心から生きて行くと決めたブログ

毒親育ちが、摂食障害、自殺未遂、人間不信、醜形恐怖症を克服し、前を向いて生きて行く為のブログ。

毒親にやられた事、中学生編


中学に上がると、家庭環境は益々悪くなっていき、再婚相手の義父と母親は口も聞かなくなっていて、家庭内別居状態。



母は、子供にも義父と口を聞いてはいけないと強制し、義父と会話をする事は全く出来なくなってしまった。



母とする会話の内容は、主に父の悪口、母の職場の同僚の悪口、ほとんど他人に対しての暴言ばかりで、それにちょっとでも「それは違うんじゃない?」と言うと癇癪が始まって暴れて面倒くさくなるので、同意するしかない。



そして、中学の頃は思春期真っ只中で、私にとっては学校で関わるお友達が全てでだった。



お友達を大切にしたい、大好き、週末も遊んで思い出を作りたいという気持ちが大きくなったのは中学1年生の頃。


しかし、その日次第で機嫌がころころ変わる母に、前日友達と遊びに行くと伝えても、当日に母が機嫌が悪くなってしまって遊びにいけない事も多々あった。

(遊びに行く前に、少しでも母の機嫌を損ねてしまったら癇癪が始まり、遊びにいくな!!あたしがこんだけ働いて苦労してるのに、てめぇは遊びに行くのか?調子に乗ってんじゃねー!等言い、暴力が始まる。)



こうなったら、もう
ドタキャンするしかなく、毎回そういう事を繰り返していたらどんどん周りから友人が離れていってしまった。



今思い出してみても、1番辛かったのはこの頃かなぁ。


小学生の頃より、母の干渉・暴力は強くなっていって、
刃物を振り回したり、私の首を締め付ける事は1ヶ月に一回はあった。

そのほかにも


⚪︎私の耳を引っ張って大声で叫び、それで驚いている私をみてバカにする。


⚪︎死ぬか出て行けと行い、出て行くと言うと、私を無理やり裸ににして玄関に出す。(普通に思春期だよ?本当に、辛かった。)


⚪︎ご飯を食べる時は強制的に正座。5分で食べろ!!と言い、苦しくて私がもどしてしまったらその嘔吐物も無理やり食べさせられる。(泣きながら、こんな屈辱は無いと思って食べてました。食べないと、また首絞められたり、刃物を突きつけられるから…。)


⚪︎母からの暴言を受けている時は、正座が基本スタイルだったのだが、いきなり、太ももにお箸をぶっ刺されて太ももに深い穴が出来てしまった。(今だに傷跡が残ってます…。)


⚪︎友達と交換した手紙やメールを無理矢理見られる。そして勝手に返信したり、相手に電話し暴言を吐き、友情を崩壊させれる。(これは不特定多数の子にやられてしまいました…。本当に本当に皆ごめん。今でも悲しい気持ちでいっぱいです。)


⚪︎夜、絶対に眠るな!!!と言い、無理矢理立ちっぱなしにさせて一日中、眠れない日があった。
(学校から帰ってくる→母、機嫌悪く癇癪始まる→深夜2時までの説教、てめぇー絶対に眠るんじゃねぇぞ、今から私は寝るけど、起きた時に寝てたらまたブン殴るからな→私、強制的に朝まで立ちっぱなし、その後学校コース)



……これは一部で、他にも、色々やられたけど、今でも印象深く残ってて、いるやられた事はこんな感じかな。




精神的にも肉体的にも深い深い、傷を負いました。


時々、思考回路が停止する事があるんだけど、頭を殴られ過ぎて、脳が萎縮している気がする…。



それに、誰かが部屋のカーテンを閉めるのがめちゃくちゃ怖い。(母が私に暴力を振るう時、いつもカーテンを閉めてから始めたから、また暴力を振るわれるのかと思い込んで警戒してしまう。)





毎日毎日、フラッシュバックするんだけど、胸がギュッと締めつけられるよね…。

わたしのこと

 

 

物心ついた時から虐待を受けていた、と前の記事で書きましたが、親に対して『あ、コイツヤバイな』と感じたのは5歳くらいの頃。

 

 

私には親に甘えた記憶がない。

 

抱きしめて貰ったり、可愛いねと言われた記憶がない。

覚えているのは、母親が常にイライラしている顔、何故か分からないが何度も名字が変わる事(多分だが親が何回も結婚離婚を、繰り返している)、幼いなりに母に気を遣いながら生活していたのだが、機嫌を損ねたら癇癪を起こし、怒鳴り散らす事が多々あった。バカやろう!何してんだてめぇー!等

 

今考えたら、壁の薄いアパートで怒鳴り散らし、隣人にめちゃくちゃ迷惑かけてたんだろうなぁと。

 

遊びに連れて行って貰った記憶もあるので、他の家のママみたいに抱っこしてくれたりはしないが、きっと私は愛されてるんだ、とこの時は思っていた。

 

 

小学校に上がると、母親は再婚し、専業主婦になっていた。

この時代は、暴力こそ振るわれていたものの、本を買って貰ったり、服を用意して貰ったり、ランドセルを買って貰った記憶がある。

だが、機嫌次第で起こる母の癇癪は治っていなくて、機嫌が良い時は何もしないのだが、悪い時は最悪だった。

 

印象強く記憶に残って居るのは、

 

⚪︎耳たぶを鉛筆で刺される。

 

⚪︎癇癪が起こる度に、包丁を振りまして殺しにかかってくる。(シラフだよ)

 

⚪︎子供を車で追いかけ回し、轢き殺そうとする。

 

⚪︎とにかく子供は愚痴のサンドバッグ!再婚相手の父親についての悪口、職場の悪口、近所の住人にたいする悪口、等々なんでもかんでも子供に愚痴を聞かせ、強制的に同意を求めて、吐き出しにする(エブリデイ悪口)

 

⚪︎私は母からの重圧や、家庭のストレスでチック症になっていたのだが、それをバカにし、知的障害扱いし、精神科に精神鑑定させに連れて行かれた。

 

 

 

小学生の頃の印象に残って居ることはこんな感じかな。次は、中学生編書きまーす。

 

 

はじめに。


どうも。

20代半ば、社会人4年目のamisaです。
ブログを見て下さり、ありがとうございます。(*^^*)





物心ついた時から、虐待を受け、児童相談所に保護してもらったり、毒親から全力で逃げる為にお金を使って生きてきました。






私は、文章を書くのがとくいでは無いし読みづらいかと思いますが、このブログを作った目的は、少しでも自分と同じように虐待を受けて育って来た人が救われればいいなという思いと、
愛してもらえなかった自分を救いたいなという思いです。







このブログを読んだ人が、少しでも楽になれますように。