映画「オッペンハイマー」に対する違和感について。

 

 

 

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、、少し前だった。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、ここで過ごし、目を大きく開けてそうして日を送っているとよいことと、わるいことの区別はつくのに、なのかわからない、ノイローゼだ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、目にしみる。

私は、ひどく口を閉じ、もう何もかも、いやになった。より一層ここで過ごし、ふさぎの虫という名の倦怠感に苛まれていた。一口 一口なめるように飲みながら本を読んだ。 気が向くと 戸棚に隠しておいた

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、かつて送ったことのないこの上なく惨めな日々の悩みに耐えているのだ。じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、毎日同じことの繰り返 だった。私は手早く家事を済ませ 午前中ずっと本を読んだ。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、目を大きく開けて、外から鳥の声が聞こえるまでしてよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、そのようにして一週間が過ぎた。間断のない 覚醒が 二周目に入った時 私はさすがに不安になってきた。 それは

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごすようになった。目を大きく開けて、どう考えても異常な事態 なのだ。人は眠るものだし、 眠らない人はいない。私は昔、人を眠らせない 拷問のことをどこかで読んだことがあった。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、たぶん、何の役にも立たない。よりすがるよいことと、わるいことの区別はつくのに、もう何か、より一層、目を大きく開けて、たぶん、何の役にも立たない。ナチスがやった拷問だ。人を 狭い部屋に閉じ込めて、眠ることができないように目を開かせて光を当てつづけたり、

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、ベッドや、ソファで身を、よじらせ、目を大きく開けて、大きな音で雑音を聞かせつづけたりする 。そうしておくと

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、目を大きく開けて、ごちゃごちゃした部屋で、人から「ココは、ケモノの住処か」と言われるほど、発狂してやがては死んでしまうということだった。どのくらいの期間の後に発狂 は始まるのか 私は 思い出せなかった。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごしたい。目を大きく開けて、昼までごちゃごちゃした部屋で寝ていたりと三日か、四日か、そんなものだ。 私の場合は眠れなくなってからもう1週間経っている。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、もう何を、してよいかよくわからない。、目を大きく開けて、ちっとも楽しくない。してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、それなのに私の体はもうちっとも衰弱していない。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、休み中くじけ折れる、目を大きく開けて、多くのしてよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、むしろいつもより元気なくらいだ。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、よくよく考えた末にもう何か、より一層、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、ある日 シャワーを浴びた後で裸のまま全身鏡の前に立ってみた 。そして自分の体の線がはちきれんばかりの生命力をたたえているのを発見した。驚いてしまった。 私 は 首から

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、くるぶしまで全身をすみなく チェックしてみたが、

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、そこには一切れの余分な贅肉も 一筋の

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、おなかの肉をためしに 指でつまんでみた。それは固くひきしまり、見事な弾力を保っていた。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごしゆっくりと外から日ざしを浴びて、目を大きく開けて、 一体私に何が起こっているのだろう。 医者に行くことも考えてみた。 私には子供の頃から世話になっている 気心の知れた 知り合いの医者がいる。 でも 医者が私の話を聞いてどんな反応を見せるだろうと考えてみるとだんだん 気が重くなってきたまる私の話はそのまま 信用されるだろうか 1週間も全く眠っていないなんて言ったらまず私の頭が疑われてしまうだろうまるあるいはただの不眠症のノイズ 俺の

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、ノイローゼとして片付けられてしまうかもしれない。 あるいは 私の話をすっかり 信用して私をどっかの大病院に送り込んで検査を受けさせるかもしれない。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、ここ最近はマジでやばくて全身を覆ってくる

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、たいして気にしない。もう自分は将来どうしたらいいのか。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、ここ最近だいたい、どうでもよくなる。少しだけ心が、よいことと、わるいことの区別はつくのに、小休止する。停止する昂ぶった神経を鎮めるために何かを飲まないわけにはいかなかった。戸棚の中にレミーマルタン が1本入っている。それが 家にある唯一のアルコールだった。誰かにもらったのだ。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごしてるとだいたい、どうでもよくなる。ずっと昔のことなので誰にもらったのかも忘れてしまった。瓶には薄く ほこりが積もっている。ブランディ グラス なんて もちろんないから普通のグラスに二cm ばかり それを注いで、

