矢とネコ
私なりに見つけた「不思議」にときめく。
「猫」や「迷路」と並んで私の人生に深く関わっているのが「矢」です。
2Dでは止まっているのに、ただ在るだけで人を動かしている。
パソコンで欲しいものをクリックするときに使うカーソルという矢印
ゲームの中のキャラクターが戦うためのアイテムである矢
家の外に出れば車や人を誘導する看板に矢
ペンを握ることができるなら、誰でも手書きできるほど単純な矢。
矢が実際に飛ぶところを見たことがあったかなかったかわからないくらい現代の先進国であろうと
今も矢を使って食べ物を得ている国の人だろうと
矢は進む先を現していること、武器であること、遠くへ誘ってくれること、アイコンになっていることをみんなが知っています。
それが国、という概念がなかったかもしれない頃から、
もはや考古学の世界の頃から在ったことも。
「言葉がいらないくらい、直感的に解ってしまうほどのモノであり、遥か昔から人の生活に息づいていて、この先も流行や発展に関わらずずっと変わらず、替えのきかない存在」にすごく惹かれるんだなと近年わかるようになりました。
教科書に載るほども無いほどにヒトの認識の中に何世紀も浸透しきった「何か」を見つけて描くのが大好きなんだなと感じます。
ものが溢れかえっているのに膨大な取捨選択を繰り返して一人分の命を生きなければならないからこそ「壮大なモノはすぐそばにあるぞ」という事実を掘り起こすことで脳が落ち着けるのかも。
おまけ:
趣味のステッカー集めが高じて、作ってみましたステッカー。2024年もどうぞよろしくお願いします!
思い出とネコ
11月に取り掛かっていたオーダー絵のラフをここに。
みいこさんは人懐っこいわけじゃなく、心を通わせることができた家族だけを愛していたんだろうなと感じています。そういう優しい強さがある子だったんだろうと思っています。上手に笑ったりするタイプでは無いからこその不器用さが、一層沁みる。
みいこさんについて、本当の温度感は暮らしを共にした人にしかわからないことですが、猫を偲んでいる人の気持ちに寄り添っていると、魂のうつわとしての「猫」という関係性を超えた深いつながりに胸が熱くなりましたね。
猫だったから愛した、を超えて
愛したのがそんな猫だった、というつながり。
何処かへ行ってしまえたのに、ずっとどこにも行かなかったこと。
引き止めて囲うこともできたのに、どこにでも行っておいでと送り出せたこと。
猫だったからを超えて、繋がりあって結びつきあえていたからこそでしょう。
人間同士でも、一生でそうは無い出会いとと再スタートに立ち会えたような、稀有なお話を聞かせていただき絵を書かせていただけて、本当に良かったです。
以下はみいこさん。出来上がった日にスマホで撮ったものです。
ご家族の新しいお家のお部屋に飾られるそうです。
何があっても、ずっと一緒にいてくれそうでしょ。
満月と猫
ここ数年・・・満月に関心が出始めて、満月の日は日の入りや月が出る時間を調べて散歩へ行くくとがある。
満月の日は「手放したいもの」を考え祈るといい、満月が少しずつ減って新月になるように、悩みが小さくなっていくように、ということだそうです。
いい考え方だなぁとしみじみ思ったものです。
余分な脂肪と余分な思考を手放せるように祈っています。
先日、ミュージシャン「中山うり」のライブに行きました。
上野駅最寄りのアメ横でも動物園でもない方面の、不思議な下町感ある閑静な場所、オシャレワイルドな観葉植物いっぱいの、ええ趣の場所でした。
この日、開場時間を1時間間違えて、到着がややギリギリになり焦った…日頃は待ち合わせには15分前には着いておきたい私。17時時点でやっと上野駅、気温31℃、焦りと暑さでハラハラ。
Googleマップ、建物が密集した目的地周辺ではフワフワな精度。
あまり土地勘のない上野をセカセカ歩いていたら、人気のない道を猫がタタタ〜っと走ってきたのですよ。
サッと生垣に隠れてしまいましたが、猫を見て焦りが消えて少し和んだ。
和み落ち着いて、猫の来た道の先ををよーく見れば、うっすら灯があり、そこがライブ会場の建物でした。見逃すとこだった…
中山うりさんの歌詞にはよく猫が出てくるけど、ライブ会場にも出没してくれるのか!
僥倖!
助かったのと安堵とで、少し余裕を出したくなり、会場前のブックカフェの軒先に立派な観葉植物があったので何気なく写真を撮ってみた↓
↑この写真撮った瞬間、ちっちゃいネズミがチョロチョロ出てきてビックリ。
ピンポン玉より小さいくらいのネズミ。
猫、そしてネズミ。
生き物に立て続けに出会って、和んだり驚いたりと、なんだかいい夜でした。勿論ライブも最高でした。
4曲目あたりかな?大好きな名曲「青春おじいさん」でした。
最高…
ちなみに:
ライブ帰宅時には見送り?してくれた猫、いや猫さん。
↑スフィンクスポーズでお見送り。
ちょっと声をかけたらフナナ、と鳴いた。スフィンクスポーズのまま。
今度描いてみよう、スフィンクスポーズの猫さんを。
再度ちなみに:
↓青春おじいさん
https://youtu.be/GojxmMi2TvI?si=QZHr7V6i4a7SkwaD
↑アニメーションが土屋萌児さん。エモさが大爆発ですから!!
