ambfダイアリー

Arts,Movie,Book,Foodでambfです。アラサー男子がアウトプットのために始めました。

【映画の雑記】ゴッドファーザーの冒頭の結婚式に込められた3つの意味

 先日、「ゴッドファーザー」を久しぶりに観ましたので、すごいなと思った点を書きます。有名すぎる映画なので、今更説明する必要もないですが、米国マフィア映画の代表とも言える作品です。因みに観たのはゴッドファーザーの1です。

結婚式のシーンを冒頭に入れた理由

 映画の最初の方に、ドン・コルレオーネの娘の結婚式のシーンがあります。この映画において、結婚式を冒頭に入れたのは、三つの理由があると思いました。

 

 一つ目は、登場人物の紹介を違和感なくできるということです。映画を見る観客のために、登場人物の関係性などを説明しなければなりませんが、結婚式ということなら、「あいつは誰だ」とか「あいつは親戚なのか」みたいな台詞が自然と出てきます。それに答えるだけで、違和感なく関係性を説明できます。

 

 二つ目は、ファミリーの影響力の大きさを説明できることです。結婚式には、広い敷地に政財界などから様々な要人が出席しています。これを見るだけで、コルレオーネファミリーが強い力を持つ組織ということが分かります。

 

 三つ目は観客が新婦へ共感しやすくなることです。新婦のコニーは、カルロという男性と結婚するのですが、これがまぁよろしくない男性です。物語の中盤になると、度々悲しむコニーが描かれます。冒頭に素晴らしい結婚式のシーンを入れることで、その落差によって、より観客がコニーへ共感し、カルロを軽蔑するようになります。

 

 この他に終盤で葬式のシーンがあります。これもおそらく監督が慶弔の対比を入れたかったのだろうと思いました。もちろん結婚式はカラフルですし、葬式は白黒なので、色の対比にもなります。

 ゴッドファーザーは「コルレオーネ」という一族を描く人間ドラマでもあるので、結婚と葬式という、重要なライフイベントを入れる必要があったのかなと思います。

 

 初めてみたときは、最初のシーンのドン(マーロン・ブランド)の強面の見た目と猫なで声とのギャップに驚いたり(猫なで声の方が逆に凄みが出る)、馬の首に驚いたりしていました。

 見るたびに注目する点が異なるのは、やはり名作映画の証なのではないかと思います。

【西洋絵画】ゴッホ-(後半)絵画に込めた思い

ゴッホ(1853~1890)を紹介します。後半です。

ゴッホは風景を見たままに描くのではなく、自身の内面に抱える感情を風景に投影させて描きました。つまり彼にとって、絵を描くことは心情を吐露する手段だったように思えます。3つのトピックで彼の内面に迫ってみます。

キリスト教への信仰心

ゴッホは牧師の父の下で生まれ、若い頃は宗教家を目指していました。しかしその夢が挫折し、芸術家を志すようになりました。

「ひまわり」では、描かれる花が15本の理由はキリスト使徒12人と自身、弟のテオと親友のゴーギャンを足した数とも言われています。

また、ひまわりは西洋絵画のモチーフとしては「信仰心」や「愛」の象徴です。塗り重ねられた黄色は信仰の篤さを示しているとも取ることができます。

因みに、「ひまわり」は新宿の「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」で見ることができます。(写真はロンドンのナショナルギャラリー蔵の作品ですが。)

「ひまわり」1888年

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②不安定な精神

ゴッホは耳切事件等を筆頭に周囲から理解されず、孤立していき、次第に精神を病んでいきます。

夜のカフェテラス」と星の描かれ方を比較すると。「星月夜」では星がうずまき状に描かれていることからも精神の変遷を伺うことができます。「星月夜」は自身が入院していた精神病院の窓から見える景色をスケッチしたものです。

夜のカフェテラス1888年

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「星月夜」1889年

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さらに、自殺する年と同年に描いた「オヴェールの協会」では空のおどろおどろしさと教会の不安定さが表現されており、ゴッホの精神状態を表しているように思えます。事実、オヴェールは彼の最後の地で、2ヶ月後に自ら命を絶っています。

