考えまとめ

さて。

ことほど左様に、日本の国家主権が脅かされている今日この頃なわけです。
中韓、特に韓国による侵食ぶりは目に余るわけで。
政治、教育、メディアという、国家としての要衝を蝕まれているわけで。
実に由々しき状況なんですね。
それを許したのは日本国民だ、と言われてしまえばそれまでなんでしょうが。

過ちては則ち改めるに憚ること勿れ。

人は過去に縛られて生きていくものではないのだからして。


自分も戦後日本の中で生を受け、目の前にある世界を当たり前のものと受け止めて生きてきたわけですが。
そろそろ、疑ってかかる必要があるのかもしれません。
韓国に侵食されている現状の、その原点は、どうやら太平洋戦争後の日本国内混乱の時期にあるようですね。
隠蔽されている過去もいろいろとあるようです。
過ぎてしまったことは覆せませんが、あるべき姿でないものは、あるべき姿に戻すべきでしょう。

しかし、長い人類の歴史で考えれば、異民族に国家主権を侵されたり国家そのものを奪われたりという事態はなんら珍しいものではなく、むしろ世界史というもの自体がそういうことの繰り返しであるわけです。

日本は地勢の問題もあってか、ほとんどそういう危機がないまま明治維新を迎えて、日清・日露戦争でも勝利して、むしろ侵食する側として国勢を拡大し、そして太平洋戦争の敗北によって逆に押し込められてきて現在に至る、といったところでしょうか。

つまり、侵食される側に回るのは、日本の歴史上ほとんど初めての経験ということなのかもしれません。
だとすれば、日本の正念場ですね。

明治維新による実質世界デビューから以降、現在に至るまで、日本の良い面、評価されるべき面はいろいろな形で世界の知るところとなり、賞賛を受けていると思います。
それは日本人自身には気づかなかったこと、日本人の中では当たり前と思っていたことなのでしょう。
韓国人が世界の各地で顰蹙をかっているのも、全く同じことだと思います。

日本人に良い面ばかりがあるとは言いませんし、欠点もあるのは当然でしょう。
しかし良い面は胸を張って誇るべきだと思います。
それは世界的にみても有益なソフトとして、幅広く受け入れられるべきものでしょうから。

この段では中韓のみを挙げてますが、欧米諸国も同様です。
既に経済戦争、金融戦争は長きに渡って続いているわけですし。

当面は付き合う相手を間違えないようにして。
目指すべきは日本としての自主独立、自立だと、強く思います。
そういう明確な国家戦略を持つこと、そして、そのための具体的戦術を立てること。
再軍備核武装などは、戦術の部分ですね。
このご時勢に物理的な戦争をしかけるのではなどと本気で思っている人がいるとしたら、それは無知すぎるでしょう。

日本人は、もっとメンタルを強く、したたかになるべき時期が来たのだと思います。

売国奴によって国を失う前に。

 
 

甘い物

ゆんべは少し飲み過ぎた。
軽く二日酔い。
まぁ、頭が少し痛い程度なんだけど。

ほうじ茶をいれて飲む。
美味い。
少しづつ気分が戻ってくる。

そうすると今度は甘いものが食べたくなった。
アンコものがいいなぁ。
思いっきり甘いヤツ。

近所のセブンなんかで売ってるのも大概そうなんですが、
最近の甘い物って、
なんか甘さが足りないような気がします。

美味しんぼで、甘味屋はお汁粉一杯で満足させないと云々
とかいう話があったと思いますが、
今の気分も、まさにそう。

これ一個で、あるいは一杯で
あー、甘い物食った!ってなるような
そんなのが食べたい。

まぁ、そんなにしょっちゅう食べたくなるという訳でもないから
近所で売ってるもので済まそうとすると
あんまり甘くないものに当たってしまうという。

前に会社の人が、北海道に出張して入手したのか客先から頂いたのか、
「よいとまけ」ってお菓子をいたく気に入った、と。
いまどき、あんなクラシックなお菓子は珍しい、と。

自分も子供の頃はよく食べたから知ってるんだけどね、
ハスカップのジャムを巻いて、外側にもハスカップジャム
というロールケーキなんですが。

生地がね、もうゴワゴワというか固いの、昔っからのお菓子だからね。
で、外側にはジャムのほかにガッツリ砂糖、つかグラニュー糖か。
そんでさらにオブラートで包んである。

これがねぇ、甘さ直撃なんだ!
もう、グラニュー糖まぶってるからさ。ジャリジャリって感じで。
ハスカップジャムの酸っぱさでなんとかなる感じ。

急に思い出しちゃったよ。
なんかないかなぁ…
と家の中を探してみる。

五勝手屋羊羹があった。これで済まそう。
ま、これも昔に比べたら甘くなくなった気もするけど。どうなんだろ。
よいとまけほどのインパクトはないからなぁ…

 
 