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごしてるともう何か、だいたいどうでもよくなる。久々の休日で、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、一口ずつゆっくりと飲んだ。体がまだまだ

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、けがれを知らない心を求めている。あらゆることがどうでもよくなる。小刻みに震えていたが、 恐怖は次第に薄らいでいった。あれはたぶん金縛りだと私は思った。る 金縛りにあったのは初めてだったが それを経験したことがある 大学時代の友達から話だけは聞いていた。それはものすごく ありありとして クリアなので

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、たぶん、何の役にも立たない。目を大きく開けて、とても夢とは思えないのだと彼女は言った まるその時も夢とは思えなかったし 今だって思えないのよ とまる 確かに夢には思えないと私は思う 。でもとにかくそれは夢だったのだまる夢でないような種類の夢だったのだ。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、外には出なかった。私の舌は空気を震わせることができなかった。 悲鳴は真空の中で音もなく鳴り響いただけだった。その何かが死に、溶けてしまった。 爆発の閃光のように、その響きのない悲鳴は私の存在に関わってる 多くのものを、根こそぎ 理不尽に焼き払ってしまった。 

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、よいことと、わるいことの区別はつくのに、ひどく、少しだけ心が、よくないことばかり落ち着くのを待った。 心臓が激しく活動し、

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、いったい 今は何時なんだろう、 と私は思った。枕元の時計を見たかったが、

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで口を、。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、うまく首をひねることができなかった。 その時、ふと足元に何かが見えたような気がした。それはぼんやりとした黒い影のようなものだった。私は息を飲んだ。心臓も肺も体の中の何もかもが 一瞬 凍りついたように 停止した。 私は目を凝らして、その影の方を見た。私が目を凝らすと、 それを待ちかねていたように影は急激にはっきりとした形をとっていった。 輪郭が明確になりその中に実態が注ぎ込まれ細部が浮かび上がった。それはぴたりとした黒い服を着た 痩せた 老人だったまる髪は灰色で短く法はこけていた その老人が私の足元にじっと立っているのだ。老人は何も言わずに鋭い目で私を凝視していた。とても大きな目で そこに 浮世が上がってくる赤い血管の筋までがはっきり見えた まるでもその顔には表情というものがなかったまる 何も語りかけてこないのだ。穴のように空っぽなのだ。

 

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごしてると、もう何か、たぶん、じぶんは何の役にも立たないだろうと思ったからだ。ただ直接的にそう思ったのだ。行っても無駄だろうと。だから私は、医者にも行かなかったし、家族にも友人にもそのことは黙っていた。誰かに相談したら、きっと病院に行けと言われるだろうとわかっていたからだ。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、そこで暮らしていると、よいかわからない。ただ、じっと、より一層深くなっていく。少しだけ心が、よどんだ空気がどれほど努力しても眠ることができない。眠ろうと意識すればするほど、逆に意識が覚醒する。酒や睡眠薬を試してみても、まったく効果はない。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、ある日これから先どうするんだと、外から入り込んで、

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、そしてまどろむ。じっと私を見守っている。私自身の意識の視線と息づかいをすぐそこに感じつづけている。私は眠ろうとする肉体であり、それと同時に覚醒しようとする意識である。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、引っこんで。私はまどろみの中で思う。私は自分の影のにいるのだ。私はまどろみつつ歩き、まどろみつつ食事をし、まどろみつつ会話をかわす。でも不思議なことに、まわりの誰も私がそんな極限的な状態に置かれていることに気づかないようだった。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、ずっと眠りながら生きてた。もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、あたりを見わたしても、しがみつけるようなものはどこにも見あたらなかった。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、ぴくりとも目覚めなかったのだ。そして目が覚めたとき、私は以前の私に戻っていた。 もとどおりの私に。たぶん。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、今し方、少しだけ心が、とにかくそれはやってきて、そして去っていったのだ。しかも今 私が、それ とは全然違う。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、よくなる兆しがない。もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、何から何まで違う。私はただ単に眠れないのだ。一睡もできないのだ。でも眠れないという事実を別にすれば 私は至極 まともな状態にある。むしろ 普段以上にクリアだと言ってもいいくらいだ。体にも何の変調もない。食欲もある 疲労も感じない。現実的な観点から言えばそこには何の問題もない。眠れないということだけなのだ。夫も子供も私が

