百々雑記

感情についてつらつらと

雑日記まとめ

ズル休み

小中学生の頃、皆勤賞を取った記憶がある。だが、今となってはあまり美徳に感じられない。

高校生の時は、ストレスの蓄積がすごくなると、頭痛や耳鳴り、時には熱などが出ていた。今思えば心身がアラートを鳴らしていたのだと思う。熱で早退する時もあった気がするが、特に後ろめたさは感じていなかったし、むしろ安堵していた気がする。そういう意味でも、心が休みを求めていたのかもしれない。

ズル休みを推奨するわけではないが、心を休めるために学校を休む勇気が必要な場面はあったなぁ、と後から思った。

それからしばらく経ち、大学卒業後に、お世話になった教授と話す機会があった。その中で、「人によっては4年じゃ足りない子もいるよね。そういう意味では5〜6年かけて卒業するのがその子にとって適切な期間だったのかも」という話題が出たことがある。やや繊細な話題ではあるが、私はなるほどなぁと腹落ちするところもあった。

大学の取得単位と異なる進路を取ったこともあるが、当時の就活は相当苦しかった。

前述の高校時代のそれではないが、心は終始悲鳴をあげていて、かと言って足を止めることは許されない。心を誤魔化しながら、スーツを着てあちこちへ足を運んでいた記憶がある。その後、一人暮らしの際に大きく体調を崩すことがあったが、もしかしたらツケが来ていたのかもしれない。

じゃあ一年休学なりすればよかったのかだろうか、と思うこともあるが、奨学金のことや無駄に真面目な性格からして、きっとその可能性はなかったんだろう。

ただ、自分のメンタルが明らかに限界に近いと感じた時は、プライドを捨てて仮病なりで一度休むの選択肢は入れていいのかもしれない、と思うことはある。

現状、その選択肢に頼ったことはないし、そうならないようにほどほどにガス抜きするようにしている。

 

タオル地のブックカバー

 文庫サイズのブックカバーを持っている。無地のライトブルーで、デニム記事のような布カバーのタイプだ。中学の作文コンテストの参加賞だか何かで貰った気がするが、ずっと昔から持っている。

タオル地のようなざらついた生地が好きで、手触りがしっかりとした感触の方が心地よく感じる。そのせいか、結構文庫サイズを好んで買ったり、借りていたような気がする。

そういう意味では、本を読んでいる時、このブックカバーは結構助けになっていたのかもしれない。自分好みの手触りがあるというのは、本を読む抵抗感をある程度緩和していた。

読書のモチベーションにも、外付けの要素で後押しできる部分があるのだなと今になって気づき、ちょっと面白かった。

 

どこまでが偉いのか

「●●くんは自炊してて偉いね〜」と言われた。
確かに時間のある日は自分で料理をしているのだが、私から漏れた返事は「はあ、どうも」と煮え切らないものだった。
私が基本的に作っているものは大抵、①具材をカットする ②調味料と一緒に鍋かレンジに突っ込んで加熱する の2ステップな料理ばかりである。やってることはインスタントラーメンやパスタのそれと対して変わりないもので、「料理ができる人間」かと言われると、微妙なところだ。
簡単にでも料理をする動機も、コンビニ飯より安く済むからであり、洗い物をコンパクトに済ませたいからなので、ケチと怠惰が同居した結果だ。崇高な精神はない。

以前にも、乗りたい車種の話になった時に「できるならマニュアルがいいですね」と話したら、今の時代にマニュアル乗ろうとしたいなんて偉いね、みたいな反応をされたこともある。
そっちに関しても、単純にオートマよりマニュアルの方が燃費がいいからであり、やはりケチ精神が働いている。

好意的な反応をしてくれるのにうまく受け止められない私が悪いのかもしれないが、かといってケチな心構えを胸を張って主張する気にもなれない。どういう反応で返すべきか、未だに判りかねている。

 

履歴書を書くのが大嫌いだった

アナログの書類作業が苦手だ。

書き方の問題なのか、書き損じが多いタイプなため、履歴書を長々と記入していると、どこかで大抵書き損じる。ラジオを聴きながらだと手癖が変に出てミスりやすく、丁寧に書こうとすると、書き切るのに20分近くかかる。それでも少し気が抜けた時にポロッと間違える時もある。それが最後の数行だったときは本当にやってられなかった。

大学での就活時は、大学指定の履歴書なため、手持ちが無くなったら再度取りに行かないといけないのも、ため息を大きくしていた。

こんな単純作業に時間と神経すり減らすのは馬鹿馬鹿しい、やってられん、とフラストレーションが溜まった就活中期、何をとち狂ったのかトレス板を購入した。
アニメーションやイラストに活用される、板から光が出て、挟んである下絵の線が浮かび上がるアレを、履歴書のコピーに下書き→トレス台で文字を浮かばせて提出用の履歴書にペン入れ、という形に置き換えた。
たかが履歴書の記入ミスを減らすために約1万円の出費。だがそうでもしないと、ミスなくスムーズに書けなかった。

結果としてまあまあ感触は悪くなかった。書き直しの二度手間と工数はあまり変わらない気がするが、精神的安定感が段違いだったことが大きいだろう。

だが、履歴書が学校指定に拘る必要がなくなった大学卒業以降、トレス板は一気にお役御免となる。PCでwordに打ち込んで印刷すればよくなり、筆記要素が皆無になったからだ。

今度こそ書き損じの呪縛から脱出した、と思ったが、手書きで記入する日付の箇所すら書き損じたこともある。とことんアナログ作業に向いてないらしい。

2023年〜年度末まとめ日記

ご無沙汰してます。ハリネズミBotです。

元旦は震災やら、その後は怪我で動けなかったりと更新が大きく遅れて……いや、単純に怠慢もあります、ハイ。

ご縁あって生まれた仕事やってたら上半期終わってたし、事業用口座や各種書類銀行や税務署に動き回ってたら下半期も終わって大晦日の投稿に間に合わなくて……嘘ですブログの下書きの清書サボってただけです、ハイ。

そんな感じでぐだぐだですがぼちぼち頑張ってる生存報告も兼ねて、遅ればせながらもブログ投稿しました。2023年だけでなく、2024年3月まで混ざっててキリの悪いまとめ方ですが、お見逃しいただければ幸いです。

 

近況

はじめての確定申告

め〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んどくせ!!!!!!

