それ、揺れてんの?
おはようございます!(06:29am)
NHKの朝のニュースに、これほど感謝するとは!!
テレビ 「…地震がありました。」
母 「え?」
私 「最大震度2だってよ。」
母 「あー、なんだ。」
まあ、そうなるよね。
震度2とか言われてもね、地面が揺れることに慣れっこになってしまった日本人からしてみたら、それって地震なの?くらいなもんですよね。
そして、本題はここから。
さらに、伊豆大島近海では、昨日だけで350回あまりの「体に感じない地震」が起きたらしい。
「体に感じない地震」
なんだよそれー😭😭😭
体に感じないって、それもう揺れてないんじゃん!地震じゃないじゃん!!
試しに、地震という言葉の定義を調べてみます。
「地震とは、地下の岩盤が周囲から押される、もしくは引っ張られることによって、ある面を境として岩盤が急激にずれる現象のことをいいます。この岩盤の急激なずれによる揺れ(地震波)が周囲に伝わり、やがて地表に達すると地表が「揺れ」ます。私たちはこの「揺れ」で、地震が地下で発生したことを知ります。」
(出典 気象庁ホームページ 良くある質問集 地震についてhttp://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/faq/faq7.html)
なるほど、ということは、体で揺れを感じずとも、何らかの形で地下の岩盤のズレを確認できれば、それを「地震」と言えるのか。
つまり、私たちが揺れを感じようが、感じまいが、おかまいなしに、地震は地下で起きている、ということか。
なんだかなー。
それじゃあ観測技術の進歩によって、地震の回数はどんどん増えて行くじゃないか。。。
結局、私たちの実感としては「体で感じる揺れ」が地震ですよね。
しかしながら、「体に感じない地震」にはリスクも多くあるらしいので、そんなの知らなくていい!と無下に切り捨てることもできないようです。。。
でーもー
だって、地面、震動してなくない?※
感じないって、もう
それ、揺れてんの?
って話ですよね〜
※自分で書きながら思いましたが、地震の「地」は地面の地でなく、「地盤」の地、なのでしょう。(地震は地面の震動ではなく、地盤の震動だ、という意味)
震災のこともあり、この記事によって不快な思いをされる方がおりましたら、申し訳ありません。純粋な好奇心から作成しておりますこと、ご了承ください。
クオリア🍎
今回は、クオリアについて書こうと思います。
私の大好きな言葉です☺️
クオリアは日本語で「感覚質」と訳されます。
一言で言うと、「〇〇な感じ」
たとえば、
赤の「赤い」、という感じ。
傷が「ズキズキ」と痛む、あの感じ。
壁の「ザラザラ」、という感じ。
四世紀、アウグスティヌスの著書「神の国」に登場した言葉で、時代とともに少しずつ意味が解釈し直され、今に至るらしい。(詳しくはググってみて下さい。😅)
ある時、「この色は、他の人にも私と同じように "この色" に見えてるのかなー。」と、あっかりーん少女は思ったのでした。
大学の講義で、初めてクオリアという言葉に出会った時、なんとトキメいたことか。
大昔の人も同じ気持ちを抱いていたなんて。
いくら言葉にして伝えても、なかなか「この感じ」を「この感じ」のまま伝えることは難しいですよね。
どう頑張っても、「この感じ」は他人と共有できないのかな。切ないですね。。。※
ですが、最近思うことがあります。
このクオリアにこそ、
私の私らしさ
を感じることができる。
ああ、この感じは、私にしか味わえない、この感じなのだな、と。
個性だとか、オリジナリティだとか、何だろうって感じですが、
ぜひ自身のクオリアに問いかけてみてください。笑
(笑っちゃってるよw)
この言葉が読者の方の世界観にグッと響くなら、幸いです♡
※こういう考え方、哲学用語で「観念論」(対義語:実在論 興味がある方、ググってみて下さい)と言います。この切なさが極まると、とんでもない孤独感に苛まれる方が稀にいらっしゃいます (これ、わたし)。そんな方には、アンリ・ベルグソンの著書『物質と記憶』をオススメします。やっぱり赤の赤さは赤なんだ、とホッとできると思います。
タカハシのイデア
ひえ〜10日ぶりの投稿です!!