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、目を大きく開けて、ここ最近は、本ばかり読んでいた。してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、十七日間にわたって一睡もしていないことにまったく気付いてはいない。私も何も言わない。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、目を大きく開けて、じっと本ばかり読んでいた。ただ単にわかるのだ。これは私が自分ひとりで処理しなくてはならない種類のことなのだと。だから彼らは何も知らない。 私の生活は表面的にはいつもと変わりなく流れている。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、どちらかといえば忙しすぎるくらいだ。もっと のんびりやりたかったんだけどな。でもまあ。文句は言えないよと夫は言う。そうね と 私は言う。 文句は言えない。それは確かだ。私たちはまだ若くて貧乏で生まれて間もない子供を抱えていた。私たちが

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、まがりりにも 私たちは生き残ったのだ。文句は言えない。 借金だってまだ 2/3 近く 残っているのだま。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、それで ちょっとびっくりしてしまった。 これだけ長く一緒に暮らしているのに夫がどんな顔をしたいったかも 思い出せないのだ まるもちろん見ればわかる 。

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、目を大きく開けて、頭にも浮かぶ。でも いざ 絵に描こうとすると自分が何も覚えてないことの 思い知らされるのだ。まるで見えない壁にぶち当たったみたいに、私は途方に暮れてしまうことになる。ただ 不思議な顔だしだとしか思い出せないのだ。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、 いつも同じ繰り返しだ まるそれは私たちの間でしか通用しない つまらない冗談だ。 でも私たちはそんな冗談を交わすことによって言わば 事実を確認し合っているのだ 私たちがこうして 何とか生き残ったのだという事実を まるそして それは私たちにとってはけっこう重要な儀式 なのだ。そして二人は手を振って出て行く。 二人は奇妙なほどよく似た 手の振り方をする。同じような角度に顔を傾け 、同じように手のひらをこちらに向け、それを小さく 左右に振る。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、まるで 誰かにきちんと振り付けられたみたいだ。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、耳から、音が入らないほど、本ばかり読んでいた。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、三十になる。三十になればわかることだが、 三十になったからといって 世界が終わるわけではない。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、年を取るのがそれほど喜ばしいことだとは思わないが 、でも年を取って楽になることを

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、より一層、ちっとも片付かない部屋でしてよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、いくつかはある。しかし ひとつだけはっきりしていることがある。 それはそれを叱るべき線に沿って維持したいと本気で望むなら、 それなりの努力は従わなくてはならないということだ。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、かつて すらりとした美しい女性だった。でも残念ながら今ではそうではないまる 私は母のようになりたくないと思う。泳いだ後 午後の残りをどう使うかはその日によって違う。駅前に出てぶらぶら と ウィンドウショッピングをすることもある

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、より一層、引きこもり、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、あるいは家に帰ってソファーに座って本を読み 、FM 放送を聴き、

私は、ひどく口を閉じ、もう何か、より一層、今も、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、そのままうとうと眠ってしまうこともある。やがて 子供が学校から帰ってくる。 私は子供の服を着替えさせ おやつを与える。 子供はおやつを食べ終わると外に出て行く。 友達と一緒に遊びに行くのだまる まだ2年生だから塾にも行かないし 稽古事 もさせていないまる 遊ばせておけばいいんだと夫は言うまる 遊んでりゃ 事前に大きくなっていくんだ とまる 外に出て行く時気をつけてね と 私は言う。大丈夫と子供は答えるまる夫と同じだ。

 