「オヴェールの教会」1890年

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③日本人の自然観

ゴッホが宗教に傾倒し、自然を宗教的に描いた理由の一つに日本人の影響があると言われています。

浮世絵に着想を得たことは前半でも述べましたが、技法だけでなく、身近な自然を慈しむ日本人の素朴ながらも、深い宗教観に感銘を受けました。

よく入試の現代文で描かれるテーマの中に、西洋人は自然を征服するのに対し、日本人は自然と調和するというものがあります。庭園で比較すると、西洋は自然を左右対称に刈り込み庭園を作りますが、日本ではありのままの自然を活かして庭園を作ります。

ゴッホは「日本人は自身が花であるかのように、一本の草の芽を研究している。日本人が教えてくれるものは真の宗教ではないだろうか」という言葉を残していることからも、日本人の自然観を理解し、憧れていたのだと思います。

1月8日まで上野の東京都美術館で「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」を開催しています。ゴッホと日本との関わりを通して、彼が日本を愛した理由が分かることでしょう。

【西洋絵画】ゴッホ-(前半)初期の絵は暗かった等の意外な話

こんにちは。本日はゴッホ(1853年~1890年)を紹介します。

有名すぎる画家であり、1度では紹介しきれないため、前半と後半に分けて紹介します。今回は意外と知られていないことも含めて3つのトピックで紹介していきます。

次回の後半ではゴッホが絵画に込めた思いを中心に紹介する予定です。

①生前に売れた絵は1枚

今では世界的に有名なゴッホが評価されるようになったのは、彼が亡くなってからです。生きている間に売れたのは「赤いブドウ畑」の1枚だけでした。400フラン(約11万円)で売れたそうです。

第二次世界大戦後に彼への評価は急激に高まり、1987年には「ひまわり」が当時のオークションでの最高額となる約53億円で安田火災海上保険によって落札されます。

その後の1990年にはまたも日本人がゴッホの絵画を114億円で落札しており、ゴッホの絵は高額取引の常連となりました。当時の日本はバブルで景気がよかったんですね。

因みに最近ではダビンチが描いた「サルバトール・ムンディ」が約510億円で落札され、話題となりました。この20年の間に最高落札額の高騰ぶりにも驚きです。

「赤いブドウ畑」1888年

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②初期は暗い絵

ゴッホといえば、「ひまわり」や「夜のカフェテラス」といった、黄色を基調とした色彩豊かな絵画が代名詞です。しかし、初期の頃の彼は灰色を基調とした暗い、物寂しい絵画をよく描いています。(初期からカラフルな絵を描いていたとばかり思っていたため、私はこれに驚きました。)

農村の侘しい風景を描いた作品を数多く書き、「種まく人」も書いていることから、ミレーの影響を感じ取ることができます。

暗い色彩の絵はゴッホがオランダ・ベルギーにいる頃の作品の特徴で、色彩豊かな絵画を書くようになったのは1886年に弟のテオを訪ねて、パリに来てからです。印象派や浮世絵の影響を受け、彼の絵に彩りが増えていきます。

因みに、彼の代表作とも言える作品の殆どは1888年に南仏アルルへ移ってからの作品です。美術館等で作品の年代を確認すると、大体が1888年以降の作品のはずです。しかも彼は1890年に自殺していますから、晩年の数年の間に多くの世界的な傑作が生まれたことになります。

夜のカフェテラス1888年

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「種まく人」1883年

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「刈り込んだ柳のある風景」1883年

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ジャポニズム

日本の開国とともに、日本の美術品が西洋に流入し、西洋の画家たちは葛飾北斎をはじめとする日本の絵画の斬新な構図や色使いに驚き、吸収を試みます。西洋で日本美術の大流行が起きます。これがジャポニズムです。印象派が流行したきっかけの1つでもあります。
ambf.hatenablog.jp

 

ゴッホの絵画の大胆な画面構成と豊かな色彩は日本の浮世絵の影響を色濃く受けたものです。例えば「タンギー爺さん」では背景に日本の浮世絵が多数描かれていることからも、それが見て取れます。