松とネコ
松は良い。
ここ数年、私がしばしば立ち寄る「旧芝離宮恩賜庭園」には松がいっぱい植っている。幹をよじらせて伸びる松、見応えがある。
それでいて飄々としていて、猫に近い趣があるよ松。
松の良さが沁みる。夏休み中で献立に悩まされながら爆音で遊ぶ娘がピクミンみたいに常についてくる日々だから一層沁みちゃうのかもね。
何故、電話応対中に限ってLEGOを床にぶちまけるのか。
▼おまけ
今年、我が家は松と暮らし始めた。
育てるとか世話してるとかじゃなく、松が勝手に暮らし始めました。
キッカケは昨年度の冬、鎌倉に出かけた際に娘と拾った松ぼっくりから種が出てきたことに遡る。
私は盆栽へ憧れ抱きし者・・・今まで幾度となく挫折してきた松の種からの盆栽づくりをしてみることにした。
小さな栽培カップに種を仕込んで3週間後、1つだけ発芽はした。他は全然しないまま、3ヶ月・・・・何も生えてこない土にずっと水をかけ続けた3ヶ月だった。尚、水をかけ過ぎたらしく1つは年を越したあたりで枯れてしまった。
ダメだったかー、と諦めて何も生えてこなかった栽培カップの土を、ベランダの他の鉢にテキトーにザーッと流しこんどいた。そして・・・
冬の寂しいベランダでまさかの発芽!
鉢の縁に積もった土埃がどんだけほったらかしていたかを物語ってる。水をかけてないどころか真冬の北風が吹き荒ぶベランダだったのに・・・
危うく雑草かと思って引き抜くところだったし、なんなら撮影した時も「松じゃなくて雑草かも」って思ってた。
原作初期のムーミンの尻尾?
このころ、何か肥料を与えたり植え替えたり日当たりを変えた方がいいかもとも思った。
しかし、下手に素人が手をかけたりしたら、トドメになってむしろ即枯らしそうな気がした。
素人が悩んだ末、彼はもう死んだつもりで接することにした。下手な使命感でいらん変化をもたらすよりは現状維持の距離感で見守ることにした。
多肉植物のお隣さんで勝手に生きてる松の子、くらいの距離感で水あげをして、命運を天に丸投げすることに。
その後・・・
鳩よけの針金のアレみたい、すくすく変貌。
脇芽も生えてきているみたいで、たぶん元気らしい。
酷暑の渇いた風に吹かれて飄々としている。
ちなみに、花屋の店先にあるようなミニ盆栽くらいになるまで5年くらいかかるそうだ。
このか細さで越冬するのか…
そんな松がベランダにあると「早くしなきゃなー」って思ってた雑事に対しての気が抜ける。
早く早くともたらす変化より、来たる時期まで委ねる気概もアリだよね、というふうに。
私がおばあちゃんになるころまで、なんやかんやで育っていってほしい。
月桂樹と猫
古代ギリシャの衣服っぽい帯模様と、アポロン由来の月桂樹の輪とで。
月桂樹は、煮込み料理に使う「ローリエ」としての方が日本では馴染みがあるかも。
先々月、ぶらぶら行った古書店で「カレーライス!!大盛り アンソロジー(杉田淳子編)/ちくま文庫」を手に入れ、読んだ。
収録著者それぞれのカレーの思い出や独自センス由来の作り方、時代を感じる出会いやエピソードが書かれた短い随筆ばかりで、堪えきれないほどにカレーが食べたくなる本。何度読み返しても良い本。ちょっとハンドバッグに忍ばせて、出掛け先でちょっと読むのも良い。
スマホの充電を気にする必要がない文庫の良さ。
収録されてる著者みんな超豪華でエッセイ自体が稀有な人も多く楽しい本でしたが
途中パラっと中か出てきて「ああ、中古だから前の持ち主の栞かな」と拾い見たら、カラカラに乾いた葉っぱでした。
前の持ち主はタヌキかキツネだったのかな?なんて笑いつつポイ、と捨てようとした刹那
まさか?と思いよく見たらローリエでした。
そんなうまい話ある?