  • e-taxの仕組みよく分からなくて登録・連携完了するまで数日かかる
  • 地震で書類関係がごちゃついたとき、所在が不明になったためテンパって数日ロス
  • 初めてで各金額の入力が本当に合ってるか不安なため逐次調べたり確認しながら入力したので進行が遅い
  • やっと入力終えて税務署に別途提出書類持って行ったら受付で喧嘩に近い押し問答が展開されており、何故かMPが削れる

確定申告って……大変なんですね……。

1年目ゆえのガバもだいぶ多いですが、何より税に対する勉強不足or詳しい人が周りにいないのに個人事業主になるのは愚行という学びを得ました。

来年からは慣れて多少は入力が楽に……え? 面倒なのは変わらない? そんなぁ……

 

同人誌即売会に行ってきた

すごく直近ではありますが、新潟の同人誌即売会ガタケット177』に行ってきました。

初めての即売会参加ということで、緊張+人酔いから最後はヘロヘロでしたが、本当に良い体験でした。

最近は趣味嗜好をあまりオープンにせず慎ましく立ち回るようにしていたのですが、各サークルの自分の熱量をぶつけた一冊やコスプレが視界いっぱいに広がっており、ぶらぶら歩いてるだけで瑞々しいエネルギーを浴び続けるのは中々ない体験でした。

そっか……そうだよな……なんか言いたいこと言いにくい世の中になってたけど、自分の性癖をオープンにしていい場所はちゃんとあるんだよな……。

また同人誌即売会に足を運びつつ、いつかサークルとして参加しよう、と心に誓ったイベントでした。本当に行って良かった。

 

面白かったゲーム

ライザ3

太ももでバズったゲームがここまで大きくなってのう……(老人会爺)

アクションチックな戦闘システムにしたり、今作ではオープンワールドにしたり、過去シリーズの常識を破るような挑戦だらけのシリーズでしたが、どれもひとまずの成果と着地点に落ち着いた気がします。

シナリオに関しては、良かったの一言です。あそこまで後腐れなく精算した終わり方をされると、ここで何か言うのも野暮に感じました。

近年のアトリエシリーズ(アーランド、黄昏時代、不思議)はシリーズファンには愛されるけど、一線級の作品とは言い難い感じでした。ライザは売り上げ的にも、クオリティ的にも、一つ壁を破ったシリーズと言っていいと思います。

一方、ライザ3の諸々のシステムをもう2〜3年ブラッシュアップすれば、本当にRPGの天下取れる可能性すら感じましたが、きっとそれはたらればなんでしょう。レスレリーナや後続の作品で昇華されることを祈っています。

ひとまずお疲れ様でした。このシリーズを追いかけてきて良かったです。

 

イースX

「2023年発売で特にオススメのゲームは?」と聞かれたら、コレと即答するくらい良かったです。

もっと面白かった作品、と言われると他になるのですが、「面白さ」と「取っ付きやすさ」はイコールではないです。

コマンド入力が苦手な人は格闘ゲームに入りにくいですし、女神転生は骨太シナリオですが独特のカルト要素を受け止める必要があります。そう言う意味では、イースXは色んな意味でハードルの低いゲームでした。

アクションが苦手ならメニュー画面からいつでも回復できるシステムに頼れば良く、逆にアクションに自信があるなら高難易度にすればワンミスで即死しかねないソウルライクみたいな体験に早変わり。どんなプレイヤーにも広く入り口が用意されているのは大きい要素だなと感じました。

ペルソナ5ゼノブレイドのようなゲームは「めっちゃ面白いけどプレイヤーに要求する操作・思考コストが高め」なので若干勧めにくいのですが、イースXは直感的なUIのおかげで円滑に進めるよう整備されていると、勧めやすいのが良い所だと思います。

あとはやっぱヒロインのカージャがエモですよエモ。ベタベタせずグータッチする、相棒くらいの距離感すこすこなので……。




ハーヴェステラ

スクエニが作った新規RPG

そのタイトルから想起できる通り、牧場物語ライクなスローライフRPGではないです

ヒロインが誘拐されたり人魚が身売りされそうな状況で呑気に畑仕事する気になるかボケ!!!!!!

シナリオはもうはちゃめちゃに面白いんですが、本編もサブクエもみーんな抱えてる事情が重すぎる。呑気に畑耕してる自分がおかしく思えてくるんだワ……農業ゲーなのに……

ハーヴェステラやった人との話って、農業とかボス戦の思い出より、「どの(クエストの)話良かった?」なんですよね。貝殻のペンダントの話とか記憶喪失になった駆け落ち相手の話とか。

「クエスト消化すんのかったりぃ〜」とか途中から吹き飛びました。サブクエとキャラエピ全部読んだ。みんな良かった。

すごいゲームです、これ。上記が霞むくらい終盤がすごいんですが、騙されたと思ってやってみてください。多分どっかのタイミングでスクエニ君がセールとかすると思うので……。

ヒロインのアリア。かわいい。



ファイアーエムブレムエンゲージ

RPGにおいて、インフレは悪い文化だと思ってました。強すぎる性能はゲーム性を歪めてしまう一種の毒なのだと。

ですが、このインフレの方向性に、FEエンゲージは完璧なアンサーを出してくれました。

「壊れキャラに負けない理不尽ギミックを用意すればいい」と……。

表示されてるシンボルは大体敵

無理無理無理無理!!!!!

