子供2人と猫を抱えてホームレスになった38歳主婦の話

モラハラDVで夫から家を追い出されホームレス→1年後には仕事も住居も車も揃った生活まで復活。

切り口が違うと別物になる

いばや通信の坂爪さんに会ってきた話のその後です。


周りに ちょっと面白い人に会いにいってきたんだよ、という話をしてみたところ、

へー!面白いね。

という反応が多く、割とみんな面白がって話を聞いてくれます。
しかし、

その人、ずっとそんな風に生きていくつもりなの?ありえないんだけど!

と、お説教が始まりそうな勢いで言う人もいたんですね。

私の周りは、だいたいこの2パターンに8:2くらいの割合で分かれる感じでした。

お説教モードの人は、家がないこと、会社勤めの安定感がないこと、結婚しないこと、などから連想される不安感に反応して、そんな自由に甘い事やってんじゃねぇという 怒りに似たエネルギーを感じました。
バカな事やってないで、きちんとした生活しないと。今はいいだろうけど、そんなことやっていたらダメだって知らないのかな?って言われたんですね。

そして、そんな得体の知れない人に会いに行くとかあんたも意味がわかんない。危険すぎる判断だと思う。なんて言われ、何だか私も坂爪さんも面白いと言ってくれる人もみんなダメと言われたような気がして軽く傷付いたんですね。

どうやら否定するエネルギーって、ものすごくチカラを奪っていく気がする。

どう感じようが 自由です。

否定すんのってダメとか思う時点で私も否定してるわけで。

かといって、その考えかたもアリだと思う、なんて大人ぶって言ってみたところでモヤモヤして気持ち悪い。

出来事としては、私は面白いと感じたけど、
面白くないと感じる方もいるってことなんだなぁと。

面白いと感じる私には、後者の方の思考はなかったわけで。
話してみてはじめて知った 自分とは違う切り口。

坂爪さんに会ってきた

このアクションだけで、色んな人生観が見えたかな。

切り口が違うと、別物になるということ。

しかし、どんな切り口からみても、坂爪さんは同じ人だということ。

本質は変わらない。

自分が変われば世界が変わるって、きっとこういうこと。


会いたい人に会ってきた。第2弾。

行ってきました。いばや通信坂爪さんに会ってきました。
想像以上にイケメンでした。
お話も、的を得て分かりやすく哲学的で聡明な印象を受けました。
ムーミンに出てくるスナフキンみたいな感じ?旅人とか自由なところとかにそう感じたのかしら。
私の中で彼はもうスナフキンです。
スナフキン確定です(笑)

とてもスリムな方なので、一緒に撮った写真は私がまんまるにみえます…いや、実際まんまるなんですけど 私の想像を超えてまるい自分に軽くショックが隠せません。
そう、まるでムーミンスナフキンのよう…(°_°)

坂爪さんに会いにきた皆さんとも色々話せてご縁もできて行ってみて本当によかった!

本日の会費はカンパ制。
0円でもOKとのこと。
無理せず寸志でいっとくか…と考えた瞬間、ピンときてお正月のたまこと遠隔調整の予算を投入してきました。
(ざっくり言うと、自分の使いたい事に使ってみましょうという取り組み。気になる方は たまたま出会った言葉たち 岡田さん でググってみて)

私のピンときた使い道は、坂爪さんの生き方に投資です。
投資資金を糧に坂爪フィルターを通した体験が記事になるのです。私だけじゃなく、色んな人の人生に沁み渡るのです。そんな使い道にワクワクしました。

人生は人と出会ってこそ価値がある。出会い関わって迷惑かけてかけられて見て聞いて話して経験してこそ有意義だと私は思うのです。
守るより 出来る範囲でいい。冒険しようぜ!
守りに入ったところで何を守るというのか。ドラマチックじゃない人生を守ったところでどうだというのか。

100年足らずの自分史を手帳に見立てて考えると、私はなるべく色んな体験をしたことが書かれた状態で自分史を終えたい。
白紙で終わらせない為に今年は全力で開いていこう。過去最大に人に会っていく年にしようと改めて思ったのでした。

会いたい人に会ってきた。第1弾。

10年ぶりに男友達と再会する話のその後。
10年というか、しっかり時間を取って会うのは15年ぶりかな。

会ってきました。
どんなオッサンになっているのだろうか?
見てすぐ分かるだろうか?
ドキドキでしたが、全然変わらない感じですぐ分かってよかった。

やはり、前と同じく甘い雰囲気になることはなく(笑)

