匿名希望の日記帳

自分を見つめ直したりする場

給料日が延期。フリーランスがクライアントに物申した日の話

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どうも、自分に甘々に生きたい人間、あま子です。

私はフリーランスとして仕事をしていますが、先日クライアントとの間でひと悶着ありましてですね…。

何があったかというと、「今月分の報酬を来月分の支払いにさせてほしい」ということを言われたのです。

の、納品した後に、そ…そんなことある…?
となり、しかもこれは今回が初めてのことではなかったので、さすがの私も黙ってはいられませんでした…。

 

 

二度目の給料日延期

給料日延期…というか、
「今月分の予算がなくなったので、来月の納品分とさせていただき、給与の支払いは再来月とさせてください」
とのこと。

そんなことがまかり通るわけがなかろうて…(^-^)

しかもこれ、先述の通り初めてのことではなく、二度目です。
さすがに相手の会社の経済状況が心配になります…。

 

さすがに私も物申す

一度目の給料日延期は何も言わずに受け入れましたが、さすがにこんなことが続くのは会社としてどうなのか、と思い、物申しメールを送りました。

こちらも収入の想定をして、毎月の仕事のスケジュールを組んでいる。

今後もこのようなことが続くのであれば、貴社とのお取引は今回で最後にしたい。

というような内容のメールを送りました。

こちらも収入の想定をして仕事をしているというのに、一生懸命仕事をして納品しても、今月分の仕事としてみなしてもらえないのであれば、頑張って今月納品した意味がありませんから…。

また、少々キツイ言い方になりますが、今月分の報酬として支払われないのであれば、今月分の仕事としてスケジュールに入れた時間が、はっきり言って無駄です…。

ちなみに、お相手の企業とはもう1年以上の付き合いになりますが、報酬アップの交渉も二度かわされ、モチベーションが下がっている時の出来事だったので「もうやめさせてくれ」とまで言っております。

 

結局、給料日は延期されたままだけど…

そのようなメールを送った結果、どうなったかというと結局、給料日は延期されたままです。

そして、相手側から問題解決のための提案をいただき、今もなお案件継続中です。

そもそも、「給料日の延期」と聞けば、「あ~…まあ、来月分に回るだけで、報酬は支払われるんだからいいか」と思えるかもしれませんが、今月分の給与が来月分に回されるって、ちょっとした給与未払いじゃないですか…。

というか、「今月分の予算がないから」と給与を支払えない会社が、来月きちんと給与を支払える保証はどこにもないわけで…。

継続案件の辞め時を考えさせられますね…。

 

今回の学び

結局、給料日は延期されたままで私が望む結果にはなりませんでしたが、「おかしいことは、おかしいと言う」経験ができました。

そもそも、1回目の給料日延期を何も言わずに受け入れ、単価アップもされなくても関係を継続してしまっている私にも、非はあるのかなと思います。

結局、自分が過去にしてきたことが今の自分の価値をつくっているわけで。

「この人は、このくらいの扱いでいい」と思われるような言動を、自分がしてきたのだと反省したいと思います。

「意見を言う」ことは、私にとってかなりハードルの高いことでしたが、今回はっきりと伝えたことで、少し成長できた気もします。
こうやって少しずつ、「相手にとって都合のいい、いい子ちゃん」を抜け出していけたらいいなぁと思います。

 

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「家事は私の仕事」は私の思い込み!友人夫婦が教えてくれたこと

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どうも、自分に甘々に生きたい人間、あま子です。

今年の夏の話になりますが、とある友人と話していて、家事分担について衝撃を受けた経験をまとめたいと思います。

家事分担でパートナーと揉めている方や、「家事は自分の仕事なんじゃい!」と自分に厳しすぎる方へ届いたら嬉しいです。

 

家事の分担、どうしてる?

家事の分担って、人によってはいつまでも中々解決できない課題なのではないでしょうか。

彼氏と同棲中の友人カップルも家事の分担で揉めていた(というよりも彼女が怒っていた)し、私たち夫婦も同棲し始めはよく家事のことで揉めていました。

現在は私が「○○しなくちゃ」思考を手放したおかげで、揉めることはなくなりましたが…。笑

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家事の折半は難しい?