一手ミスれば圧殺されるようなギミックがある中、紋章士(過去作キャラ)のスキルを駆使して突破するか、そもそもギミックに付き合わないかを楽しむゲームでした。

派手でカジュアルなゲーム性に寄ったものの、結局FEの知識と経験が活かされるので、シリーズ初見の人もエムブレマーも楽しめる形に落ち着いているのは非常に良かったです。

味方の強さはできることの多さ、できることの多さはプレイヤー色を出せる攻略の幅広さ。良いインフレの形でした。

最高難易度のルナティックも、ほどよい理不尽さ、といった具合で大満足。近年のFEの中で一番楽しかった作品かもしれません。

 

風来のシレン6

俺たちの"黄金時代"(オウゴン)なんですよね。5から約14年も待たせやがって……。

害悪モンスター達を耐え凌ぎ、リスク管理を徹底した末にポロっと1ミスから死んで膝パン、しかし経験と知識を総動員すればちゃんとクリアできるバランス、これですよこれ。

今回は「自然回復がかなり強いが、敵の被ダメージもかなり痛い」という方向で調整がされているのですが、個人的には良い調整だと思いました。

間髪入れずに敵と戦うと自然回復が活かされず、すぐに息切れしてしまう。そのため、多対一を避ける逃げのフェーズが必要になるのは、不思議のダンジョンの本質である逃げゲーをいい形で出せていると思います。

それを踏まえてもストーリーも程よい難易度で、99Fダンジョンも「無知だと即死だが、ちゃんと詰めれば割といける」くらいの塩梅。

裏真髄クリアまで含めて2週間、狂ったようにシレン6を遊んでましたが、青春時代が蘇ったような時間でした。2024年の本命タイトルだったので、今年はもう大分満足しちゃってます。

 

 

面白かった本

百合論考vol1.01(Don't Gild thi Lily)

かつて『ユリイカ 2014年12月号 特集=百合文化の現在』では「マリア様がみてる」に代表される百合の目覚めの体験、当時の狭いコミュニティの話など、サブカルチャーを紐解くニュアンスで百合をまとめていました。

しかし、10年近くの間に百合の在り方、方向性は細分化されて、2014年からは想像もつかない世界になっています。

良くも悪くも多様化したその様子を「百合の定義は人それぞれ」と濁す人も多いですが、じゃあ自分にとっての百合は何なのか、その定義を今一度見つめ直す機会になりました。

商業におけるおねロリの変遷をまとめた『義務教育では教えてくれないおねロリの本質 〜商業おねロリ時間旅行〜』が個人的に面白く、保護するおね/保護されるロリの二面性の殻を破り、「イブのおくすり」「気をつけなよ、お姉さん」といったイレギュラーなおねロリが生まれるまでの論考には深く頷けるものがあります。

 

ユリイカ2020号9月号 特集=女オタクの現在──推しとわたし

悠木碧氏のコラム『推しと俺』を興味本位で読みたくて買ったのですが、想像以上に見識の広がった一冊です。

「推し」という言葉が普及されてから久しいですが、私はいまだにそのニュアンスがピンと来てなく、「好きな人/キャラ」と何が違うんだろう、くらいイメージがぼんやりしていました。

もちろん推しに対する推しに対する熱量、推しを取り巻く環境とのを向き合い方を読んだことで、なんとなくですが推しを持つ人たちの気持ちが少し理解できた気がします。

また、単に推していれば幸せというわけではなく、『批評──オタクと推しを繋ぐ言葉』では、アイドルを崇拝し無批判な風潮に疑問を投げかける視点もあったのは驚きました。

どんなジャンル・文化圏であれ、推しという大きなフレームで囲われているものの、好きなコンテンツほど自問を繰り返しながら向き合っていることがわかり、共感と発見に満ちた内容でした。

とか言ってたら、上述のガタケットで買った本に雷を打たれたような衝撃を受けて、数日そのカプの想像で悶々とする羽目に。これが「推しカプ」ってことですか……?

 

 

他にも標識無視車に突っ込まれて事故りかけたり色々ありましたが、今現在そこそこ健康に過ごしてます。健康に過ごさせてください。いやほんと。頼む。後生だから。

何はともあれ、次回はサボらず書けることを祈って、今年の残りもぼちぼち頑張っていきます。

2022年まとめ日記


大変ご無沙汰してます。ハリネズミbotです。
2020年頃に、これ以降特別な理由もない限り自分のことは呟かないような話をしたのですが、「まあたまにはいいか……」に気持ちが寄ってきました。
根がオタクなのに何も吐き出さないのも毒よね、ということで。半端な人間ですまない。
以下は簡単な覚え書きばかりですが、長めのツイッターみたいな感じでお付き合い頂ければ幸いです。



・外交的なあれこれをした
色々しました。スマブラやってるイトコにオフ対戦の誘いをかけたり、単身でオフ大会に参加したり、母校(大学)の教授に会ったり……。コミュ障にしては出来過ぎなくらいに色々なアクションをとりました。
そのおかげか、人とのコミュニケーションに対する抵抗はある程度薄れた印象があります。
他にも、こんな閉鎖的アカウントになった後も通話やフレ戦などお誘いいただく/誘う機会も意外とありました。本当にありがとうございます。



