ミルク瓶とコワレモノ

自作の小説(?)を載せてます。時々音楽の話など・・・

「Long time gone」

コーヒーを飲んでいる時に思いついたシーンです。

ずっと片思いしていた女の子がようやくつかんだチャンスと、

それに気づいているようで鈍感なフリをする男の子の話です。

ちなみに絵里人はえりと、紗那はさなと読みます。

 

 

「Long time gone」

 

夜の7時を回った頃。
久保 絵里人は喫茶店にいた。
一人だというのに四人用のテーブルに座り、コーヒーを飲んでいる。
いや、正確には「飲んで」はいない。目の前のカップを見つめるだけだ。
店内の大人びた雰囲気とは裏腹に、学生服姿の彼は、
ただコーヒーカップに写る自分を見つめていたのだ。
店内で唯一話し相手となるであろうマスターとも目線を合わせず、
ただただ、カップと睨め合うだけだった。

――カランコロン。

突然ベルが鳴った。店のドアが開く音だった。
「いらっしゃいませ」
マスターの明るい声。少し微笑んだその言葉は、心地よい響きだった。
しかし、絵里人はそんな客の姿にさえ気付いていなかった。
そればかりか、面持ちはさっきよりも神妙になっていた。
「――あの、ここ座っていいですか?」
その声で、絵里人はようやく目線をカップからずらした。
すると目の前には、セーラー服の少女が立っていた。
「あれ?いつからいたんですか?」と絵里人は聞いた。
ベルが鳴ったことに気付いていなかった絵里人は、
店内の客が自分だけだと思っていたからだ。
「今、入ったんです。でも、あなた一人しかいないと思ったので」
「あぁ、そうです。すいません、気付かなくて」
絵里人はそんな突然の出来事に少し動揺しつつ、
自分が四人用の席を占領してしまっている状況を思い出す。
「ここでよければ、どうぞ」
「ありがとうございます」
彼女は絵里人の目の前にそっと座ると、マスターに向かって
「エスプレッソ一つ。あ、あとこの人に同じのをもう一杯」と言った。
「え、いいですよそんな。悪いです」
「いえいえ、それ冷たくなっちゃってますよ?」
「え?そんな」
絵里人はカップを触る。熱々で湯気が立っていたはずのコーヒーは、
時間と共にすっかり冷めきり、炭酸の抜けたコーラの様になっていた。
「…本当だ。気が付かなかった」
「はは。喫茶店で頼んだもの無駄にしちゃ、ダメですよ」
絵里人はなんだかマスターに申し訳ない気持ちになり、カウンターの方を見た。
マスターは慣れた手つきで注文された品を用意する。
そして二人の座る席へと運び、お待たせしました、とカップを降ろした。
戻る際に、絵里人の耳にそっと顔を近づけ、
「サービスしておきますよ」と笑顔でつぶやいた。
絵里人はそんな心温まる一杯を、ゆっくりと一口味わう。
その目の前で、彼女もエスプレッソを飲んでいた。
カップを両手で持ち、香りに包まれる様に味わっている。
「…あったかい」
彼女はそう言ってカップを置くと、目の前の絵里人を見つめて
「あの、お名前は?」と言った。
「僕ですか?僕は絵里人といいます」
「綺麗な響きですね。私は紗那です。よろしく」
紗那と名乗るその少女は、初対面である事を全く気にせず、
まるで古い友達の様に積極的に接してくる。
絵里人はそんな紗那の姿を不思議に思っていた。
「こんな時間に女の子が一人、喫茶店に来るなんて意外ですね」
「あはは、それはあなたも同じでしょう?常連さんのくせに」
(…僕の事を知ってるのか?)
絵里人はなんだか落ち着かなくなり、ついに聞いてみる事にした。
しかし、さすがにストレートには聞けず、一応曖昧な表現にして言った。
「そういえば、年が近い様に見えますが…」
「もう、何言ってるんですか。同じ学校でしょう?」
「え?」
絵里人は思わず目を丸くする。
そして、もう一度しっかりと紗那の姿を確認する。
セーラー服のポケットに縫いぬけられた名札に、
見覚えのあるマークが描かれていた。
(よ、よく見たらうちの校章じゃないか!何見てんだ、僕…)
「って、知らなかったんですか?同じクラスなのに!」
「え、ええ!?」
さすがにそれは予想外だった。
(まさか、2年通って気付かなかったクラスメイトがいたなんて・・・)
絵里人はそんな自分が恥ずかしくなり、思わず顔を赤くする。
しかし、紗那はそんな絵里人の様子はあまり気にせず、
「――ここの喫茶店、好きなんですよね。よく来るんですよ」と言った。
話題が変わってほっとした絵里人は、ようやく気を取り直す。
「僕もここは好きで、この時間はよくいます」
「はは。じゃあ今回はたまたま一緒だったんですね?」
「そうですね。まぁ、偶然が呼んだ奇跡!とか?」
絵里人は言ってすぐに後悔した。
この話の流れで、この台詞はあまりにも不自然すぎる。
だが、またもや紗那は気にするそぶりを見せない。
そして、小さな声で言った。
「…いえ、それ、けっこう当たってますよ。私にしてみれば。」
「え?それはどういう…」
「気にしないでください。」
紗那はその表情を隠すようにコーヒーに口をつけた。


