日本へいったん帰国
学費が払えなくなったので、1回帰るかこのまま結婚するか迷う時期がありました。
勉強は好きだったので、このまま残って卒業してダブル学位でもいいかななんて思っていましたが、それも結婚すればもっと楽になるのでした。
私の通っていた大学は、(ほかの州もそうなのかもしれませんが)外国人留学生は倍近くの学費を求められます。なので結婚して永住権をもてば、学校へ通うのも楽になるのでしたが、親と話した結果相当怒られ、しぶしぶ帰りました。
その時も彼とたくさん話し合いました。話し合った結果、両親の承諾をきちんともらって、次は結婚しよう、一緒になろう、と二人で決断し、私は日本へ帰ることになりました。
日本へ帰ってすぐに婚約者ビザの申請を始めました。
ですが、アメリカのこのビザの手続きはなんとも時間がかかる。彼はミリタリーでもなんでもない一般人で、私たちは弁護士など雇わず、彼がほとんど書類を片付けてくれて、私は面接の日にちが決まったという連絡を待つまで、またフリーター生活をしなくてはいけませんでした。
これがなんともつらかった。
同級生はとっくに社会人、私はいまだにフリーター。
じゃあ定職につけば?と言われてもやりたいことがない。私がしたいことはアメリカへ行って彼と暮らすこと。仕事なんてどうでもいいはずなのに、いつも劣等感と戦う毎日で、ただでさえ離れて暮らしている彼に八つ当たりもしました。
自己愛が強すぎて、いつも悲劇のヒロインでした。親もさすがにこんな私に参っていました。途中3か月間、本当にただのひきこもりになっていました。
家から1歩も出ず、ご飯もろくに食べない、今思えば軽いうつ状態だったのではないかとも思います。
あんな思いは二度としたくありません。
1年半くらいかかり、やっとビザが下りて何の未練もなく飛んでアメリカへ帰りました。お母さんは泣いていました。本当に大丈夫なのか、心配で心配でたまらない両親をさっさと捨てて私はうきうきとアメリカへ行くことになりました。
"I cannot wait to see you again."
-All the regrets
最初の同居生活
同居生活というものは想像もつかないくらい大変でした。
私は22まで親の元で暮らし、育ちました。
22というと、今の日本はどうでしょうか、ほとんどの人が学生なのでしょうか。
私の身近な友達は短大や専門出身者が多く、すでに社会人O年目という友達もたくさんいました。とっくに立派に一人暮らしや、結婚している友人がゴロゴロいるわけでありました。
私の場合はいきなりアメリカでの他人との同居生活で、それは大変でした。
まず生活に必要な情報が全く理解できない。車のレジスト、銀行口座、病気になったら、事故にあったら、何もかもが英語でしかも聞き取れない、わからない。
これでも私は大学で英文科を卒業、アメリカ言語学専攻、教員免許まで持っていてプライドがまずズタズタでした。
ありがたいことに、彼はすべて助けてくれました。
本当に、なにからなにまで準備してくれ、困ったら必ず助けてくれました。
同居がはじまりだんだん慣れてくると、今度は不満が生まれます。
「土足で家にあがらないでほしい。」
「食べたお皿はすぐ洗ってほしい。」
「掃除機はせめて週に1回かけてほしい。」
よくもまぁこんなことが言えたものです。住まわせてもらっている分際で。
なぜ人は家と外でちがう顔を持ってしまうのでしょうか。
家ではリラックスしたい、家では本当の自分でいたい。
その甘えが家にいる大切な人を傷つけているということになぜ気づかないのか。
どうして大事な人を大事にするという簡単なことができないのか。
最初の同居生活で私はすでにたくさんの間違いをしてしまっていました。
それでも彼はすべて受け入れ、許して、愛してくれました。私も彼のことが大好きでした。そこに嘘はありません。
"I love you no matter what, I will do anything to make you happy."
-All the regrets
はじまり
今回は出会いについて書きます。
出会ったのは21の冬、大学でした。
彼は留学生でそのヘルプで私が紹介され、大学近くのカフェであったのが始まりです。
お互いに一目ぼれでした。
一目ぼれなんてあるわけないと思っていましたが、それはどう説明もできません、起こってしまったのです。
当時私はお付き合いしている彼がいましたが、不満たらたらで、いつ別れようかな、でも別れたって別にいい人いないし一人でもつまんないしな、と、私はいわゆるただ単に恋したいだけの若い浅はかな考えの女でした。
そんな時にであった今の旦那に私は時間をかけることなくほれ込んでいき、あっという間に当時の彼とは別れました。この時の彼には悪いとは思ってもいませんでした。大学卒業間近に控え、彼との将来がまったくみえず、目標もない彼と一緒になるなんてもってのほか、考えることもできませんでした。
今考えると、旦那との出会いは一目ぼれから始まったものの、お話をしていくなかで得るものがたくさんあり、自然と恋に落ちていきました。
外国人なだけに、考え方や文化の違いの話を聞くだけで私は楽しくて、どんどん興味がわき、彼も同じでした。彼と一緒に過ごした大学生活はおよそ8か月ほどでした、彼は留学期間を終え、アメリカへ帰りました。
私も当時まだ21歳、まだまだ世界を見たかったし、彼とお付き合いを続けることにしました。
遠距離恋愛をしながら、大学を卒業し、私は彼もいるからアメリカへ留学しようと考え、定職につきませんでした。もともと留学資金をためていたため、いいチャンスでした。ちなみに私の家族は経済的に貧しく、学費などはすべて自費でした。
半年ほどフリーターをし、渡米、1年ほど大学の授業とESLのクラスをとり、初めて家族以外の人間との同居生活がはじまりました。その時彼はお役所仕事が始まる前の段階、アカデミーに半年ほど入った時期でした。一緒に暮らし、彼は私に部屋や車を与えてくれ、しっかり勉強がんばってね、と心から応援してくれていました。
しかしちょうどタイミングが悪く、学費が2倍になっていて、2年の予定が1年で帰らないとお金が尽きてしまうという状況で、私の同居生活、アメリカでの学校生活が始まりました。
"I felt that i am going to marry this girl " said you.
-All the regrets
はじめまして。
はじめまして。
このブログをするきっかけになったのは、結婚して5年、別居してもうすぐ2年の旦那との関係に身も心も疲れ果ててきた今日この頃、自分を見つめなおそうとしたことです。
同じ状況にいる人、似たような考えの人、これからどうしようと悩んでいる人、夫婦関係を修復したい人、離婚を回避したい人、したい人、そんな人たちがいれば、私のこんんなブログに思う存分どんどんコメントをいただけたらと思っています。
私は現在31歳女性、海外に住み、仕事は副業と本業があり、経済的に問題ありません。
友人宅の一部屋を間借りして、もうすぐ3か月、その前は一人暮らし、ルームメイトも含む2人暮らしもふくめ、別居から3回目の住処が今ここです。
彼も同い年31歳、外国人です。
私が外国に住んでいるので、彼からすれば私が外国人ですが。
彼はお役所勤め、今政府関係の仕事に受かり、準備をすすめています。(というか仕事のほうから連絡が来るのをひたすら待っています。)
彼も現在友人宅に間借りをしています。その前は私と一緒に暮らしていた一軒家に住んでいました。
私が出ていく形での別居でした。
簡単な自己紹介、現況を記して、はじまりのあいさつとさせていただきます。
Wish you were here,
-All the regrets