ドッグイヤーに倣って

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部屋の窓をあけてベランダへと身を乗り出すと、頬を撫でる程度の風が吹いていて心地よい。晴れていて、雲もほとんど動かない。

 

いやー、またまた1年ぶりの更新だ。

 

晴天を横目に、薄ぐらい部屋にいて、近況報告をしようと記事の作成ボタンを押したところだ。

 

この1年のあいだに新しさを感じたことといえば…髪を染めたり、引越しをしたり、書いた短編小説が作品集のいっぺんとして出版されたり、籍をつくったり歳を重ねたりした。(25歳になりました)またずいぶんと色々なことが起きたものだ。仕事は相変わらずしゅくしゅくと続けている。

 

とくに社会人になってからの時の流れは早いもので、「あの日々は夢だったのかな…」と思うくらいほんの2年くらい前のことを遠く感じている。

 

それでも本棚には本が並び、きちんと読んだ証がところどころのページの折り印(ドッグイヤーというらしいよ)にある。そうそう、今暮らしているアパートにもお気に入りの本や読み返したい本は運び込んで棚に整然と並べています。そんな空間がさりげなく、時を刻んできたことを思い出すきっかけになったりしているから不思議だ。

 

ことしのはじめに、有給休暇をとって北海道釧路市に行ってきた。大学生のころ夢中になって読んだ桜木紫乃作品の舞台をこの目や肌で感じたいと思って。

 

主人公たちが言葉を交わした幣舞橋、やりきれない思いを歌い上げたキャバレー「銀の目」の跡地、春採湖のほとりにある六花亭…(記事冒頭の写真は夜更けの喫茶ふらんすにて)

 

何度読んでも強烈に印象に残って離れない『ラブレス』の舞台、標茶弟子屈あたりにも足を運んだ。長ーい建物があって丸く加工された草の塊が置いてあれば牛舎で、寒空の下、牛たちが草を食んでいる光景も見ることができた。目に焼き付いた思い出はまた私に、仕事や創作へのヒントをくれる。

 

まだまだ行きたい場所、見たい景色がたくさんある。いま、このような時世ではかなわないことが山ほどある。

 

願望何もなくしては到底乗り越えられないわざわいの中。どんなふうに心を保って過ごしていこうか、日々考えをめぐらせるべきことは多い。

 

1年に1度、またここで少しずつ書き残していけたら私らしい習慣がひとつ増えると思っている。来年の今ごろ、なにかすごく楽しい文章を記せるように、世の中が良い方向へと向かいますように。

新しい時代を待ちながら読みたい本

20世紀から21世紀へと時が動いたとき、小さかった私が覚えていることといえばテレビで「おかあさんといっしょ」のコンサートの映像を観ていたことくらい。「さようなら20世紀こんにちは21世紀」みたいな詩を、キャラクターやおねえさんたちがステージの上で手をつなぎながら歌っていた。「世紀をゆるがす」時代の移り変わりに、私はのんびりと立ち会ったわけである。

 

そしてまもなく、元号が変わるという。日本では大きなさわぎである。年末、年度末、そして元号末といったというふうに、何かにつけて私はいろいろ振りかえってみたくなるのだが、とりわけ今年は機会が多いな。そんな今日このごろ、知らぬ間に浮きたつ日々に、通勤バスの窓辺で読み返した本がある。

 

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冷静と情熱のあいだ blu』/辻仁成

 

時をとめてしまった街・フィレンツェで、修復士をする20代の男性が、かつての恋人との約束を胸に生活する物語。修復士とは、文字どおり、何百年も前に描かれた絵画の傷みを分析し、洗浄したり色をいれなおしたりして絵画を修復していくという職業である。

 

 

男性の名前は阿形順正。私はかつてこのブログで、「まっすぐそうな人生を歩んでいきそうなところが想像できるようなきれいな名前だ」と評した。まだ読んだことがなかったからそんなことが言えたのだ。しかし物語の中の順正は本人も自覚しているとおり、さっぱり垢抜けない。時代をこえて対話するチャンスにあふれた職業について活躍しているのはすてきだけど、順正はいつまでも過去にしばられて、「30歳の誕生日に、フィレンツェのドゥオモで待ち合わせをする」という約束が忘れられなくて、未来にもしばられていたのだ。