結局、両方が働いていると正確な意味での家事の折半って難しいと思うのです。

「できる方ができることをやる」だと、職種や勤務形態によっては

「いつも私ばかりが洗濯物をかき集めて干して取り込んで、相手は畳んでいるだけ!」
「私は買い物から晩ご飯の準備をして、ご飯をつくってお皿を下げているのに、相手は食器を洗うだけ」

みたいな…(泥沼)

もちろん、相手も家事をしてくれていることに変わりはないのに、「なんか、相手の方が楽な家事してね?」とかなるわけです。(泥沼)

 

「家事は自分の分だけ」と言っていた友人夫婦の話

とまあ、そんな感じでよく揉めていた同棲初期の私が、ある友人と話していて衝撃を受けた経験があります。

その友人もフリーランスで旦那さんと暮らしていますが、お互いに家事は自分の分だけする、という暮らし方らしいのです。

そんなこととも露知らず、自分の洗濯物だけ洗濯している彼女に、「旦那さんの分もついでにしたらいいのに」というと、

「それは私の仕事じゃないから」

と。
かなり衝撃でした。

「そんなのアリなんだ!!!」と、目から鱗が落ちるとはまさにこのこと。

 

自分が勝手に「私の仕事」だと思っていただけ

「それは私の仕事じゃないから」という友人の言葉を聞いた時、私はハッとしました。

そもそも家事は、私の仕事じゃない!!

と。

分担しても、「できることをできる時にやる」というスタンスなので、夫が会社の日は私が結局やっていました。

それは、「在宅で仕事をしている私の方が、家にいる時間が長いんだから家事をして当たり前」という意識で、無意識のうちに生きていたからです。

でもそれは、夫に「家事やっといて~」と言われたからしていたわけではありません。

私が勝手に、家事を私の仕事だと思い込んでやっていただけだったのです。

 

友人夫婦の話を聞いて、変わったこと

そんなわけで「家事は私の仕事じゃない」と気が付けた私。
でも、友人の言葉がもたらした一番大きな変化といえば、「家事は私の仕事じゃない」と気づけたことで、「相手の仕事でもない」という思考になったことです。

今までの私なら、疲れていようが「家事は私の仕事」だと思って家事に取り組んでいることでしょう。

そして、「自分の仕事」だという認識を持っていると、「その他のこれらは相手の仕事」だと認識してしまい、仕事をしない相手に対して腹が立つという悪循環に陥るわけです。

これも立派な「○○しなくちゃ」思考ですね。

そんな私の思考を変えるきっかけになった友人の言葉…。
「それは私の仕事じゃないから」というシンプルな言葉が、今日も私を支えてくれています。

友人よ、ありがとう!

 

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どれだけ正論でも、言い方を間違えればそれは正論になれない

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どうも、自分に甘々に生きたい人間、あま子です。

じつは先日、義父と夫が結婚式のことで喧嘩をしまして。
いや、まあ喧嘩と言っても義父に電話越しに終始怒鳴られて終わっただけで、こちらが言い返して言い合いになったというわけではありません。

が、その光景を見ていて、私自身色々と思うところがあるので、まとめていきたいと思います。

ことの発端

そもそも、ことの発端は私たち夫婦が、結婚式に呼ぶゲストのことでコロコロ話を変えてしまったこと、そして、ゲスト変更の相談をメールで行ったことのようです。

元々は友人を呼んで、30人ほどの式及び披露宴をしたいと考えておりましたが、世間の状況と義両親の意見もあり、親族のみで挙式・食事会を行うということで、話が一旦まとまっていました。

が、諸事情により「やはり友人も呼びたい」となり、招待状を出す前だったのでまだ間に合うかと思い、夫が義父にメールで相談したところ、その日の夜に電話がかかってきて、「話をコロコロ変えるんじゃない!」と怒られたというわけです。

 

義父の熱量に置いてけぼりの私たち夫婦

夫のスマホでスピーカー通話をしていたのですが、とにかく義父の圧が凄い、凄い…。

詳しい内容は伏せますが、とにかく同じ内容のことを何度も大きな声と荒い口調で言われましたね…。

夫が話そうとしても義父が声をかぶせてきて、こちらの話などほとんど聞いてもらえませんでした。
寧ろこちらが話せば、向こうはさらに熱くなり反論してきてヒートアップ…。

最終的にはいきなり電話を切られて終了し、その後に夫が義母に電話をしてくれましたが、解決したのかしていないのかわからない状態です。

 

義家族にとっては、見慣れた光景?