煮込み料理でお馴染みのローリエを本に、しかもカレーにまつわる文庫本に挟むとか…前の持ち主…上級者すぎる‼︎
面白すぎたのですが、そのまま保管するのもどうかとなり、適当な紙に包んで捨てました。
しかしながら、捨ててしまってしばらくしてから「せめて写真でも撮れば良かった」と後悔。
いつもそう、写真撮り忘れる。
以前雨の日に橋の下に見た、金色で1メートルくらいありそうなくらいの大きさの鯉とか、
だだっ広い鶴見川の河川敷で三味線の練習する男性がいて「珍しいなー」と見てたら男性のとなりに猫座ってた時とか。
私がうまくカメラを向けるタイプだったなら。もっとSNSの鳥の行方にもっと夢中になったりと、エネルギーを外に向けていたでしょうが、もっぱら内側に内側に向かう気楽な日々なのでした。
▼おまけ:収録著者一覧。破茶滅茶に豪華な著者ばかり、読み応えもスルメ度も抜群
収録作品:カレーライス!!大盛り アンソロジー/杉田 淳子 ちくま文庫 - 紙の本:honto本の通販ストア
▼おまけのおまけ:〇〇とネコのお気に入りを飾ってみた。10月の展示会に向けて新作を作ったりリスト再編集したり。最近更新が多いのは、他の仕事が煮詰まっていることと、子供が夏休みであるからです。
子育ての合間に始めたブログなので、原画も仕上がりも更新もみんな小さーーーく、まとまっていたのだが、
小さいなりにまとめてみると、小さいなりにシブイ。
マカロニと猫
暑い日が続いていると、スパイスいっぱいなものや彩の鮮やかなもの、酸味のきいたもの、しょっぱいものが食べたくなる。箱で買ったトマトが冷蔵庫にいるとなんだかホッとする。
ひとくち大に切って塩ニンニクだれで和えた冷やしトマトにする。
パスタはトマト味にしがち。料理がしんどい時は冷凍パスタが頼り。
そして今、やってみたくてしょうがないことがある。
マカロニを針で刺すこと。
ことのキッカケが今年の新年会での会話。人間ドックに行ったhさんの話。
hさん「私、病院で採血した時に、担当してくれたのがベテランぽい方で『血管がすごく良い血管!刺し心地がすごくイイ!』って褒められたんだ。刺し心地ってどんな感じですか?wって聞いたの。そしたらちょっと考えて『…茹でたマカロニみたいな感じかな!』って言われたよー」
という感じで話してくれた。
マカロニ!!!
ベテランの看護師さんが絶賛するほどの血管なんてすごいや!と思う同時に
血管の刺し心地に個性や良し悪しを見いだすくらい採血をしてきたベテラン看護師のベテランぶりにも感心した。
この話を聞いてから「マカロニを針で刺してみたい」という好奇心が湧いた。
マカロニのような柔らかさ、というのは想像できるが、
マカロニを針で刺したような感じ、というのはこう、なんかこうね、絶妙に想像しにくいじゃないか。
ただなんか…悪くはなさそうだな、と漠然と思う。
ものすごく身近であり実現可能のためのハードルが程よく高くないのに
全く未知な触感に出会えるんじゃないか?と思える。
こういう好奇心は大事にしたいものだ、と強引に最もらしく考えたが
茹でたマカロニをキッチンでプスリ…と針でやりながら「健康な血管の感じはこういう感じなのかー」という人間とは。
夫にこのへんの話をしてみたところ「絶対やらなくていいし、やったら現場を写真に撮って『呪術』ってツィートする」と諫めてきた。
たしかに猟奇的だし知見を得る意味でも大した実りがないよなぁ、と思うに留めて…ギリ実行してはいない。
好奇心は猫も殺す、というが
人は9つも命ないからね。
溶岩と猫
「あぶないから、そっち行かないで」って言われると一層やろうとする、という子はいる。
豊かな生活をしている愛され者だと自覚してる子は『まあまあ安全地帯※』でわざわざコロンとなってヒトが抱き起こしてくれるのを待ってみたりする。
※雨の吹き込む窓辺、パーティ料理の支度中のテーブル、荷物の出し入れをする納戸のドアの前など
「抱き起こしてくれないの?」って顔して無防備に寝っ転がっていてまたおかしい。また昔の猫の話。
何はともあれ溶岩が好き。ハワイの活火山のマグマの動画とか延々と見ちゃう。
うねりながら地面に広がっていく、どうにもならない大地の活動に圧倒されながら観る。
何が楽しいとかいうのは言葉にしがたいけど「ええもん見た・・・」って思う。地質学的な知識もないからただ漠然と観てるだけ。
迷路もそうだけど、私はウネウネうねるものが好きなだけかもしれない。
家族には「よくわかんないけど、観たいなら見たらいいんじゃない?」という反応をされる。こういう関係はありがたい。
(なお他には「膨大な数のきのこが成長していくタイムラプス早回し映像」とか「NASAの宇宙ステーションから観測したオーロラの映像」とか世界各地の定点カメラとか観てるよ)
危険なものとか相容れないものを安全地帯から見ているとき、
ぬるま湯のような豊かさを感じる。
おまけ:
▼どこにでもあるような草っ原やトタンのバリケードに浸透していく様子を何度も見てしまう。知らない国の日常、って感じ。
▼こちらで紹介されているドキュメンタリー映画『素晴らしき、きのこの世界』
きのこニョキニョキでタイムラプスとしても面白く、かつ多様な視点を以て菌類と人類の歴史に焦点を当てていて面白い映画でした。