代表作の「ひまわり」でも平面的な構図と色使いは浮世絵の技法を取り入れたものと言えます。

タンギー爺さん」1887年

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「ひまわり」1888年

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1月8日まで上野の東京都美術館で「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」を開催していますので、ぜひ展覧会に足を運んでいただければと思います。展覧会ではゴッホが得た日本からの影響とゴッホの死後、ゴッホ終焉の地を訪ねた日本人を通して、ゴッホを紹介しています。

事前に情報を入れた後で見に行くと、展覧会がより楽しくなると思います。 

【西洋絵画】絵画を見ると得をする3つの理由

こんにちは。本日は池波正太郎の「映画を見ると得をする」になぞらえまして、絵画を見ると得をする理由について考えていきたいと思います。

 これを機に、絵画に興味を持つ方が増えてくれれば嬉しいなと思います。絵を沢山載せましたので、それを見るだけでも楽しいと思います!

理由①画家の持つ思いを追体験できる

画家は苦悩の末に、数々の名作を生み出しています。その絵は美しいだけでなく、画家の苦悩が込められています。ぱっと見て美しいと思っても、画家の背景を知ると絵に対する感想に深みが増します。

多少の修復はしているでしょうが、絵の核は描かれた当時のままです。絵を前にして、画家の苦悩を想像することで、画家が絵に込めたやるせない思いに、鑑賞者も当時の空気のままに触れられます。これが鑑賞の醍醐味です。

例えば、ゴッホは耳を切り落としただけでなく、精神を病んで精神病院に入院しています。ゴーギャンは南国タヒチに妻子を捨てて移住しますが、日の目を浴びることなく、無念のまま病死しています。

ルノワールの絵画は綺麗で、一見苦労がなさそうですが、彼自身は貧しい家に生まれて、絵が売れない時期も長く続きました。

ゴッホ「星月夜」

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ゴーギャン「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

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ルノワールムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」

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理由②歴史や宗教の勉強になる

絵画には単に鑑賞してもらうだけでなく、布教したり事件を伝える役割がありました。識字率が低く、聖書を読むことができない人のためにビジュアルで分かりやすく神父がキリスト教の話を伝えたり、カメラがなかった時代に革命や戦争等の一大事件を市民に分かりやすく伝えるためには、絵画が不可欠でした。

そのため、必然的に聖書や社会的な事件を描いた作品が多くなり、歴史や宗教を勉強したい人にとっては、格好の資料となります。絵画から宗教等を学ぶ書籍も多数出ていますので、それを使って勉強すると絵が沢山出ていますので、難解な宗教もとっつきやすくなるはずです。

ドラクロワギリシャ独立戦争を描いた「キオス島の虐殺」はギリシャ人家族が襲撃に怯える様子が描かれていて、戦争写真のような意味合いがありました。

また、多くの画家が描く「受胎告知」では聖母マリアがイエスを授かったシーンを描いています。因みに鳩は聖霊の象徴であるため、受胎告知には鳩が登場します。

ドラクロワ「キオス島の虐殺」

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エル・グレコ「受胎告知」

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理由③デザインの勉強になる

多くの人を感動させたり、気持ちを落ち着かせる等、鑑賞者の気持ちに訴求する絵画には、画家の画力が素晴らしいだけでなく、美しいと思えるように、デザインのテクニックが使われています。名画には名画たる理由があります。

例えばドラクロワの代表作「民衆を導く自由の女神」では女神と横たわる死体とで三角系を構成させることで、絵画の迫力を増しています。

また、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」は女性の衣装を青と黄色とに分けています。青と黄色は反対色と言われ、反対色は活発さを演出する効果があるため、女性がきびきびと注いでいる印象を与えます。

ドラクロワ民衆を導く自由の女神

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フェルメール「牛乳を注ぐ女」

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おまけ

先日、上野の国立西洋美術館に行って、「北斎ジャポニズム展」と常設展を見てきました。もともとは北斎ジャポニズム展だけの予定でしたが、チケットを見せれば常設展も入れるとのことで常設展も見てきました。常設展の作品の殆どは写真を撮ることが可能だったので、特に気になった作品を紹介します。