みなさまご無沙汰しております🙇
面白い言葉に出会って居ても、素通りしてしまうって事があるみたいです。
すくい取る力も身につけなければならない。
さて、本日のテーマは「イデア」です🌌
高校の倫理の授業などで、一度は耳にするであろう、プラトンの「イデア論」。
「イデア」とは、目に見える色や形ではなく、
心の目👁
で見る、本質のようなものです。
例えば、何かを見て「美しい」と感じるのは、そのものに「美のイデア」を感じるからだ、というのです。
ここからは、私の解釈ですが、「イデア」とは、あるものの
「◯◯◯らしさ」や、「◯◯◯っぽさ」
であり、その◯◯◯らしさや◯◯◯っぽさは、他人と共有する事が出来るものだと思うのです。
そこで、先日、このイデアを使った面白い遊びをしました!
その遊びとは、
「このお菓子はどこの国っぽい?」
というもので、
例えば、
「アポロは北欧のイデア感じるよね」
「トッポはアフリカのイデアあるよね」
(イデアって言いたいだけ、、、)
「ハイチュウはハイチだよね」
(もはや、、、)
という感じで遊ぶんです。
字面だけではなかなか楽しさが伝わらないかもしれないんですが、
実際やってみて下さい。
みごと同じイデアを感じ取れた時の充足感、共鳴してる感、運命感
(宇宙意識※感じちゃう🌌)
で、「タカハシのイデア」って何よ?
今回のタイトルな訳ですが。
昨日、友人と話していた際のこと。
「苗字なんていうの?(Nくん)」
「ん、タカハシ。(Iくん)」
「うお〜〜確かにタカハシっぽさあるわ!(Nくん)」
「タカハシのイデア感じるよね。(わたし)」
「いやいや、イデアの意味わかってんの?笑(Nくん)」
というわけで、イデアって何だったっけ?という意味も込めて、ブログのネタにさせて頂きました😅
読者の皆様も、どんどん「イデア」使っていきましょう!!👍(ちょっと賢くなった気分を楽しめるよ)
では、なるべく近いうちに次の投稿ができるよう努めます。
発狂的日本語
面白い言葉がたくさん転がっている日もあれば、そうでない日もあり。
なかなか定期的に投稿できず申し訳ありません😥
今日は大学の講義で出会った一言。
大学3年生になり、O先生のゼミに入りました。
O先生はフランス哲学の先生で、特にジル・ドゥルーズという哲学者にお詳しい方です。
私がこのブログを始めようと思うキッカケを与えて下さったのもこの方。
ゼミに入って最初の授業
「不安要素はなるべく早く取り除いておきましょう。」
ということで、先生は卒業論文のテーマを考えるようにと仰いました。
(そんなこと急に言われてもなあ。。。😅)
ちょうどその頃、「語の選択」に関心があり、
論文にするためにも、自分の興味の対象をハッキリさせたいと思ったのです。
文字に書き起こすこと、自分の感じたことを言葉にすることは
頭の中にあるぼんやりとした考えを明確にしたり、
自分の考えを客観的に見直すにはとても良い機会になると思いました。
本題に入ります。
恥ずかしながら、私は本を読むことがとことん苦手です😓
中でも小難しい日本語で書かれているもの、最高に読みたくありません。
もっと読者に寄り添って、わかりやすい言葉を選ぼうよ!
しかし、内容が難解になるにつれて、単語や言い回しも難解になるのは仕方ないことだとも思います。
古い洋書の翻訳ともなると、最悪です。。。
(思わず本を床に叩きつけたくなりますね。)
何冊も難しい本を読んできたO先生も同じことを思うようで、
先生はそれを
「発狂的日本語」
と仰いました。
ハァ〜、ため息が出るほどセンスのある言葉だな♡♡♡と思うのはわたしだけでしょうか笑
哲学の勉強をすると、まさに「発狂的日本語」の嵐です🌀
以下、参考までに最近私が出会った「発狂的日本語」のリストです。
◯超越論的経験論
◯超越論的主観性
◯動的平衡システム
◯概念的実践
◯不可分の質的継起
◯直接与件
◯有機的連関
◯自由間接話法
悲鳴をあげたくなる。。。
ゴールデンウィーク最終日
大学の友人が音楽活動をしています。
彼女のライブへ、友人と足を運びました。
その帰り、みんなでご飯を食べよう!ということになり、なかなかにワールドの強い方々とお喋りする機会に恵まれたわけです。
今回は、解説はともかくとして、まずは「言葉の匂い」を嗜んで頂きたい。
○顔面よりテンション低い (友人)
意味:見た目から受ける印象よりもテンションが低い。案外テンションが低い。意外にテンションが低い。
○シナプスがズタズタ (わたし)
意味:あ〜〜この辺(喉の下、両鎖骨の間あたり)まで出てきてるのに、思い出せない!!ついこの前見たドラマなのに、ヒロインの名前が思い出せない!!