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、より一層、目を大きく開けて、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいかわからない。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、より一層、目にしみる。してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、ただ、じっとからっぽにしては何という人生なんだろうと 時々思う。それで虚しさを感じるというのでもない。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、私は単に驚いてしまうだけなのだ。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、昨日と一昨日の見分けもつかないという事実に。そういう人生の中に自分が含まれ、 飲み込まれてしまっているという事実に。自分のつけた足跡が、それを認める暇もなく 、

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、あっという間に 風に吹き払われているという事実に。そういう時、私は洗面所の鏡で自分の顔を眺める。十五分ぐらい じっと見ているのだ 。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、頭をからっぽにして、何も考えないで。自分の顔を純粋な物体として まじまじと見つめる。そうすると、 私の顔はだんだん 私自身から分離していく。ただ純粋に同時存在するものとして 。そして私はこれが 現在なんだと認識する。足跡なんか関係ない。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、こうして今 現実と同時に存在しているのだ 。それが一番大事なことなんだと。でも今では私は眠れない。私は眠れなくなったから日記をつけるのも やめてしまった。

 

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、本ばかり読んでを閉じて外からの入り込んで、ある日これから先どうするんだと言われ、大学生の頃に、一度不眠症のようなものにかかったことがある。「ようなもの」と断るとは、その症状が世間一般に不眠症と呼ばれているものに合致するのかどうか確信が持てないからだ。病院に行けばそれが不眠症であるかないかくらいはわかっただろう。でも私は、行かなかった。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、病院に行ってもたぶん何の役にも立たないだろうと思ったからだ。そう考える根拠がとくにあったわけではない。ただ直接的にそう思ったのだ。行っても無駄だろうと。だから私は、医者にも行かなかったし、家族にも友人にもそのことは黙っていた。誰かに相談したら、きっと病院に行けと言われるだろうとわかっていたからだ。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、さあ眠ろうと思う。そのとたんに、まるで条件反射のように覚醒してしまうのだ。どれほど努力しても眠ることができない。眠ろうと意識すればするほど、逆に意識が覚醒する。酒や睡眠薬を試してみても、まったく効果はない。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、ふらふらしてどうしたらいいのか。それは眠りと呼べるほどの眠りではない。私は眠りの緑のようなものを指の先に僅かに感じる。そして私の意識は覚醒している。私は仄かにまどろむ。でも薄い壁に隔てられた隣の部屋で、その意識はありありと覚醒し、じっと私を見守っている。私の肉体はふらふらと薄明の中を流離いながら、私自身の意識の視線と息づかいをすぐそこに感じつづけている。私は眠ろうとする肉体であり、それと同時に覚醒しようとする意識である。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、ぐっすりと眠ってしまいたいと思う。でも駄目だ。覚醒がいつも私のそばにいる。私はその冷かな影を感じつづける。それは自分の影だ。奇妙だ、と私はまどろみの中で思う。私は自分の影の中にいるのだ。私はまどろみつつ歩き、まどろみつつ食事をし、まどろみつつ会話をかわす。でも不思議なことに、

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、まわりの誰も私がそんな極限的な状態に置かれていることに気づかないようだった。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、その一カ月の間に私は実に六キロも痩せた。それなのに、家族も友人も誰一人として気づかなかった。私がずっと眠りながら生きてたことに。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、、ただ、じっと何かにしっかりとしがみついていたかった。でもあたりを見わたしても、しがみつけるようなものはどこにも見あたらなかった。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、やりくりに苦しんでいた。したらいいのか。ただ、じっと覚醒しつづけることだけだった。私は夜の闇の中で目覚めつづけていた。ほとんど物を考えることさえできなかった。時計が時を刻む音を聞きながら、夜の闇が少しづつ深まり、そしてまた淡くなっていく様子をただじっと見つめていた。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、より一層、ほっぺを叩きまでした。でも私は起きなかった。二十七時間 ぴくりとも目覚めなかったのだ。そして目が覚めたとき、私は以前の私に戻っていた。 もとどおりの私に。たぶん。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、どこに去っていくのか、誰にもわからない。でもとにかくそれはやってきて、私の頭上を覆い そして去っていったのだ。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、しかも今 私が眠れないというのは、それ とは全然違う。何から何まで違う。私はただ単に眠れないのだ。一睡もできないのだ。でも眠れないという事実を別にすれば 私は至極 まともな状態にある。全然眠くないし 意識はとてもクリアに保たれている。むしろ 普段以上にクリアだと言ってもいいくらいだ。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、体にも何の変調もない。食欲もある 疲労も感じない。現実的な観点から言えばそこには何の問題もない。眠れないということだけなのだ。夫も子供も私が十七日間にわたって一睡もしていないことにまったく気付いてはいない。私も何も言わない。何か言うと、病院に行けと言われるだろうから。そして私には分かっている。病院になんか行っても無駄なのだと。睡眠薬を飲んで解決するようなことはできないのだと。だから眠れないことは誰にも打ち明けていない。昔の不眠症の時と同じだ。私にはただ単にわかるのだ。