 

だけど、私は彼の行動や思考から目が離せなかった。10年近く前の恋人・あおいとの間に、なにがあったのか。客観的に見て衝動的で子供っぽいとも思える感情が描かれているのに、なぜだか美しい。

 

 

修復士の仕事は、音楽に例えれば、演奏をするという行為に似ていると思う。修復士は、すでに他人によってどんなにまずい修復がされていても、心静かに洗浄作業をし、塗り固められた絵の具を剥いでいくと画家自身が描いた本来の色に再会できる。楽譜をみて演奏するときも、作曲家がその作品を生み出した時代背景を一旦調べたり、楽譜をよく読み込んだりしてみると、作品が誕生したころの響きを再現しやすくなる気がしていた。

 

 

冷静と情熱のあいだ』は、辻仁成さんと江國香織さんというふたりの作家が、それぞれ「順正」「あおい」の視点に立って紡いでいった物語。文庫版は「blu」と「rosso」がそれぞれ刊行され、ていて、別々に楽しむことができる。

 

私は本を読むときはつい、主人公の視点が入れ替わる作品や、アナザーストーリーと呼ばれるものには慎重になってしまう。すべてを語ることなく読者に想像させる要素が物語の魅力であると考えているので、そうした作品はしばしば親切すぎる答えあわせになってしまっていると感じるのだ。

 

しかし、『冷静と情熱のあいだ』は出版社の依頼ではなく、ふたりが集まって話す中で生まれた作品なんだそうだ。「順正」と「あおい」の物語が交互に語られる連載。次はどんな展開になるのだろうと楽しみに待つ時代に、物心もきちんとついた状態で生きてみたかった。

 

江國香織さんが著した「rosso」と併せてこの作品の世界に浸ったのは2回目である。「順正」と「あおい」が約束を交わしたのも、私が初めて読んだのも、20歳のときで学生だった。あれから4年の月日がたち、私は最近24歳の誕生日をむかえた。前回読んだときと、作品の印象はどう変わったか。わかるような、わからないような気がしている。

 

というのも恥ずかしながら、私は物語の結末をすっかり忘れていたのだ。本棚に綺麗に並べられていることに安心して、すっかりその記憶をどこかに吸い取られてしまったんだろうか。4年前に書いたブログによれば、前回は「rosso」「blu」の順で読んだようだ。今回は逆。これから「rosso」を読む予定。いったん忘れてしまったこの名作を、もう一度新しい気持ちで楽しみながら、令和を迎えてみようと思う。

 

 

 

alicewithdinah.hatenablog.com

 

 

追記

「順正」はジンセイ(ひとなりともじんせいとも読むのが「blu」を書いた仁成さん)

「あおい」はaoi(「rosso」を書いた香織さんの名前の母音がaoi)

主人公ふたりともいい名前だなと思っていたけれど、著者をもじっていたのかな?

『コンビニたそがれ堂』

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 私の部屋には本棚が合わせて4つある。絵本だけが収納されている机の横の棚に、絵本とちょっとした雑貨が並べてあるエアコンの下の背の高い棚。そして大学生になって新しく増やしたのが、単行本や小さな雑誌を並べる棚と文庫だけの棚だ。


 6歳の頃からこの部屋で暮らしている。そろそろ床が抜けちゃうんじゃないかってくらい、ものが多い。やっぱりその中でも本ってそのウエイトをかなり占めてる。絵本の棚は普段あまり見ないけれど、文庫の棚は増え続ける文庫に膨れ上がりそうなのでたまに点検する。奥行きがある棚が3段。私はそこに、奥と手前に1列ずつ文庫を収納し、計6列としている。手前に収納した1列が3段分、計3列ぶんしかパッと見では収納されていないように見えるのがわが部屋の文庫棚なのである。その、パッと見で見られる部分をSNSにあげたら、「森博嗣多くね」というコメントが来た。友人からだった。おっしゃるとおりである。その友人も読書家なので、彼女のおすすめを聞くことにした。それで教えてもらったのが、村山早紀さんの本である。


