2005年の晩秋、私はあるスポーツ選手、学生スポーツの選手に心を奪われた。
すごくかっこいいとか圧倒的に強いとか、誰もが目をひかれる特別な何かがあるわけではない。
しかし、ひたむきで力強く気迫溢れる姿は、その選手の思いや努力、人柄までもがこちらまで伝わってくるようで、私はいつのまにか魅了されていた。
それからというもの、SNSなんてものはほとんどない時代に、とにかくその選手のことを知りたくなった私は、毎日毎日関連の雑誌を繰り返し読んだ。
彼はもう4年生だったから大学卒業間近だったが、実業団でも競技をつづけるという情報があったのでその辺りは安心した。
そして、なぜだか彼の強いきらめきのようなもの、若さからくる輝きを放つ「今」をこの目で見ることができた気がして、「これは私だけが気づいたも魅力なのかもしれない」とも思えた。
それが当時の私にとっては密かな宝物だった。
初めて彼を見てから数ヵ月後、彼の学生時代最後の大きな大会があった。
彼はその大会で力を発揮して、チームを優勝に導くことを目標にしていた。
私はテレビの前にかじりついて見ていた。
彼の姿は相変わらず輝いていて、でもどこか泥臭さも感じる。
彼の気迫、積み上げてきた努力、情熱がテレビを通して伝わってくるようだった。
「この選手を知ることができてよかった」
そう思った。何をどう考えても、そうとしか思えなかった。
録画していた映像を何度も繰り返し流して、そのあと発売された雑誌も覚えるほど読んで、私は彼に夢中になった。
春になり、彼は実業団に入った。
さっそく実業団のHPを見るとどこか初々しい彼が載っていて、新たな挑戦が始まることを物語っていた。
学生の頃のようにテレビを通して彼の活躍を目にする機会はほぼない。
というか、私がテレビで彼の姿を見ることができたのは学生時代の大会までだった。
(普通に私が見られなかっただけで、何回かはテレビに映っているはずだ)
彼は飛躍をつづけた。
私も定期的にHPを見たりして、彼の活動を追っていた。
関東の大学に入って、趣味で気軽に大会を見に行けたらいいなあ。
長く現役をつづけてほしいなあ。
夢であるオリンピックに出られたらな。
なんてことを思っていた。
数年がたち、強い情熱を持っていたわけではないけど、彼の動向はあいかわらず追っていた。
華々しい活躍はしていなかったものの、実績は着実につんでいた。
対する私といえば、関東の大学に入ることができず、鬱屈とした気持ちにさいなまれて目標もなく生活していた。
そして、また何年もの月日がたった。
鬱屈とした思いも風化していた頃。
彼がついに現役を引退した。
引退後は社業に専念するそうだ。
ひとつの時代が終わった。
彼にとってだけではない。私にとってもひとつの時代が終わった気がするのだ。
いつも最大の熱量をもって応援していたわけではない。
会ったこともない。
この目で直接見たこともない。
ファンレターを送ったこともない。
HPのメールフォームから応援メッセージを送ったことさえもない。
なぜ?メールフォームに「応援しています」の一言も入力できなかったのか。
私は、なにもしたことがない。
本当に、なにもしたことがない。
ただただ、家で応援していただけだ。
高校時代はなにもできなくても、大学に入ってからは遠方にも試合を見に行けたかもしれない。
イベントにも参加できたかもしれない。
直接、「応援しています」と言うことができたかもしれない。
気づけば、彼が現役を引退してから10年の月日が経とうとしている。
とても不思議なことに、そんな後悔が10年の歳月の中で徐々に積み重なってきた。
引退直後は、少しのショックとお疲れさまという気持ちしかなかったのに。
時が経てば経つほど、私は自分の行いを後悔しているのだ。
もう、なにも叶わないのだ。
彼は完全に一般人になったんだから。
すごく好きだった。
何かひとつでも、メールフォームでもよかったから私の思いを彼に伝えたかった。
いま、彼だって自分の人生を送っている。
平日は仕事をして。もし家庭があればその中での役割があって。
どこかで自分の生活を営んでいるんだろう。