考えたこと

小林勝彦の思考のブログ

「自由とは、好きなことを思いどおりにやることじゃない〜感動の復活を果たした水泳オリンピアから学ぶ自分から周りへの意識、自由へ向かう自律〜」令和3年入学式告示

本年も入学式は複数回に分けて対策。また本年も、未来に向けて眩しいほど揚々たる学生に、自由、自律の必要を告げました。かつて本校で学び卒業していった同胞が実践している、主体性へのリスペクトを込めての投稿です。

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<長野美術専門学校入学式 告示より>

目的に向かうプロセスが成果を生む

本校はクリエイティブこそ社会形成の要であることを信じて、社会に創造性の育まれる必要を表明しつづけています。
クリエイティブワークは未だ解決されていない問題に対して、正しいひとつの解き方を探し出す仕事です。いろいろな結果に想いを巡らせ、いろいろな方法を考えて想い描いたひとつの結果を得るためその方法を実行する。デザインの仕事では、たとえば会社のWEBサイトデザインなどの案件において、その会社の認知度向上など、このようになると良いと想い描いた結果のためのデザインがさまざまに検討されそのひとつが実装される。もし想定された結果が得られると、それこそがデザインの「成果」となる。このように考えることでデザインとは「成果」を得るために実行されるプロセスに他ならないことが明らかになるのです。

アーティストは世の中を代表して世界の謎解きをしている

それではアートの成果とはなんでしょう。アートは未だ解決されていない問題自体をみつける仕事。謎だらけの世の中にあっては問題もまた限りありません、アーティストは時間と言う問題に対しても、また人間に対しても、そして命そのものに対しても通常の生活で行なわれている方法とは違うやり方で世界を観て、表わそうとします。アーティストの表現を受け取った人が、それによって、ああ世界とはこういうものだったのかとその意味を知ることができる。アートの「成果」は世界の謎解きにあるのです。

クリエイターに自由を感じるのはなぜか

クリエイターは奇抜なことを勝手にやる人のように誤解されることがありますが、そうではなく、本当の自由を発揮している人です。クリエイティブの成果はまさに本来の自由のなせる技なのです。自由についての哲学者カントの教えは「自由とは好きなように思い通りに行動することではない、自由とは誰かに命令されることではなく、自らの意思で自らを律して生きることだ」と言っています。カントを待つまでもなく我々には自律、自分を律することが必要です。今、我々は他律に迫られています。間違えないこと、画一的であること、時間通りであることを求められ続けています。ともすれば我々は他に律しられなければやっていけないようにさえなり、言ってしまえばそれによって“お客様気分”を醸成されているのです。“お客様気分”というのは、主体性のなさを表したものですが、その時その場に置かれた状況を優先、いやそれが活動規範の全てとなり、いわば自己が状況に支配され、恐ろしくも正当を確信しているように振る舞う。我々にはいつの間にか、自分ではない誰かがなんとかするというバイアスがかかかってしまったのではないでしょうか。そうだとすればこれこそが自由の放棄に違いありません。しかし他律より自律、このことを信条としている一群が昔からいます。彼らこそがクリエイターなのです。彼らの信条は主体性です、それは自主性とは違う性質で、人間の考えかたや行動の自由な性質のことです。クリエイターに相対した時、彼らに自由を感じるのはそのためなのです。

復活を果たしたアスリートに学ぶ

クリエイターはまた、好きなことだけ自分のことだけを考えているように思われがちですが、これもそうではありません。トップアスリートとして復活を果たした池江璃佳子選手がこういっています。「病気になる前はアスリートとしての自分のことしか分からなかったから、自分が自由にプールにいることとか、生きているって言うことが当たり前だったから、自分がとにかく強くなることだけを考えて過ごしていたけれど、病気になってアスリートとしての池江璃花子と、病気を患った池江璃花子という二人の人間がいることによって、本当にたくさんの人の気持ちがわかるようになった」と、彼女から学ぶことが出来るのは自分から周りへの意識の育ちだ。池江選手はまたこうも言っている、自分が泳いでるだけで勇気をもらったという人がいるが、よく考えたら私は周りの人たちのために泳いでるわけじゃなくて、自分が水泳が楽しいから泳いでるわけであって、人に左右される話ではないかなって言うふうに思っています」と。ここで学べるのは周りを意識した上での彼女の自由さだ。成熟したクリエイターにもこのアスリートが達した境地と同じく、周りへの意識があります。クリエイティブの学びの途上では、「自分から周りへ」このキーワードを心に刻んで本当の自由を獲得していきたいものです。