 村山早紀さんの『コンビニたそがれ堂』。書店で探したら、私が普段あまり立ちどまらない棚にあった。ほっこりするイラストが印象的な一冊だった。村山さんについて調べてみると、児童文学作家さんであるらしい。(名前を覚えていなかっただけで、村山さんの作品を小学生の頃に読んだことがあるかも!?)どんな物語がこの中につまっているんだろうとわくわくした。


 『コンビニたそがれ堂』は短編集のシリーズものである。その中の一番はじめの巻を手に取ったのである。探し物をしている人だけが行き着ける、すてきなコンビニがどのお話にも出てくる。中でも目を惹いたのが、『桜の声』という短編。主人公はアナウンサーの桜子。街を見渡せるガラス張りのスタジオで、平日お昼のラジオ番組を担当している。スタジオから見える桜の木の前で不思議な体験をするというお話だ。


 私も現在、休日お昼のラジオ番組を担当している。頂いたメッセージを読んで、反応し、リクエスト曲を流す。それだけでなく、『桜の声』の桜子もそうであるように、日々の暮らしが番組につながると思って生活している。そういう癖がついた。何か珍しいものを食べたら…新しい場所に行ってみたら…感動を言葉にして次の担当の時に話そう、という気持ちにすぐになる。桜子みたいな不思議な体験をしたことはないけれど、何気なく手に取ったレコードに50年近くも前のリクエストはがきが挟まっていたり、私の親世代の方から当時のエピソードとともに懐かしめのリクエスト曲を頂いたりする。そんな中で、今までよりいろいろな年代に思いを馳せる時間が増えていく。もうちょっと未来も見たほうがいいんだろうけど。『桜の声』の桜子はその優しい気持ちがつまった声で、街の人の心を包む。彼女の番組のファンもたくさんいる。私も頑張ろう、と気合が入った。


 そして最後に収録されていた『あるテレビの物語』。あるお父さんとお母さんが住む家に、女の子が生まれた。その記念にと迎えられた一台のテレビ。そのテレビが家族を見守るというお話。ホームビデオを撮影したら、テレビにつないで大きな画面でみんなで観る。朝はニュース、夕方はアニメ、夜はドラマや音楽番組…小さい子供がいる家庭にとって特にテレビはありがたい。でも、何年も使ったらそりゃ調子が悪くなる。『あるテレビの物語』はそんな家族の「その先」が描かれていた。


 いつから私は本を手に取るとき、「これはまだ早いかな」と思わなくなったんだろう。気が付くと「もっと難しい本読まなきゃ」と思うようになったし、「最近疲れたから軽めに小説でも読もうか」なんて思うようにもなった。実際に物語を書くにはその土地や登場人物の仕事について、時代考証や専門性が求められる、とも。(とくに最近、テレビドラマがそう)でも、村山早紀さんの書く物語は違った。児童文学がもとになっている作品であり、大人が読みやすいように文章を増やした…とあとがきにあったけれど、専門性や緻密さだけが物語の価値ではないと改めて気が付くことができた。


  細かい描写はなくとも、大切なことは伝わる。むしろ、詳しすぎないからこそダイレクトに伝わってくる。こんなに読みやすく、じんわりとあたたかい気持ちを心の底から生み出させてくれる村山早紀さんの作品。『コンビニたそがれ堂』では通奏低音のように、動物やものなど言葉を発しない対象が、本当は心を持っていてそばにいる人を一生懸命に見守っていることが描かれている。なんだか周りにあるものを1つ1つ大切にしたくなる。村山早紀さんの本を初めて手に取ったけれど、もっともっと読んでみたい。私におすすめしてくれた友人へ、どうもありがとう。

『うつくしい人』『漁港の肉子ちゃん』

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   好きなブックカフェがある。しいんとしていて、陽気な音楽が流れている。壁一面の本。こっくりとしたラテ。そのそばには、うす茶色の角砂糖がコップに入って置かれる。そこで私は本を読んだり、こうして文章を書いたり、考えごとをしたり、メールを作ったりする。そして帰りがけに一冊、本を借りる。先日、手に取った一冊を見て店主さんが「これもぜひ」と持たせてくれた。鞄は重いが、心は軽い。

