イキりブログ

イケてるブログ

徳の得

徳を積み、正々堂々とした人間として生きる。

素晴らしい行動をして、なおかつそれを他人に誇示することもなく生きることができる人間は、いわゆる徳の高い人間であると評される。

徳の高い人間は、徳の高い人間として生きることに関して損得の感情を持ち込んでいるのだろうか?

徳の高い人間であるべきであるという感情に対して損得を持ち込んだ時、比較的損をする行動の方が徳の高い行動であると取られがちである、自分から損を取りに行くことこそがこの国では徳が高いと見られがちであり、損して得とれならぬ損して徳とれの状態となっている。

では得を取って徳を捨てた場合はどうだろうか?

得を取って徳を捨てた人間たちは、いざそれに関係あろうがなかろうが、不幸な目にあったときにあの時徳を捨てて自分が得を取ったからばちが当たったのだと神にその不幸の責任をなすりつけたがるのである。この場合、人々は徳を捨てたことにより得だけではなく言い訳をも手に入れることができる。これは生きていく上であまりにも便利な考え方であり、人生そのものの拠り所とできる神という存在を手軽に認知できる瞬間でもある。

得を取って徳を捨てる人々は実は得だけではなく子の拠り所も確保することができ、徳を捨てるという行動はまさしくお得な交換なのである。

イキった漫画

漫画の中にはイキったものがある。

それは裏を返すとイケてるともいえるものになるが、私から言わせれば完全にイキった漫画である。

つまりイキった=イケてるということになる。

具体的にどんな漫画がイキっているのかというと、東京喰種である。

あれは完全にイキっている。

喰種とかいてグールと読ませるあたりがイキっているし絵柄がイキっている、ついでにいうと伏線の貼り方とかセリフ回しの感じの使い方もイキっていると思う。そういうところをイケていると感じる人がいるだろうし、イケていると感じてもらえてるなと作者が感じているであろう所が得にイキっている。

私は別に東京喰種アンチではないが自分以外のイキっているモノに対しては敵対心をもって接するべきであるとも常に考えているので、東京喰種と私との間には中学校の時にあまりしゃべらなかったもののお互いに存在は認知していたぐらいの人間と久々に会った時のような微妙な距離感が存在しているし、東京喰種もこのブログのようなイキった雰囲気を持つものに対して敵対心を持っているのだろうと思う。

いわばイキり達はお互いがお互いに対して微妙な距離感を持ち、相互に高めあう存在であると私は考えるのだが、この相互に高めあうという考え方そのものがイキっているのでイキり達はイケているのである。

三日目の私

私はおおよそ継続力のない人間である。

思い付きで始めたものが三日続いた試しがない。

本当はいくつかあるにはあるのだが少し大げさにアピールしたいのでここではなかったことにしておく。

思えば今まで、三日間物事が続かなかった理由を今まで自問自答してみたことはない。

あるいはその思案ですら三日間は続かなかったのだろう、だから今までその理由付けができなかったのだ。

私にとっての三日目の自分は二日目と四日目を繋げるという役割以上のもの持っている、三日目の自分がただ二日目と四日目の自分を繋げるだけの存在であれば、過去私の人生の中に三日目の自分は無数に存在したはずなのだ。しかし実際は三日目の私という二日目と四日目の私の間に本来存在するべきものは私の人生に存在をおおよそ許されてこなかった。

なぜなのか

なぜ私と私の間に存在するだけの私が存在していないのか?

その理由を探るために三日目の私は今この記事を書いている。

自分自身の今までを定義しなおすために二日目の私から渡されたバトンを私に渡す。

四日目の私に捧ぐ。

字がうまい男

字がうまい男に憧れている

字がうまい男は女の子からモテる

字がうまい男は誰からも親切にされる

字がうまい男は人から信用されているのだ

そんな字がうまい男に憧れている

字がうまい男は生まれた時から字がうまかったのだろうか?

それとも字がうまい男は最初、字がうまい男に憧れた男だったのだろうか?

字がうまい男に憧れて字がうまい男を目指したのなら

字がうまい男の憧れた字がうまい男はどうして字がうまかったのだろうか?

字のうまさに人間としての本質などないと吐き捨てる男がいるとする

字がうまい男はこの吐き捨てる男のことなど歯牙にもかけないだろうか?

だから字がうまい男は信用されるのだろうか

吐き捨てる男は字がうまくないのだろうから

字がうまい男の信用に対しての後ろめたさから字のうまさに言及しているのだろうか?

字がうまい男は人から信用されている

それは字がうまいから信用されているのだろうか?

信用されているから字がうまいのだろうか

ブログというものははめんどくさいのではないか

ブログはすごくめんどくさそうに見える

毎日毎日

記事を書いては読者の顔をうかがって

読者の顔をうかがっては記事を書く

アクセス数を伸ばすという目的に向かって日々試行錯誤する

モチベーションを保ちながらそんな日々を毎日送ることができるのだろうか

不安を胸に一番最初の記事を書く

これを読むであろう人の顔を想像しながら記事を書く

自分は人の顔をうかがうことに長けているのだろうかと不安になりながら記事を書く

まだ見ぬ読者の顔をうかがう

想像力が足りていないのではないか

面白くないのではないか

一番最初から不安を胸に記事を書く

誰かから認められるために書いているのか

自分を確かめるために書いているのか

明日も書けるのか

一か月後も書けるのか

一年後も書けるのか

一年後の自分はいったいどうなっているのか

思考しながら書いている

一年後の自分の顔をうかがいながら書いている