彼とは気も合うし 人として好きなので、甘い雰囲気にならないのは残念なようなホッとしたような ひそかに複雑なんですけどね。

でも15年の月日なんて吹っ飛ばして昔に戻ったように感じるくらい よく喋り笑い楽しい時を過ごしてきました。
相手女子じゃないけど女子会みたいな感覚…いや、私が男子になっての男同士の付き合いみたいな感覚が近いんかな。
とにかくバカ話ししてゲラゲラ笑ってめっちゃ楽しかった。

甘くならないからこそ味わえる楽しさダネ(笑)

そして明日は、いばや通信 坂爪圭吾さんに会いにいってきます。
どんな人だろう?どきどき。
私と同じく坂爪さんに会いたい人が20人くらい集まるらしい。その20人に会うのも楽しみだ。

会いたい人に会いにゆく、人生がいっきにドラマチックにワクワクします。オススメ〜!

会いたい人には遠慮なく会いにいこう

今年はどんな1年にしていこう?
お正月引きこもりながら考えて、
「会いたい人には会いにいく」
という事が浮かんできた。
ゆっくりしたい、子供たちと思いきりダラダラと過ごしてやる〜(≧∇≦)と、自ら引きこもってたくせに人恋しくて気持ちがわっさわさしてヤサグレていた。
いいな、みんな楽しそう…とFBを見てはため息…ってことは、私は人に会いたいってことなんだなと。

今までは、
・特に急ぎの用もない
・遠いからなぁ…
・相手が忙しそうだから
・時間ができたらそのうち…
・お財布にゆとりがない…
・久々に会うの緊張するし

などなど、色んな理由をつけては先延ばしにしていた気がする。
ふと気付いたら、10年くらい会っていない親友達がゴロゴロ。
これではイカン!と思って、会いたい人には会いたいと伝えて会う努力をする、というのを今年の軸にしようと思ってます。
そんな訳で、週末には古い男友達と10年くらいぶりに会う予定。男女を超えた仲、2人で会っても甘い雰囲気になることもなく(笑)でも暇があればよく遊んでいた。お互い結婚してからはパートナーに遠慮してか ろくに連絡も取り合わなかった。
性別が違うと、なんかこう後ろめたさがでてくる。実際ほかの異性と会うだけでパートナーに嫌がられたりもする。浮気も不倫もしてないけど、2人で会うとかイケナイコトみたいな微妙な空気。
もっと自由でいたいのにね。

勇気を出して連絡を取ってみたら、案外サクッと会おうかという話になり、楽しみ。

想像してみて。
何千年という時間軸のなか、同じ時代に生まれて同じ生活圏で出会いお互いの存在を知るというだけでちょっとすごい。存在すら知らない人が大多数だもんね。その中で、仲良くなるなんて奇跡のような確率。
運命の相手は、恋愛というジャンルだけではないと思う。
老若男女きっと色んな運命がある。
ちょっとロマンチックか?

何はともあれ、会いたい人にはいつでも会える訳ではない。だったら後悔しない為には、会いたいと思ったら遠慮なく会いたいと伝えてみようじゃないか。
それでご縁があればきっと会える。
縁が繋がらなければ、今はタイミングじゃないってことさ。

そんな事を意識したからか、今年に入って会いたいというお誘いや会えるタイミングをいただく機会が増えた気がする。

会う努力をするのは、何も面識のある人ばかりではない。

いばや通信の坂爪さんに会ってみたい!と思っていたら、お会いできるチャンスがやってきた。
サクッとその波に乗ってみた。

状況は違えど、ホームをレスして 人との繋がりがあれば生きていけるんだなと実感した体験を、私もやってみて同じ事を感じましたよ!と共感できるチャンスはなかなかない。
そんな人なかなかいない。
是非ともこの事を伝えてみたい。

会ってよかった、楽しかった、と思って貰える人になりたいな。なれるといいな。

会いにいくの、わくわくする。

寂しさ

定期的に、猛烈な寂しさにおそわれる。


他の人はそんな事があるんだろうか?


おおきな あったかいものに 無条件でイイコイイコされたい欲求。


頭では色々考えて、気持ちを割りきってるつもりなんだけど 割り切れていないって事だよね。


何が寂しいのか?って考えていくと、親からの愛が欲しいに行き着くんだよね。もう40才になるというのに。


ダンナに家を追い出され、困り果てている時に 私の母から言われたのは


「私は何にもできないからね!こっちに来られても困るし」


というような言葉だった。

お金がかからない事なら助けるという。電話で話を聞くとかね。でも、話しても 結局私は何にもできないからね という結論にいきつく。


手を差し伸べるふりしての突き放し。

ダメージはんぱない。


周りは、親に助けてもらえ!だって親だから助けてくれない訳はない!

