あまかのんの戯言

やりたいことなし、友達少なし、彼女はもちろんなし、そんな私が自分に自己肯定感を持つための模索の日々を綴る

切り替えて英語の勉強をば

今日も悪夢で目が覚めた。中学時代の夢だ。

朝起きて一時間ぐらいは引きずってしまいローテンションだったけれども、そこからは切り替えて自分の好きなことをした。寝ている時はきっと色々な夢を見ていると思うけれど、私が朝起きて覚えている夢はほぼ100%中学時代の悪夢だ。中学時代のトラウマはもう何か手を打つのは手遅れで、だとしたらこうやって悪夢を見てもなるべく短い時間で切り替えていくしかない。きっとこれが折り合いをつける、ということだと思う。

 

夏休み含め残りの学生生活をどう過ごすかは今の所試行錯誤中ですが、遊び慣れていない&それに付き合い続けてくれる友達もいないこともあって、半分は勉強に費やしたいと思っている。今日は英語をやっていた。

履歴書に書けるほどの点数でもないですが、入社しても、その先転職するにしても、もしかしたら想像もつかない進路を選択したとしても、英語が理解できるというのはあって困る力ではない。ただこれぐらいの曖昧なモチベーションだとこれまでの経験上すぐに辞めてしまうのは目に見えていたので、ネットで楽しく学べる方法を調べた。その中で目についたのは映画鑑賞。これならストーリーを楽しみつつ英語を聞き、目についた表現や単語を調べ、shadowingができる。一定の理解度までいかなければ次の作品を見られないというルールを課せばモチベーションも維持できそうだ。

とりあえず私が借りたのはフレンズ。映画ではないけれど、おすすめによく挙げられていたのでとりあえず。1話20分くらいで終わるので一日1話目標で取り組みたい。

THE IDOLM@STER 9th @インデックス大阪2日目に行ってきました

行けて良かったです、本当に。

正直ライブが始まるまではそこまでテンションが高かった訳ではありませんでした。

家に引き籠っていたときは音楽自体を聞くことができなくなっていましたし、回復した今もアニソンはあまり聞いていません。うまく言えないのですが、聞いていると物凄くしんどくなるのです。だからそこまで楽しみでもなかった。

ただ、就活をしていたちょっと前まではずっと聞いていました。何か辛いことがある、でも逃げるわけにもいかない、そんな状態の時にいつも聞いていた気がします。ファイティングポーズすらとることを辞めた最近の私には、アイマスの楽曲は真っ直ぐ過ぎて耳が痛かったのかもしれません。

 

でもいざ行ってみると、すぐに夢中になっていました。行くまでにごちゃごちゃ考えていたことなんてすぐに忘れて見よう見まねでサイリウムを振り、コールを合わせる。生で見た声優さん達は、全員綺麗で可愛いく、何よりカッコイイ。特に今井麻美さんは凄かったです。彼女の如月千早というキャラへのリスペクトとプロ意識を感じました。歌声だけで人を魅了できる、数少ないアーティストの一人でしょう。言葉では言い表せませんが、とにかく私の琴線はぐしゃぐしゃに掻き乱されたのです。

 

キャストの方々の必死のパフォーマンスはもちろん、思い思いの服装を着てきた人、痛チャリで来ている人、名刺交換をしている人など、夢中で何かに取り組む姿、楽しむ姿は本当に良い。不思議と不快ではないあの熱い熱気を自分の中にも取り込みたい。

夢と眠りの深さと私

今日はなかなか寝付けずかつ睡眠時間も短く、夢を見ました。夢を見る=眠りが浅いと思っていましたが、ブログをいくつか見ても意見がいろいろあってどうにも正しいのか間違っているのか分かりませんでした。wikipediaによれば、

 

メカニズムについては不明確な部分が多く、研究対象となっている。 例えば、夢は浅い眠りに陥るレム睡眠中に見るとされ、一般的にはノンレム睡眠時は発現されないと考えられていた。しかし、ノンレム睡眠時にも夢を見ると考える研究者も多く、そうした研究も続けられている[10]

寝ながら見る夢では、その人の普段は抑圧されて意識していない願望などが如実に現れるケースも多いとされる。ただ、それらは誇張されていることも多く、結果的に現実としては不可解な現象で表現されることが多い。*1

 

ということらしいです。これを見る限り夢と眠りの深さ、夢と深層意識との関係については解明されていないことが多く、あまり深く考えない方が良いのかもしれません。…特に見た夢があまり楽しくない夢の場合は。

ネガティブの負の連鎖にどっぽり浸かって生きてきた私が過去の経験についての夢について考え込んでも、良い気分にはなれません。かといって過去をなかったことにして無理矢理前向きになるのも何か違う気がしますし、何よりしんどいです。極端な考え方に捉われることなく折り合いをつける…言葉にするのは簡単ですが実際にするのは難しい。

今日は友人と久しぶりに体を動かす予定で、頭を使わない時間が長くなると思います。出かける前に、あまり意気込まずにのんびりと「いやな気分よさようなら」を読んでから出かけようかな。

ちなみに昨日やりたいと思っていたことはすべて実行しました、やったぜ。

 

 

今が一番楽しいはずなのに…

私の現状は内々定を頂いていて、単位こそ残っていているもののいわゆる「一番楽しい時期」。ただ私がその「一番楽しい時期」に何をしていたかといえば2か月何をするでもなく引きこもり、テストはボロボロで後期は登校しないと卒業が危うい。ようやく回復期に入ったものの特にしたいこともなく2chのまとめとスポーツニュースと他の人のブログを読み漁る日々。

