呑み続けたよという6月14日

9連勤がようやく終わって
なんとか休みの14日。
午前中は荷物の整理。
昼から、お世話になった日本人の会計士さんに
呼ばれて楽しくランチ。
東京時代から併せて4年、
どうもお世話になりました!!

呑み終わった後、
荷物を片付けつつ、
今までの疲れが累積していたのか、
疲れてて機を失う。
目が覚めたら夕方。

19時に東三環路の地下鉄駅で待ち合わせ
日本人の先輩社員と合流。
晩飯食った後、バーで2次会の最後の晩餐を楽しむことに。
ちょうどワールドカップの日本戦をやっており、
90分間酒飲みながら試合を見た挙句、
終了後には祝勝会になっていた。
日付変わったところでシャンパン注文されたのにはビックリ。
もう15日になってますぜ・・・?
でもコレが最後の晩餐かと思うと
思いっきり楽しむ気になっていたんだぜ・・・?


終わったの、3時でした。
今日も送別会です。

いい加減疑問を抱いた方がいいような6月13日

午前中に上司のススメで引越し作業を片付ける。
予定ではあと5日で日本に帰るので
残り120時間でござる。ニンニン。

11時に会社に出社したところ、
「今からお前の送別会だぜ!」
的なニュアンスの何かをいわれたため
「あざーす!!」
と喜び勇んで出社したところ
「のめー」
「のめー」
「それでものめー」
と何かおかしい事態が発生していたのであるが、
これが最後であるなと思い
「はい喜んで」
とどっかの居酒屋のバイト並に呑んで酔っ払う。

終了後、13時くらいからボスと二人で並んで
東三環路を歩く午後の時間帯。
なんつーか不思議な時間。
「お世話になりました」
「元気でな」
怖い上司だったけど、最後はしんみり具合で。
2年近く上司だった人なので、
感謝の気持ちがフツフツと。
最後の別れ際には、
いろいろと人生のアドバイスを頂いたのだが、
ソレについてはただ一言。
「ありがとうございました」
と。

戻って一眠りして。
部屋の片付けをした後、
先輩のTさんに呼ばれて18時から
再度北京の北側で飲み会開始。
120時間後には日本だけど日本料理はウマイすなあ。
そして2次会でお定まりのYへ。
呑んで騒いで。
ああ、楽しかった。
さらば北京。

何もかもに疑問を感じる6月12日

明日は日曜日だけど出勤日。
でも明日まで出れば引越しの準備が終わるんだぜ的な。
もう意味が分からないけれど、
とりあえず頑張って生きてみるしかない。
そんな日曜日。


ええ、もう仕事の引継ぎがどうこうとか
そんなのが眼目ではなく、
普通に夜は飲みに行きましてことよ。
勿論一人でね。

北京で美酒を酌み交わした6月10日

オアシスの町を10時に出発し、
2時間半かけて13時前にウルムチに到着。
中心地を避けて、今回一緒に北京に戻る日本人技術者さんと
適当に食堂に入り昼食。
そこでもやっぱり出てきたのは羊肉だったという話。
まあこれで最後だからいいけどな。

離陸は17時25分。
実に珍しく、遅延なしでのテイクオフ。
4時間のフライトは長かったが、
佐藤優の「国家と神とマルクス」をじっくり読むことが出来た。
マルクス経済学の内在的理論の有効性は、
共産党宣言」を信奉した社会主義運動が世界的に失敗に終わったことが実証された
21世紀の現代においても、なんら失われることが無いと著者は主張する。
また日本的ナショナリズムのターニングポイントとして、
元寇南北朝動乱を挙げ、あるべき日本国家としての姿と提言を行う。
読み応えある一冊だった。

21時半北京空港着。
車で技術者さんをホテルまで送迎し、22時過ぎ。
折角北京に戻ってきたのだから、じゃあ飲みに行くか、と
一人でスーツケースをガラガラ引きずりつつ、
お気に入りバーその1「Yaoxin」に足を運ぶ。

1時間くらい飲んでて、気がつけば客は自分ひとりになっていた。
マスターにはお世話になったので、
「実は自分今月で帰任なんですよ」と話し、今までの御礼を述べた。
するとマスターが秘蔵の日本酒を持ってきて、
「じゃあ今日はカンバンにして、二人で飲みましょう」
と言ってくれたのだった。
ちょい泣きそうになった。

北京で交わした日本酒の杯が美味かったのは、
出張の疲れや解放感だけではないだろう。

北京で得た素晴らしい友人に、心より感謝したい。



まあでもこの夜も、80年代ジャンプ黄金期の話とかしていたんだけども。(笑)
荷物もって部屋に帰ったのは11日の午前2時。
ええ、当然5時間後には出社です。

汗にまみれた6月9日

ウイグルの僻地の工場にある、6畳ほどの薄暗い事務室で、
何故かノートPCを抱えて引継書を作成している自分。
節電中とかでエアコンが全く稼動せず、
外気温36度、室内は締め切っているのでもっと暑い。
額からキーボードにポタポタと汗が滴り落ちる。
当然インターネット回線は、お偉いさんの机にしか
引かれていない(情報が独占されている)ので、
ネット接続なしで、エクセルとワードで資料作成してた。
メールできないのが辛い。

昼飯は14時。
といっても昼飯もほぼ毎日同じメニューなので、
食欲があまり湧かない上に、出てくるのも遅い。
「インシャアラー」である。

真昼は長袖着てないと、
直射日光と熱風でやけどしかねない。
つーか汗でワイシャツがベッタリして気持ち悪い。

19時半で退社。ようやっと出張終わったー。

ホテルに戻って、メールチェック。
ホテルではネットが繋がっているので(クソ遅い)、
そこでウェブやらメールやら。

明日帰るので、21時から私の壮行会。
何にせよ毎晩飲んでいるわけだ。

21時に外でカンパーイ!とビールを呑み始めるのが
奇異な感じなのだが、外がまだ普通に明るいのが
更に奇異な印象を受ける。
こちらに2週間も住めば、体内時計もコレに慣れるんだろうか。

羊肉は美味いけど、
さすがに毎食食べるのは限度があると思った。

ここは「鬼の啼く街・カサンドラ」だ!と思った6月8日

このウイグルの街はオアシスとなっていて、
周辺の町やら村から人が働きに出てきているのでそれなりの
活気はあったものの、
そこの産業の大半を支配している某産業集団のトップと
会うことになった。
こんな辺境の地で、そんな権力を握っている人間ってのは、
大体どんな感じなのか想像がついていたんだが、
まあちょっと想像を超えていたね。
中国舐めてた。


細かく書くと色々と差支えがあるので書ける範囲で。


街の中心部にある市庁舎。
その隣に馬鹿でかい敷地で囲ってあるエリアのど真ん中に、
街で一番高い建物が建っていて、
そこの最上階が全部そのトップのビジネスルーム。
なんか設定が既にラノベなんですけど。

最上階の応接室が、
展望台みたいになってて、
「人がゴミのようだ」
をリアルに出来る環境な訳ですわ。

あとは割愛。
聞きたい人は帰国後直接聞いてくださいな。



もうね、ワロタw。


この日も夜は24時まで度数53度の酒と羊の丸焼きとかで
延々と宴会。親睦深めるのも仕事。だって文化も国籍も言葉も違うのだもの。


いろんな意味でお腹いっぱいアルよ。