つらつら

こんにちは、赤島です。

4月も半ばを過ぎてだいぶ新しい生活にも慣れてきた頃でしょうか。

ブログを綴るのもすごく久しぶりな気がします。

ところで、最近「うつヌケ」という漫画を買いました。なにかとTVやネットでも話題ですよね。

作者の田中圭一さんの経験談だけでなく、大槻ケンヂさんや色んな方のうつのエピソードと対処法について紹介されています。

 

実は、僕もうつ病経験者です。

そう鬱といって気分の上がり下がりが激しい病気でした。

元気な時はだいぶ気分が楽なんですが、ひとたび気分が落ち込むと、それはもうどん底まで突き落とされたような感じでした。

しかし、一番恐ろしかったのは、実は元気な時です。

つかの間の解放感を感じつつ、不安定なうつの波がいつ訪れるかわからない怖さにおののいていました。

例えるなら手足を縛られたまま、いつ谷底に突き落とされるか目隠しして待たされている奴隷のような気持ちでした。

 

少し、昔話をします。

当時、高校生だった僕は不登校だった時期がありました。その学校は進学校だったため、勉学に厳しく、半ば脅迫されながら勉強していたような気がします。

一年の頃は楽しくやれていたのですが、三年になると受験を見据え、進学先によってクラスを分けることになりました。

しかし、そこではあまり仲の良い友達がおらず、なんとなくいつも気まずい雰囲気でした。

「いい大学に入らなければならない」というプレッシャー、「親や親戚に迷惑をかけたくない」という気持ち、そして疎外感。

 

そこに追い討ちをかけたのが父の死でした。元々足が悪かった父ですが、数年前にパーキンソン病と呼ばれる難病にかかります。

これは体の筋肉が徐々に衰えていく病気で、年が経つにつれ体がこわばり、自分で食事が出来なくなったり、介助無しで歩くことも難しくなりました。

そして、高校2年の夏に外に出ようと自分で手すりを掴みながら歩いていたときに、足を滑らせて脊椎を損傷し、そのまま還らぬ人となりました。

殺風景な病室でたくさんの管をつながれたまま眠る父を見ながら、僕は泣くことが出来ませんでした。

そしてそんな自分に対して、腹の底でふつふつと恨めしさがつのりました。

 

いつしか、学校に行く回数は減っていきました。それでもなんとか通えていたのはのは年金を削りながら自分を通わせてくれている母親に申し訳なさがあったからと、なんとかしなきゃという焦りがあったからです。

しかし、学校についた自分に待っていたのはなぜ、学校に来れないのかという先生達の厳しい追求と、生徒達の冷たい目でした。

 

学校で先生に出くわしては、職員室の個室で一対一で一時間ほど説教を受けていました。しかし、先生は「今の状況をなんとかしろ」ということしか言ってくれず、自分の気持ちを話せるわけもありませんでした。

また、休んでいたために授業にもついていけず、しまいにはクラスの同級生に「休んでるやつが学校とか来る意味ねえやろ!頭おかしんちゃう?」と言われるありさまでした。悔しくても何も言い返せませんでした。

 

その頃から何をするにも気力が沸かず、家に引きこもるようになりました。昼に起きて、暗い部屋の中でご飯もろくに食べず、風呂にも入らずただひたすら一日中じっとしていました。

友達にはよく、なにをしてたの?と聞かれるのですが、この質問にはほとほと困りました。実際にはなにもしていないのですが、心の中では自分への嫌悪感と親や先生への罪悪感、消えてなくなりたいという気持ちと必死に闘っていました。

 

そんなとき、救ってくれたのが仲の良い友人からのLINEや電話でした。その友達も同じように学校に行けなかった時期があり、僕のことも気遣ってくれたのです。 

「無理すんなよ」の一言にどれだけ救われたことか... 

 

それから、学校の先生の助力もあってなんとか心を立て直し、学校を卒業することが出来ました。

今はだいぶ落ち着いてきましたが、それでも時々気分が沈むときがあります。

うつ病は一度治ったと思っても、まだ自分の中で密かに眠っており、ふとしたときに目を覚ます病気です。

今は「うつヌケ」で言う、うつトンネルの一本目を抜けたところです。いつまた二本目に差し掛かるかわからない、漠然とした不安もあります。

 

もし、皆さんの周りでうつ病の方が居られたらぜひ、時間をかけてゆっくりと寄り添ってあげてください。

仲の良い友人ならきっと力になれるはずです。そして、その人のことを認めてあげてください。

そうすれば、いつかその人も自分の価値に気付くはずです。


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ふと思うこと

深夜、寝静まった家の中でよく考えることがある。

母親の顔が見れるのはあと何回だろうか。

こうやって猫の頭を撫でられるのはあとどのぐらいだろうか?

我が家は母子家庭で母親と同居している。その母親ももう71歳で立派なおばあちゃんになってしまった。うちの家庭は少々ふくざつで母親がやたらと年をとっている。

ちなみに自分は20歳。

飼っている猫も10歳を超えた。

もしこのふたりの死を見届けるとしたらそれは多分自分なのだろう。

それもなんだかあまり遠くない未来のような気がする。

その時自分は泣けるのだろうか。

出来ることは。

 

まずは3月19日の誕生日をちゃんと祝ってあげたい。