ルノワールの「ルーベンス作「神々の会議」の模写」です。

紛らわしいですが、ルノワールルーベンスの作品を模写しています。ルノワール印象派となる前の作品で、駆け出しの頃の天才が天才の作品を模写したことに感動して写真を撮りました。

帰って調べたら、1861年の作品でルノワールが絵画の塾に入った頃に描かれたことが分かりました。画家としての勉強を始めた頃に塾から練習を命じられて書いたのかもしれません。ルーベンスが描いた作品も探したら見つかりましたので、両方掲載します。

ルーベンスルノワール、国も作風も異なって一見関係なさそうな二人が繋がったことに一人興奮しました。これも絵画を見てきてよかったことの一つです。

ルノワール

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ルーベンス

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【雑記】お酒の飲めない私が下戸の悩みと願いを挙げてみた

唐突ですが、私はお酒が殆ど飲めません。

全く飲めない訳ではないですが、概ね生中1杯で酔う程度の耐性です。ビールを飲んで美味しいと思うのは最初の一口だけです。スーパー等でお酒を買うことも友人の来訪等を除いては、まずありません。

そんな私が、下戸ならではの悩みと、こうなったらいいなという願望を書きました。

悩み

①飲み会が楽しくない

楽しくない理由は主に2つあります。

第一に、周りの雰囲気に馴染めないことです。周りが顔を赤らめて楽しそうにしている中で、どうにもお酒が入っていない私は溶け込みづらいです。ドリンクを注文するときも、アルコールの名前が飛び交う中でノンアルコールを頼むだけで場の空気が変わるのが分かります。お酒を強要されることはありませんし、話していて楽しいときもあるのですが、どうにも浮いている感じがします。

以前アメトークで「お酒飲めない芸人」の回があったときは、飲み会に参加しても、しらふだと信用されないことやノンアルコールを頼むタイミングを伺っているという話に非常に共感しました。

第二に、金銭的負担が不公平な点です。飲み放題だとしても、こちらは生中とコーラ位しか頼んでいないし、海老せん等の安めな料理に対して3千円~4千円程度払うことが勿体無く思えてきます。ましてや飲み放題ではないときは、更に上の金額にいくことがあり、もやもやします。

3千円あれば、ステーキや鰻等の大抵の美味しいものは食べられます。そちらに遣う方が有意義に感じられてしまいます。例えば、気の合う友人と美味しいとんかつを食べて食後に喫茶店でケーキとコーヒーを頼む方が遥かに満足度が高く感じます。

逆に、飲み会のいい面としては相手の人となりを知れることで仕事のコミュニケーションが活発になる点が挙げられます。その点では、飲み会の費用は単に飲食費用だけでなく、仕事の潤滑費用として考えられなくもありません。

そう信じて入社時はなるべく参加してきましたが、上記の2つの理由が次第に勝ってきてしまい、2年目頃から節目の飲み会以外は足を運ばなくなりました。

それでも仕事への影響は殆どありませんでしたので、この悩みは概ね私の中で折り合いが付いています。問題は次の悩みです。

②お酒ありきの飲食店に行きづらい

こちらの悩みの方が深刻です。私は食べることが好きなのですが、食べ物自体は好きでもお酒が飲めないために足を運べない飲食店が多々あります。

例えば焼き鳥やおでん等のお店やちょっといいフレンチやイタリアン等の、お酒ありきの飲食店です。

普通の居酒屋等でしたら、少量のお酒とノンアルコールを注文して肩身を狭くして飲んでいるのですが、焼き鳥やおでん屋では店が狭く大将との距離が近く、周囲の客もお酒と一緒に楽しんでいることを思うと、どう考えても歓迎されない客だと思い、気まずくてお店に入れません。