夫曰く、「父親は昔からあんな感じ」「自分の思い通りにさせたい人」とのこと。
また、義父との電話中に義母は側にいたにも拘らず、あんな状態の義父を止めなかったことを考えると、義家族にとって今回の様子はそう珍しいことではないのかもしれない、と思いました。

ですが、私はよその家庭で育てられた外部の人間なので、今回の件はかなりショッキングな出来事でした。

あんなふうに感情的になる大人を私は今まで見たことがないし、自分の父親とは違い過ぎて、理解に苦しむというのが本音です。

 

怒鳴り散らす義父を見て感じたこと

こちらの言い分を聞いてもらえず、感情に任せて言いたいことを言いたいように言う義父を見て、まず初めに感じたのが、「こんな大人がいるのか」ということでした。
それは批判しているわけではなく、純粋に「驚き」や「発見」という感情に近いです。

次に感じたのが、「なぜ、こんな言い方ができるんだろう?」ということです。

義父は何かと、私に対して「もう家族になったんだから」と言ってきます。

家族だからこういう言い方をするのか?
家族なら、こういう言い方をしてもいいのか?
だとしたら、家族という言葉をいいように利用しているだけではないか。

そもそも、こう言ってしまってはドライかもしれませんが、形上家族になっただけで信頼関係などまだまだ築けていない段階です。

そんな段階にいる、ちょっと前まで別の家で暮らしていた他人の前であのような言動をするのは、少々配慮に欠けるのでは、と正直思います…。

 

言い方を間違えれば、それは正論になれない

勿論、義父の言い分の中には納得のいかない部分もありましたが、正論もありました。
全ての言動を否定するわけではありませんが、今回の件を通して学んだことがあります。

それは、「どれだけ正論でも、言い方を間違えればそれは正論になれない」ということ。

義父の態度に愛情を感じられるはずもなく、一方的に荒い口調で怒鳴り散らされたのでは、こちらも理解や反省より先に怒りが湧いてきて当然です。

余程、私たちが義父の怒りを買う行動をしてしまったのか、
こういう言い方をして従わせたいだけなのか、
こういう言い方しかできないのか…
それはわかりませんが、自分の気持ちや考えを冷静に言語化して相手に伝えるということの大切さを改めて実感しました。

正しいことを言っているからこそ、適切な言い方で伝える…。
難しいことですが、人として忘れてはならない意識だと、自分自身痛感しました。

言い方って本当に大事です。

「○○しなくちゃ」思考をやめたら、心に余裕ができた

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どうも、自分に甘々に生きたい人間、あま子です。

私はつい最近まで、「○○しなくちゃ」思考で生きておりました。
「時間は守らなくちゃ」とか、「私の仕事はどれだけしんどくても全うしなくちゃ」…等、とにかく自分に厳しい人間でした。

その思考で生きていると、心の余裕がなくなり、身近な人にイライラしてしまうこともしばしば…。

というわけで、思い切って「○○しなくちゃ」思考をやめてみました。

 

 

「○○しなくちゃ」という思考癖が強かった私

私は意外と真面目人間で、人生において「○○しなくちゃ」という「しなくちゃ思考」が染みついていました。

「時間は守らないといけない」、「自分の仕事はどれだけ苦しくても全うしなくては」…等、じつは結構な完璧主義者だったと思うのです。

例えば、夫と家事を分担すると決めたなら、どれだけ忙しくても、どれだけ体調が悪くても、私の担当分はしなくちゃいけない、等。

家事以外でも同じで、仕事でも趣味でも、常に「私が決めたんでしょ?」「私がやるべきことでしょ?」と頭の中で言いながら生きていました。

 

「○○しなくちゃ思考」による悪影響

そんな思考で生きていると、心に余裕がなくなりましたね…(笑)

そりゃあそうです。

「私は体調が悪くても忙しくても、自分がやるべきことはやっている」
「私はきちんと時間を守っている」
「きちんと有言実行している」

というふうに、「私はちゃんとしているんだぞ!」という意識でいるので、身近にいる人間にも同じように生きることを求めてしまうんです。

その結果、時間を守らない友人に内心イライラしてしまったり、疲れたからとのんびりしている夫に不満を募らせていたわけです。

 

「○○しなくちゃ」をやめてみた

そんなふうに身近な人、ましてや夫や友人、家族等の好きな人に対してイライラすることは私自身も苦しく、また一緒にいる人にとっても不幸でしかないので、ある日ふと「私もマイペースに生きてみようかな」と思ったんです。

