心はいつも雨模様

記憶より記録

退職願を出して・・・それから・・・

4月半ばに退職願を出した。
ここまで働く、という区切りを明確化できたから、気分は驚くほど晴れ晴れとしている。退職願の効果は絶大だ。
思い返せばこのブログも仕事の鬱憤を晴らすために始めたのだと、イライラブログを書いた時間が今となっては懐かしさすら感じる。

そもそも仕事内容が望んだものではなく、嫌だった。限界だった。
それも、もっと嫌な方向に進んでいったのが辞める原因の一つでもある。
元々はプログラマー・SE志望で、その職種で募集している会社を探し、運よく今の会社から内定を頂き入社できた。入社した後は技術者向けにスケジュールの組まれた研修を受けていき、少しずつではあるけどプログラム開発の知識を身に付けていった。しかし研修と言ってもほとんどOJTと自己学習。先輩社員の優しさと独学で何とかした感が大きい。今思えばよく続けてこれたと思う。今、心からいいます、ありがとう、パイセン。
技術職は最初がキツくて慣れるのに時間がかかると言われているので、数年で全く畑違いの職種に異動になるなんてまずないと思った。あるとしても、ある程度社会人としての知識と技術を身に付けてからだと思った。

でも、社会に出ると、そんなに甘くはなかった。
そんなに都合よく思った通りにいかない。会社自体も、仕事のスケジュールも、人間関係も。
私が入社する前の年に社長が変わり、そこから会社の方向性が180°ガラリと変わっていった。前社長が嫌いだったからという浅い理由で決めた方針。前社長が相談役という立場を退くと勢いだけの抜本的な改革はどんどん進められていった。
前社長はみんなの前で「私は会社が大好きでした」と、それだけ言って終わった。
それだけ?長年トップとしてやってきて、その程度の感想なの?あなたの人生の重みはその言葉だけで足りるの?と少々不毛に思ったけど、総務のおばさんと不倫していた過去を先輩社員から聞いていたので、人間性も浅いのだと思うと何となく納得した。

こうしてサイコパス社長の時代が到来する。前社長がいなくなった瞬間に管理部門の室内の改変を行い、簡単に部外者が入室できないようにした。もちろんその部外者には社員も該当する。さらに社長室がみるみるうちに豪華な仕様に変わっていき、社内のボロボロの備品だけが目立っていく。備品を全て新しいものい変えるという約束は当分果たせそうにない。

ケチな社長の会社は危ない。これは真理だと思う。

社長が苦手という人は結構いた。できない人に対して当たりが強く、ネチネチと相手の弱みを指摘して、嫌がったところを嬉しがる姿はどこか心の弱い苛めっ子を連想する。社長のわがままに付き合ってられない。しかしトップに逆らっても何も変えることはできないので、結果的にやめていく人が続出。何十年と働かれていた人、これから会社を背負っていく若い人・・・当然、その中には営業で働かれていた人もいた。さらに東京営業所の強引な開業により、一人、また一人と、若い社員が目の前から消えていく。

そこで私に白羽の矢が立った。会社の中では一番若く、男性で、まだお客さんを持っていない状態なので、異動させやすいのが主な理由だった。有無を言わさず営業に異動。異動の知らせは簡易的なもので、辞令は社長から受け取るものなのに、部長から受け取った。その時、社長は東京に遊びに行っていた。

勢いだけの方針の会社は危ない

営業に移る際に言われたことは、既存のユーザーのフォローをしてほしいとのことだった。なるほど確かにいなくなっていった社員の仕事を私に引き継ぐのは当然かと、そう思っていたけど、異動になったばかりで、かつ、違う職種で働いていたこともあったので、まずは上司について回り、お客さんのことや営業内での仕事を教えもらうところから始まった。確かに研修なしでいきなり営業はキツい。一緒に挨拶に行き、会議に参加して議事録をとったり、その時はそれなりに仕事の面白みはあった。営業職も頑張れば楽しめそうだな、と前向きに考えていた。でも、楽しい時間は長くは続かない。

社長が変わってから、社長の友達みたいな人がどんどん入社してきて、上層部はよく分からないおじさんで埋め尽くされた。

社長には成し遂げたい夢があった。IoTとかAiとか、最先端の技術を駆使した製品を世に広めていくこと。それを自社が率先してやっていく。
これからは新規開拓の時代だ。
こうして、新規開拓の仕事も私がしていくようになった。この時は若い営業社員がみんなで協力して行う体制。泥臭い飛び込み営業。