・作品評を書いた
こっそり書きました。レビューというより、「多くの人このシーン●●って解釈しがちだけど、本質はこういう部分じゃない?」みたいな内容です。批評に近いのかな。
書き終わって投稿した後、上位互換みたいな記事を見つけて泡吹いたりしましたが、自分で考え書き切ったこと自体に意味があると思ったので反省はすれど後悔はしてないです。書きたいネタはまだあるし、次はもっと上手く書けるといいね、ハム太郎



●やったゲーム

・白昼夢の青写真
予想の数倍面白かったです。
物語の時代も空気感もまるで違うルートを3つ用意し、最終ルートに収束させる……なんて手法は言うほど簡単ではない筈なのに、きちんと纏まってるしどのルートも高水準で面白い。完璧でした。個人的に好きだったのはCASE1。
エロゲ(ノベルゲー)は技術も頭打ちになり、熱中できる新作にはもう出会えないかなぁ……なんて思っていたのですが、そんなことは無かったです。
文学を題材にしてるしSwitchでも出てる。これはお友達にもオススメできますね(?)


スマブラSP
全キャラVIPも完了したし新規勢としては出来過ぎだな〜卒業してもいいかもな〜と思いながらも、2先の世界でチマチマ続けてます。
勝ち負けよりも、上手くなるのが面白いから続いてるので、本当の本当に行き詰まるまで結局続けそう。1600に乗りたい。


・スプラ3
友人と遊ぶツールが欲しかったので買いました。
買った当時はガチる気無かったんですが、友人がS+だから足手まといにならないようにしよう、と思った結果”そこそこ”頑張ることに……。おじさんたちのゴルフや麻雀コミュニティもこんな感じなのかな。
コミュ障だしボイチャ無理っす、って思ってたのですが、ボイチャしながらが一番おもろいわあのゲーム。


ポケモンSV
非常〜〜〜〜〜〜に評価に困るゲーム。加点法なら200点。
歴代で一番面白いシナリオだったり、toby fox氏のかっこいい曲が前面に出たり、新しい風が吹いてきてる印象。
増田神がゲーフリから離れた今、「ポケモン」はまた別の方向性に向かいつつあるんだなぁと感じた一作でした。
ビワちゃんの素顔が出るDLC、待ってます。


星のカービィディスカバリー
3Dになってもカービィカービィでした。コピーの個性も過去イチだからか、今までで一番面白かったです。
「それではご覧ください!」のアレは子どもに見せてもいいのか……? と思うほど闇深でしたが、小説版を読んだらさらっと描写されていて、なるほどさらっと流せばいいのか! と知見を得ました。(?)
なお、有志が行っている「みんなで決めるゲーム音楽ランキング」では新作が出る度に上位(大抵1位)を掻っ攫うことに定評のあるカービィシリーズのBGMですが、今回も1位を獲った模様。流石。


閃の軌跡
まだ1しかやってないけど面白いです。内乱・紛争をきちんと描けるのは良作と進撃の巨人から学んだので……。
一作で60〜100時間かかるボリュームを四部作とかマジ? と思いながらも、シナリオが徹底して面白いので文句が言えない。もし4まで完走し切ったら私、どうなっちゃうの〜!?


・ソフィー2
こういうのでいいんだよ、こういうので。
ソフィーやプラフタの良さや雰囲気を残しつつ、改良するところは改良したする、続編の好例。ソフィーの初期レベルが錬金Lv50、冒険者Lv20というところにも愛を感じる。
仲間6人個性が立ち、死にキャラも存在しない点などガストのコストターンバトル集大成って感じなのもGood。
こんな感じで作れるなら続編もっと出してもいいのよガストちゃん。



ゼノブレイド3
クリア後はノアミオのファンアートを狂ったように探しました。




・まとめ
ぽつぽつと書き流してきましたが、個人的には充実した1年でした。
特にオフで見知らぬ人と交流するなんて学生時代には想像もつかない(でなきゃ隠キャになってない)ので、コミュ障特有の気疲れこそしましたが、非常に良い体験でした。

その反動なのか、12月は仕事AとBとCその他諸々がごっつんこした結果、「あはっ、あはっ、こんな(12月中ずっとタスク大渋滞)になっちゃった……」とかバカの所業をやってたのが何とも言えない。
単に自分の仕事が遅いだけなので言い訳の余地がないのですが、来年はもう少しペースを考えて進めます。ハイ。

ハリネズミましろ)もそうですが、生活スタイル、仕事周りの環境もだいぶ変わりました。とはいえ、心身は締切以外だいぶ穏やかな日々を送れているので、この調子で引き続き頑張って行きたいですね。

ツイッターよりこういうブログ形式の方がだいぶ気楽だったので、こんな中身の薄い雑記でいいなら気が向いた時に書くかもしれません。
基本はまたハリネズミbotになると思いますが、機会があったらまたどこかで。それでは良い年をお迎えください。

コミュの怖さと後悔と

「ありがとう」を伝えられず終わる人生にしたくない、と強く思うようになった。


私は学生時代、人と正面から話すことに一種の恐怖心を抱いていた。

高校では友達が全然作れなかったし、大学一年の時は、人の前に立ってレポートを発表するだけで、手足が震える始末だった。

それは、中学時代に受けたハラスメントから来る傷跡なのか、単に友達が一人も居ない高校に放り出されて拗れた結果なのか、よくわからない。何にせよ、私はコミュニティの形成に乗り遅れ、休み時間は一人で本を読む学生生活を送っていた。


そんな中、高校の修学旅行で、友達と呼べる人が一人できた。

就寝部屋が同じだった、Tだ。

Tは東方projectの同人が好きで、偶然にも私が当時読んでいたサークルと一緒だった。

好きなジャンルが同じ、というのはあるけれど、読んでる同人誌自体もピッタリハマる人に出会うというのは奇跡で、互いに興奮したのを覚えている。

就寝時間、みんなが眠っている中、秘密を共有するような雰囲気も相まって一気に意気投合した。勢いでメアドも交換し(当時はLINEも無いガラケーだった)、この人となら仲良くなれる、という確信まであった。