「家事なんて、1日くらいやらなくたって大丈夫」
「今日は友達と会う日だけど、集合時間ギリギリの電車で行こう。ちょっとくらい遅れてもOK」
「今日の晩ご飯の準備は、夫にお願いしてみよう」

というふうに、「家事をしなくちゃ」とか「時間を守らなくちゃ」という思考を捨てて行動してみました。

 

「○○しなくちゃ」をやめたら、心に余裕ができた

その結果どうなったかというと、めちゃめちゃ心に余裕ができました。

まず、私的視点から見た「ちゃんとできていない他人」を見てもイライラしなくなり、相手に対して寛大になれましたね。
「そういうこともあるよね」みたいな。

そうなれたのは、「○○しなくちゃ」思考から、「お互い様」思考に変わったからです。

例えば「時間にルーズなのはお互い様」という感じで、ある意味相手に合わせるというか…。
私が他人を見てイライラしていたことを自分もやることで、相手を責められないようにしたんです。

そうしたことで、「べつに時間って守れなくてもいいんだ」とか、「家事って1日くらいやらなくても平気なんだ」と気づけたのです。
私が今まで「絶対に守らなくてはダメ」、「やらなくてはダメ」と思い込んでいたことって、案外やらなくても平気だし、何ならやめた方が心に余裕ができるということを知りました。

 

まとめ

元々完璧主義な人が、いきなり「○○しなくちゃ」をやめて生きてみるのは中々難しいかもしれません。

勿論、無理に完璧主義の思考を変える必要はないんです。
(完璧主義も素晴らしいと思う!)

私の場合は、その完璧主義の思考、「○○しなくちゃ」というスタンスで生きていくことがつらくなったので、やめてみただけです。

案外、ちゃんとやらなくても誰からも怒られないし、生活はいつも通り回ります。

もし過去の私のように、「○○しなくちゃ」思考で自分も周りの人たちも苦しめているのなら、思い切って「○○しなくちゃ」をやめてみてください。

しなくちゃいけないことなんて、たぶんありませんから(^o^)

結婚したい!と思えた相手と3年付き合い、別れてみてわかったこと

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どうも、自分に甘々に生きたい人間、あま子です。

さて、皆さん…「結婚したい」と思えた相手と出会ったことはありますか?
私は大学時代、「結婚したい!」と思える相手と出会ったことがあります。
そしてその人とはあっさり交際がスタートし、お付き合いの中でお互いが「この人と結婚するんだろうな」と思っており、実際に結婚の話も出ていました。

でも、じゃあその人と結婚したかと聞かれると、していません。

3年お付き合いをしましたが、私の方から別れを告げました。

大学時代の3年間を一緒に過ごした相手との別れを選ぶことは簡単ではありませんでしたが、「結婚したい!」と思えた相手と別れてみてわかったことがあります。

今回はそのお話をしていけたらと思いますので、当時の私のように「長年付き合った相手と別れたいけど、別れる勇気が出ない人」へこの記事が届けばいいなと思います。

 

 

結婚したい!と思えた相手について

大学時代、その彼は「好き」よりも先に「この人と結婚したい!」と思える相手でした。
いわゆる、「ビビッと来た」という感じです。

表裏がなくて面白くて、私のことを大切にしてくれて、私の夢も応援してくれる…。「この人となら、大丈夫」と思える安心感があり、頼りになる人でした。

「この人は結婚相手に最高だ!!」と思える彼と別れたのは、お互いが大学を卒業し、就職後に私が地元に帰り遠距離になってからでした。

交際期間は約3年。

こう聞くと、「あ~遠距離になって、気持ちが冷めちゃったのね」と思われてしまうかもしれませんが、じつを言うと私の気持ちは、大学卒業前に冷めていたのです。

 

結婚したい!と思えた相手と別れてわかったこと

そして大学を卒業した年の秋頃に、私から別れを告げました。
「結婚したい!」と思えた相手との別れは中々勇気のいる決断だったので、大学卒業前から冷めていたにも拘らず、別れを告げるまでかなりの時間がかかりました。

でも実際に別れてみて、わかったことがあります。
それは、

  • 「ビビッと来た」という感覚に囚われなくてもいい
  • 自分に正直になって、別れて良かった
  • 別れを選んで幸せになるのは、相手も同じ

ということです。

 