それでもその仕事もやれば何かしら楽しいと思ったので、飛び込み営業もイヤイヤながら何とかこなしていった。売っていくのはクラウド型の会計ソフト。
しかし売れない。
それもそのはず、会計ソフトなんてどの企業も導入している。ましてやクラウドのソフトなんて機能は平均化されているので、よっぽど会計ソフトにこだわりがない人でないと気に留めてくれない。

楽しくない。仕事に楽しさを求めるのも可笑しな話だけど、本当に楽しくない。
飛び込み営業は、基本的に嫌な顔をされる。煙たがれる。
当たり前だと思う。仕事をしている最中に訳のわからない売り込みをされたら私でも不愉快だと感じる。
飛び込むたびに、胸が痛む。
一度だけとある会社に営業に入って、ひどく怒られたことがある。
それがトラウマになってしまい、飛び込み営業が億劫になってしまった。
会社に帰っても飛び込み営業以外、何もすることがない。でも、飛び込むのはもうキツい。
一日中、カフェで資格の勉強をしたり、公園でぼーっとする日が続いた。
飛び込んだ会社の件数で評価されるので、適当に件数を誤魔化す。
友人にそれを伝えると笑われる。
時間になり会社に戻ると車内は騒然としている。何事かと心配するとプレーカーが落ちてサーバーが止まったらしい。馬鹿げたことでお客様に迷惑をかけてしまう。社長はケチなので、電力の制限までかけてしまった。複合機などで印刷する時は「印刷するので、パソコンの画面の電源、消してくださいねー」といちいち合図をしないといけない。呆れる。
今年は何としてでも事務所を移転するらしい。でも大阪はオフィスの空室率が極端に低いので、どう考えても今年で決まるとは思えない。先輩社員はオフィス移転計画メンバーに選ばれ、さらに入社6年目なので海外研修にも選ばれている。いなくなった先輩の仕事も引き継いだので、パンク寸前。青ざめた顔が印象に残っている。
残業はないと言いつつ、残業はある。もちろん残業代は出ない。不憫に思った上司がいらなくなった社内のパソコンを売り払って残業代を捻出し、現金で支給してくれる。アホか。ちゃんと計算しろ。てか正規のルートで申請できるように改善しろ。申請しても白を切る社長をどうにかしろ。

残業代を正確に支払わない会社はクソ

もうこの会社にいてもダメなのかもしれない。そう思うようになった。
そして、一番仲の良かった先輩社員が退職。
それが拍車をかけたのか、、、もう潮時だなと思い、白紙と封筒を買い退職願をサラサラと買いたのは今でも記憶に新しい。

退職願を上司に出しても特に動いてくれなかった。「消しゴムをダイソーで買って、高く売るようにしてもいいんじゃない?それで利益上げられるよ」と言われ、私は営業に向いていないと思った。ある程度役職を持つと、やはり家庭のことがかかってくるので、保身に走る傾向にあるらしい。

部下思いの上司のいる会社を選ぶべき

そんな感じで転職エージェントの方に転職の相談をしに行った。
退職理由は以下の三つを伝えた。

①営業職は望んでいない(飛び込み営業はヤダ)
②先輩社員の急な退職で、この人について行こう!という人がいなくなった。
③残業代が出ない。今の会社で働くことが不安。

今の会社にいても将来の自分が描けない。
ただネットの情報を見ると安易に転職をするのも良くないらしい。
仕事は自分で見つけていくもの。楽しい仕事なんてある訳ない。
自分で考えて自発的に動いていかなければ、社会人として働いているとは言えない。
受け身で働いて、不満を持って、安易に転職をしたって次の会社でもまた同じような不満を持って、仕事をしていくことになる。

それを見てちょっと思い止まった。確かに自分から動いて飛び込み営業の仕方を変えていこうと、前向きに試みてはいないように思う。
ただ退職願を出してしまったので、もう後には引けない。
次に進むことだけを考えてやっていかないと・・・

就職浪人1年、2年弱で会社を退職と、経歴に大きな傷を負った私に今後の未来があるのか分からないけど、アルバイトをしながら自由に生きていくのも悪くないかなと、現実逃避に似た楽観視を最近は考えている次第だす。

これから、息のできない生活に、潜り込んでいく。

ザッブーン。

死んだブログから学んだこと

本当に心に余裕がない時は、鼻歌程度の文章すら思い浮かばない。

生きていくために現実の厳しさと向き合って悩んで考えて落ち込んで、そうしたらあっという間に時間が経過していく。

だから今こうして日記が書けているということは、少なからず今だけは心に余裕が生まれているのだと思う。良い傾向なのか悪い傾向なのか分からないけれど、多分、良い方向に向かいつつあるのだと、前向きに捉えておこう。。。