 

けれど、Tとの関係はそこまでだった。

修学旅行が終わり、Tは元のコミュニティに戻る。

その輪に、私が混ざれる勇気が無かったのだ。

一気に距離を詰めた反動で、「もし拒絶されたらどうしよう」という恐怖心が一段と膨れ上がっていた。

休み時間、輪の中に居るTに話しかけようと席を立とうとして、足が動かなかった。次の休み時間も、その次も、足が言うことを聞いてくれなかった。ならばとメールを打とうとしても、送信ボタンが押せなかった。当時は恐怖心を自覚できてなかったしコントロールする術も知らなかったから、余計に苦しさを増幅させていたのだと思う。

結局、Tとは修学旅行以来、ろくに話すこと無く卒業した。

話したいことは沢山あったはずなのに、その機会は失われてしまった。

 

 


同じく、高校時代の私に声をかけてくれる人が居た。同じ学校に通っていた上のイトコだ。

彼女は小さい頃から、私によく話しかけてくれた。高校になっても、イヤホンを付け一人で帰る私に、手を振ってくれた。身内に隠キャが居るのを周知させる、下手をすれば自身にもリスクのある行為だと思うのだが、純粋に私を気遣ってくれたのだと思う。

けれど、ささやかな彼女の善意に、私は目を背けた。沢山の友達を連れている人気者の彼女に手を振り返すぼっちな年下のイトコ、という立場が、惨めでたまらなかったのだ。

それでも、彼女は私を見かける度に、声をかけ、手を振ってくれた。心の弱い私は、申し訳程度のリアクションもできなかった。

そんな彼女とも、とある転機を切っ掛けに、話す機会を失うことになる。

内容は割愛するが、彼女へ送った千羽鶴が届いていなかったら、現在も彼女の家族と話せるような関係になってなかったかもしれない。

 

 

 

なにが言いたいかと言えば、「関係がいつ終わるとも知れない世の中だから、伝えられるうちに気持ちは伝えないといけない」ということだ。

ある時、私が好きな作家が、YouTubeの配信で「ファンアート、マシュマロの文章は上手い下手とか関係ないですよ、書いてくれた気持ち自体が嬉しいですから」という旨のコメントをしたのを覚えている。

それ自体は月並みな言葉なのだが、彼の書いた作品では、仲間であり尊敬するクリエイターが筆を折り、何もしてあげられなかった主人公の無念と絶望を強く描いたシーンが幾度も描かれている。

だから、言葉の裏には、想像もつかない実感と重みが含まれているように思えて、強く胸に刻み込まれた。

以来、私は伝えられる内に、よしんば拒絶されようとも、ちゃんと言葉にして伝えようと心がけている。

社会上の人間関係も、SNSも、ふとした拍子に繋がりが消えることはザラなのだから。

 

 


高校から何年も経ち、社会に出ても、後悔の連続だ。

学生時代に比べれば、落ち着いて話せるようになってきたが、言葉選びを間違えたり、言葉が不足することは多々ある。潜在的恐怖心が残っているか、あるいは単に人との距離の取り方が下手くそなのだろう。

それでも、人見知りなりに、前向きなコミュニケーションの姿勢は忘れないよう、ここに書き残そうと思う。

 

いつだって幸せの形は性癖が知っている

百合のセンサーが鈍くなってきている、と感じた。

それは恐らく、百合の概念が多様化してきたこと、様々な百合観の主張をツイッターで見かけたことが影響しているのだろう。なにぶん流されやすい性格のため、自分を見失いかけているのかもしれない。

これはいかん、と思った。なので、改めて己の百合観を言語化することで、輪郭のぼやけたイメージを整理しよう、というのが本記事のテーマである。

以下、とりとめもなく、恥も外聞もなく性癖を語っていく聞き苦しい記事となるが、許して欲しい。

 

 

さて、私は、女の子同士のスキンシップが大好きだ。もっと言えば、情事に至るクラスの、密で熱量のあるスキンシップだ。

 

ハグをした瞬間に伝わる、互いのやわらかさ、温もり。

間近で顔を合わせ、くすくすと笑い合う時間の愛おしさ。

指を絡め、徐々に高まっていく感情。

やがてゼロへと近づいていく距離。濡れた瞳と唇。

そして、唇を触れた時に胸に広がる甘やかさ。

 

こうした、情事に至るまでのプロセス全てが好きなのだ。

ぶっちゃけ前戯だけあればいいとすら思う。いやごめん本番も見たい。

 

そんな性癖のイメージの基盤として一番記憶に残っているのは、過去に少しだけ手を出した、レズAVにあったシチュエーションだ。

それはAVに多々あるような、がっつりセックスをやる、という感じではなく、とても静かな流れの展開だった。時間の大半が、ベッドで抱き合い、ただ見つめあったり、啄んだキスをしたり、聞き取れるかあやしいくらいの声で何かを囁きあったりしている。いざ本番に入ろうと服を脱がせ合う時でも、二人ともゆっくりとした所作で、時折くすくすと笑いあって、全然本番に進まない。

エロさの漂わないそのシチュエーションに、私は感銘を受けていた。「これこれこれこれ!  こういうのが見たかったの!」と充足感に溢れ膝を叩いていた。あくまでAVはAVであり、実際のレズセックスと本質的なものは違うのかもしれない。しかし、私が求めているスキンシップ像は、そこにある気がした。

 