『ビビッ』という感覚に囚われなくていい

そもそも私が中々別れを選択できずにいたのは、「長年付き合ったから」という理由も勿論ありましたが、何よりも「この人と結婚したい」と思えた自分の感覚を信じたかったからです。

今までの出会いでそんなふうに思えることがなく、「あーついに私も出会っちゃったか~(能天気)」という感じで、「この人こそが運命の相手だ!」と信じきっていました。

だからこそ別れを選択できませんでしたが、やはり冷めた気持ちはどうにもならず、「このまま付き合っていては、お互いにとってよくない」と別れることにしました。

「この人と結婚したい」と思えた自分の感覚を信じたかったから…これが私が交際を長引かせた一番の理由でしたが、今になって思えば、「そんな感覚に縛られる必要は全くない」と断言できます。

その時に感じた直感は本当の気持ちかもしれませんが、人は変わります。
変わってしまったら、当時の直感は今の自分に当てはまらなくなって当たり前なんです。
だからこそ、いつまでも過去の直感に囚われるのはやめましょう。

 

あの時、自分に正直になって別れて良かった

実際に別れてみてどうだったかというと、結論としては「別れて良かった」です。

私は当時、彼に対して全くと言っていいほど時間を使いませんでした。
LINEもかなり返信ペースを落とし、遠距離になってからは私から会おうともせずで、かなりずさんな対応だったと思います。(勿論、会ってもスキンシップなんてなし)

それは「そうしよう」と思ってしたわけではなく、冷めていたから「そうするしかできなかった」んです。

でも、次の項目でも触れますが、こんな状態だったからこそ別れて良かったんですよね。

あの時別れたからこそ、私はまた大好きな人に巡り会えて後悔のない結婚ができたし、彼も自分のことを大切にしてくれない女とは縁を切ることができたのですから。

 

別れを選んで幸せになるのは、相手も同じ

「長年付き合った彼と、冷めたから別れる」。
これだけ聞くと、なんて自分勝手な女なんだろうと思いますが、そうすることで彼も幸せになれるんです。

だって、もう自分のことを大切にしてくれない女とは縁を切ることができて、自由になれたんですから。

別れを選べない理由の中に、「私だけ幸せになるみたいで、相手がかわいそう」とか「申し訳ない」とか思う方もいるかもしれませんが、心配せずとも、別れることで相手も必ず幸せになります。

そして、その幸せを共有するのはあなたではなく、新しく出会う相手なんです。

人によって別れを選べない理由は様々かと思いますが、別れを選ぶことは自分勝手な選択ではなく、自分も相手も幸せになれる選択肢だということを忘れないでください。

 

最後に

というわけで、「結婚したい!と思えた相手と3年付き合い、別れてみてわかったこと」についてまとめてみました。

一番の結論としては、別れて良かったです。
そして、あの時の「この人だ!」という直感に縛られ続けなくて本当に良かったと、別れて4年経った今、改めて思います。

「長年の仲だから」とか、「この人と別れたら、次がないかもしれないから」、「もう好きではないけど、こんなに自分を大切にしてくれる人はいないかもしれないから」と情に流されるのではなく、自分のためにも相手のためにも、悔いのない決断をしてほしいなと思います。

あの時、片思いの彼と復縁できなくてよかったと思う

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どうも、自分に甘々に生きたい人間、あま子です。

さて、今回は私の過去の恋愛についてお話したいと思います。

私は過去に、復縁したいと思っていた片思いの相手がいました。
でも結局その人とは一度疎遠になったまま、再びご縁が繋がることはありませんでした。

「復縁したい」と思っていた時は、「なぜ復縁できないんだろう」「復縁したいのに!」と強く思っていましたが、今となっては「復縁できなくてよかった」と思います。

そう思えるのは、あることに気がついたからです。

「復縁したくて、復縁のことしか考えられていなかった過去の私」へ届けたい言葉を詰め込みました。

「復縁したい」と思い詰めている人が、一度立ち止まって違う見方をするきっかけになれたら嬉しいです。

 

 

復縁したかった彼の話

冒頭でもチラッと書きましたが、復縁したかった彼は恋人ではなく、完全なる片思いの相手でした。

職場で出会い、連絡先を交換後、やりとりを続けるも私の距離の縮め方が下手過ぎたのか、疎遠になりました(笑)

そんな感じで、一度も遊びに行くことなく不完全燃焼という形で終わってしまったため、中々諦められずにいました。

また仲良くなりたくて仕方なかったんです。

 