「にしても、本当に雰囲気いいですよね。ここ」
紗那は店内をぐるりと見回し、もう一度視線を絵里人へと向ける。
「店内のBGMも、私好みのばかりです」
「そういえば、これってカントリーミュージックですよね」
絵里人がそう言うと、紗那はにっこりと笑って
「あ、タメで結構ですよ。」と言った。
「え?あぁ、そうですか…じゃあ、そうするよ」
「いえいえ。私、けっこう音楽が趣味で、音楽の話の時は堅いの嫌いなんです。」
「あぁ、そういうことなら。僕も音楽は好きだよ」
「おおっ?合いますね。」
紗那は何か掴んだように目を輝かせる。
絵里人にはただ趣味が合って嬉しいだけにも感じたが、どうやらそんな単純でもなさそうだ。
「うん。この曲も聴き覚えがある。『Long Time Gone』だ」

Long Time Gone。エヴァリー・ブラザーズが1958年にリリースした、
「Songs Our Daddy Taught Us」というレコードに収録された名曲である。
兄弟二人のアコースティック・デュオである彼らの歌声は、
後世の有名アーティストに多大な影響を与えたという。

紗那もこういうの、好きなの?」
「はい。なんかこう、古いのっていいじゃないですか」
「あ、それよく分かるよ。アナログな感じって、なんかいいよね」
「でも、割と新しめなのも好きなんですよ。ラーズとか」
「ラーズって…むちゃくちゃマニアックだなぁ。知ってる人の方が珍しいよ」

ザ・ラーズ。たった1枚のアルバムを残して解散したイギリスのバンドで、
そのたった1枚に収録された曲すべてが最高傑作という、まさに幻の様なバンドである。
普段CDを見かけることはまずないため、知っているのはよほどな音楽好きだ。
絵里人にしてみたら、まず紗那がこのバンドを第一に挙げた事が意外だった。

「とかいいつつ、その言い方じゃ知ってるんでしょう?絵里人さん」
絵里人はふと、気が付く。そういえば名前を呼ばれたのは初めてだった。
しかし、こちらがタメだというのに、向こうにさん付けさせるというのはどうだろう。
ここまで話した仲なのだから、ここはこっちも同じ対応でいいと思った。
「えっと、別にそっちもタメでいいんだよ?同い年なんだし・・・」
「分かった。絵里人もけっこう詳しいんだ?」
(うわ切り替えはやっ!)
なんだか言われるのを待っていたかのような切り替え様だった。
どうやら趣味の事になると熱くなる性格らしい。
「ま、まぁ好きだから」
「じゃあジャズとかは聴くの?」
「ジャズかぁ・・・クラリネットの曲とか好きだったかな」
クラリネット?有名どころだとベニー・グッドマンとか?」
「そうそれ!大好きなんだよ。シングシングシングとかね」
シング・シング・シングについてはもはや説明不要だろう。
吹奏楽部などでも演奏される、あの超有名なイントロの曲だ。
「私はピアノが好きだったなぁ、モーニンとか」
「モーニン!あのイントロは練習したよ、もう何時間もあればっかり」
「え、ピアノは弾けるの?」
「いや全く。本当にイントロだけ」
「い、イントロだけ何時間も…?」
「集中すると抜け出せなくなるんだよ。全部そっちに向くっていうか、それだけの魅力があるんだと思う」
「あは、なんかすっかり絵里人の方が語っちゃってるね」
「そういえば、そうかな」
絵里人は一人座っていた時の暗い心境が嘘のように、
気持ちが高鳴り、どんどん晴れていくのを感じていた。