○「童貞って何?」(幼少期、友人)
正解:「俺だよ。」(友人兄)
○歩くちんちん (友人)
意味:ヤリチン。不思議と憎めない。デカい犬🐶
以上、
○あかりんの心にジャストミート (友人)
した言葉たちです。
人と話すことは、新しい言葉に出会う格好の機会。
私も、いちブロガーとして(自覚を持つため)、
面白い言葉は忘れないようにメモを取ることにしました。
いつか私自身が自信を持って面白いことを言える日まで、メモを取り続けようと思います。
死たまご
大学の講義にて。
わたしが尊敬してやまない、
I先生の講義です。
生物とは何か、生きているとは何か、がテーマでした。
「みなさんが食べる生たまご、あれは生きていると思いますか?(I先生)」
うーん、流石に生きてるたまごは可哀想で食べられないよな。。。😥
と、思ったのですが
「あれは、生きてますよ。
みなさんが食べているのは、死たまごですか?生たまごですよね??(I先生)」
。。。死たまご🥚
あー、確かに。死たまごではない。
それってつまり、"生"とつくものは"生きている"という意味なの?
わたしたちが食べる生たまご、
あれは無精卵ですが、
立派に生きています。
あのたまごは、あれ一つで巨大な卵細胞なのらしい。🥚
生きた細胞。
たまごは腐っていくけれど、あれは死んでいってるんですね。
(正確には、生き物には自己産出、自己治癒の機能があり、生きていれば細菌の繁殖、つまり腐敗のスピードに負けることなく自己治癒が働くので腐らない。したがって、腐敗していくということは、生きるという機能の低下、死んでいく、ということを意味します。I先生)
みなさん、
「死たまご」
になる前に、美味しい
「生たまご」
を頂きましょうね。
生き物の恵みに感謝。
次回のテーマはまだ決まってません!😅
隣人の色
先日、大学の友人と話していた時のこと。
「この前◯◯でね〜可愛いコートみつけたの😁」
「どんなの?」
「オレンジ色でね、ニンジンみたいな色なのっ」
「... リンジンみたいな色?」
。。。リンジン?
ただの聞き間違いです。
でもこれ結構おもしろくないですか?
リンジン、そう、隣人です。笑
隣人に色なんてあるのかなー?
肌の色?服の色?
いやいやいや、絶対そういうことじゃないでしょ!!
隣人って特定の誰かを指すことばじゃないし、そもそも色なんてないよなぁ〜
いや、待てよ。。。
そうは言っても、なんとなく色がある気もしてきたぞw
はい!ここで始まります!... ニヤニヤ😏
例えば、
「友情」の色:明るく爽やかな空色
「他人」の色:薄い灰色
「恋人」の色:これはピンクかな
「不倫」の色:暗い赤、ワインレッド
というふうに、それぞれの言葉には、その言葉の持つイメージカラーがありませんか?
「隣人」の色:うーーーーん、なかなか難しい😅
(隣人ってすごく微妙なポジション張ってるよな。。。)
ここで伝えたいのは「隣人」の色が何色か、ということではないので
この話はこれくらいに。
何をお伝えしたいかというと、
最初は全く解釈の可能性がないように感じても
少し間を置くと、新しい感じ方が匂い出す
思いもよらない経験を与えてくれる言葉があるんです。
意味不明でしかなかった「隣人」の色にも
なんとなく色を感じるようになってきたでしょう?
言葉の意味と音とは一対一で対応しているに止まらないところがあります。
辞書に載っている意味に限らず、
色、匂い、温度、感触、、、
言葉には様々なイメージが乗っているように思うんです。
このブログではそれを、
「言葉の匂い」
として、様々な形で楽しんでいこうと思います😊
さあ、次回は
「死たまご」
について書きますよ!