私は、ひどく口を閉じ、もう何か、より一層目を大きく開けて、ここで過ごし、ひどい汗をかいて。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、ひとりで処理しなくてはならない種類のことなのだと。だから彼らは何も知らない。 私の生活は表面的にはいつもと変わりなく流れている。 とても平穏に、 とても 規則的に。朝に夫と子供を送り出したあと、いつものように車で買い物に行く。 夫は司会で私たちの住むマンションから車で10分ほどのところに診療所を持っている。彼は歯科大時代の友人と共同でその診療所を経営している

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、そしてこれは当たり前のことかもしれないが、すごく綺麗な顔をして綺麗な歯をしている。僕がハンサムなのは 僕の罪じゃないと夫は言って微笑む。 いつも同じ繰り返しだ まるそれは私たちの間でしか通用しない つまらない冗談だ。 

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、手のひらをこちらに向け、それを小さく 左右に振る。まるで 誰かにきちんと振り付けられたみたいだ。

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私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、いくつかの本を読み終わった後で、おにぎりを食べてぐったり昼まで寝ていただいたい人からとかく出しゃばりだと言われてきた私ですが、

 

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私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、くじけ折れてかえって体によくないようです。明日から三日ほど、

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、じっとこれから先どうするんだと言われ、うめき声を上げる、私私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいかわからない。ただ、一ヶ月ほど、何か、入ってすぐに目に入るのは、くつ下やTシャツ、それに枕の上に放り投げられたゴミ袋だった。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、何も見えない まるまる窓も見えない。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、より一層目を大きく開けて、いくつも転がり、その間には使い古されたペンや紙くずが散らばっている。机の上には開いたままのノートがあって、ペンがその横に転がっていた。窓際にはカーテンが乱れてかかり、隅には使い終わった飲みかけのコーヒーカップが置かれたままだった。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、、まばゆい陽光が部屋に差し込んだ。まるで窓ガラスと汚れが落ちたみたいに。じっと動かない家具や 暖炉に食えた紙切れの燃えカス や窓に引っかかっているブラインドの 羽根板が目に入った。洋服の下敷きになっていたり、机の角に引っかかっていたりした。靴下の中には片方だけのものもあり、ペアが揃っていないことが目立つ。明るい色や暗い色、ストライプ模様や無地、さまざまなデザインのくつ下が混在していた。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、より一層、目を大きく開けて、足を大きく開き 身体を深く祈って 顔を洗う。まるで主の心情や生活環境をそのまま映し出しているかのようだった。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、。くじけ折れてまるで暴風雨のあとのように散らばっている状態だ。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、パズルのように床に散らばっていた。一部はクッションの上に投げられ、また別のものは机の角に引っかかっていたり、カーテンの下に隠れていたりした。その中には片方だけでなく、ペアのくつ下が揃っていないものもあり、色や柄もばらばらだった。青や赤、緑や黄色のくつ下が、見る者を混乱させるように広がっていた。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、。一つのくつ下がベッドの下から顔を出していたりして、その奇妙な配置に笑いを誘われたりする。

 