  西加奈子さんの書く小説は今までにも何冊か読んできた。人は一人一人違うんだということを改めて見せつけられる描写の数々。その中にも「わかる、わかる」と身を乗り出してしまうような安心感がある。読み終わると、それまで心に溜まっていた澱みがデトックスされて、生命力があふれてくる感じ。つい癖になってしまう。なんだか西さんの本ばっかり読んでしまいそうで、怖いくらいに。西さんの本を読んでいる時期に授業でレポートの提出を求められたら、文体に影響を受けてしまいそうなくらいに。

 

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  そんな西加奈子さんの書く、『うつくしい人』そして『漁港の肉子ちゃん』。この二冊もまた、最高のデトックス本だった。『うつくしい人』は、他人の目を気にして生きてきた女性が東京を飛び出し、滞在する離島のリゾートホテルでの出会いをきっかけに心をほぐしていくお話。物語の中の「現在」として描かれる方に年齢が近いのに、私にとってリアルに突き刺さってくるのは主人公の女性が中学・高校生の頃の心情であった。

  そして『漁港の肉子ちゃん』。こちらを、ブックカフェの店主さんに「これもぜひ」と持たせていただいたのだ。『うつくしい人』をすぐに読み終えたあと、より分厚いこの一冊を手に取って読み始めた。38歳の母、「肉子ちゃん」こと菊子。主人公は小学五年生の「キクりん」こと喜久子。「今までよりも北の国」に移り住んだ親子の物語である。

  「自ら大きいって書いて、臭(くさ)いって読むのやから!」なんて、漢字のつくりについてをはじめ、突拍子もない発言から底抜けに明るい性格がにじむ肉子ちゃんにすぐに惹かれてしまった。たいして、娘・キクりんは冷静である。そんな2人の掛け合いに、私は読みだしてからというもの笑いが止まらなかった。「これは、バスの中で読めないな…」

  読み進めていくと、今までの読書体験と違う心地がしてきた。そのわけは…「自分、靴、何色ら?」「あんた達、ついてくんなてー。」お分かりいただけただろうか。明らかにこれは新潟弁だ。今年になってから、新潟にまつわる本を読むのは3回目である。『それを愛とは呼ばず』、『星がひとつほしいとの祈り』、そして『漁港の肉子ちゃん』。一冊飛ばしで出会ってきた。なんだか改めてふるさとに運命を感じてしまう。いつかブログにも書いたことがあるけれど、西さんの作品には「わざわざ声に出して読みたい文章」が多い。中でも新潟弁がここまで軽妙に書かれていると、我が家で読んでいるのをいいことに、いちいちセリフを声に出して読んでしまった。

 

  小学校高学年の女の子が主人公である作品、ときいてぱっと思いつくのは小学校の図書室にあった本である。タイトルはもう忘れてしまった。当時、同世代のことが書かれているからかなり共感したことは覚えている。でも、『漁港の肉子ちゃん』がその記録を軽々と破ってしまった。クラスの中での立ち位置。女の子たちのささいなすれ違い。これは説教じみた児童向けの物語ではない。西さんが女の子たちのそばにしゃがんで、寄り添ってくれているようなあたたかみがある。

  主人公・キクりんは冷静だけど、優しい女の子だ。年齢にしては大人っぽい。だからこそ悩むこともある。私は小学五年生の当時、こんなに周りのことをよく見て暮らしていなかったなと反省する。そんなキクりんだって、甘えていい。むしろ、甘えていいのは大人も子供も関係ないな。キクりんと肉子ちゃん親子を見守る周りの大人たちだって完璧な人たちじゃなかった。読み始めたときは声を立てて笑っていたのに、クライマックスではほろりと涙してしまった。

  ほかに、文庫化をずっと待っていた西さんの作品に『サラバ!』がある。上・中・下と、三冊にわたって物語が綴られている。きっとこれも分厚さなんて気にしないで、楽しく読めちゃうんだろうな。西さんが生み出す物語って本当に愛しい。

今こそ再読!『喜嶋先生の静かな世界』

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  先月、卒業論文を提出した。「ソツロン」というものは厄介なものだと、先輩方が言っていた。それでも私にとってはなんだか憧れの響きであった。卒論発表会も思ったよりあっけなく終わった。これを書いている前の日、卒論要旨録に載せる原稿も書き終わったところだ。