叶わない現実の中で気づいたこと

でも、「彼と復縁したい」という気持ちとは裏腹に、段々「本当に彼と復縁したいの?また仲良くなりたいの?」と考えることが増えました。

「新しい恋じゃダメなのか?」と。

確かに彼のことは好きだし、また仲良くなりたいとは思っている。
でも彼に対して不満があったことも事実で、どうしても彼がいいかと聞かれると、そんなこともないかもしれない。

そんなことを自問自答していると、私は「復縁したいだけ」で、彼とまた恋愛したいわけではなかったと気がついたのです。

 

自分の本当の願いは復縁じゃなくて…

私は復縁に執着していただけで、「私の本当の願いは、復縁じゃない」ということに気がついた時は、衝撃でした。

私は復縁に執着していただけ…つまり、ゴールが「その彼と幸せな恋愛をすること」ではなく、「復縁を叶えること」になっていたんですね。

では、私の本当の願いは一体何だったのか?

私が本当に叶えたかった願いは、「好きな人からめちゃめちゃ愛されたい」、「素敵なパートナーと最高の関係を築きたい」…という、「彼じゃなくてもいいから、幸せな恋愛をすること」だったのです。

だから、もはや彼との恋愛を叶えるとか、そんなことはどうでも良くなっていたことに気がついたのです。

 

あの時、片思いの彼と復縁できなくてよかったと思う

復縁したいという強い気持ちがあったからこそ、自分の本当の願いに気がつけたのだと思います。

私が叶えたかったのは彼との復縁ではなく、「彼じゃなくてもいいから、幸せな恋愛をすること」だったわけで、もし彼との復縁が叶っていても、恐らく幸せな恋愛にはなっていなかったと思います。

なぜなら、私の意識が「彼との幸せな恋愛」ではなくて「復縁を叶えること」に向いていたからです。
先ほどもチラッと書きましたが、彼に対して不満もありました。
彼と関わる中で、不安に思うことがあったことも事実です。

だから、私の意識が「復縁を叶えること」に向いていた状態で復縁できていても、私は復縁を達成できたのでお付き合いがどうでもよくなっていたかもしれないし、無視していた彼の嫌なところをまた目の当たりにして、結局幸せな恋愛はできていなかったと思うのです。
(それは彼のせいではなく、「復縁」をゴールに設定して彼の幸せを考えていなかった私の責任です)

ちなみに、私の本当の願いに気づき、意識が一気に「彼との復縁」から「幸せな恋愛」へ変わると私の現実にも大きな変化が訪れました。

約2年もその彼と復縁したいと思っていたにも拘らず、復縁に対しての執着心がポロっとなくなり、数か月後には新しいパートナーとお付き合い…。
そして1年後には婚約、結婚とスルスルスル~っと現実が動き出しました。

叶えたかったのは復縁ではなく「幸せな恋愛」で、そこが叶ったので、結局あの時の復縁は叶わなくてよかったんだ、と今なら言えます。

もし今、復縁が叶わなくて辛い、という方がいらっしゃいましたら、それは叶わなくていいことなのかもしれませんよ。

「私、会社員向いてないわ」会社員でいることを諦めた時の話

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どうも、自分に甘々に生きたい人間、あま子です。
皆さん、自分のこと甘やかしていますかー!

今回は、会社員でいることを諦めた時の話をしていきたいと思います。

私は過去に、「自分は会社員に向いていない」と薄々感じながら、「会社員でいないと」「就職しないと」と、そこに縛られて苦しんでいた時期がありました。

そんなある時、ふと「自分に就職は向いていない」と認めることができたので、その時の経験をお伝えしたいと思います。

「自分にその道は合っていない」とわかっていながら、まだその道にこだわろうとして苦しんでいる人へ、何か響くものがあれば幸いです。

 

 

会社員でいることを諦めた時の話

会社員でいることを諦めたのは、前職で体を壊して退職後、転職活動をしていた時です。

もちろん、心身ともに限界が来ての退職だったので、退職後しばらくは体を休めていました。
それでも次第に体が元気を取り戻してくると、「働かないと」「どこかに就職しないと」という思いが芽生え始め、転職活動をスタート。

でも何社か選考を受けるうちに、「私、また会社員になるの?」という疑問がふと浮かびました。

でも、「いやいや、就職するしかないから!」と頑なに転職活動を続けました。

でも前職を辞めてから時間が経てば経つほど、会社員だった頃の自分を冷静に思い出すようになったんです。
そしてある日、私は「もう会社員になるの、やめよう」と吹っ切れました。