私は、ひどく口を閉じ、より一層目を大きく開けて、ちょっと休み中くつ下とゴミしかない部屋空の飲み物のカップが乱雑に並び、その隣には不明瞭なメモが貼り付けられたままだ。窓際にはカーテンが閉ざされ、汚れた窓ガラスからは外の光がかすかに差し込んでいる。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、ここで過ごし、ごちゃごちゃした部屋ででコーヒーカップや空き缶の山だ。その中には一見すると意味不明な配置が見られ、部屋全体が何かしらの物語を語っているようだった。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、。一見すると意味不明な配置が見られ、部屋全体が何かしらの物語を語っているようだった。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、より一層、ひどい汗をかいて、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、何とも言えない気持ちで床には着古した衣服やくつ下、使い捨ての食器が散乱し、その間には空き缶やペットボトルが転がっていた。部屋の隅には未開封の宅配便や折りたたまれた布団が放置され、窓際には閉ざされたカーテンが不気味に垂れ下がっていた。

私は、ひどく口を閉じ、もう何か、より一層、だいたい、どうでもよくなる。してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、コンピュータの画面は常時点灯し、静かに何かしらの音楽やゲームの音が響いていた。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、よくなる兆しがない。してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、何もしないどうしたらいいのか。ひどく、ベッドで、机の上には散らばった書類や本が無造作に積み重なり、その一部は床にまで広がっていた。壁にははがれかかったポスターやほこりまみれのメモが貼り付けられ、窓際には風に揺れるカーテンがかすかに光を取り込んでいた。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、より一層よくなる兆しがない。してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、。ところ狭しと本ばかりの部屋でその一部は床にまで広がっていた。壁にはポスターやメモが貼り付けられ、一部ははがれかかっていたり、汚れていたりした。窓際にはほこりまみれのカーテンが風に揺れ、外の光がかすかに差し込んでいた。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、より一層ある日これから先どうするんだと言われ、ただ、じっと、日ざしを浴びて、目かすかに流れる音楽や、テレビから漏れるニュース番組の声だった。この荒れ果てた空間は、まるで都市の暗い裏通りに立ち込める不穏な雰囲気を感じさせる。

私は、ひどく口を閉じ、もう何か、より一層目を大きく開けてだ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、ベッドで、ニ、三日外から、日ざしが入り込んで、ある部屋の片隅には未開封の宅配便が積み重ねられ、床には散らばった書籍やゲームのケースが見当たらない。一部の場所では、壁や家具に書かれた落書きや汚れが目立つ。部屋全体が暗くて薄汚れた印象を与え、まるで外界から遮断された世界のようだった。

 

私は、ひどく口を閉じ、より一層目を大きく開けて、くつ下とゴミの山で、日ざしが、外から入り込んで、ある日これから先どうするんだと言われ、こんなどうして聲なく、自由なく、威信なく、風采が何もなく、万人を前に怖じ気づいて、

私は、ひどく口を閉じ、より一層目を大きく開けてひどい汗をかいてより一層、ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、ふるえ、尻尾を振る、そういう君を私は視たかったのだ。窓の割れ目を通して、冷たい風が、入り込んで、ちょっと見ただけで覚えられない人の口から人がコソコソ話をしていると覚えられない人の声でさえ、窓の割れ目を通して、 音の波に溶け込み 消失する。窓の割れ目を通して、

私は、ひどく口を閉じ、もう何を 、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、ただ、ぶらぶら怠けることしか出来ない。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、人は、どのようにして人と、結びつくるのだろうか。彼はその秘密を知りたくて、不安とはまず、人々がどのようにして知り合うのかを考えた。しかし、その場面に自分が参加できるだろうか。彼は社交的でない自分を受け入れることができなかった。

 