美辞麗句。

自分に自信が持てない人ほど、美辞麗句を使います。

 

なぜなら美辞麗句を使うことで上に媚び、自分の待遇を保全するしか、自分を組織内で守る術がないからです。

 

一方、ビジネススキルのある人は自分に自信を持っていますから、美辞麗句を使って上に媚びようとしません。

 

逆に自分が上司だったら、ゴマスリや美辞麗句を使う部下は信用できないと考えます。

美術館へ。

練馬区立美術館に行ってきました。

 

特別展 磯江毅=グスタボ・イソエ マドリード・リアリズムの異才

 

前説は、こんな感じ。

 

>>

磯江毅(いそえつよし1954-2007)は大阪に生まれ、大阪市立工芸高等学校を卒業後まもなく単身でスペインに渡り、30年余りの長きにわたる滞西の間に油彩による写実絵画を探求しました。

やがてアントニオ・ロペス・ガルシアに代表されるマドリード・リアリズムの俊英画家グスタボ・イソエとして認められ、国内外で高い評価を受けました。彼のリアリズム表現は、文字通り事物の細部まで深く入り込んで具象的に描ききるだけでなく、現実世界が内包する神秘的なものまで捉えようとしているような精神の深まりを感じさせます。その根底には生死をかかえこむ生きものへの深い洞察と諦観が見て取れるのです。2005年には広島市立大学芸術学部の教授に就任し、日本での活躍が期待されましたが、2007年惜しくも53歳で急逝。生涯をかけた絵による存在探求の試みは、絵画の高みを示すものとして、死後もなお輝きを発し続けています。

本展は、現代写実絵画に鮮烈な痕跡を残した磯江毅の本格的な回顧展として、磯江の初期から絶作までの代表作約80点を一堂に集め、彼の芸術の軌跡をたどるとともに、その稀有な画業を追想するものです。

<<

 

写実です。

まるで写真のようです。

例えば「深い眠り」という裸婦像の大作は、人肌の木目まで細かく描かれていました。

いや、これが鉛筆で描いた「絵」なのか?

などと素人は思ったり。

写実派の画家として、その技術・技量は高いものがあるということなのでしょうか。

 

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「深い眠り」

(1994-95年、紙、鉛筆・水彩・アクリル・墨)

 

 

狙ったわけではなかったのですが、ちょうどギャラリートークの時間に行き合わせたので、少しだけ解説を聞きました。

単に鉛筆で描いただけでなく例えばところどころ紙に穴が開いていたり、或いは引っ掻いたり炙ったりもしたのでは?という解説というか推測をされていました。

 

写実、と言っても単に「本物そっくりに描き写す」ことだけではないんだ、と。

もう一度、前説から引用します。

 

>>

彼のリアリズム表現は、文字通り事物の細部まで深く入り込んで具象的に描ききるだけでなく、現実世界が内包する神秘的なものまで捉えようとしているような精神の深まりを感じさせます。その根底には生死をかかえこむ生きものへの深い洞察と諦観が見て取れるのです。

<<

 

習作とかデッサンの練習ならば描く技術を磨くのが目的なのでしょうが、作品となるとそこから一歩も二歩も前に出ないといけないのでしょうね。

 

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「サンチェス・コタンの静物(盆の上のあざみとラディッシュ)」 (2000-01年、キャンバス、油彩)

 

 

写実絵画であれ写真であれ、そこから何かが伝わってきたり感じられたり考えさせられるものでなければ、作品としてはなかなか評価されないのかもしれないな、などと思った次第です。

要は方法論というかアプローチや手法の違いというだけで。

 

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「新聞紙の上の裸婦」 (1993-94年、紙、ジェッソ・鉛筆・水彩)

 

 

ギャラリートークの中では更に、絵として描くものは、いかに写実的であったとしても写真のように「ありのまま」ではない、ということでした。

よく見ると人の足の長さが現実的でなかったりする、と。

被写体が同じであっても写真で撮ったものと、いかに精緻な写実であっても絵に描いたものはピッタリ一致するものではない、ということでした。

もちろんそれは写真と寸分違わず描くことなど出来ないなどという話ではなく、だからこそ人の手で描くことの可能性、表現する上での自由度のようなものがあるということだと思います。

敢えて現実的でない構図をとったり、引っ掻いたり穴を開けたり云々という手法は、そういうことなのでしょう。

 

自分としても何らか示唆を得た気がします。

また、つらつらと考えてみましょう。

 