惣菜屋等でテイクアウトすればいいのではと考えたこともありますが、できればお店の煙や匂いが立ち込める活気のある雰囲気で食べたいなというのが本音です。

いいフレンチ等もワインを勧められることが苦痛で入れずにいます。できれば、飲めない体質であることを伝えて終始炭酸水で通したいのですが、どうにもみみっちい客だと思われそうで、入れずにいます。1回格好つけてワインを2,3杯飲みましたが気分が優れず、料理の味も分からなくなってしまったために、できれば料理を味わうためにも終始ノンアルコールで通したいです。(本来は、ワインと料理が相乗効果を生むのでしょうが。)

お酒の飲める友人等と入ってしまえばいいではないかと思いますが、どうにも店員からの視線が気になって入れずにいます。私は小さい男です。

この2つの悩みを解決できるための個人的な願いが以下となります。これが実現されたら非常に嬉しく思います。

願い

①会計に傾斜を付けられるアプリの普及

各人が飲んだ分だけ支払えるアプリやタッチパネルでの注文方法が浸透すればいいなと思います。お酒が飲めない身としては、できれば各自が飲んだ分は応分で支払ってほしいのが本音です。傾斜を付けてくれる時もありますが、逆に全くの割り勘の時もあります。割り勘になってしまう理由の一つに、誰がどれ位飲んだかを金額に反映させることが困難なことが考えられます。

なので、煩雑にならないように傾斜をシステム化できればいいと思います。誰が何を注文したかをスマホのアプリやタッチパネルと連動させることで、会計時の負担金額が明確化されます。現在はスマホでの個人間の送金が普及していますので、一人ひとりの支払額が異なっても支払は容易でしょう。

飲み放題でも、アプリ等と連動させることで、お酒を1杯程度しか飲まない人への割引が実現できると思います。例えば、アルコール一杯とソフトドリンクのみの人はコース料金から千円引といった具合です。そうなると、飲まない人でも飲み会に参加したくなり、居酒屋への来客増加に繋がるのではないかと思います。

②下戸でも入りやすい飲食店の普及

下戸でも堂々と入れる飲食店があればいいなと思います。

まずは下戸専用の飲食店はどうでしょうか。下戸はお酒を飲まない分、滞在時間が短いため、回転率は早いです。焼き鳥等はご飯と食べても美味しいので、定食屋さんみたいな形でも案外普及するのではないかと思います。

下戸専用とは言わないまでも、「下戸歓迎」や「食事処としての利用歓迎」等の看板やマークがあると非常に入りやすいです。下戸は売上に貢献しない肩身の狭さをよく分かっているため、食べたらすぐに退店します。なので、せめて入りやすいようにしていただけると個人的には嬉しいです。

ですが、それだと売上が減ってしまうとお思いの方は、下戸チャージとして特別料金を徴収するのも一つの手です。料金を払っているという自覚があれば、下戸でも堂々とお店にいやすくなります。

 以上、下戸がもう少し生きやすい世の中になればいいなと思い、私の悩みと願望をつらつらと書きました。

美味しい焼き鳥を堂々と食べたいです。

共感してくださる方は、シェアいただけると大変嬉しいです。

 

平成29年12月15日追記

この記事を引用していただきました。

「飲み会なんて嫌いだ。」お酒の悩みや不満を書いた10サイトをご紹介

http://geko-kokufuku.net/site/nomikai-kirai/

↑の管理人さんはお酒が飲めない方に役立つ情報をまとめたサイトを運営されていますので、紹介させていただきます。

http://geko-kokufuku.net/

【書評】経済成長という呪い

経済成長という呪い(ダニエルコーエン、東洋経済)の書評です。著者はチュニジア生まれのフランスを代表する経済学者で、本書は2015年にフランスで出版されたものです。

 あらすじ

20世紀では産業革命による物質面の豊かさが人々に希望を与えてきました。しかし、21世紀に入り、経済成長が鈍化していく中で人々はどのように希望を見出せばいいのか。

前半から中半部分では人類史の観点から、人間誕生から現在までの経済成長についてを説明し、後半では著者の解決策を提示しています。

まず、前半から中半をかいつまんで説明します。産業革命の工業社会を経て、21世紀はデジタル革命により、スマートフォンタブレットが普及するポスト工業社会となりました。しかし、デジタル革命では産業革命の時のような経済成長は達成されませんでした。