ただ、「自分でお金は稼ぎたい」とは思っていたので、ずっと心の中に潜んでいた「フリーランス」という生き方を選ぶことに決めたのです。

 

私が会社員でいることを諦めた理由

「もう会社員になるの、やめよう」と吹っ切れた、と聞くと何だかかっこいい感じがしますが、実際は「私には会社員は無理だ」という諦めの方が強かったです。

なぜそんなふうに思ったかというと、大学卒業後に何社か経験し、前職で心身ともに限界が来たことで、「自分には会社員の才能がない」と本気で思ったからです。

今はフリーランスとして働いていて、会社員の友人や夫は「フリーランスなんて凄い!」と言ってくれるけど、私からしたら会社員の方が凄い、尊敬する、と思っています。

会社員って、会社員になる才能がないとなれない、続けられないと本気で思うのです。

会社員の人たちが当たり前にできていること(集団行動、協力、時間通りに行動する…等)が私はできないし、しようと思ったら自分への負荷が尋常じゃなく、私はとてもその環境に順応できませんでした。

会社員として求められる素質が私にはないし、それをやれと言われてもできなかったんです。
だから私は、「会社員になる」とか「どこかに就職する」という道を諦めたわけです。

 

人には向き不向きがある、ということを痛感した

「どこかに就職する」という道を一度選んでみて、「人には向き不向きがある。そして私には会社員は向いていない」ということを痛感しました。

でも、そのことを痛感し「どこかに就職する」「会社員になる、会社員でいる」ということを諦めた時、私はやっと「自分に就職は向いていない」と認めることができたのです。
それはずっと、私が見たくなかった私の本音であり、自分自身の性質でした。

「大学を卒業したら就職」という生き方が多数派、いわゆる普通と言われる道だったから、私は就活や社会人経験の中で感じていた「自分は会社員には向いていないんだろうな」という感覚を無視し続けていました。

「向いていなかろうが、就職するしかないんだよ」と、その道に固執して会社員でいることを選び続けていたんです。
もっと早くに自分の本音や性質を認めることができていればよかった…と今は思います。
ほんと、我慢したってろくなことがありません(笑)

 

「多数派の生き方」にハマれなくていい

また、この経験を通して、「自分に向いていない」と思うことや「合っていない」と思うことからは、多数派、いわゆる普通と言われる道であっても、そこから外れる勇気を持つことが大事だと学びました。

だってそうしないと、いつまで経っても同じことの繰り返しですから。

もし私がまたどこかに転職していても、今はもう無職か、結局フリーランスになっていたと思います。笑

「向き不向き」とか「好き」とか「嫌い」って、自分が何かを選ぶ時の凄くわかりやすい判断基準だと思うのです。

自分に向いていないこと、合っていない生き方を無理に選ぶ必要はないし、自分がしたいことに正直に生きたらいいんです。
そうしないと、いつまで経っても、きっと何も変わりませんから…。

 

 

会社員でいることを諦めた時の話まとめ

以上、会社員でいることを諦めた時の話について、まとめてみました。

会社員でいることを諦めた時、私は「自分に就職は向いていない」と認めることができました。
そしてその瞬間、ふっと気持ちが楽になったのを今でも覚えています。
「もう会社員にならなくていいじゃん」と誰かに言われたような感覚でした。

繰り返しになりますが、人には向き不向きが絶対にあります。
だから自分に向いていないこと、合っていない生き方を無理に選ぶ必要はなく、自分に向いていることや自分に合っていることを選べばいいのです。

上手くいかないことからは、離れてみたり違う道を選んでみることが大事なのです。
道は1つじゃありませんから!

 

 

人生を変えたい!なら自分の中のタブーを犯してみよう

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どうも、自分に甘々に生きたい人間、あま子です。
皆さん、自分のこと甘やかしていますかー!

今回は、自分の中のタブーを犯したら、人生が変わった話をしたいと思います。

皆さんが自分の中で「これだけは絶対にしてはいけない」と思っていることって、何かありますか?