 「ソツロン」という響きからピンと来て、ある本を読み返した。森博嗣さんの『喜嶋先生の静かな世界』だ。尋ねられたことはまだないけれど、もし「大学時代で一番影響を受けた本は?」と尋ねられたら、私はまさにこの本の名前を挙げるだろう。


 今となっては『つぶやきのクリーム』をはじめとするエッセイシリーズに、『スカイ・クロラ』や『すべてがFになる』といったシリーズもののミステリー、質問を投稿したら嬉しいことに掲載のはこびとなった『MORI magazine』など、本棚の2段いっぱいに森博嗣さんの本が並んでしまうほど、読み込んでいる。しかし、『喜嶋先生の静かな世界』を初めて手に取った時は森博嗣さんのミステリーを読んだことはほとんどなかった。それでも、森さんのちょっと自叙伝的なこの作品を読んでみると、たちまち彼が綴る鋭い視点を持った文章を色んなジャンルで読んでみたくなってしまったんだった。ちなみに、どこか遠出をするたびにその土地の書店に寄る。講談社文庫コーナーに森博嗣さんの作品がずらっと並んで品ぞろえがいいと、私はたちまちその土地に住みたくなってしまうようになった。


 『喜嶋先生の静かな世界』は、勉強が嫌いだった主人公・橋場が理系の大学生になり、研究者として成長していく過程と、彼と彼に影響を与えた研究者・喜嶋先生を取り巻く環境の変化が描かれている。

 

alicewithdinah.hatenablog.com

 


 前もこの作品についてブログに書いたことがある。「文系」「もう卒業間近」となった私にとって、相変わらず「理系」「大学院進学」というキーワードは、「赤組女子」と「白組男子」くらい隔たりがある。つまり、主人公の橋場が研究している内容にはまったく共感できないままでいる。それでもいいのだ。ベストセラーになる本や映画の特徴の一つとして、「共感できる」というのがある。歌詞と音程を知り尽くした歌をカラオケで歌うみたいな気持ちよさがそういう作品にはある。『喜嶋先生の静かな世界』はそうでない。「ブラジルのみなさん、聞こえますかー!」と地面に向かって叫ぶギャグがあるが、どちらかというとあんな感じだ。知らない世界に興味がある。見てみたい。そんな好奇心を刺激してくれる作品だった。


 これも前にブログに書いてしまったけれど、『喜嶋先生の静かな世界』を読んで勉強が好きになった。といっても、中学や高校の頃読んでいたらそうは思えなかったと思う。大学2・3年生という、好きな分野だけに絞って勉強出来るようになる時期に出会えたから、というのが大きい。論文というものに、固有名詞や引用が増えるほど上品とは程遠いものになる。自分が発見したことがきちんと書かれているものがいい。橋場への喜嶋先生からのアドバイスはそのまま私がレポートを書くときの参考になった(しかも、私の指導教授の文章が実際に絶妙に森博嗣さんっぽいんだなー)。そして、「はやく卒論やばいーってヒイヒイ言いたい」という謎の願望も生まれた。


 4年生になって、実際に卒業研究をする時期になった。私が取り組んだのはコンサートの企画と運営。アーティストと、どんなコンセプトで、どんな構成の演奏会を開こうか。どうやってお客さんを呼ぼう。学生だから出来ることってなんだろう。そんなことを春休みからあれこれ考えて、本番のあった夏休みの9月はだいたい学校にいた。卒業研究だけしてればいいという状況でもなかったのでしんどいなあと思うことはあっても、本の中で橋場がそうだったように、楽しかった。もっとも、私は数式を展開したり、タイプライターで打った文字をはさみで切って貼りつけたりするような作業はなかったけれど。それに、橋場が指導教授と計算機センタだけを頼って孤独に研究を続けていたのとは違って、私にはチームで一緒に演奏会を担当してくれた後輩や、卒論としての報告書を一緒に仕上げてくれた同じ研究室の4年生の存在がかなり大きかった。


