すべての願望はすでに実現しています

願望実現方法について書いています

叶っているから見え、叶っているから快・安心

 

エゴはいったん「願望はすでに叶っている」を理解・受け入れても、物理的に知覚できないと「現象化していないから叶っていない」と判断してしまいます。

 

目で見たり手で触ったりといった五感で知覚できないので、「叶っていない」という判断を下してしまうのです。

 

こちらの過去記事にも書いたように、

 

allyourwishesarefulfilled.hatenablog.com

 

五感もエゴの領域です。

 

エゴで「叶っていると判断する」or「叶っていないと判断しない」でください

 

と、いつも書いていますが、ここでいう「エゴの判断」は「思考による判断」だけでなく、

 

「五感による判断」も含まれています。つまり、

 

「見えないから叶っていないと判断しない」でください

 

いうことです。

 

見えないから叶っていない 

 

 

叶っているから見える

 

とひっくり返せばいいのです。

 

ただ、三次元+時間の世界に生きている以上、「叶っていない」から「叶っている」と判断を変えた瞬間に五感で知覚できるわけではないのは今までに何度も書いている通りです。

 

でも「叶っている」のですから、然るべきときに見えてきます。

 

 

「思考」「五感」ときたら、次は「感情による判断」の説明です。

 

多くの人は「不快・不安だから叶わない」「快・安心だから叶う」と思っていますが、

 

叶っているから快・安心なのです。

 

ちなみに「叶っていないから不快・不安」なのは当然といえば当然です。「叶っている」のが前提なのに、わざわざそれに背いているのですから。

 

「快・安心だから叶う」は、必ずしもそうではありません。

 

それを確信していれば叶いますが、一方、どんなに快・安心を心がけていても叶わないと嘆く人もいるでしょう。なぜなら、根本で「叶っていない」と判断しているからです。

 

「叶っている」のですから不快・不安を感じるときがあってもいいのです。でも、それで「叶っていない」「叶わない」と判断してしまわないよう注意が必要です。

 

どうせならいつも快・安心を感じているほうがいいのは言わずもがな、です。

 

いつも快・安心であればものの考え方や行動も変わってくるので、単純に毎日を快適に楽しく過ごせる効果があります。

 

まとめますと、

 

叶っているから見えてくるし、叶っているから快適で安心していられるのです。

 

 

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現実に関係なく「叶っている」に従う・現実を見て「叶っている」と判断する

 

「願望はすでに叶っている」のが大前提の真理なのに、なぜ「叶っていない」と判断してしまうのかというと、ほとんどの場合「現実」を判断基準にしているからです。

 

◯◯が手元にないから・目の前にないから叶っていない、今の自分はどう見ても◯◯ではないから叶っていない、といったように。

 

 

そもそも「願望」とはエゴ視点の言葉であって、自分の本体・実体である大きな意識には最初からすべてがあるので、「願望が叶っている」というよりは、正確にはただ「ある」だけです。

 

また、そもそもエゴは「すべてを叶えている自分(=大きな意識)」の一部で、つまりエゴもすべてをすでに叶えているということですから、わざわざ現実を基準に「叶っていない」と判断する必要はないのです。

 

それでもどうしてもエゴが現実に目を向けたいのであれば、視界に入る好ましいものは全部自分のもの、好ましい人は自分だと思うのもいいかもしれません。

 

現実は大きな意識の投影ですから、エゴにとって好ましくないものも自分のもの、好ましくない人も自分だといえますが、そこは都合よく無視しましょう。

 

でも、それもイメージングやアファメーションと同じで、楽しめなければやらなくていいです。また、義務的に行うことでもありません。

 

もっとも、現実というのもただの映像のようなもので、あやふやなものなので、わざわざ他人の所有物を自分のものと見る必要もないし、わざわざ他人を自分だと思う必要もなく、自分は自分の◯◯を持っている、自分は◯◯、としていればいいのです。

 

結局それは大前提に立ち返ることになります。

 

 

エゴが「叶っていない」と判断しようとも「叶っている」と判断しようとも、自分の本体は願望をすでに叶えているという大前提は歴然と存在しています。

 

エゴがその大前提から目を背け、現実だけを見て「叶っていない」と判断すれば、その後ずっと現実は「叶っていない」ままです。

 

大前提である「叶っている」から目を背けたら「叶っている」が見えないのは当然です。

 

対象から目を背けたままその対象を見ようとしてもできませんよね。

 

だからその逆を行えばいいだけで、現実に関係なく「叶っている」大前提に従えばいいですし、

 

現実を無視できないなら現実を見て「叶っている」と判断すればいいのです。

 

 

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