長野美術専門学校では、学生にこんな力をつけて卒業して欲しいという、修学の目標を表明した、デュプロマポリシーを三つ定めています。その一つ目は「構想力」、続いて「主体性」、三つ目は「展開力」というものですが、ここには自由の獲得という大義が込められています。

学校は「自分から周りへ」と成長していく学生を目一杯支援します。皆さんには本校で本当の自由を手に入れて欲しい。このことを願います。

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「クリエイティブワーク〜デザイン産業に向けて舵をとれ〜」デザイン会社のパンフレット作成にあたって

デザイン制作会社の紹介パンフレットを刷新することになり、デザイン業務のあり方やデザイナーの労働観などについて、信ずるところをまとめました。これらの課題に向う態度を改めて表明したいと思います。

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デザインする態度

クリエイティブワークは未だ解決されていない問題に対して、正しいひとつの解き方を探し出す仕事だ。いろいろな結果に想いを巡らせ、いろいろな方法を考えて、想い描いたひとつの結果を得るため、その方法を実行する。

デザインの仕事では、たとえば会社のWEBサイトなどの案件において、その会社の認知度向上など、想定された目的(結果)のためのデザインがさまざまに検討され、そのひとつが使用(実行)される。もし想定された結果が得られると、それこそがデザインの「成果」となる。このように考えることで、デザインとは「成果」を得るために実行される方法に他ならないことが明らかになる。

だが、デザインの職能をもっと幅ひろくとらえる視点も同時に持ち合わせているべきだろう。それは冒頭のように、結果を想定することが重要なクリエイティブワークであるからだ。たとえば、どういった事業結果を求めるのかというプロジェクトのあり方自体をつくる仕事、コンセプトワークは十分にクリエイティビティを含んでいる。ここにデザインの職域が及ばないわけがない。デザイナーはこのような、狭義、広義の職能を胸の内に潜ませながら、多様な案件にあい対する態度を持つ必要があり、そうすることで仕事のやりがいは深くなり、志を高く持つことができるのだ。

 

観念からファクトへ

コンセプトは成果につながる考え方のことだ。ビジネスの成果をあげるためには、どんなプロジェクトでも少なからずなんらかのマーケティングを働かせ、コンセプトをたてていく。

“捕らぬ狸の皮算用“ということわざがあるが、これは、狩の前からもし何匹の狸を捕ればその毛皮は何枚になりこれだけ儲かりそうだと想定する“もし”の都合良さを皮肉っている。マーケティングはこれに似たところがあり、調査や分析でその“もし”を説明し正当化しても、本当に想定した結果になるかは保証されていない。だからマーケティングによってまとめられるコンセプトは、このプロジェクトを行えばこういった結果を得ることができるだろうという仮説、因果の概念だ。概念はそれ自身はかたちを持たず、やがて物事として実体化する前の考え方、観念である。

コンセプトを打ち立てて、実際の物事(ファクト)に変えるまでの全般に渡って、クリエイティブワークが発動するとの心得がクリエイターには必要だ。観念とファクト、これがクリエイターに求められる責任だ。

 

デザインは文脈づくり

デザインは目に見える造形の仕事として説明されやすいが、認識されにくいのが、そのかたちを構成しているコンテクスト(文脈)だ。

たとえば製品(プロダクト)のデザインにおいても、良いデザインはコンテクストが整えられている。コンテクストを文脈と訳すと、文章や文書のように、読んでいく時系列の順番としてのみに解釈されやすいが、人間が製品を使う時にもそれとは異なって働く文脈がある。製品のコンテクストは、その物理が人間の五感や心理にどう働くかをその順番のみならず、強さ、質、また使う人間の多様性も考えて構成されるべき、言わば工学的な文脈である。こう説明するととても難しく思えるが、デザイナーはこれを日常の仕事として行っているプロフェッショナルだ。つまり造形性も工学性もまるごと引き受けて取り組んでいるのだ。ただ現状では、特にグラフィックデザインにおいては、コンテクストの組み立て方でデザインを評価する視点はあまり見受けなく、造形性のみが注視されていることが多いのではないだろうか。このコンテクストはクリエイティブの目的、どんな結果を想定するかによって左右されるので、ビジネス目的ではマーケティングの戦略に有効に働くよう用いる必要がある。