私のブログは死んでいた。全く息をしていない状態だったので、存在すらもう忘れられてしまったと思う。

でもそんなブログでもちゃんと意味があるのだと、みんなに提言したい。
死んでいたブログを読み返してみると、意外と面白い発見があったりする。
当時の自分はこんなことを考えていたんだ、こんなことを感じていたんだ、と、過去の自分から改めて教わることが見えてくる。ブログや日記もそうだけど、SNSでのやりとりとか、今までに読んだ本とか映画の作品などを見返すと、良い刺激になったりする。

過去の自分から学べるものがある

営業に移動になってから、悔しくて、でも、負けたくなくて、とにかく人とお金に慣れるように自分なりに頑張ってきた。でも性格的に合わないことを無理に続けたので、体に影響が出てしまった。低血糖、白血球減少症、全身じんましん。笑える。メソメソ親に電話をしたのは今となっては滑稽な思い出。人生オワタと思うくらい心と体は密接に関わり合っているのだと、再確認した。外に出て、穏やかな場所で日に当たる時間を作ろう。

健康は大事

そして、人が人である以上、完璧な人間関係なんて存在しない。それを二十代半ばになってようやく気づけた。嘘ばかり言う人。お金と地位を振りかざし見下す人。他人の人生を否定する人。世の中にはいろんな人がいる。だけど、もう少し人を信じてみたいなと未だに思うこともあるので、まだまだ頭の中はロマンチストだなと我ながら思う。良い人もいるけど悪い人もいる。難しい世界で私たちは生きている。

完璧な人間関係は存在しない。だから身近な人を優しく大切に

就職のため、関西に来て2年が経つ。辛い気持ちを押し殺してなんとかここまでこれたけど、でもやっぱり辛い気持ちは消えない。辛い、が人生なんだよねきっと。だから辛い人生の中で自分の楽しさを見つけていくしないんだと、これも今になってようやく気づけた。辛いトンネルを抜けてたら次はキラキラした幸せがやってくる。今までの全部が報われる。なんてことは、ない。世界が自分自身を幸せにしてくれるなんて、そんな綺麗事はない。自分で納得のいく状況を掴み取らないといけない。先が見えなくて怖いけど、でも頑張るしかない。頑張ろう。

・楽しさは自分で掴み取る。見つからなければ、ちょっと冒険してみる

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最初は不安で何もかもが愛着のないぶっきらぼうな街並みに見えた大阪も、今は見慣れた地元の風景のようにすんなりと視界に収まる。

感慨深い思い出なんて何もない大阪で迎える春も、特に期待するものなんて何もないのだろうけど、でも、初めて目にした大阪の桜は去年よりも、一昨年よりも、きっとキレイに見えるんだろうなと、そんな気がして、心は春一色に染まりつつある自分が恨めしくもあるのだった。

 

異動

普段はまったく話すことのない同じ課の上司(課長)に、いきなり「今晩、一緒に夕食でもどう?」と言われた。

この時、何となく嫌な予感はした。

課長に連れられ、近くの居酒屋に入り、緊張しながらも夕食を楽しんだ。

最初は今の仕事のやりがいとか、課の雰囲気とか、嫌いな人は誰なのか、などなど他愛のないことを話していたのだけれど、「それじゃあ、本題に入ろうか」と、急に話題を変えてきたので、一瞬にして緊迫した空気が張り詰めた。

「新しい仕事やってみたくない?」
「新しい仕事ですか」
「そう。例えば今の仕事を離れるとしたら、君に何ができると思う?」
「それは…やはりシステムを1年以上学んできたから、システム関係をベースにして仕事をするのがいいんじゃないでしょうか」
「システム以外で答えて」
あまりの詰問に、私はしどろもどろ状態だった。
「情報は会社にとって武器なので、情報を扱う仕事をするのが、会社にとっても、私にとっても、成長できる仕事になると思います」
漠然とした答えだったけど、課長は「なるほどね」と答えてくれた。

こうして悪夢のような夕食は終わりを迎えた。
気が付けば、居酒屋に入ってから4時間が経っていた。

数日後、また課長に呼び出され、来月から営業課へ異動になると命じられた。

それが、8月の大きな出来事。

入社して1年4ヶ月、死に物狂いでプログラミングを学んできたのに、あっけなくその努力が水泡に帰すことになる。今後、プログラミングを扱うことはないとも言っていた。

技術を磨くために遠い地へと就職したのに、私は何をやっているのだろう。

思い通りにいかない人生に、唾を吐きかけてやりたい。