忘れたことと忘れられないこと

高校二年生の時、夏休みが明けるとクラスメイトが一人いなくなっていた。地味な子だった。野暮ったい黒髪に重たい瞼にずんぐりとした体型に、何を取っても冴えない子だった。話すことも大体どこかで聞いたことのあるようなことばかりでぱっとしない。私は彼女にさして興味もなく、特段好きでも嫌いでもなかった。

彼女が学校を去った理由を私はよく知らない。ただなんとなく、春頃からあった彼女とクラスメイトとの間の不和が原因なのだろうなと予想はついた。担任の先生は簡単に病気で、という言葉でまとめていたけどその病気とは彼女のナイーヴさや私やクラスメイトの無神経さが招いた結果だったんじゃないか。予想はできるが、それを確認する術はもうない。

空っぽの机は見慣れた教室に空いた一つの穴のようだった。誰もがちらちらと視線を投げかけ、それでもそれに触れてしまわないよう器用に避けて歩く。穴の空いた教室はいつも通りの体面を守り抜いて、気付けば穴が空いていたことも誰も覚えていなかった。彼女の机がついに教室から消えた時、私は心がざわめくのを感じた。でも教室はざわめかなかった。机が消えるずっと前から彼女はこの教室から消えていたのだ。

私はもう彼女の苗字を思い出せない。彼女の好きなものも、得意なことも、声も、顔さえ怪しい。私の中で彼女はいつまでもあの高校の制服を着て、野暮ったい黒髪で、貼り付けたような笑顔のまま、少しずつ滲み出しながら浮かんでいる。私と彼女は友達でもなんでもなかったのだから、当たり前のことなのかもしれない。それでもわたしはそれがどうしようもなく悲しくて、どうしても気になるのだ。これはもしかしたら薄情な同情からくるものなのかもしれない。でも彼女の存在はその存在を失ったことに起因して、私に深く楔を打ち込んだ。私はきっと彼女のことを生涯忘れないだろう。彼女自身のことを全て忘れてしまったとしても。