このようにデザインを評価する場合には、造形性に偏らず、コンテクストをどう構成しているかという、工学性も含めた視点で行われるべきなのである。

 

クライアントがデザインを一番よくわかっている

ビジネス目的でのデザインは、マーケティング上の必要に照らし合わせて正しいコンテクストが要望される。だから、想定された結果を出すための方法であるデザインの正否は、基本的にデザインの使用者であるクライアントが一番よくわかっている。したがって、デザイナーはクライアントの事情によくよく精通すべきだ。クライアントの目的性が完全にデザイナーのものと同一になったなら、結果を導くための方法であるそのデザインは、前例のない正しさを持ったクリエイトとしてデザイナーによって保証される。そのような責務と尊厳を持ってデザイナーは仕事をすべきだ。そのような理想を目指してクライアントとデザイナーは共働すべきなのだ。

 

デザインビジネスの成立

クライアントが事業展開において経済を自律させる必要があるのと同等に、デザイナーも経済的自律がかなわなければ、いくら社会に有用なクリエイティブワークといえど、デザインビジネスを成立させ、いわんや発展させていくことはできない。

ここに長年の問題がある。それはデザインの仕事の対価が低く見積もられる状況が一般化されているという問題だ。この問題は、デザイナーという職業が登場しておよそ100年の総括が未だされていないことに起因している。デザイン業は近現代の経済展開の中で、他の産業発展のための露払いのような役回りであったのではないか。デザイン業が他の産業と並んで、いや他の産業にはできない、人間生活の暮らしぶりを上げる豊かさの提供という使命を、デザインというクリエイティブワークこそが担うことの評価を、デザイナー自身が持ち合わせていなかったのではないか。地域が大産業大経済の中央論理にクリエイティブワークのお手本を得て振る舞うことだけが、デザインビジネスの在り方だと取り違えてきたのだはないか。

この総括を経て、デザイン業を社会の豊かさに貢献する一翼を担う産業として確立させる強い理念を持ちビジネスに臨まなければ、クリエイティブワークとして誇るべきデザインビジネスの成立はほど遠いのである。

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「主体性〜従属からの自己解放〜」平成30年度長野美術専門学校入学式 告示

本年度の入学式で宣誓をしてくれたのは、高校生になりたての時から本校に目を向け続けてきた学生でした。様々な情報に触れるたび、オープンキャンパスなどで訪れるたびに、美専の校風、理念、アイデンティティを探り続けて来たのでしょう。そして、今回晴れて入学し、自身の学びや成長に美専を活かすことを誓約したのです。果たして彼女はどんな人を育てようとする学校に入学したのでしょう。告示では美専の理念体系から「育成人間像」について取り上げました。

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<長野美術専門学校入学式 告示より>

長野美術専門学校にはどういう人を育てたいかという考えかたを表した「育成人間像」という理念があります。それは、「目的に対し自由な精神で立ち向かう主体性を持った人間」というものですが、これはどんな意味なのでしょうか。
まず目的についてですが、どんな活動にも目的ありきのはずが、とかく何かを行うとき、その行い自体を目的化してしまい、そもそもなんのために行うのかを置き去りにしがちです。これでは本来の活動意義、仕事のやりがいを見失ってしまいます。
また社会に目を向けると、これまでは高度成長経済における大量生産大量消費の構造の中、効率化のため組織化には上から下へのベクトルが働く、縦型の構造が重んじられて来ました。そこでは物も仕事も与えられるもの、といった従属性が我々の中に重く育ってしまったのではないでしょうか。また高い生産性というものは、単純化された因果性を繰り返すことで生まれますから、「こうすればこうなる」反対に、「こうしなければこうならない」のような強迫観念が我々を動かす原理になりつつあったのでは無いでしょうか。こうして、生産性は上がったけれど、何かやらされている感、既存の因果関係のみをバイブルにしたため、自己責任が希薄化し、人と人との間には責め合い、争う対立感が生まれています。
将来の不確実性が唱えられる今の社会にあっては、答えがひとつしかない課題というものは皆無になりつつあります。また、縦の指示系統組織の限界が、かえって生産性を妨げた結果の、産業の破綻も見受けられます。これは個人の主体性が損なわれて来た結果、起こるべくして起きた出来事なのでは無いでしょうか。
しかし、他から与えられる有限より自ら望む無限※を旨とした、主体性を重要な活動規範とした一群の人たちは昔からいました。彼らはいくつかの答えのひとつを決定すべく仮説をたて試行を繰り返して来ました。既成概念を疑い混沌の中から何ものかの誕生を模索し続けてきました。その人たちはクリエイターと呼ばれる人たちです。クリエイターが自己の中に大切に育てて来たものを、ひとつの言葉で表すとすれば、それは「自由」というものでしょう。
長野美術専門学校は「創造性の育みを以って、社会形成に資する」を教育理念としています。これはクリエイティブこそ社会系形成の要であることを固く信じ、社会の進む道を照らし出すランドマークになるべく自らに課した命題です。今、この学校に集まる我々は、来るべき社会の目的をしっかりと見据え、自由な精神で立ち向かって行こうではありませんか。

