昨日見たオペラ座の怪人

昨日の夜ごはん食べてたらテレビで『オペラ座の怪人』やってたからみた。吹き替えで歌部分まで日本語とは珍しい…と思いつつみてたけど、あとで検索してみたら劇団四季と協力して作ったみたい。すごーい。

古くて大きくて複雑に入り組んだ建築物っていうのはそれだけでかっこいいし、住んでみたくもなる。だれかが住んでるんじゃ…って考えると楽しい。だからこういう話は好きだ。

しかしあれだな、やはりキモメンはこと男女関係については世界へ関知しようとすべきではないんだな。オペラが好きで美しいものが好きで、…でも自分は醜い。なんという既視感。

そういえば車の中で放課後ティータイムの歌流してたら、誰が好きなのかみたいに聞かれた事がある。しかしそういう世界にそういう形で関知する自分というものが全く想像できない。熱帯魚の水槽に例えた話をどこかで読んだが、非常に的確な例えだと思う。水槽の中に綺麗な底砂や流木や水草を配置して、そこにこれまた綺麗でかわいい小さい魚を泳がせる。ちょっとした小宇宙だ。魚を飼育したことはないけど、非常に魅力的だ。しかし魚に触れようとすると逃げるし、無理に触ると魚は死ぬ。

そういう労力は別の部分に使った方が生産的でいい。

16日のブロック

おとといのブロックにおいて、うっかりXoopsの事を話してしまったがために、電撃的に小委員会配置換えとなり、Web担当になってしまった。

27日は行田に行かなくてはならない。

30LOMのサイトを見て回ってると、結構Xoops多い。それはどうでもいいんだけど、ひとつ腑に落ちないのは、年度別にディレクトリつくって、過去のコンテンツを放り込んでしまうというやり方をとる所が多くて、ブロックとか日本とかもそんなかんじみたいだ。これはどうなんだろうか。そうするのは一番楽なんだろうけど、なんかイヤな感じだ。

おニューのジーパン


新しいジーパンを買った。以前に比べれば結構服を買うようになった気がする。前は冬は死なない程度に夏は捕まらない程度に服着てればいいやみたいに思っていた。今も似たようなものかもしれないけど。

買うんならやっぱり色落ち加工とかしてないやつの方がいいなと思い、そういうものを買った。穿いてればどっちにしろ色は落ちていくんだろうし。でもこれほどあらかじめ色落ちさせたジーパンが多いという事はやはりそちらの方が人気があるという事なんだろう。

中には普通に穿いてればこんな風にはならないであろうと思うような奇抜な色落ちをさせたものもあって、もうこうなると「使い込み感」を超越した「模様」のようなものになっている。柄もののシャツを着るように、柄のあるジーパンを穿く。

そういえば以前『なぜコンピュータの画像はリアルに見えるのか』という本を読んだ時に、ジーパンに濃淡の差をつける事で立体感が際立ち足の形がよりよく見える、といった内容の事が書いてあった。模型の塗装で陰になる部分を暗い色に塗るようなものかもしれない。

その一方で色落ちしていないジーパンをいかにカッコ良く色落ちさせるかみたいなのもネットを見てるとよくある。「根性穿き」なんて言葉もあるようだけど、これはただ単になるべく洗濯しないで穿き続ける、という事のようだ。でもそれって「根性」っていうほどの事かなぁ。過酷な肉体労働に使用していれば洗濯しないなんて選択肢がまずありえないだろうし、根性というよりは軟弱という気がする。どのみち色落ちを意識した時点であらかじめ加工してあろうが自分でやろうが似たようなものかもしれないし。

ガンガン使ってガンガン洗うのが一番気が楽でいいや。だからそうしようと思う。

今日が例会なのすっかり忘れてた

なんとなく、意識の中で注目する対象間の移動に時間を取られると対象に対する集中に時間が割けなくなるし、対象に集中し深く潜っていくと今度は移動がおろそかになる…そんな気がする。横軸と縦軸の移動みたいな。外から見ると斜めの距離…下手すると水平の移動距離分しか見えなかったりする。きっと、よく「それくらいならする時間あるだろ」って言われたり、人が言われてるのを見たりするけど、これがなかなかできないのはそんな所に原因があるのかもしれない。

FTPがここまでめんどくさいとは…

今までFTPなんてほとんど使った事がなかった。使ってもファイルのダウンロードくらいだったし。自分のサーバのファイルのやりとりは大抵scpとかrsyncとか使っている。

OSXのターミナルからftpコマンドでmgetやmputを使う場合、再帰的ダウンロードやアップロードが出来ない模様。OSXのFinderなら再帰的取得はできるけど、書き込みが一切出来ない。