本番行為そのものに興味がないわけではない。どちらかといえば、推しカプにはセックスをしてほしいとすら思う。実際、色々な百合作品を手に取る中で、セックスに至るシーンだってあるわけだが、手放しに喜べる時と、そうでない時がある。

モヤモヤとした疑問を晴らしてくれたのは、牧村朝子氏の著書『百合のリアル』だった。現代社会における性事情を書き連ねたこの本の中で、女性同士のセックス観を自身の体験も交えて述べている章があった。それが私の百合観を補強することとなる。

 

レズビアンっていったって、めちゃくちゃいろんな人がいるんだし、もちろん全員知り合いってわけではないからわからない。でも私自身は、例えばお互いの耳や首筋や背中やおっぱいや気持ちいいと感じるところを色々を、やさしく触り合ったりなめ合ったりするのが好きです。どちらが男役とか女役とか、どちらが攻めるとか受けるとかそういうことは特になく、ただお互いに見つめ合って、触りあって、感じ合って、彼女と私の体の境目がどこだかわかんなくなっちゃうくらいに溶け合うのです。

 

セックスは高度なコミュニケーション。各所で言われる言葉だが、蓋しその通りだと感じる。触れ合った時に生じる膨大な情報量と感情のやり取りを、一つずつ噛みしめるだけでも、十分なのだ。

 

もちろん相手をオーガズムまで導いてあげられると嬉しいけれど、自分や相手がイク/イカないには全然こだわりません。とにかく、恋人同士じゃなくっちゃ見せないようなところをお互いに触ったり舐めたりしあって、ひととおりエッチなことに満足して、そのままいちゃいちゃしているうちに、安心して眠たくなって一緒に寝ちゃうのが最高に幸せなんです。

 

性欲というより、互いの幸福感を重点に置いてる点で、私は頷くばかりだった。性的快感がセックスの全てではない、私もそう主張していきたい。(『百合のリアル』はレズビアンに限らず、性の向き合い方について、男女問わず深く考えられる名著である。百合に興味がある方々は、是非とも手に取り読んでいただきたい)

 

 

 

話が百合観というよりセックスの話に寄りすぎてしまったが、百合観、性癖については以上の通りだ。要するにいちゃいちゃしてるのが大好きなのだ。

そもそもスキンシップ、キスというのは、心の許した相手に行う行為であり、だからこそ気持ちの繋がりも深く、甘やかなものとなっていく。二人の間にあるのがプラトニックな感情なのかエロスな感情なのか、それは問題ではない。ただ互いを思いやる気持ちが、側から見ても胸焼けするほどに伝わってくればいい。そのいちゃいちゃの最高段階として、情事前のスキンシップが好きなのだ。

こうして言葉に起こしてみると自明のことであったが、しかし、性癖が生み出す熱の感覚を、長らく忘れていたように思える。

言葉にするって、結構大事なのかもしれない。口にした内容がかなりアレなことに目を逸らしながらふと思った、梅雨明けのとある1日だった。

 

「もう一度」が与えられるのなら 『Re:LieF〜親愛なるあなたへ〜』体験版をプレイして

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いつからだろうか、私は就職活動というものに諦観を抱いていた。

鈍臭い自分を拾ってくれる人はどこにも居なくて、職種を選ぶ余裕なんて無くて、転がり込むように就職した。

転がり込むように、という意味では、高校・大学も変わりない。

自己評価の低さゆえに生じる他者への恐怖。それから逃げ、縮こまり、自分を守ってばかり。

そんなツケが、今の生きづらさとして現れているのかもしれない。

 

こんな前置きから始まったのは、

『Re:LieF〜親愛なるあなたへ〜』

の物語が、現在の自分に突き刺さる内容だったからだ。

触れたのはまだ体験版のみだが、それでも、心の内を強く揺さぶり、こうして筆を取るだけのものがあった。

 

 

あらすじ

『Re:LieF』のあらすじを簡潔に纏めると、

「一度仕事に挫折した人達が、一年間の擬似学園生活による再就職支援プログラムを通し、自分を見つめ直す」

というもの。

 

開幕は、痛々しい切り出しだった。

理不尽な叱責、周囲からの重圧に押しつぶされた新米社会人、箒木日向子。

針のむしろの中、取引先でのプレゼンに一度、二度と失敗し、人前に立つことに強い恐怖心を抱くようになる。

事実上のクビを言い渡され、会社に行く理由も無いのに、スーツを着て呆然と電車に乗る日々。

もしかしたら会社から何か呼ばれるかもしれない。

けれど、会社にはもう行きたくない。

そんな二律背反の感情が、失職直後の状態として、非常に生々しく見えた。

行くあても無い電車の中で、取引先で知り合った女性──斎藤と再会する。

事情を知った斎藤は、「トライメント計画」──模擬就学制度による若年者際就職支援プログラム──について話してくれた。

ハローワークに通うものとは別の、就職を見つめ直すチャンス。

失意の中から立ち直るため、日向子は二度目の学園生活に身を投じる事となったのだ。

 

やりたいこと、自分の存在価値

上手い、と本作で感じたのは、日向子のキャラクター像と、世界観の親和性だ。

トライメント計画に参加する直前、日向子は、当時の学生時代のアルバムに目を通していた。

 

……私は本当に、この学園にいたのだろうか。
思わず問いかけたくなるほどの存在感。
私は、何かを残したのだろうか。
私は、何かを得たのだろうか。
もう一度最初の方へと戻って、自分のクラスのページを開く。なかば予想通り、そこにいる、ほとんどの人の顔と名前が一致せず。
ああ、だから、そういうことなのだ。
昔からずっと、私は自分の理想や目標などを考えず、ただそこにいるだけの存在だったのだ。

 