※スケート競技の小平奈緒選手の言葉から引用

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「メディアを超えるメディア 〜タブローからコンピュータへ〜」老舗画材店の閉店

価値観のもとに、需要とのバランスを供給によってはかるのが商店

近代美術隆盛の一般化に貢献し歴史を刻んだ画材店に、メディア価値の多元化の強風をもろに受ける宿命が待っていました

<長野美術専門学校の同窓会会報への寄稿より>

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先ごろ、奈良堂と言う長野市内の画材の老舗がその長い商売の幕を閉じた。近年はカタカナの店名で親しまれてきたが、私はどうもしっくりせず、従来の“奈良堂さん”と呼び続けてきた。へそ曲がりの親愛の表し方だった。学校に於いては教育活動を支え続けていただいたのはもちろん、代々の美術学生がお世話になった。ことに店頭でリアルに画材等を知り得るという学習機会は、貴重な学生生活の大切な一部であったことにに相違ない。石膏像、油絵の具、ゴシック筆、面相筆、ポスターカラー、烏口、絵皿、曲線定規、インレタ(instant lettering)、インレタを“コキコキ”と転写する専用の鉄筆……、そこにある専門の道具や色材がどういう名前を持ち、それを使うことでどんなことが起きるのか、それらが導く自分の制作活動に、ときめきを覚えながら数多くの美術学生が店内を探索したことだろう。“奈良堂さん” ありがとうございました、皆さんは教師でした。

隆盛を極めたタブローや彫刻作品などの伝統的メディアは、これからも無くなるはずはないとは言え、そこから美術表現は拡張され、多元の価値観を発揮するようになってきた。そして今や、コンピュータが従来のメディア特性を超えたメタメディアとして、無限の価値を秘め、未知の世界の入り口を開けている。手の術が道具の使用によって拡がり、メディアが生まれ、そこでなされる仕事の正当な評価が思考されている矢先に、またまた行先の計り知れない大転換期を迎えている。老舗画材店の今回の帰結は、あり得ることとは言え、改めて時代の激動を思い知るばかりだ。

混沌、黎明、草創、発展…、現在の世界の進展は、何期への突入と表せられるのだろうか。

今、キャンパスでは、奈良堂から受け継いだ画材が彩りをみせている。

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「職業観の危機〜時間とエネルギーを売り渡すのが労働か〜」専門学校卒業式に招かれ 祝辞