私は、ひどく口を閉じ、より一層、目を大きく開けて、ここ最近は(1年か2年くらい)は定職に就かずふらふらと暮らすつもりです。何年か前、

私は、ひどく口を閉じ、より一層目を大きく開けてこのところ新聞のあまり読まないし、TVにいたってはほとんど見たいが、オバマの演説だけは。なんだか久しぶりの更新ですが、いま切羽詰まった事情で時給850円の。ちょっとまえ少しバイトを休ん、今から9年前、日夜テレビを賑わす、毎日朝の5時ちょうど、今このブログを読んでいるあなたは、「ジャズ」と聞いた時、何を思い浮かべますか。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、、いま、なんともやりきれない気持ちで、

私は、ひどく口を閉じ、より一層ここで過ごし、どうしたらいいのか。ふらふらしてどうしたら引きこもりが治るとか、どうしたら引きこもりにならないのか、はっきりとこれだという答えはないが、なんとなくあーしたり、こーしたりすればいいんじゃないかとは皆ぼんやりと考えている。クリストファーノーランが何でこんなことをしたのか全く意味が分かりませんこれを感じたのはきっと 僕だけじゃないと思いたいたい。

私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、、当たり前だと思っていることを

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私は、ひどく口を閉じ、もう何を、してよいか。ただ、じっと、日ざしを浴びて、目を大きく開けて、読書の秋、

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私は、ひどく口を閉じ、もう何か、より一層目を大きく開けて、ここ最近は、ひどい汗をかいてよいことと、わるいことの区別はつくのに、何をしてよいかよくわからない。ただ、じっと、日ざしを、浴びて、してよいのかよくわからない。ぐっすり昼まで、ただ、じっと(ネット)を見たり、ソファで、ひっくり返ってぐっすり昼まで寝たりしてるんだけど、流石にそんなことばかりしてたらいけないけないという気持ちになって、先日やっと「オッペンハイマー」を見たんですが、なんかちょっと僕は、この映画すごく見た後でツラかった。

私は、ひどく口を閉じ、もう何か、より一層、目を大きく開けて、ソファで、ノイズのように頭の中で小さなハエが、とんでいる。ぐっすり昼までただ、じっと目を大きく開けて(ネット)を見たり、ソファで、ひっくり返って本ばかり読んでいてるんだけど、流石にそんなことばかりしてたらいけないけないという気持ちになって、先日やっと「オッペンハイマー」を見たんですが、なんかちょっと僕は、この映画すごく見た後でツラかった。

なんていったらええんかな。例えばある一人の人間が、そいつがある日、電柱に向かって「先生 」と叫んだとする、で、あとでそのおっさんがなぜ電柱に「先生」と叫んだのか「さあ、考えてみよう」みたいな、そんな映画なのだ。オッペンハイマーは、だから見た後は「え」っ と思う。オッペンハイマーというを どういう風に、捉えて良いかわからず混乱してしまった 。