日向子は、やりたいことや目標を持たない、未来が白紙のキャラクターとして描かれたいる。また、学生時代も、持病のせいで友達を持てず、思い出と呼べる過去も存在しない。

何も持たない、というのは主役としてよくある型に見える。だが、「トライメント計画」が、逆に日向子を際立たせている。

トライメント計画に参加する者たちはみな、学生である以前に社会人だった。

日向子が学園で知り合う仲間たちは、前職で法学関係に勤めていたり、論文を幾つも発表した研究者だったり。みんな何かを社会の中で培っていた。

日向子は、そういった「何か」を持っていないのだ。

社会人にもなれず、学生でもいられなかった存在。

 

別にいまどき、自分のような生き方を珍しいものだとは思わない。
けれど、そうだけど、それは少しだけ、ほんの少しだけ、寂しいな、と思ってしまった。
職場だって同じだ。
「あの」職場の人間はきっと、一週間前にいなくなった人のことなど、誰も覚えていないだろう。
そして、それを寂しいことだと感じることさえ、きっとほとんどなくなっていて。

 

自分が所属する集団において何を成したか、存在意義を見出せずにいる。それは決して他人ごとに思えなかったし、恐らく相当数の人は日向子のような懊悩を大なり小なり抱えていると思う。

「何もない」ことが、トライメント計画の中で、「何か」を見つける役割として、機能しているのだ。

 

 

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日向子は凡庸で、読者の目線に一番近い形で描かれたキャラクターだ。

一人だった彼女が、学園生活で作り上げた友達に支えられながら、冴えない社会人だった過去の自分を乗り越えていく。

こうして筋書きを書き起こしても、物語を平凡に感じなかったのは、「もう一度」だったからなのだろう。

取り返しのつく出来事はない。だからこそ、失敗の過去はトラウマとなり、心の深くに刻みこまれる。その筈だ。

けど、もう一度、挑戦する機会が与えられたのなら。

その機会を逃すまいと、勇気を振り絞り、壇上に立つ彼女。

その姿は、どこまでも輝いて見えたのだ。

 

まとめ

ここまで書いて、これが物語のごく一部、共通ルートか何かに過ぎないということに驚愕した。それ程正確に、一点を穿つシナリオだった、ということかもしれない。

短い体験版ではあるが、社会生活で苦い思いをしたことがある人、未来への展望が漠然としている人には、是非見て欲しいと思える内容だった。

就活、仕事との向き合い方について掘り下げた作品としては朝井リョウの『何者』、山本文緒の『絶対泣かない』などがある。

だが、「元社会人が集う擬似学園生活」という非現実な世界に引きずり込んできたのは、エロゲならではの手法だと舌を巻いた。ただ学園の風景を書くのではなく、社会に放り出され、もう一度モラトリアムに戻ってきたことで、みな落ち着きがあり視界は現実的になっている。そうした部分をきちんと描いているのも抜け目がない。

現在、ディスク版はプレミア化していて、定価で買えるのはDL版のみになっているが、それも頷けるクオリティだ。

 

最後に、キャッチコピーとなっている言葉(主題歌の曲名)で締めたいと思う。

シンプルな一文ではあるが、この一文が、痛いほど響いてしまうのだから。

 

 

「試してみるんだ、もう一度」

(Re:TrymenT)

 

 

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あなただけの、小説が好きな理由が見つかる。 『小説の神様 あなたを読む物語』

二十を過ぎた辺りからでしょうか。「年を取るにつれ、人は本から離れていくのではないかしら」という、漠然とした気配を感じました。
 
文学コンテンツが好きと言っていた元バイト先の店長は、「忙しくて最近の作品は追えていない」とも話し、定期的に本を読んでいた知人も、「今はラノベすら読むのが億劫」と漏らし、かつて一緒に図書館に篭った中学の旧友らも、今では「本」の単語すら口にしません。


そんな中で、「自分は本から離れないぞ!」と、よく分からない意地を張っていました。子どもの頃から本を読んできた私にとって、本を失った生活など考えられなかったのです。
けれど、社会に出始め、心が磨耗するにつれ、一月に読める本が段々と減っていくのを感じました。
寧ろ疲れているのなら、エンタメ性の高い映画やYouTubeの愉快な動画を観る方が断然気楽で、「ああ、こうして人は本から離れていくのか」と、ふと思いました。
自分の何かが音を立てて変わっていくのを感じながら、しかし小説から離れがたい思いは消えませんでした。

小説を読みたい。けれど読むエネルギーは大きい。

映画もある。漫画もある。なのになぜ、小説の媒体が好きなのだろうか。

そもそも、インスタントに娯楽を楽しめる今、小説に拘る理由なんてあるのだろうか。

そうした思考の袋小路の中で、「小説の神様  あなたを読む物語」を手に取りました。

小説を愛するが故の喜びと苦しみが入り混じった激しい熱は、「ああ、やはり小説が嫌いになれない」と思わせるだけのものがある、ずっと心に残るような作品でした。

 

 

 

人物紹介

 

この作品を紹介する前置きとして、『あなたを読む物語』は、二人の主人公の視点が交互に移りながら進行していきます。

 

・千谷一也

一巻に引き続き、本作の主人公。売れない高校生作家。長い間物語を生み出せない状態だったが、小余綾詩凪と合作の企画を経て、再び小説家として立ち上がる。

・成瀬秋乃

もう一人の主人公。千谷が所属する文芸部の後輩。引っ込み思案な性格から前に進むために、小説を書きたいと思っている。

・小余綾詩凪

千谷の同級生であり、覆面美少女作家。合作の相方である千谷と度々意見が衝突したり、小説を書きたいと口にする秋乃に、優しい言葉をかけている。


千谷と秋乃、作家の葛藤と読者の葛藤。この二面性が、『あなたを読む物語』の魅力となっています。

今回は、特に共感できた秋乃に主にスポットを当てて、紹介をしていこうと思います。

 

本を通じた、人との対話

 

秋乃視点の大まかな内容は、以下の通り。

中学生時代、同級生の真中葉子の書く小説を読み、彼女の世界に惹きこまれていった秋乃。しかし、高校生になり、再び出会った彼女は、「もう小説は書かない」と言い出した。また、本屋で知り合った小学生から、「不登校になってる友達を、元気付ける本を探したい」と頼まれる。真中に、不登校の子に、心を繋げられる物語は存在するのだろうか?