 卒論発表会の日の帰り、バスの中で、『喜嶋先生の静かな世界』を読み返していた。本の中で橋場は大学院生として研究を続けている。先に社会人となった恋人の清水スピカはたまに遊びに来る。あ、私はもう大学での勉強終わっちゃったんだ。と、すっごくさみしくなってしまった。以前に書いた本の感想の記事も読み返して、もう一回執筆した日に戻ってどんな気持ちでいるのかを体験したくなった。


 大学という場所で、何かを学ぶ。橋場と同じ方向を向いて過ごす時間はもうほとんど残っていない。では、何が残り続けるのか。読書をして、何かを失うなんてことはないはずだ。
 まずはこの言葉。

どちらへ進むべきか迷ったときには、いつも「どちらが王道か」を考えた。それはおおむね、歩くのが難しい方、抵抗が強い方、厳しく辛い道のほうだった。困難な方を選んでおけば、絶対に後悔することがない、ということを喜嶋先生は教えてくれたのだ。


 「学問には王道しかない」というのが喜嶋先生の主張である。学問を人生に置き換えてみれば、それぞれの人間にとって「人生は王道しかない」のかもしれないなと思った。迷ったら困難な方を選ぶ。今までもずうっとそうしてきた!とは胸を張って言えないから、こういう言葉がよく響く。厳しい方を選べばきっとその分傷つくし、もうやだわあと思うこともいっぱいある。それでもいっか。「あのときこうしておけばよかった」と思った経験があるかといえば、今までいっぱいあった。だから『喜嶋先生の静かな世界』を読んで、今度は王道を歩いてみようかと思うのであった。
 ちなみに、前にブログで

義務教育を受けていた頃から、答えが一つのものを導き出すことが求められる教科は私は苦手だった。その苦手意識は、私を「ばりばりの文系」にはめていったのかなと思う。


 なんてことを書いた。あれから2年弱の月日が経った。今でも得意ではない。でも、嫌いではなくなった。この本を読んだら、嫌いでいるのはもったいないなと思ったのだ。どうやって嫌いじゃなくなったかは、また今度、そのうちに。

百合江と紗希

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 尋ねられたことはまだないけど、もし「大学時代に読んだ本の中で一番心に残った一冊は?」と尋ねられたら、私は「桜木紫乃さんの『ラブレス』かな」と答える。2016年のちょうど今頃読んで、それからというものどうしても、『ラブレス』を包む空気が私のそばを離れていってくれないのだ。どうせならもっと明るくハッピーな物語がそうなってくれればいいのに、と何回も思った。でも仕方ない。これが私の趣味なんだろうな。


 『ラブレス』は、北海道の標茶の開拓小屋で生まれ育った百合江の一生を描いた物語。里実という美しい妹、その子供である小夜子、そして百合江の娘である理恵による現代の記述と、百合江の若い過去の記述が交差して物語は進む。

 

alicewithdinah.hatenablog.com

 

 

alicewithdinah.hatenablog.com

 
 『ラブレス』については、このブログでも今までに何回か書いてきた。初めて読んだばかりの時のほうがみずみずしい感想が書けていると思う。それでも、今年に入ってもう一度読み直してみて新しい発見もあった。


 私はかつて、運命を背負ってたくましく生きる百合江には実はあまり共感できなかった。ただ、すごい人だとは思っていた。かつて一座の仲間として旅を共にした宗太郎はどんな風が吹いてもしなやかに吹かれて生きる柳のような男だった(新潟出身らしき記述も)。私はどちらかというと初めて読んだとき、宗太郎のしなやかさや現実的に堅実な生活を営む里実に共感していた。でも、『ラブレス』を読んでから、しばらくずっとある目標に向かって過ごしているうちに、一ヶ月先の自分の姿が想像できない状況が当たり前になってきた。それでも、今日をしっかり歩こう。失敗から学べばいい。そんな風に思えるようになって、そんな風に思う時はいつもうっすら百合江の後ろ姿が見える気がした。読書体験が人生の糧になるとはこういうことか、としみじみ感動に浸ることもあった。何度読み返してみても百合江が沢田研二の「時の過ぎゆくままに」をキャバレーで歌うシーンには震えてしまうし、最後の4ページを視界をぼやけさせずにことはできない。