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「鰯」 (2007年、板、ジェッソ・鉛筆・水彩)

津軽百年食堂。(2011年5月1日の出来事)

シネマート新宿なう。ここって、いわゆるここなんじゃんwナツカシス。

 

開演まで時間があるので、ブラブラするか。新宿もこっち側はずいぶん久しぶり。

 

飲みたいけどなぁ…飲んだら寝てしまいそうだものなw

 

あの蕎麦屋、もうないのかな…富士そばでいいかw

 

さて、そろそろ映画が始まるので行きますか。

 

眼鏡っ娘が多くて至福。

 

連チャンの人もいるのね…そりゃそうか。では、後ほど。

 

はい、映画終わりました。津軽百年食堂。自分にとっての「いい映画」の基準は、泣けるか震えがくるか、なんですが…これは泣けたし震えもきました。なので、いい映画ですwまぁ監督やキャストや上映館を見れば、間違いはないと思いましたが。

 

キャストという点では、オリラジの二人が懸念材料でしたが…藤森君、ピッタリでしたねぇ。あの見た目のチャラさが逆に活きましたね。役の上では津軽出身というのが上手くオーバーラップ出来ていた感じです。敦っちゃんは…百年前の人役でしたが、これはこれで味があったようなw

 

舞台は弘前。ストーリーや組み立ては特に目新しくもなくヒネりもありません。原作とは違うというコメントを見かけましたが、一つの映画として良くできていると思います。原作も読んでみたくなりましたね。

 

津軽というか弘前ですか、こういったバリバリ地方というか田舎なんだけれども、我々が思っている以上に人や物の歴史なり蓄積を持った、いくらでも映画の題材になる場所があるのだなぁと。陳腐かも知れませんが、これからはこういう所にも目を向けていくといいのかもしれません。

 

藤森君は食堂の四代目になると決めて。三代目役が伊武雅刀で。この三代目も若い頃は歌手になる事を目指して上京しようとしたが無理矢理継がされた、と。今時分の三代目位の世代が、丁度今の閉塞した日本の指導的立場にいるのかな、などと。そんな事も思ってみたり。

 

百年前の初代役敦っちゃんは体の不具で日露戦争に取られず屋台から蕎麦屋を始めて。彼を支えた友は203高地を生きて帰ってきたが日本に戻ると死んだ事になっていて止む無く馬を扱う稼業を始めて。百年前の時代と、その時代に苦悩しつつも生き方を模索した若者の姿が重なって。

 

と、いう訳で。帰ろう。雨も降ってるし。

Twitter回想。(2009年12月1日~15日)

 

さりげなく帰そうとしない女。帰そうとする男。束の間の逡巡。それを肴に独り飲む男。

(2009.12.1)

 

山手線人身事故。20分一本勝負で歩きなう。ダメならタクシー。

(2009.12.2)

 

ハイボールと独りの時間。至福。

 

風景を眺めるようにタイムラインを眺める。車窓から外を眺めるかの如く。

 

今時分から仕事が出来るといいな。ゆったりと飲みながら誰にも話かけられずに。そして日中の喧騒の中で静かに眠る…

 

みんな、自分が少しでも生き永らえる事に汲々としているだけなんだ…そういう事なんだ。

(2009.12.3)

 

フォロアーって100人超えてくると誰がいなくなったとか分からないなぁ…そんな緩さがいいんですけどね。

 

まぁフォロー・フォロアーともに何時か整理する事になるとは思ってますが。いろんな世界が眺められるので特に大きく変える必要はないかな。

 

さる所でディナーショーの人気アンケート取ったら、聖子3に対して明菜2だった…オヤジ世代には根強い人気がww

 

あぁいかん…泣いてしまう。人を思う気持ちに泣いてしまう。母の愛に泣いてしまう。この時代をメインに生きたかった。

 

この時代にクリスマスって、そんなにポピュラーだったのかな。たぶん流行りかけだったんだろうな。Twitterみたいなもんかww

(2009.12.6)

 

浦霞 禅という日本酒を入手したのだが、会社に置いてきてしまった…明日持って帰って家で飲むぞ。なので今日はクリアアサヒでお茶を濁すなう。

(2009.12.7)

 

この不完全燃焼な感じをどうすれば良いのか?…まぁ考えてても仕方がないわな。会社の仕事はもうどうでもいいや。自分の仕事をきっちりやっていこう。精神衰弱で死んじゃっては元も子もないし~。

(2009.12.8)

 

純米吟醸 浦霞禅 4合瓶…おそらくあっという間に空ける事を宣言いたしますっ!アテはおでんと鰊。今日は米は食わんぞ、と。

 

和風だろうが京風だろうがお楽しみだろうが弁当はもう金輪際嫌なんだよ!

