまのアイスコーヒー薄まって これはたしかに海辺の感じ

宇宙から魚群が降る日 大量の傘が捨てられている駅前

スコールと呼べばたのしい通り雨浴びて心にトビウオを飼う

手花火を対岸に向け眠そうに「時代はすぐに変わるらしいよ

地球最後の夏

 

くしゃみが止まらなくなって、風邪を疑いつつティッシュペーパーに手を伸ばすと空き箱だった。なぜかその時急に煙草が吸いたくなって、どうせならどちらも済ませてしまおうと思い、煙草を手にとってスーパーを目指し外に出ることにした。時刻は深夜2時を回ったところだった。

 


買ったころの輝きを半ば失いかけ、すっかり薄暗い玄関に馴染んでしまったサンダルを履いて外に出ると、かなり肌寒かった。真夏のピークが去ったな、なんて考えながら少し歩いて、胸元の高い位置にある斜めがけのウエストポーチから煙草を取り出し火をつける。久しぶりに吸ってみたそれは笑えるくらい湿気っていて、煙を吸っているんだか湯気を吸っているんだかわからなくなりそうだった。

 


夏が終わってしまうことにさして大きな感慨があるわけでもないが、肌寒さと深夜の静けさになんとなくさみしくなって、「これはもしかすると地球最後の夏なのかもしれないな。なるほどみんなは家族のところに帰って、最後の夏を惜しんでいるわけか。地球が始まって46億年、その最後の夏を自分が生きている間に迎えられたことを、むしろ祝いたいくらいだね。あ、でもそしたらスーパー開いてないかもしれないのか。どうしよう」などと頭に浮かべていると、ちょうどそのくだらない想像の切れ目のような、まっすぐに伸びた大通りにさしかかった。

 

 

まあでも、地球最後の夏を祝うというのはいいアイデアかもしれないな____

 


いつもは深夜でもそれなりに活気のある道だが、見回すと信じられないくらいに静かだった。なんだ。まるで本当に地球最後の夏が来たみたいじゃないか。呆気にとられていると青信号を一回見送ってしまった。悪くない。これは思いがけずいい散歩になったぞ。なんの意味もない信号待ちを終えて、横断歩道に踏み出す。きょうはふらふら歩いて歩道を塞ぐ酔っ払いも、そうしなければ死んでしまうかのように爆音で車を走らせるヤンキーもいない。地方都市のはずれには不似合いなほど広いこの道で、僕はどうしようもないくらいに自由だった。指の間の煙草に灯る小さな火を愛しく思った。着実に煙草を蝕みつつあるそれは、地球最後の夏を祝うにはあまりに頼りない、消えかけのロウソクの火のようだった。

あえて抵抗しない

 

あえて抵抗しない。

 

これは曲がりなりにも21年間生きてみてわかったことだが、世の中は抵抗しても意味のないことがほとんどである。大体のことが、はじめからそうなるように決められているように思う。しかし適切な抵抗は、確実に必要である。

 

高校生のころ、ロックバンドが大好きだった。画面の向こうで必死な顔で叫ぶ彼らは僕のヒーローだった。

うるさいバンドが大好きだった。ある日ゆらゆら帝国というバンドに出会った。はじめて観たライブ映像は、汚いくらいにファズがかったギターが鳴っていて、ボーカルがクネクネしながら歌っていて、気持ち悪いけど、かっこいいなと思った。

他の曲も探してみるとおとなしめで変な曲がたくさんあった。おとなしかったけど、なんか良かった。

 

あえて抵抗しない

 

変なタイトルだなと思った。でも、なんとなく心を掴まれた。

当時思春期真っ只中の僕は抵抗したくて仕方がなかった。全てのことが嫌で、全てのことが好きだった。クソみたいな世の中だな、とか思いながらご飯を食べて寝て、次の日学校に行けば友達と遊んで普通に楽しかった。今思えば救いようのない馬鹿だった。

あえて抵抗しないのも格好いいな、と思った。飄々と躱しながら、たまには躱しきれなかった攻撃を受けながら、あえて抵抗せず、やってみたいと思った。馬鹿だから思ったことも、すぐ忘れていたけれど。