ウヨキョクセツ(仮)

躁鬱病改め、統合失調症らしい。闇をぶちまけたり、ぶちまけなかったり。

健康診断

今日、学校で健康診断があった。

以前の測定の際に血圧が高かったので、タバコをやめたことを思い出した。

今回の測定ではそれもあってか、少しばかり血圧が下がっていた、が...

 

体重が半年で体重が半年で10キロ増えてる。

 

やばい。ついに75キロの大台に乗ってしまった。

これはコロナ太りと呼ぶほかない。

なるほど、よって、今日の飯は野菜スープとする。

 

そして、10キロのダンベルを買った。これは、戒めとして、増えたぶんの体重と同じ重さだ。

これで暫く運動を続け、どれだけ痩せるかやってみよう。

 

ではまた。

久しぶりに友人に会った

私は東北の中学校出身なのだが、7年の月日を経て、その中学時代の悪友と東京で再開した。

私と彼女が脇道を歩いていると、ちょうど本道につながるところの右側に、飲み屋があった。

露店風の飲み屋で、カウンターがコの字型になっており、客は中心を向いて座っている。ちょうど私たちが歩いてきた道に面して、奴は座っていた。

最初に見つけたのは一緒に歩いていた私の彼女(SNSで友人の写真は何度か見せていたため)だった。

「あれ、Kじゃない?」

「すみません、Kさんですか?」

すると、まさしく懐かしきKであった。

おお~久しぶり。

 

のような対応を期待していたが、

「やべえ!マジウケんだけど!!!ヤベエ!ヤベエ!」

 

 

なんか、違うな?

 

 

確かに悪友とは言ったが、何か、もっとこう、硬派な悪友という感じではなかったか。

 

結局、私は写真を撮られ(反射的にピースをしてしまったのが不覚であった)、呑みの約束を押し売られ(買ってしまったのが不覚であった)、別れた。

「後でTwitterとかで連絡ちょうだいよ!!!!!」

 

家に帰り、Twitterを開く。そういえばフォローしてあったな。Kのプロフィールを見る。

 

いや、リムられてるんだけど。絶対呑みに、行かん、行かん。

 

 

 

 

後日談

そこの飲み屋に、ハライチの澤部がいた。

だからなんだ。

 

 

おわり

 

双極性障害改め

皆様お久しぶりです

ブログからはすっかり離れていまして、文体もままならないところではありますが...

近況報告です

 

上京して一年、学校になかなか通えなかった私は、恋人を見つけ、それを機に学校に近いところに引っ越しました

結局はコロナによりリモート授業が殆どでしたが...

 

以前住んでいたところからは1時間ほど離れていたので、病院も変えることにしました

新しいドクターにかくかくしかじか...

すると、親の遺伝や病状から、統合失調症の可能性があるらしいと言われ、新たにドーパミンを調節する薬を処方されました

これがとても効き、学校も殆ど休むことなく出席できるようになりました...

 

このブログのタイトルは変えるかどうか分かりません

内容もどうなるかは分かりませんが、「統合失調症には日記が良い」と小耳に挟んだので筆を執った次第です

できるだけ続けようと思いますのでよろしくお願い致します

Death Strandingについて思うこと

注意!この記事は筆者の主観が多分に含まれています!

 

去年ゲーム業界を騒がせた小島監督の最新作「Death Stranding(以下デススト)」はオープンワールドのゲーム性を再定義しました。あ、この「再定義」という言葉はファミ通から拝借しました。

 

 

私はオープンワールドのゲームをあまり遊びません。海外のオープンワールドゲーム等はすぐに飽きてしまいます。なぜなら、"移動がつまらない"から。

物量作戦のオープンワールド。移動の中のアイテムを増やすこと。これでは飽きました。道中の突発的なイベントをもっと増やして欲しい!なんて、イベントを作るのも大変です。と、ここで思いつくのは、「移動自体を楽しくしたらいいのでは?」ということ。

移動自体が楽しいオープンワールドGravity Dazeスパイダーマン等が代表的です。でもこれは、いわば偶然の産物。建物スレスレを飛ぶとなんか楽しい!というもの。この手のものを発見するのは難しい。そこで小島監督は基本に立ち返りました。ゲームの根本、障害と達成。

移動自体をゲーム性にし、よくあるオープンワールドのような開発規模は必要なくなりました。移動に慣性(障害)、重心移動(達成の手段)を付け加え、緊張感が生まれました。ちょっとしたアクセントにミュールとBT(障害)を加えました(あとそれに対抗する手段)。はい完成。