 
 さて、そんな物語を紡ぐ桜木紫乃さんの新たな著書を手にした。『それを愛とは呼ばず』である。社長である妻の事故を機に、会社から追われてしまう男・亮介。いっぽう北海道から夢を追って上京したものの、売れることができないまま旬を過ぎてしまった女・紗希。人生の淵に立った男女を主人公に進む物語だ。


 北海道に生まれ、凍えそうな大地で強く生きる人間を描いてきた桜木紫乃さんだが、『それを愛とは呼ばず』の舞台の一つになんと新潟がある。亮介と妻の章子が住むマンションは信濃川沿いの海が見えるマンション。会社では主に古町で事業を手掛ける。おなじみの町並みの記述や実在するレストラン名に目を見張ってしまう。今までに読んできた桜木紫乃作品で一番、私にとっては情景がリアルに映る。


 モデルやタレントを細々と続けていた女・白川紗希は、まじめで堅実な人だった。

 

冬場の水着撮影でも風邪をひかなかったのは、己に課した生活習慣を守り続けていたからだ。

どんな環境に置かれても、人はその場の色に染まったほうが楽に生きられる。紗希にはそうした器用さがほとんど感じられなかった。

  紗希の自己管理能力の高さには及ばないけれど、私も切り札を取っておいてうまく立ち回れるような器用さがあるほうではない。静かで清潔な部屋で、紗希の希望がしぼんでいく様子が痛々しかった。


 東京、新潟、北海道。それぞれの場所で、物語が進むにつれて少しずつ、亮介と紗希を取り巻く環境が変化していく。『ラブレス』のような、確実に目に見える愛に満ちた作品ではない。でも、結末の様子を、タイトルの通り人びとは「それを愛とは呼ばない」。じゃあ、何と呼ぶんだろう。そんな問いはともかく、やっぱりこの作品は新潟が舞台になっていたことが嬉しかったし、亮介の「いざわコーポレーション」での事業が実際に新潟で広がればいいなとも思った。都会のエッセンスを取り入れながら、Uターンの若者の仕事場を提供する。思わず実現している様子を街中で思い浮かべてしまうのだ。


 新潟の雪と、北海道の雪は違うという。新潟の雪は水気を含んでべたべたとしている。最寄りのコンビニからの帰り道、傘をささずに雪に降られながら歩いてくると、簡単には振り切れない雪の粒がコートを湿らせる。北海道の雪は体験したことがない。でも、この前東北に行った時、そこでの雪がさらさらしていることに気が付いた。足で踏むと片栗粉みたいだったし、触ると砂みたいに簡単に手から逃れてくれる。もっと寒いところに行くと、もっとさらさらしているのかな。桜木紫乃さんは、新潟独特の気候や県民性をも書いていた。


 『それを愛とは呼ばず』の紗希には共感できないでいたほうが幸せだと思う。でも、『ラブレス』の百合江の背中を見ながら生活できるようになったことは成長だと思う。桜木紫乃さんが描くふたりの女性を見つめていたら、1月がいつの間にか終わりを迎えていた。

2018年の手帳術

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明けましておめでとうございます。

2018年も、「謎の国のありす」を

よろしくお願いします。

 

さて、今年も私には手帳が欠かせません。

今年もメインの手帳は「NOLTY U」で。

 

 

 

↓2017年版「NOLTY U」の

使いっぷりはこちら!

alicewithdinah.hatenablog.com

 

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昨年はピンク色を選んだけれど、

今年はネイビーにしてみた。

表紙をめくってみると現れる色は

目の覚めるイエロー。

まるで夜から朝に変化するみたいな

すがすがしさである。

 

少し黄みがかったなめらかな紙も、

ところどころにあしらわれている

小鳥のモチーフも変わらない。 

ありがたい変化としては、

しおりが1本から2本に増えたこと。

 

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私は「今月」と「今週」のページに

1本ずつ使用している。

 

パステルの蛍光ボールペンを3色使って予定管理すること

・ウィークリーページは左に予定、右にTODOリスト

・ウィークリーページに1週間の目標と振り返りを記入

 