長野県諏訪にある専門学校の卒業式に招かれ、祝意と敬意を表し、いよいよ職業人としての一歩を踏み出す若い方々に職業観という課題を聞いていただきました

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専門学校は職業現場に最も近い高等教育機関として、それぞれの建学の精神に基づいた特色ある教育課程により、高校を経た方を社会につなぐ役目をいただいています。今まさに、皆さんは専門学校からの門出に立っておられるところであります。
さて、長野県の求人求職の現状を事情見ると、求人倍率が1.4、1.5などと高い数を上げ、売り手市場と言われています。そんな中、会社説明会などでは働き方改革論議もあってか、参加する学生からは休日や会社の安定を基に就職を考えたいと言った希望が、また一方企業側からは働きやすさをアピールして人材獲得に努めていると報じられています。
これは今の社会が陥っている偏った職業観をいみじくも表す就職問題点と言えるのではないか、と私は考えています。いくら売り手市場と言っても働きやすさばかりが取りざたされるようでは、労働という人間の尊い行為を貶めてしまうのでは、と危惧しているのです。
近代に新しい産業が盛んに起きてくる中で、20世紀のはじめ今のドイツに、社会に必要なものづくりはいかにあるべきかを探る重要な運動がありました。その運動はやがて世界に波及し、日本にも大きな影響を与えています。その運動の職業倫理は「労働の過程そのものに意義と満足を見出し、それを通じて人格を完成させる、その労働に使命を見出す」といったものでした。
その運動自体は普遍性の高いものでしたのでアメリカにも飛び火し、ここでも影響を及ぼしました。しかし労働に対する考え方においては、「20世紀的、アメリカ的な職業観」とは相入れなかったと評されています。アメリカ的な職業観とは、その産業事情とも相まって「労働する者は、労働契約において、その時間とエネルギーを他人の権利に売り渡す」というものでしたから、特に第二次大戦後、アメリカの影響を大きく受けている我が国の状況と合わせてみても、両者の違いは大いにうなずけるところです。
こう言った職業観の両極を、100年後の我々の求人求職事情にどう照らし合わせて考えればればいいのでしょうか。
世界の定評は、こだわってものを作ろうとする姿勢が日本の良さであり、その信頼性や安全性が我が国の強みである、というものです。もともと日本人が持つものづくりという労働の意義は、時間においてもエネルギーにおいても、売り渡す単純な何ものかに換算してはいけないのではないでしょうか。今、この課題が目の前にあることに気がつかなければ人間の大切な権利を放棄してしまうことにもなりかねません。これは仕事をしていく私たちがそれぞれの胸の内で、思考を深めていくべき大きな命題なのです。
これから、実社会に向かう皆さんは果敢に仕事に挑んでいただきたいと思います。新しい挑戦には失敗はつきものです。失敗したらどうして失敗したのか、そして次はこうしてみようと考え、また挑戦してください。どうかクリエイティブに取り組んでいってください。その先、皆さんの手によって世の中に示すべき職業観を出現することを祈っています。
結びに 貴校のご発展と卒業生並びにご臨席の皆様のご健勝とご発展を祈念してお祝いの言葉とさせていただきます。

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「目的意識〜分かった、実感しました〜」長野美術専門学校卒業式 式辞

 

今年の卒業式は長野美術専門学校の設置学校法人が「クリエイティブA」と改名して、初めての開催
クリエイティブ、クリエイティブと言い続けて来たが、クリエイティブワークの目的とは一体何なのなのか、果たしてそれは明らかになったのか?
祝辞、謝辞の後に述べた内容を載せます

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我々の歩む道は、目に見えるものをつくる ビジュアライズというものづくりの道です。まだ光が当たっていない重要なことに気づき、発見して行く道、それを人に見せられるものとして実体化するというクリエイティブワークの道です。そしてこの道のりでは クリエイティブワークは何のために行なうのかという目的を認識していかなければなりません。我々は 一つひとつの学習目的を見据えて学んできましたが、それら学習目的の先には、“なんのためのこの道なのか”という大命題があるのです。

しかしながら 物事を明快にするのは時間がかかります。およそ400年前 デカルトという学者は 明晰に考えるための規則を書いた未完の 『精神指導の規則 』という本の中で「1+1=2をまず明白にして、明晰に直感せよ」と言っていますが、ここには、当たり前のものとして疑ってもみないで本当に分かっていると言えますか?疑いえないほどの実感を得るまで問いかけを重ねなさい。そういう教えがあるのではないでしょうか。クリエイティブの目的を自分の中で明らかに認識するには、長い道のりが必要になりそうです。

我々の歩む道は実践の道です、簡単に言うと「作って見せる」ことを続けて行く道です。そして皆さんは本校において、好きなことを元手としてその歩みを専門的に始めました。つくるためのものの見方や見せるための作り方を実技の中から学んできました。課程の後半では集大成に取り組み、ついに一里塚を超えました。感性を対象に寄り添わせ一体化するまで、いわば自分の心が本当に許すまでになるには大変でしたね。そして皆さんは何のための取り組みなのか、その目的を学びました。本当の面白さと言うものはなかなかわかってこないものですが、皆さんは間違いなく相応の手ごたえを感じるところまで歩んできました。その証しが本日の卒業、修了であります。そしてまた、これからの仕事でもこの「何のためか」を認識していかなければなりません。

創造性の発揮は何のためにあるのか、「分かった 実感しました 分かってしまいました」と、本校での学びを経た皆さんにそのような時、真理を悟るような時が訪れることを夢見ております。
これから次のステップへ進むこの若い方達を見守り、支援、連携していただいたご家族、先生方、社会の方々本当にありがとうございました。
彼らがこれより創造性をさらに育み、来るべき社会を作っていくことを期待して式辞といたします。