(2009.12.9)

 

そろそろ限界だ。明日は午前中で既存の範囲を完成させて、追加の部分はラフデッサンで確認取って金曜までにしてもらおう。もうこれ以上は頭が回らない。

(2009.12.10)

 

隣のオヤジの注文。生ビール、おにぎり一個、お茶二杯、お通しいらない…何がしたい?ww

 

自前で濃いめにハイボール。小雪が作ってくれたら嬉しい…かなぁ?

 

濃いめのハイボールとジャズの調べ。次第に自分を取り戻す。

(2009.12.11)

 

電車で見知らぬお兄ちゃんから「ここどこですか!?」…ここは江古田だー!…体張ってもうたよ(笑)

 

おそようございます…酒×ツイート=エロ、である事を発見…もとい反省。

 

普段家事をしない夫が休日に行う家事の定番、風呂掃除完了なう。

 

ツイッターは敢えて許容範囲内で可能な限り色んな人をフォローしてみている。単に色んな情報を得るだけでなく自分自身の活性化を図れている所がメリットかな。表面に出している文言よりも自分の中でつぶやいている事の方が大きいかも。

 

優しくされたいなら、そういう言動と取らんといかんわな。世の中、ツンデレ萌えばっかりというワケではないのでね。

 

浜松町で角打ちか…たまにはあの娘誘って行くかな…

(2009.12.12)

 

早朝の池袋を移動中。少し前をチビっ子女子が歩いている。追い抜きたいのだが微妙に早足で追い抜けない…こういうのヤなんだよな~追い回してるみたいで(笑)

(2009.12.13)

 

それにしてもナンボか美人なのかも知らんが、あんだけ愛想なかったら何かと差し支えるんじゃねぇのか…それこそコッチのオバチャンの方がブサイクだけどよっぽど健気で愛嬌があって俺的には萌え~だったぞ…などとワケ分かんない事を呟いてみる。

 

見る位置が違うと同じ場所でも風景は違って見える。

 

ジブリ鈴木敏夫Pが石井氏に曰く「おまえがどう思うかなんかどうでもいい。若いということは、『何もない』ということ以外何の価値もない。自分の意見を捨てることから、自分が生まれるんだ」

 

一瞬の閃き、煌き、トキメキの中に、案外自分にとって大事なことがあったりする。でもそれは喧騒な日常の中でついぞ掻き消えてしまいがち。ツイートはそんな玉石混交の刹那刹那を書き留め、後々に何か一つでも自分にとっての指針となるものを見つけるツール…ダハ、カッコ良すぎだww

 

上司のお守と部下研修で半日潰れる…毎日毎日、自身の業務進捗がさっぱわややがな~。さりとて月曜の今時分からガチンコでやる気力なし。てか飲みたいし。明日はさっぱり盛り上がらないであろう忘年会だし。ワインで酔い潰れてやる~ww

(2009.12.14)

 

内線をかけると、眼鏡っ娘が電話を取る確率が極めて高い件について。

(2009.12.15)

Twitter回想。(2009年11月)

 

ルールとか決めても常に抜け道考えるヤツらがいるってどうよ?(笑)結局みんなノーリスクで美味しいメにあいたいって事だよな~どんなんかんな~…(2009.11.17)

 

やはり蕎麦というものはツユまで賞味するのが一番だと思うんですが…もったいないなぁ…(2009.11.20)

 

老醜…それは最もおぞましきもの。プライドと尊厳は違うものだと思うのだが。(2009.11.22)

 

久々の桂花ラーメン…新宿で働いてた頃はよく食べてたなぁ…さすがに太肉麺はもうキツいだろう、と。(2009.11.23)

 

発泡酒なんつうのが無かった頃は…ビールのありがたさが分からなかった。平和な時代に平和のありがたさが分からないように(笑)(2009.11.23)

 

今宵も歩き飲み。感謝の気持ちをどうのこうの言うなら、まず感謝の言葉を口にしないと。薄っぺらである事が露見しますよ○○さん。(2009.11.24)

 

おはよう~ございま~す…ぶっつけ本番よりも根回ししておく事が大事だと思うのだが。セレモニーじゃないんだから。(2009.11.27)

 

寒い季節、休日はたっぷりのホットコーヒーで幸せになれる。(2009.11.28)

 

ニコラス・ケイジは借金苦でやたらなフケっぷり、かぁ…45って同い年やん(苦笑)(2009.11.28)

 

とにかく一分一秒でも長く生き永らえようや…どんなにカッコ悪くても。(2009.11.29)