あ、ソーシャルストランドシステムを忘れていました。これは、他者の設置した物やアイテムが共有されたりなどするのですが...今は亡きトゥモローチルドレンを思い起こさせます。好きな要素のひとつです。

このゲームのテーマは「繋がる」。確かに、ソーシャルストランドシステムやストーリーなどその要素はありますが、本質はそこではありません。移動をゲーム性として据えたことです。それによって、実際に険しい道を越える時の過酷さや、それを越えた後の平坦な道での開放感、達成感が味わえます。これは、迫りくる敵を倒すようなゲームとは違う、もっとじわじわと持続した、少しだけ緊張感のあるような感覚です。

そして、自由度も保たれている。道があったら皆辿るから、皆が辿ったところが道になるようにした。カイラル通信を繋いだところで漸く道ができ、皆の物が使えるようになる。ルート構築の変化も生まれます。運んだ後の楽をできる要素として、国道、ジップラインがあります。これを作った後はまあ、作業的になってしまいますが、やり込み要素としてはいいのでは。

 

と、いうようにデスストは、オープンワールド界の革命的なゲームであり、練り上げられたものである、と言わしめるものでありました。

 

幸せ報告

今はとても幸せな状態です。

一年前が嘘のよう。

薬でハイになっているわけではなく、温暖な幸福です。宗教でもありません。

愛する人を見つけ、同棲しております。実家にも連れてきてしまいました。囲んでると言われましたが、その思惑もなくはない。相手も満更でもないし。

そして、眠気の波が来ず、今は朝、ふと思い立ったのは、今までの女性への感謝の思い。

まあ、私を振った人たちですから、こんなこと思われても洒落臭いでしょうが、まあ、ここは、そんなに人目につかないので、ご勘弁。

 

人は幸福な時に寛容になれることがあると思います。だからこんな気分になっているのでしょうか、と、考えを整理してみたく、スマホでせかせかとフリックをしているところであります。

自分の「過程」の段階に彼女らはいたのでしょうか。彼女らは教師のような立場だったと捉えられるからかもしれません。それは、当然ながら過去になったということでしょう。

 

 

あ、フラれた時のことを思い出したら水曜日のダウンタウンのクロちゃんと重なってしまいました。嫌な気分になったので寝ようと思います。

 

 

もしかしたらゲームの批評を書いてみるかもしれません。

 

私は自殺を止められない

https://matome.naver.jp/m/odai/2136075528597878901

まさかのneverまとめね。

自殺とひと口に言っても様々な理由が考えられますが、その理由を一つ一つ潰していくのがこの記事です。

ネットの世界にもお節介な人っているもんで、割とそういう人たちのおかげもあってインターネットがちょっと救いのあるものになってたりもしますね。うん、そんな気がする。

 

本来生命にあるべき希望が、死に宿ったら、自殺するんでしょう。死ぬことの奥に希望があったり。みんな生きていく中で希望は探し続けてる筈だけど、見えなくなる時ってありますね。そういう時は助言してあげることが重要だけど...皆さんは論理で感情は覆せますか?私は感情ありきの後付け理由ですから、難しいです。だから薬に頼ります。もう最近はドラッグストアで「イライラに効く薬」みたいなものを取り扱ってるんですね。感情はどうにでもできるものになるんでしょうかね。

 

自殺はどうしていけないのか、と考えていましたが、世の中にいけないことなんて無いということに合点しましたので、お開きとさせて頂きます。これまで法律で縛られちゃ、たまんないね。

 

都会

都会に来て思ったのは、ポイ捨ての多さ、歩きタバコの多さ。

初めのうちは落ちてるゴミも拾い、歩きタバコも軽く注意していたが、今では見て見ぬ振り。

 

ゴミは誰かが拾うだろう。

歩きタバコをしている人は自然第一として、人類を滅ぼさんと尽力している。

 

理屈で目をそらし、やっていっている。

都会の人は、生活する上でそれらを身につける。ある種の、盲点が多い状態。

私も、都会人として「然」を帯びてきた。

これは自分にとって少し嫌な変化かもしれない。

視点をひとつ失うことに等しいからだ。

だから、気が向いた時にはゴミを拾う。

副流煙が漂わないように裏路地に促す(恐いからまだやってない)。

やれたら良いが、やれなくても悪いことではない

と、自分と都会人に言い聞かせる。