こう改めて現状を記してみても将来への不安が増してくる。「一番楽しい時期」にこの生活なら、社会人になったらどうなってしまうのか。仕事もやりたい仕事に就くわけでもないし、生き甲斐もない。やがて数少ない友人とは疎遠になりその人たちのことを友人とは思えなくなり、中年になった頃には親が死んだら天涯孤独になって、誰にも発見されずに孤独死。ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

……別に私がこれで良いと思えればどんな生活だろうと構わないし、不安に思いつつこうした生活を送っているということは、裏返せば私は今はこのままで良いと思っているのかもしれない。ただ、これから今までの自分がしてきた自縄自縛の不毛な経験という荷物がどんどん重くなって、この薄っぺらな充実感のない生活が押しつぶされてしまうんじゃないのか。そうしたらもう悩むことすら止めてただただ自分の心臓を動かすためだけに生きることになるんじゃないのか、と怯えている。そんなのは生きながら死んでいるのと同じだ。現に私は久しぶりに誰かに会うと、最初に言われる言葉は決まって「顔死んでるね」である。

 

「いやな気分よさようなら」の第3章、「自分の感情を理解する」まで読んだ。そこから考えるなら、私の上記のような認知自体が歪んで誤っているといえる。今までの経験からその状態が一生続くと考えてしまうのだ。たぶんその誤った認知は年月を重ねれば重ねるほど固まっていって、どうしようもなくなる。そういった意味では、私は今の認知に疑問を持ち抗おうとしているという一点においてはまだ私自身が知らない、歪みが和らいだ認知を見つけられる可能性が残されている。第3章の部分の解説を何度も読んで、今自分が細やかながらやりたいと思うことをやりたい。今日はとある宿題を済ませるのと部屋の掃除と友人への電話かな。

LINE乗っ取り詐欺にあいました(笑)

LINE乗っ取り詐欺にあい、ituneカード4万円分を盗られました。今思い返せば不審なやりとりばかりでしたが、信頼していた友人からだったので本当に困っているんだなと思い、せっせとコンビニにいってLINEでカードの画像を送ってしまいました…その後つたない日本語でさらに6万円要求されたため、さすがに不審に思い友人に電話したところ、「なんのこと?俺今LINE乗っ取られてる」と言われ、そのときようやく詐欺だと気付きました。

ネットで検索してみると1,2月前から結構記事が出ていたみたいで、ちょうど私が引き籠っていた期間と重なります(笑)社会に関心が無さすぎるのは良くないですね。流行の去った詐欺に今更遭い、浦島太郎の気分です。

 

認知療法で考え方を変える!と意気込んでいた矢先にこんなことになってかなり出鼻をくじかれましたが、ここまで馬鹿馬鹿しい手法の詐欺に遭うと一周廻って笑い話のネタにでもしようかなという心境に今はなっています。一応被害届は出しましたが、お金に関しては期待していません。とりあえず犯人は捕まってほしいです。皆さんも不審に思うメッセージがあれば、とりあえず本人に電話して生の声を聞いた方が良いですよ。

いやな気分よ、さようなら

 

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

 

ここ1~2月ほど抑うつ気分が続いていて、いろいろなことができなくなっていた。

部屋には一杯になったゴミ袋が残り、食器は汚れたままで、床にはゴミやら本やらが散乱していて、最後にいつ掃除機をかけたのか記憶にない。

そんな生活環境の中でも5月頃は自分が好きな読書、マンガ、アニメ、プロ野球…といった暇つぶしはしていて、それなりに退廃的な一人暮らしを楽しんでいたのだけれど、それもできなくなっていた。ベッドで横になっていることが多くなり、外に出るのはスーパーに行くときぐらい、という社会的ひきこもり状態。

ただここに来てあまりの退屈さに飽きたのか、少しだけ精神状態が戻ってきた。こうして文章を打つ気力があるのがその証拠。別に将来への不安が払拭されたわけでも、人間関係が発展したわけでもないし、部屋は相変わらず汚いままである。ただほんの少し気持ちが上向いた、というだけだ。

私は昔から自己肯定感がまるでなく、メンタルも弱かった。だから1つの失敗を引きずり、長く落ち込むことが多い。何度も短いポジティブ期と永遠にも感じるような長いネガティブ期を繰り返して生きてきた。だけれどもこんなことを繰り返していては、永遠にこの憂うつな蟻地獄からは抜け出せそうもない。このまま何もしなかったらきっとこのポジティブ期もすぐに終わる。だからそれを断ち切るために、1つ手を打つことにした。その手とは「認知療法」である。

認知療法」とは自分の物事に対する考え方を変えるもの、らしい。ここ数か月ネットのうつ病診断を繰り返して自分のうつ度合を確認する度に精神科に行ってみようかと繰り返し悩んでいた。けれど、ネットで心の病に悩む人々の事例を読む限り、私はそこまで重症ではないと自己判断し、とりあえずは自分で自分の考え方を変える努力をしてみることにした。タイトルの「いやな気分よ、さようなら」は認知療法のために私が購入した本である。この本をゆっくり読みながら自分のことを見つめ直し、少しずつ柔軟な考え方を持てるようにしたいと思う。