親以外に頼るのはお門違いだ!


って言ってくる人が多かった。


助けてくれない親がいるなんて、想像もできないのだろうな。


母にとって、私は金ヅルだった。

就職して、実家から離れて暮らしていたのだけど、長期連休は帰ってくるように言われて帰ると、お金なんとかならないか?という話を毎回された。突っぱねると、あんたの奨学金の返済が…とか、帰ってきたときの食事代とか結構かかるんだからねと言われ、腹がたつので多めに渡すと いつも助かるわ〜 と。


父はもう他界している。


ダンナの親には、家から追い出されたと話したら、

こっちに迷惑かけることしやがって

と義父に言われた。


義母は、その前に義実家で親子喧嘩が勃発したときに仲裁に入ったら 腕をこれでもかと抓られ 罵られた事があったので 話もしていない。


つくづく、私は親に縁がない。

無条件で私を認めてくれる相手なんて この世にいるのだろうか?


子供達は、こんな私でも無条件に愛して認めてくれる。


この子達にとって、最高のおかあさんになりたい。


でも、私の中に 愛された記憶がないから なんちゃっておかあさんになってんじゃないかと常に不安。


お正月、一家団欒。

そんなあったかい話を聞く季節は、心に冷たい風が吹く。


私も子供達と一家団欒してるけど、

埋められない何ががあるんだよね。


あー、泣けちゃう。

辛いなぁ。

何の苦労もなく、いい親を持っている人が嫉ましくてしょうがない。

どんなにあがいても、私の親はあのひとだけたのだ。

気持ちを伝えても、聞き流される。

で、私は何にもできないから、と言われておわり。


気持ちの落とし所をどこに作ればいいんだろう。



保険営業のおしごと

私は生命保険の営業をやっています。


保険会社は女性にとって働きやすい環境が出来上がっていて、居心地がいい。


男社会の物流から転職したせいか、こんなに大事にしてくれる会社があるなんて!と感激したくらい。


会社によりけりかもしれないけど、ウチの会社は人を大切にしているんだなと感じます。


でも、保険の営業というと軽く見られる傾向があって…。


いわゆる、保険のオバちゃんのイメージ。

付き合いで入ってよ〜。

色仕掛けで営業〜。

というイメージなのか?

悪いイメージがあるせいか、世間の風当たりは冷たい。


いやいや、そんな軽い仕事じゃないんですよ。

付き合いで入るなんて事やんなくていいわって思うし、私そんなあつかましい事言いたくない。


私は、その人にとっていいと思うものでなければ勧めたくない。


そして、今後関わっていきたいなと思える人でなければ 勧めたくない。


はい。こちらもある程度人を選んでいるということです。

(選べないこともありますが)


めっちゃ勉強するし、試験とかいっぱいあるし、適当になんてとても出来ない。

相手のことを考えて想像して、考え抜いて設計してるんですよ。

時間もかかるし愛も詰まってます。


でも、ネットで見てると、適当に作って持ってくる保険のオバちゃんではなく、窓口で何社も扱うプロのFPに相談を、なんて言われていたりして ムキー!って思うんです。


私たちも、FPの試験受けてプロのFPとして資格持ってる人いっぱいいるんだけど。


私はまだ持ってないけどさ(笑)


言いたい事は色々あれど、他社の誹謗中傷になるから 立場上言えない。


まぁ自分がちゃんと理解できてていざって時に役に立つ内容なら正直どこ入ってもいいと思うんですよ。


私はずっと 保険は人より内容でしょって思ってたけど、その考えがだいぶ変わってきた。


内容を作るのは人なんだよね。

やってみて思うのは、設計の仕方に個性が出るということ。

自分の成績優先で作る人もいれば、

相手のことを考えて作るもいる。

どんなリスクに備えるか、考え方が違えば内容が全く変わってくるのです。


保険屋さんって、お客様の「いざという時」を沢山見てきていて、いざという時に助けになれる数少ない仕事なんだよね。「本当に本当にありがとう」って言われる。あなたに会えて勧めてもらって、本当によかったと言われた時に、あぁ役に立ててよかった、大事な仕事なんだと思う。だから続けていけるんだと、ベテランさんになるほど言います。

ホントは保険なんて使わずに生きていけるのが一番幸せなんだけどね、ともいいます。


いざという時に助けになってくれる相手がいるというのは、本当に大切なんだよね。自分の経験からも実感する。


でも、いざ生活が一変する事があって生きるか死ぬかくらいになっても


普通、お金の助けは人には頼めない。


子供を見ていてくれたり、

色々物を分けてくれたり、

話を聞いてくれたり、

少し泊めて貰えたり、

実際頼めるのはそこまでで、そこまで助けて貰えるのもすごい事なんだけど

その先へ進むというのは とてつもないイバラ道。


現金。その一線を越えれるのはかなりハードルが高く、頼れても身内くらいかな。あとは最後の砦の生活保護くらいかな。


でも、身内を頼れなければ?