著者によるとアメリカは過去30年間、国民の90%の購買力は向上せず、ヨーロッパでは同時期の一人あたりの所得増加率は3%から1.5%、そして0.5%に低下したそうです。

著者は、物質的な充足を絶えず満たすことで、裕福になれるという願い(経済成長の呪い)に変わる、新たな価値観を人々が手に入れることで、希望溢れる社会を作っていけると指摘します。

後半部分では、その新たな価値観をデンマークに求めるべきだという主張が展開されます。デンマークはポスト工業社会へうまく移行した例として、しばしば紹介されるそうです。

デンマークでは国民の幸福度が高いです。その理由として著者は、国民が自分たち国民及び国家を信頼し、ボランティア等が盛んで、労働さえも幸福の源となっていることを挙げています。なお、国家を信頼する理由は手厚い社会保障です。

すなわち、デンマーク社会のように、仕事や社会生活等で自身の役割を見出し、欲望を昇華させることができれば、それが物質的な充足に変わる新しい希望になると著者は指摘します。

感想

①経済史を復習できる

中盤まではざっくりとした経済史の説明になっているため、経済史を復習できます。特に、17世紀から18世紀にかけての科学や啓蒙思想の普及により、世界を神ではなく理性により知覚することが、産業革命へと繋がるという一連の説明は、大まかな流れを掴むうえで分かりやすいです。ペストによる人口減少やプロテスタントによる富の蓄積にも触れながら、ヨーロッパの経済成長を俯瞰的に説明しています。

私が今回「なるほど」と思ったのは、なぜ近代はヨーロッパが経済の中心となったかという説明です。歴史を変えた三大発明と言われる火薬、羅針盤活版印刷は全て中国で産まれた発明であり、11世紀~12世紀の宋はローマよりも栄えていたが、13世紀のモンゴル略奪と16世紀のイヴァン4世がロシアのステップ帯の交通路を遮断したために、中国は復興できなかったと著者は述べています。さらに、モンゴルの侵略により、中国の政治及び経済の中心は南部に移った(明)が、産業革命の原動力となった石炭は中国北部に位置していたことも、中国での産業革命を妨げたと述べています。

②フランスの国民性を知れる

著者はデンマークと対照的な存在として、フランスを挙げています。フランスは他人や国家を信頼することに対して悲観的だと述べています。ボランティア等の社会的な協力は最もしないそうです。確かに、フランスは個人主義とよく言われます。事実、フランス映画は個人の生活を描いたものが多いです。

この本はフランス人に向けて書かれた本であるため、著者はフランスの国民性や社会体制を懐疑的に考察しています。

著者はフランス国民に不信感が蔓延している理由としてヴィシー症候群や五月革命を例に出して説明しています。私はこれらの言葉を初めて知りましたが、現代フランス人の思想の根底にある、大変重要な要素だと感じました。フランスの現代史の触りとしてもこの本はお勧めできます。(後で色々と調べる必要はありますが。)

デンマークについての記載が少ない

著者はポスト工業社会の模範として、デンマークを真似るべきだと述べていますが、そのデンマークについての記述が少なかったのがやや残念ではあります。もっと文量を増やしてもよかったように感じます。

本著ではデンマークが理想と書かれていますが、以前、「英国一家、日本を食べる」の著者が書いた「限りなく完璧に近い人々」(マイケル・ブース KADOKAWA)を読んだ際には、デンマーク人は、国家の保障が手厚いために貯蓄をする習慣がなく借金が多いこと、その保障も近年は歪みが生じ始めていることが書かれていて、やはり完璧な国はないよなぁと思いました。

とはいえ、デンマークのように労働時間や通勤時間が短く、手厚い失業手当はやはり魅力的ではあります。

 

月並みではありますが、この本を読んで、デンマークに行ってみたくなりました。デンマークにて21世紀の豊かさについて、肌で感じてみたいと思います。

【映画紹介】トリュフォーの思春期-子供たちが織り成す王道のフランス映画

3ヶ月ほど放置してしまいましたが、また再開していきたいと思います。

トリュフォーの思春期(フランソワ・トリュフォー監督 1976年 フランス)の紹介です。フランスの地方都市に住む小学生たちの夏休み前の日常生活を、オムニバス形式で描きます。