この基本は変えずに今年も

「NOLTY U」を活用している。

手帳の種類を変えなかったから、

戸惑うことなく使える。

 

昨年からの変化としては、

1.「100の夢リスト」を作らなかったこと

2.「10年後に振り返って後悔しないために今日したこと」を毎日書くこと

だろうか。

 

1.「100の夢リスト」を作らなかったこと

「NOLTY U」に巻末メモスペースが

40ページ以上ある。

さらに1・2ページ目は

薄いピンク色の紙でできている。

私は昨年この見開き1ページを

「100の夢リスト」にしていた。

最近、様々な雑誌にも

引き寄せの法則」の特集なんかが

組まれるようになってきたけれど、

それと少し似ていて、

手帳にその年に叶えたいことを

100個記入しておくということを

近年ずっとやってきた。

2017年も記入した夢のうち、

半分くらい叶っていた。

 

・今年は4月から生活が大きく変わるだろうということ

・何年かやってみて、1年で趣味嗜好が変わるから対応しづらいこと

から、今年は「100の夢リスト」を

お休みすることにした。

 

その代わり、2018年版の

ピンクのメモページには、

年末にある憧れの人にお会いしたので

その人にサインを書いてもらい、

一緒に撮った写真も貼って

いつでも見られるわくわくするページにした。

 

「100の夢リスト」を作らなくても、

心の中にはいつも

「こんなことしたいな」

「ここに行ってみたい」という

願いはあるものだ。

だから今年は、

「叶ったことリスト」を書こうと思う。

形式はまだ決めてないけれど、

そのページを眺めるたびに

「幸せだな」と思えたらいい。

「花水(東新津にある温泉)に行けた」

ウイスキーの水割りをおいしく飲めた(ずっとジンジャーハイしか飲めなかったので…)」

…と、今年はすでにこんな調子である。

 

2.「10年後に振り返って後悔しないために今日したこと」を毎日書くこと

 

これはTwitterで見つけたアイデア

参考にさせていただいた。

「10年後に振り返って後悔しないために

今日したこと」を、 

毎日手帳に1行ずつ書いていくと面白いかも!

というもの。

 

10年ひと昔という。本当に最近そう思う。

特にこの年末年始で

中学・高校の友人に再会して

「この人たちとの出会いは2008年だったな…」

と思うと、

短かったようでもう10年たったのか!と

驚いてしまう。

10年前、もうちょっと大好きな

芋けんぴを我慢してれば

体型維持がずっと楽だっただろうな…

と苦い気持ちになるし、

10年前に出会った友人と

またこうして会えてうれしいなと

しみじみ思えるものだ。

だから私も今年は10年後を意識したくなった。

 

「NOLTY U」のウィークリーページは

時間軸があるスペースが

1日3行ずつ割り振られている。

私はその3行目に書いていくことにした。

 

「気になっていたメルマガの購読を始めた」

「いっぱいゲラゲラ笑った」

自己投資の記録から

後悔しないために楽しんだことまで、

なんでもいいから書く。

読み返すのもきっと楽しい。

 

ちなみに毎年10月頃になると

来年の手帳を求めて

ソワソワする私だけれど、

昨年秋は落ち着いていた。

「NOLTY U」も年末に購入したし。

 

そして今年も手帳は三刀流で行こうと思う。

1.今まで紹介していた「NOLTY U」

2.昨年に引き続きMAQUIAの付録の手帳

(今年こそ活用するぞ〜!!)

3.「ほぼ日手帳2017 カズン」はとりあえず3月まで

 

1週間こうして手帳をまた

きちんと使ってみて、

手帳をつけることで

「いいこと探し」が上達したと思った。

ひとつひとつを忘れないこと、

そしてそれを語れるようにすることが

きっと今年の幸せにつながっていく

と信じたい。

 

みなさんのおすすめの使い方も

ぜひ聞いてみたいです。

 

過去に書いた手帳記事の数々は

以下からどうぞ。

↓ 

alicewithdinah.hatenablog.com

 

 

alicewithdinah.hatenablog.com

 

 

alicewithdinah.hatenablog.com

 

 

alicewithdinah.hatenablog.com

 

 

alicewithdinah.hatenablog.com

 

 

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