ゆく年くる年

母親がいなくなるというのは、予め考えていたことなんてまるで無駄な、心の半分ぐらいをごっそり持っていかれるような出来ことで、4か月近く経った今でもきちんと向き合えていない気がする。少し遠くに行ってるだけという気がしていたり、あるいはすぐそこにいる気がしたり。仕事が忙しすぎてまともに向き合う時間も持てていなかったり、あとは勝手な斟酌で落ち込むだけ落ち込んだり。
順に行くと、元々一人暮らしが長かったこともあって、少し遠くに行ってるだけという感覚がある。まあこの場合は逆で、向こうが一人暮らししてることになるんだろうか。
すぐそこにいる気がするというのも、昔の自分なら馬鹿にしてた感覚だ。いつも座ってた椅子にふといるような気がしたり、あるいは中空から見守ってくれてたり、心の中にいたりと様々。この上なく遠くに行ったはずが、この上なく近くにいる気がするというのは、心を守ろうとする作用なのかな。
シルバーウィークからこっち仕事が忙しすぎてただそれに追われるだけだったのは、ある意味では救いだったのかも。1年の1/4追われっぱなしというのは、まあありがたい事ではあるのだろう。
とにもかくにも、干支が3周するぐらい生きて、まず間違いなく一番きつい出来事だった。まあ1週間もたてば普通に会話が出来て笑うこともできてフィクションの死に泣くことも出来たあたり、自分が分からないんだけど。とかなんとかぐだってる間に2016年が来た。もう今年を見ることは無いんだなと思うとまた涙が出てくる年の初め。最後に幸せだったとは言ってくれたけど、事実その面があったにしても、どこかで残された方のためにそう言ってくれたのかもしれないと思う。それを疑わなくていいようにもっとできることはあったのだろうけど、取り戻す機会が永遠に来ないのが死というものなのだろう。経験しなければわからない重みが経験してからでは遅すぎるということ。
と、このあたりで朝までさだまさしが始まってるのに気づいたので、仏壇からも見えるようにテレビをつける。そういえば、偶然始まった初回を見てたのを思い出す。あれからもう10年も経っているんだな。その間が丸ごと闘病で、どんなに辛くても平気そうにふるまってくれた。そんな人に向かって仕事で疲れてるとかぞんざいなふるまいしてたやつは早晩ろくな死に方しないだろうし、それが相応しいんだろうな。とはいえ、差しあたっては残った家族にこれ以上同じ思いをさせるつもりもないので、取り戻せない過去は踏まえて生きるしかない。なので、ここにはいない人に、届かない場所に届かない声を届ける。今年もよろしくお願いしますと。

曇り

余命と聞かされても中々ピンとは来ないものだなぁと。まあゆっくりとした変化につかってるからこそなのかもしれないけども。どんな環境にも慣れられるということなのか。自衛的な反応なのか。現実逃避してるだけなのか。しかしまあ悔いを残さないというのは実際出来るものなんだろうか。