手を差し伸べた身内から、その手を振り払われるダメージは半端なく


本人は途方に暮れるしかなくて、周りは助けてあげたくても一線を越えていけなくて、

何もできなくてごめんなんて言われると そう思わせているだけでもさらに辛くなって、

本人も周りも 本当に本当に辛いのです。


というのを、私は経験した。


でもそんな大変な中でも、経済的にも 精神的にも とにかく頑張らなくては、立ち止まっていては生きていけない。


そうなった時に、私は少しでも支えれる人になりたい。


私も、支えてもらったから。


何の備えもないなか、大黒柱を失って でも子供達を育てていかなきゃいけない 泣いている暇はない生活していかなきゃいけない!


という「保険的な万が一」に1年前の自分が重なるのです。


どんなに大変か体験しなきゃわかんないけど、そうなってからでは遅い。

私メンタル強いと思うんだけど、

何度も心折れたし、

色々言われて泣いたし、

何を信じていいかわかんないし、

途方に暮れたし、


お金の備えがあれば、それが少しラクになることも 実感しました。


頼れる話せる相手がいれば、ものすごく心強い。


実はとっても熱いこんな想いがあって、この仕事をやっています。


あの頃の私を助けてくれた方へのありがとうの気持ちは絶対忘れたくなくて。

絶対恩返ししたい。


だから私は、今度は助ける側になりたい。


私には資産とかないけど、経験と知識と相手を思う気持ちはあると思うので、それを使って生きていきたいのです。


私にお金はないけど、保険を勧めることでお金の助けを提供できる。

しっかりと使える内容を考えお話することが私にできること。


不安を煽るんじゃなくて、

安心を届けたい。


私の中の保険のイメージって、

自分が最大限弱ったときに、


いーからまかしとけ!守ってやる!

金のことは心配すんな。治ることだけ頑張ってこい。


といってくれる仲間たちとの繋がり

みたいなイメージなんですね。


でも助けてもらうだけじゃなく、

逆に困った人を助ける側にもなる。

まさに人とのつながりで生かされるシステム。

健康なときの保険料は、弱った人を助けるために使われているわけだし。

そう想像することで、何となく自己肯定感も出てくる気がする。

人の役に立ててるんだって感じることは、豊かに生きる上で必要なものの一つだと思う。


相互会社って、助け合いましょの基本の上にできてる会社だからね。

株式会社の保険もあるけどね。


私というフィルターを通して繋がってほしいなぁ、人繋ぎがしたいなぁ。

保険は 繋がりのツールであって、私にとってそこが最終目的ではない。


契約取れなきゃ収入になんないから、そんな綺麗事ばかり言っていられないんだけどね。


そんなことを考えながら、毎日営業に出ているのでした。

1年経った今

1年前のホームレス状態から考えたら奇跡みたいな今。


今夜寝る所をさがす日々が、

安心して住める家を持てるようになり、


パートで不安定でしかも休めない状態から

安定して働けて 子供都合で休むことも出来て 仕事の内容も楽しくてとなり、


そうそう!車も持てました

(車が無いとキツイ地域です)

予算の中で予定してたより2つくらいグレードの高い車といいタイミングでご縁があり、その関係で人間関係もいい出会いがあり(いい出会いといっても恋愛系じゃないです)


猫も新しい家で可愛がられて幸せに暮らしていて


私は、定期的に不安に襲われてのたうち回る事がありますが、概ね健康で


子供達も身体も心も病むことなく過ごせていて


ミラクルです。1年、濃すぎるくらい濃い日々でした。


引き寄せの法則とか

アセンションとか 

たまこととか


そーいうのが気になって見ていて、

気持ちとか感情とかしっかり感じた上で、大丈夫って自分を信じて

そうしたら、本当になんとかなって。

ドンピシャのタイミングでミラクルがおきまくって。

なんか、すごいなぁって。


起きるべくして起きたのかなと。


元夫にも、恨みつらみとかも無いんです。

会うのは怖いけど。

会いたくないけど。

恨んでるかとか憎んでるかというと、そういう感情はないのです。

不思議なんだけど。


誰が悪いとか言い出したらきりがなくて


私だって悪いんだろうし


良し悪しなんて、どの切り口から見るかだけだと思うのです。


そう考えると、いいとか悪いとかもうどーでもよくて。


気持ちの持ち方次第なのかなと。