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「必要な思想 〜選挙年齢の引き下げと初音ミクの一般化〜」長野美専入学式

昨年の入学式の告辞もこのブログにのせたので、ブロガー2年目の春、2回目の告辞アップです。果たして、何回まで続けることができるのでしょう。

卒業式に続き、あらかじめ用意した書状を読むかたちでしたが、その前に一言挨拶を入れて聴いて頂きやすくしました。
 

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学校の近くの桜は、昨年より10日ほど早く咲きました。今年は、木蓮や、こぶし、杏など、一斉に花の季節を迎えました。
今入学式という晴れやかな時を迎え、これから新しく積み重なる日々に、大いなる期待と挑戦の思いを込め、新入学にあたっての告辞を述べます。今日は、考える力のつけ方、我々にふさわしい考え方について聞いていただきます。
 
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2015年の6月に選挙権年齢が18歳まで引き下げが決定され、この夏の参議院選挙から施行されます。我々の将来を定めて行く政治への参加には、投票する者が思想を持つことが必要になります。我々の思想がどのように高められるかが大切になってきます。思想の意味を調べると、「単なる直感の内容に論理的な反省を通して得られた体系的な、思考内容」とされています。では、思考する力はどのように養うことができるのでしょうか。
 
クリエイティブワークでは、思考作業の際、Conceptという言葉がよく使われますが、これは考えられた末に持つことができたしっかりした考え方、を指す言葉です。反対にNotionという言葉があり、これは漠然とした考えを意味していて、NotionからConceptへと考えをまとめていくことが大事な仕事になるのです。ともかくよく考えて、しっかりつくることが求められるのですが、それは、まずよく考えて、次につくるというような段階的なもののように、単純に捉えない方がよいでしょう。むしろ逆に、やってみて分かり、そして考えることができるようになっていくものです。これは、鶏卵論のようなもので、例えば写真制作の場合でも、思ったような絵づくりは簡単ではありません。今、頭の中にイメージしたりんごの映像をそのまま手に入れるには、相当な数の農園や八百屋を巡らなければないでしょう。思ったような写真を撮るには、偶然が数多く重ならないとならないのです。これは奇跡的なことです。実際にそんな現実の中で、果敢に写真を撮ってみて、そうして撮るべき写真を考えられるようになるのです。考えて撮る、撮って考える、これを繰り返して、腕前が上がっていきます。奇跡的な写真がいつでも取れるようになったら、もう完全無欠のプロのカメラマンです。
やってみて考え方が精錬される、このことは心得ておかなければなりません。
よく考て、しっかりつくることを仕事とする我々こそが、身に付けるべき態度でしょう。
 
現在は、経済性が主流の価値観。人が寄りあうと、決まりごとのように景気の話が出ます。豊かさの尺度が金銭価値のみで測られがちな時代です。政府が開く諮問会議でも、即効的な消費の拡大に躍起になるあまり、特典付きの商品券の発売策や、大型連休の際の全国一斉セール策などがあげられています。金銭的な価値観をもって金銭の増大を測る、言わばヘビが己のしっほを食べるような考え方ではないでしょうか。もともと、現代のような高度経済は、人間が人間以外の動物を超えて、道具を使うなどの技術開発で、出来ることを増やして来たことに伴った一つの結果です。この先、2045年に人間のそれを上回ると言われる人工知能、すでにパーソナルロボットのPepperが実生活に登場し、ヴォーカロイドの初音ミクN響とコンサートを競演するなど、驚きの技術開発が進んでいます。そして、これからもこの歩みは止まることはないでしょう。技術が一般化して人の暮らしぶりが上げるには、経済力学が必要になるとしても、経済のための経済になってしまっては、浅はかにも豊かさの意味を見失ってしまいます。
果たして、人間の真の豊かさとはどんなものなのでしょう。それを思考することこそ、今我々は最優先するべきではないでしょうか。もし我々が正しい思想に行き着いたなら、その時、来るべき未来が実現していくでしょう。
本校は「クリエイティブこそ社会形成の要である」と堅く信じ続けています。この信条は、創造性がもたらす豊かさを価値観とすることを表明するものです。我々は、この信条に励まされながら、考えつくり、つくって考え、創造性を磨いていきましょう。きっとその先に我々が持つべき思想があるに違いありません。学びには労苦がつきものです。しかし、その時は目指すべき創造性の獲得という大義を、胸の内に思い出し、進み続けましょう。
 
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