「ところで、なんでさっき、あんなに沈んでたの?」
「あぁ、あれ?ちょっと考え事っていうか、落ち込んでた」
「落ち込む?」
「簡単に言うと、ミスしちゃったって感じ」
「あれ、もしかしてそれ今日の集会の…?」
「やっぱり、知ってたか。じゃあもう分かるね?」
「うん。思いっきりテンパってたからね」
「慣れない事をするとなんかドジ踏むって言うか…」
「それで落ち込んでたの?頼んだコーヒー冷ますくらい!?」
紗那は明らかに笑いをこらえていた。こらえきれず、少しにやけ顔になっている。
「ひ、人にはそれぞれ感じ方が…」
「いいじゃない、あんなの。小さなことよ」
「自分から引き受けた事だし、後で駄目でした、は通用しないだろ?」
「じゃあ何?あなたがここでくよくよした所で、あの集会、もう一度やり直せるの?」
「そ、それは無理だけど」
「過去は過去。気にしてちゃ先には進めない。当たり前でしょ?」
「…はい、そうです。」
「ほら、分かったらコーヒー飲む。もう冷ましちゃ駄目よ?」
「ありがとう。なんか、助けられちゃったな」
絵里人はカップを持ち、言われたとおりコーヒーを飲む。
ふんわりと鼻を抜ける、コーヒーの強い香り。
一杯を無駄にしてしまった事を反省しつつ、その暖かい香りに包まれるだけだった。
「…ねぇ、ここには、この時間たまに来るって言ったよね」
「うん、そうだけど?」
「その、明日も来るの?」
「明日かぁ…連続で来たことはまだ無いんだけど」
「その、良かったら今度は一緒に来ない?」
「一緒に?」
「うん、二人で」
「ふ、二人!?」
(ど、どう考えてもデートじゃないか!)
男女が二人で、喫茶店へ。
そんな姿は、誰が見たってデート意外の何物でもない。
向こうからしてみたら、よく知るクラスメイトなのだろうが、
絵里人にしてみたら今日まで知らなかった相手である。
しかし、断る理由も見当たらない上、さっきまでの会話は弾んでいた。
それにせっかくのお誘いならばと、絵里人はOKする事にした。
「あぁ、時間さえ合えば、いいよ。」
「またこうやって、二人で話しましょう?」
「そうだね。君と居ると、なんだか楽しいよ」
「え、そ、そんな…」
紗那は顔を赤らめ、それを隠すように、一気にコーヒーを飲み干す。
「げほっ…」
そして、むせる。
「だ、大丈夫!?あぁもう急ぐから…」
絵里人は思わず立ち上がり、紗那の背中をさすった。
しかしそうした途端、紗那の顔はますます赤くなった。
いけない、さすがにいきなり触れるのはまずかったか、と絵里人は思った。
「あぁごめん!つらそうだったから…」
「い、いや、むしろ嬉しいっていうか、その…」
なんだかお互いしどろもどろになってきた。
そしてしばらく顔を合わせられなくなったところで、
タイミングよく、店内の時計が8時を告げる時報を鳴らした。
「そ、そろそろ帰ろうか?」と絵里人は切り出した。
「え?あ、うん」
「そういや、家はどこらへん?」
「えっと、図書館の近く」
「なんだ、近いよ!よし、送ろう」
「い、いいんですか?」
「コーヒーのお礼。夜道は危ないだろうから」
絵里人がそう言うと、紗那は手で口を覆って、何かつぶやいた。
「一緒に帰れるとか…今日だけで、進みすぎ…」
「? 今なんか言った?」
「いえなんでもないです!行きましょう!」
二人は勘定を済ませると、「ご馳走様でした」と声を合わせて、店を出た。
帰り際、またマスターが絵里人に近づき、「気付いてあげてくださいね」と耳打ちした。
その言葉の意味に、絵里人は気付いているようで、気付かないフリをしていた。


この二人が、今度はちょっと違う関係でこの店を訪れるのは、
まだまだ少し先の話になりそうだった――。