沢山の子供たちが楽しそうに坂を駆け下りるOPシーンで早くも引き込まれます。色とりどりの服装の子供たちは瑞々しく、まるでドロップ飴缶のような映画です。

 ストーリー

パトリック達の通う小学校はもうすぐ夏休みで生徒は浮かれ気味。

そんな中、ジュリアンという生徒が転校してきます。ボロボロの洋服を着て、いかにもな貧困家庭の子供です。このジュリアンは新しくできた友人と映画の無賃鑑賞などの悪さをします。

その他にも、パトリックが友達のお母さんに恋をする話や、先生や先生が住むマンションの隣人たちの話など、様々な話があります。

こういった様々なエピソードで、この映画は構成されます。

感想

  • 監督について

池波正太郎が「トリュフォーは子供を撮るのがうまい」と指摘したとおり、まさに子供たちが活き活きと映されています。あどけない表情、可愛らしい表情から小憎らしい表情や憂いを帯びた表情まで。

子役はオーディションで選んだそうで、監督はとんでもない「眼」を持っているなと思います。余談ですが、トリュフォー自身の娘も出演しています。

  • ジュリアンについて

物語の根幹をなす、不良少年のジュリアンを演じた子役の演技が非常にうまいです。『スタンド・バイ・ミー』のクリスを演じたリバー・フェニックスもそうですが、不良少年の退廃感と憂いを見事に演技しています。

クリスもジュリアンも家庭環境が悪いことが不良になる原因で、根っからの悪というわけではないのですが、その辺りも悲しげな表情や仕草で完璧に表現しています。

ジュリアン役はフィリップ・ゴールドマンという子役ですが、その他の出演作品が見つかりませんでした。他の作品も観てみたかっただけに残念です。

因みに、ジュリアンという名前からはスタンダールの『赤と黒』の主人公、ジュリアン・ソレルを思い出させますが、名前の関連性があるのか気になります。貧困階級という点では同じですが、本作品のジュリアンは野心家のような描かれ方はしていませんでした。

  • 恋愛について

ませている!率直な感想です。

若干のネタバレになりますが、パトリックは友達のお母さんへ気持ちを伝えるために、薔薇の花束を渡します。小学生ですよ笑。

また、パトリックを連れる友人は中学生の年上女性にナンパをして成功させます。2対2の計4人で映画館に入るのですが、その友人はナンパした女性にパトリックが興味がないと知るや(友人の母が好きですからね)、二人の女性の間に自分が座り、二人の肩に手を回しながら「両手に花」の状態で映画を鑑賞します。もう一度言います。小学生ですよ笑。

  • 先生について

パトリックとジュリアンの担任の先生が夏休み前のHRで生徒にメッセージを伝えます。諸事情によりクラスを離れてしまったジュリアンへの優しさと社会への希望を謳うメッセージは映画に深みを添えます。

このシーンを子供たちに見せるために、小学校のHRでこの映画が上映されたらいいなと思います。

  • 全体を通して

子供たちは色とりどりの服を着ていて、また部屋の中も鮮やかな色の小物が多く、全体的にカラフルな映画です。色彩の豊かさは『シェルブールの雨傘』、『ロシュフォールの恋人たち』、『DIVA』や『ミックマック』に近しいものがあります。鮮やかな色彩はフランス映画の特徴なのでしょう。

そして、印象的なカメラカットは物語の終盤、ジュリアンの家からズームアウトして小ぶりな紫の草花を写した所です。花の儚く健気な美しさはジュリアンを表すのでしょう。まるで詩の一場面のような美しさです。

フランス映画はお洒落というイメージがありますが、この映画も多分に漏れません。色彩鮮やかで詩的な映像とエスプリの効いた笑い、さり気ないメッセージが込められるこの映画はフランス映画の王道と言えます。

私はフランス映画が好きなのですが、このような映画を観てしまうと益々フランスにかぶれてしまいます。 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。