 

秋乃の話の中で、強くメッセージ性を帯びていたのは、「本を通じた人との対話」です。

物語の中で、秋乃はクラスメイトであるユイに本を勧めることになります。秋乃が勧めたそれは、可愛らしいキャラクターが表紙の本……いわゆるライトノベルと呼ばれるものでした。
秋乃は一般文芸と呼ばれるものより、ライトノベルを好んでいました。外野から飛んでくる偏見、好奇の視線に晒されながらも、その本にしかない物語に、心が惹かれることを否定することはできませんでした。
だから、ライトノベルに詳しくないユイに本を勧めた時も、色よい反応が返ってくる期待は、あまりしてなかったのです。
けれど後日、ユイの口から飛んできたのは、「すっごく感動した!」と興奮混じりの声。
「共通の本の話題」が橋渡しとなり、ユイとの中は深まっていきました。
 

物語の中心となる真中と知り合ったのも、「真中の小説が好き」という気持ちです。
この描写が綺麗、真中さんのような感性を持ちたい、続きが読みたい、そうした真中の綴る物語が好きという思いを、秋乃が真っ直ぐに伝えたことで、赤の他人だった真中と、友達になることができました。この経験は後に、秋乃が小説を書きたい思いにも繋がっていきます。

本来、読書体験とは、物語を咀嚼し、自分のみの感動として完結するものかもしれません。しかし、読んだ者同士、書き手本人と感想を共有することで、小説を通じて、人が、物語が繋がっていく、それも読書の在り方の一つだと思います。

 

あなただけの物語が見つかる

 

『あなたを読む物語』で何よりも面白いのが、「読み手によって刺さるテーマが違う」こと。物語が進行する中で、千谷と成瀬は、小説に根付いた多くの問題に向き合っていきます。


心ない批判を受けながら、或いは惜しまれながらも、日々打ち切られていく物語。

作家生命を奪う海賊版や万引きの問題。

ライトノベルを薦める時の冷たい視線。

本とはメディアミックスされる売れ方が正義なのか?

売れるためなら自分の信念を曲げるのか?


書き手と読み手、どちらの視点からも共感できる悩みがぎゅっと詰め込んであり、読んでいるうちに、背筋が伸びるような気持ちになります。若い子が無自覚で使う海賊版も、ライトノベルの風当たりが冷たいことも、創作の世界で完結する他人事とは思えません。

 

特に一番心に残ったのは、人に本を薦めることが何か意味をなすのか、心を動かすことなんてできるのか、と秋乃が悩むシーン。

図書室で遭遇した小余綾は、秋乃の話を聞いて、こう語りかけます。

 

「この物語は、わたしのために書かれたのかもしれない。そんなふうに感じる物語と出逢った経験はない?」
「そんな経験ができるのは、きっと幸運なことよ。物語との出会いは運命だから、それができない人たちだっている。有名な作品や人気作は、誰でも手に取る機会が多いと思う。けれどそれは普遍の物語にすぎない。人の心には普遍な心もあるから、広く浅く心に届く物語もあるけれど、でも、狭く深く刺さる物語は、きっと見つけ出すのはとても難しい。その尊さは、一冊の本を何度も繰り返し読んだ経験のある人でなければ、わからないことだわ。自分の読書の経験から、誰かのそんな手伝いができるようになれたら、きっと素敵なのでしょうね」
講談社タイガ  小説の神様  あなたを読む物語  下巻  P.165より

 

読んだ時、心の憑き物が落ちるような気持ちでした。

物語に触れるのは、娯楽のためだけではない。小説の言葉一つ一つが、自分の傷や苦しみにそっとに染み込むような、本でしか経験することのできない、かけがえのない物語を探す。それが読書であり、本を薦めることなのだと。

勿論、前述のユイの話のように、ライトノベルのような作品から交流を深めることもあります。今、多種多様な物語があるように、物語と触れ合う形は様々なのだと、改めて教えられました。

 

まとめ

 

小説の神様  あなたを読む物語」、素晴らしい作品でした。
かつて「小説の神様」一巻を読み、痛ましくも前に進み続ける作家劇に引き込まれた私ですが、『あなたを読む物語』もまた別の切り口で読者にアプローチをしており、興味深く読むことができました。

小説を読むのはエネルギーが要るとか、周囲を気にしたり、そういう「読まない理由」よりも「読みたい理由」に正直になれるよう努めていこうと思います。

また、『あなたを読む物語』は『小説の神様』の続刊ではありますが、本文からキャラの関係性は十分に把握することができること、本に詰め込まれたメッセージ性は単体で完結していることから、『あなたを読む物語』から入ってみるのもアリなのでは、と個人的に思ったりします。

この作品は、小説を愛するが故の苦しみに向き合い、多くの人と対話を重ね、最後には「小説が好き」だと胸を張って言うことのできる。そんなプロセスを描いた物語です。

小説を手に取る人が減っている今だからこそ読みごたえのある、おススメの一冊です。あなただけの「小説が好きな理由」を、見つけてみてください。