いつものことが当たり前ではない
いつも見聞きしていることが当たり前ではないことを理解する必要性について。
あえて言うなら京都アニメーションの作品である氷菓の「人の気も知らないで」の一言に近いことかもしれない。意味は逆ですが。
私はあまり見ませんが、フリースタイル大会に出場していた、とあるラッパーの立ち振る舞いをみて感激しました。
相手をDis(悪口)った直後に舌をアインシュタインの様に出して笑ったんです。
すごく調子の良い一戦だったようで、両者の言葉の聴き心地が良かったのも相まり、シーンは目に焼きつきました。
感激したのは、だいぶ後のことで、、、
皆さんは舌を普段から人前で目一杯出すでしょうか。
私は出していませんでした。
これに気づいて、なぜ彼が舌を出せたのか、そして彼は手振り身振りをどのように身につけたのかを考えました。
フリースタイルは即興という意味で、彼らはどうやら普段から仲間で円陣を作り、即興ラップを披露しているようです。
その中で舌を出した彼は、即興という「嘘を思いつく間もない」時間を生きた結果、「自分という存在」をはっきり認識することに成功しているのではないかと私は考えたわけです。
舌を全部見せるほどのわんぱくな表情は、普段から彼が、自信をもって、彼自身の楽しみを、そのような振る舞いで感じていることになる。
一見ステージ上でのパフォーマンスに見えるが、実際は彼自身のためにある態度だったわけです。
だからその行為に対する観客の反応は「素晴らしいパフォーマンス」ではなく「かっこいい人」となるのではないかな。
憎まれっ子は世にはばかります
バリアフリーな話
バリアフリーと聞くと皆様なにを思うでしょうか。
日本が誇る建築家の安藤忠雄氏の傑作「住吉の長屋」は住むためには戦う必要があるようなもので。
例えばトイレに行くため、風呂に行くために、外に行かなければならないのです。
一例はさておき、バリアフリーとはつまり、バリア(壁)フリー(無し)ということ。
(厳密にはちがいます)
世の中には壁がたくさんありますね。
ここでいう「壁」とは不自由であること。
車椅子を日常的に使っている方には、階段はかなりな「壁」ですので、スロープやエレベーターが用意されていることは、バリアフリーであると言えましょう。
住吉の長屋はバリアだらけですか、それを良いとすることもあります。
天命反転住宅(三鷹)は、死なないための建築と銘打ってありまして、アクティブに生活していくようなつくりになっています。
またまた一例をさて置いてもらって。
ここで答えを示すと、「フリー」は「解放」でございます。
私の恩師から聞いた話ですが。
デトロイトの空港には「smoke free」の立て札があるそうですが、そこで一服した場合は高額の罰金が課せられるそうですよ。
smoke free(禁煙)
私は常識的に意味をしっていましたが、改めてみるとfreeを「無し、自由」などと考えているといかにも勘違いできそうなワードですね。
アメリカはそれでも表示を変えないので、どう考えても策略ですね。
Non smoking でもいいのにね。
まあそれが言いたかっただけなんですがね。