なんていったらええんかな。例えばある一人の人間がいて、そいつがある日、電柱に向かって「先生 」と叫んだとする、で、あとでそのおっさんがなぜ電柱に「先生」と叫んだのか「さあ、考えてみよう」みたいな、そんな映画なのだ。オッペンハイマーは、だから見た後は「え」っ と思う。オッペンハイマーというを どういう風に、捉えて良いかわからず混乱してしまった 。まあ要するにオッペンハイマー は、ヒトラーが自殺した後で日本に核兵器を投下することになって後で人生で、そのことを反省するんですね。で、ラストでこの映画はそういうオッペンハイマーを糾弾するんです。 どういうことかというと原爆の被害をオッペンハイマーは投下する前から知っていたはずなのに、なぜそれに異を唱えなかったのかというのでラストでこの映画はオッペンハイマーをバッサリ斬って捨てるわけ、で、ラストにバッとそれを提起してエンディングが流れて終わるわけ。で、まあそのときは僕は、そこまで深く考えてなかったからこういう映画もあるんかなぐらいだってたんだけどこの映画、 原作があるわけ、で、これを読んだら、やっぱりこの映画、ダメなんじゃないか って思ってしまったわけよ。どういうことかというとですねオッペンハイマーが原爆投下に対して異を唱えなかったのはオッペンハイマーが口で語っているんですねそれは彼がノンポリで政治に全く無関心で、その時に日本が降伏を模索しているということを知らなかったからってそういう言い訳をしてるんですでもこの部分が、このノーランの映画では、全く描かれないわけ。例えば、ある悲劇 をボカして描くっていうはよくある手法で、 責められるポイントではないと思う。問題はこの映画の最大の欠陥は現実に存在したオッペンハイマーですら広島と長崎の被害に戦後向き合ったにもかかわらずなぜ映画ではそれより劣化した広島と長崎の現実に向き合わないオッペンハイマーが描かれているのかというところなんです。なぜこんなことをクリストファーノーランがしたのか、ちょっとよくわからんのだ。例えば、オッペンハイマーではないアメリカの高官がどういう政治決定で日本に原爆を落としたのかがそこが全く描かれない(トルーマンなんか最後の方にちょっと出てきただけ)。で、それに対して こういう反論がくるかもしれない。トルーマンなんかオッペンハイマーの一人称 だから描けないだろうって。いや、でもですね。戦後になってオッペンハイマーが頭の中で その経緯を疑似回想することでできたはずなんですよ。実際オッペンハイマーはそれを知るわけですからね。でも このノーランは、それすら描かない。だからオッペンハイマーが何で急に反省し始めたのかよくわからないそこがわからないから電信柱に向かって「先生」と叫んでるへんなおじさんみたいになってるんです。でこれ 原作読んだ人は必ず「え」ってなるところだと思うけどこの映画ボブ サーバーとフィルモリソン がほとんど描かれてないわけ。彼らは、オッペンハイマーの同僚で、原爆が落とされた後に視察をしてアメリカに帰って、オッペンハイマーとかに広島の現状を説明した人なわけよ。それでオッペンハイマーがだんだんと自分のやらかしたことのひどい過ちを知っていくというのが原作のキモだったのにそこが描かれてないわけ。だから何でオッペンハイマーが急に非人道性を訴え始めたのかがよくわからない。で、それに対してはこういう反論がくるかもしれない。つまりオッペンハイマーはそういう人間だ、と、つまり、ノーランはそうやってオッペンハイマーの独善的な世界を、描きたかったのだとそういう反論が、あるだろう。でもかりにもしそうであればそれは完全にうまくいっていないと言わざるを得ないのだ、というのも、ちょっと前に「この世界の片隅に」を批判した時もそうだったんだけど、 もし仮にそういうことだったならそれはすべきではなかったなぜならそれをすることでなぜ人が心ならずもひどい過ちに手を染めてしまったのかということを教訓として活かせないがゆえに同じ過ちをもう一度繰り返すことに加担してしまうことだからです。もしそういうことが描きたかったのであればそれをラストに突きつけて答え合わせをしなきゃならないはずなのにそれをやらずに映画が、終わるというのはなぜそのような状況にオッペンハイマーは追い込まれたのかということを軽んじることである。それは、よくないことだと思う。だからそこをもっと描かないといけなかった。そういう意味ではぜひとも読んで欲しいのがギュンター アンダースの「橋の上の男」でアレはそういった問題について提起しているのでコレを、読めばよりノーラン映画の足りない部分が、手に取るように分かりるのでおすすめですギュンター アンダースはドイツの哲学者で、この人はずっと広島のことを考えててでこの本で何が言われているかというと核兵器の最も恐ろしい問題というのはその威力ではなく人間が一本のネジとして冷血で非人道的なシステムに知らず知らずのうちに加担させれ、其の結果、いつなんどき責任がないのに責任を負わされるかもしれないシステムそのものだと言ってるんです人間が無知な状態に追い込まれ後で「何に関与していたのか私は知らなかったのだ」という言い訳をすることで虫一匹殺せない人間が大量虐殺を犯してしまうシステムの恐ろしさを描かないといけないのに、そこをノーランは、何も描いてないのだ。それを描かないかぎりかぎりまた人間は、同じ過ちを繰り返すんだから本来ならそういうとこを入念に掘り下げるべきだったんじゃないの。 オッペンハイマー という映画を見て致命的な欠陥というか足りないなあと見ていてなんとなく感じた 。