例えば、「集団の中にいるのに自分だけ自由に行動してはいけない」、「誰かに何かをしてもらったら、嫌でもありがとうと言わないといけない」、「自分の本音は言ってはいけない」…等々。

皆さんそれぞれ、自分の中のルールを守って生きていることと思います。
私も結構、自分ルールが厳しいタイプで、とにかく「人に迷惑をかけてはいけない」と強く思っていました。

「人に迷惑をかけてはいけない」という言葉の中にはもちろん、「社会人たるもの、余程のことがない限り会社を休んではいけない」というルールも含まれておりました。
(自分が休むと、誰かに迷惑がかかるから)

でもある日、私はそのルールを破ったんです。

そうしたことで、私の人生に何が起きたか?

「今の人生を変えたい」、「自分自身、変わりたい!」と思っているけど、何からしたらいいかわからない人へ、今回の記事が何かの役に立てたら幸いです。

 

 

人生を変えたい!なら自分の中のタブーを犯してみよう

私の中のタブーの一つ、「社会人たるもの、余程のことがない限り会社を休んではいけない」を私は犯しました。

それをしたのは、「どうしても会社に行きたくなかったから」。

かなり勇気が必要な決断でしたが、「絶対にこれだけはしちゃダメ!」と思っていたことを実際にやってみて、「意外と大したことないな」と思ったんです。

そして、会社を休んだ結果、「自分に正直に生きていいんだ」と気づき、私の人生が一気に変わり始めました。

 

自分の中のタブーを犯したら、人生が変わり始めた

初めは、自分の中で「絶対にダメ」だと思っていることをしてしまったら、みんなから嫌われて人生終わるんじゃないかと怖くて仕方ありませんでした。

そもそも私が「人に迷惑をかける」ことをタブーだと思っていたのは、周囲の人に嫌われたくなかったからです。

でも、自分の本音に正直に、「会社を休む」という選択肢を選んだ時、一気に自分の本音が溢れ出た感じで、「こんなところで自分の人生の時間を使っている場合じゃない!」と急に焦り出し、その日に退職を決意。

 

大きく変わり始めた人生

この時、私が自分の中のタブーを犯したから、私は「本音を我慢してでも誰かに気に入られて生きていく自分」を捨てることができたんです。

その後は、「自分はどうしたいのか」を常に軸に考え、自分の気持ちを優先して生きるようになりました。

自分に正直に生きていい、自由に生きていい。
そう思ってその生き方をしていると、不思議と他人にも優しくなれるというか、寛大になれたんです。
自分が自由に生きているから、他人が自由に気ままに生きているのを見ても、イライラしなくなったわけです。
(それまでの私は、時間にルーズな人に対してイライラしたりしていました)

そして何より、「自分でやりたいことを決めて生きている!」という充実感を感じられるようになり、凄く人生が楽しくなりました。

 

あなたの中のタブーは何?

皆さんそれぞれ自分ルールがあり、「これだけは絶対にしてはいけない」ということがあると思うんです。

「人間関係に波風を立てるくらいなら、本音は言わない」とか、「嫌なことでも我慢してやりきらなきゃいけない」とか、「学校は行かなきゃいけない」とか…。

もちろん、犯罪に繋がることは、どれだけやりたくてもやってはいけません。
でもそういうことではなく、「本当はやりたいけど、怖くてできていないこと」があれば、思い切ってやってみて欲しいのです。

例えば上記のような例であれば、「相手に言われて嫌だったことは、きちんと相手に伝える」、「嫌なことは思い切ってやめてみる」、「思い切って学校を休んでみる」…とか。

思い切ってやってみたら、人生変わらずにはいられませんから。

 

人生を変えたい!なら自分の中のタブーを犯してみよう:まとめ

というわけで、自分の中のタブーを犯したら、人生が変わった話でした。

「今の人生を変えたい」、「自分自身、変わりたい!」と思っているけど、何からしたらいいかわからない人は、自分の中のタブーを犯してみましょう。

自分の中のタブーとは、「自分の中で、絶対にしてはダメだと思っていること」です。

それは、過去の私のように「社会人たるもの、余程のことがない限り会社を休んではいけない」というルールかもしれません。

自分の中のタブーは、人によって違います。
まずは、自身が自分に「ダメ」と決めているルールに気づきましょう。
そしてそのルールが「本当はやりたいけど、怖くてできていないこと」なら、思い切ってそのルールを破ってみる。

破るまではめちゃくちゃ怖いですが、破ってみたら案外何てことありません!

一歩踏み出すだけで、今後の行き先はガラッと変わります。

「本当はやりたいけど、怖くてできていないこと」がわかってムズムズしてきたら、是非一歩踏み出してみてください。