akirakouzuki’s diary

Babaちゃんが、次世代に送る独り言

コロナウイルスの中で

春先に世界を震撼させたコロナウイルス

 

夏が過ぎ、秋も終盤を迎える頃となってきた

 

今年生まれた子供たちは、

 

外に出れば、マスクをした人・人・人・・・

 

目は口ほどにものを言う、というが

 

目だけを出した人の中で

 

子供たちは何を思うのだろう

 

今日、エレベーターの中で

 

1歳暗いと思われる子供をつれたお母さんと一緒になった

 

精一杯の笑顔で

 

「こんにちは😃』と声をかけてみたけれど

 

どうやら戸惑っている様子だった

 

それが、コロナウイルス感染防止のために

 

マスクをしているせいでないといいけれど。

 

コロナウイルスが落ち着いたら

 

笑顔の全容を

 

お披露目して

 

もう一度「こんにちは😃」と言ってみよう

価値あるもの

価値、は何に見出すことができるのだろう

 

 動産?不動産?

 

いろいろあると思うけど

 

時代によって変化したり国が違えば価値も変わることもある

 

もしかしたら 誰かに盗まれたりするかもしれない

 

だけど

 

身につけた技術と

 

頭の中に詰め込んだ知識

 

自分で生み出す知恵は

 

誰にも取られることもない

 

永遠に変わることのない

 

価値あるもの

ゆとり

ゆとりがないと人はストレスが溜まる

 

心もそうだし

 

人との関係もそうだ

 

自分が今いる環境を見てみよう

 

例えば 家の中はどうだ

 

机の上はどうだ

 

洋服ダンスの中は?

 

ものが溢れてパンパンになっていないだろうか

 

溢れたものの中に

 

埋もれてしまっているものはないだろうか

 

埋もれてしまったものを

 

日の当たるところに引っ張り出して

 

本来の居場所や 役割

 

それが果たされたものは丁寧に処分してしまおう

 

そうして

 

ゆとりを作っていこう

 

ストレスフリーへの第一歩だ

 

もちろん、心の中も

信心

鰯の頭も信心から

 

という諺がある

 

信心深いということは そういうことなのだ

 

自分が信じたものであれば

 

それは、その人にとって尊いものであり

 

有り難きものなのだ

 

人間は

 

どんなに強い人であっても

 

必ず弱いところを持っている

 

それを補ってくれるのが「信心」

 

信じるものは、神仏とは限らないし

 

目に見えるものでなくてもいい

 

日々の自分の努力、ってこともあるだろう

 

あるいは、親の愛かもしれない

 

なんだっていいのだ

 

それを揺るぎない心で

 

信じられるものがあるということは

 

それだけで 幸せなのだから

介護の仕事

ニュース欄で

 

介護職員が 生活が苦しくて 同僚の財布から 6500円を盗んだ、という記事をみた

 

短い記事なので 生活が苦しい と言う内容はわからない

 

ギャンブルなどに興じて の生活苦なのかもしれない

 

しれない、けど

 

いやいや 実際には 介護職には そもそもギャンブルに投じられるだけの

 

賃金は 与えられてない

 

会社四季報をみたことがあるのであれば

 

年収の棒グラフを見てほしい

 

信じられないくらい短い棒グラフ それが介護職なのだ

 

介護職にしても 保育職にしても 社会を支えている仕事であるにも関わらず

 

恐ろしく待遇が悪い

 

世の中の いわゆる官僚と言われる人たちは

 

改正(正しいの?)の名のもとに

 

法の改正があるたびに 報酬の引き下げを目論む

 

が、もっともっと他に報酬の見直しをしなければならない職種があるだろ?

 

と言いたい

 

介護の現場で働く人は 文句も言わず

 

笑顔で 高齢者のために 働いているのだ

 

いずれ みんな お世話になるのでないのかい?

 

心から笑顔で働ける介護職であるように

 

いい方向へ 見直しを期待する

 

そういう私も介護職の端っこにいる

 

 

 

私は、自分の母親のような人が、同級生にいたら

 

多分 友達にはならない

 

そう思ってきたし、今も、やっぱり友達にはならないだろうなぁと思ってる

 

母は、3年前に亡くなったけど

 

この母がこの世にいない時間に

 

時々母の心を思ってみる

 

母は、母の育った環境の中で

 

自分を鼓舞し

 

自分に与えられなかったものを

 

私や妹や弟に与えようとし

 

自分の拠り所とし

 

中でも長女の私には

 

世間から受ける冷たい風の愚痴を言ったり

 

母にとって私は

 

子供であり友でありたかったのかなと

 

この頃思う

 

来週は母の3回忌