社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

マウンティングポリス『人生が整うマウンティング大全』(技術評論社)

 爆笑必至であるが、なかなか鋭い洞察を示してくれるマウンティングに関する本。マウンティングの実例を豊富に示したうえで、相手にマウントをとらせることがビジネスシーンでも役に立つことを示す。また、イノベーションは、消費者のマウンティングエクスペリエンスを拡大することで生まれるとする。つまり、消費者のマウントしたい欲望を叶える商品を開発することが技術革新につながる。マウント要素を上手に組み合わせて独自のマウンティングポジションに立ち他人と比較されないマウントフルネスに立つことが大事。

 本書はほとんどジョークで書かれているような本であるが、マウンティングの実例は秀逸であり、またマウンティングについて展開される牽強付会ともとれるビジネススキルや生き方指南は意外と説得的で参考になる。マウンティングについては、こういうネタ本もいいがもっと強面の学術書が待たれる。

村松聡『つなわたりの倫理学』(角川新書)

 徳倫理学の入門書。功利主義や義務論では適切な解決ができない問題がたくさんある。徳倫理学は、すっぱりした回答を出してはくれないが、様々な事情を勘案しながら臨機応変に問題に対応できる。徳倫理学において重要とされるのは「潜在力」であるが、人間が生を充実する際に必要とする能力と機会の総体のことであり、ヌスバウムによると次の10個が挙げられる。生命、身体の健康、身体の不可侵性、感覚・想像力・思考力、感情、実践理性、連帯、ほかの種との共存、遊び、自分の環境の管理。この潜在力が機能するように諸般の事情を総合衡量するのである。

 最近徳倫理学関係の書籍が増えてきたと思う。確かに、功利主義や義務論では解決できない複雑な問題は、単純な倫理公式で考えるよりもより具体的に臨機応変に考えていった方がより適切な回答が出せるのかもしれない。アリストテレスが唱えたフロネーシスの伝統であろう。とは言っても、徳倫理学にも原理原則があり、そこについてきちんと書いているのが本書だ。なかなか勉強になった。

マイクロアグレッション

 最近、少数者や特定の属性を持つ人に対する些細な、ときには意図せざる差別的言動をマイクロアグレッションと呼ぶようになった。例えば女性の業績に対して「女性なのにすごい」と言ったりすることの背後には、「女性は大したことがない」という偏見が隠れていて、この隠れた偏見が言われた女性を傷つける。

 このような些細な意図せざる攻撃によって、少数者などは小さな傷を蓄積させていき、それがいつの間にか大きな傷となってしまうのである。大人なのだからスルーしよう、そう思ってスルーしたつもりの小さな傷が、積み重なってしまうことにより大きな傷になる。今あげた女性も、マイクロアグレッションを浴び続けることにより、気が付いたらもう職場に行きたくなくなってしまうかもしれない。

 マイクロアグレッションですら大きな傷となるのだが、これが学校や職場のいじめだったらどうなるか。明らかにいじめとわかるものならそれはいじめであろうが、陰険で巧妙で微細ないじめであったら、それはマイクロアグレッションと同様に、被害者に小さな傷を継続的に与え続けることで、大きな傷を生むのではないだろうか。

 特に職場における陰口や仲間外れなどは、見た目はマイルドかもしれないが、それが継続されることで小さな傷が積み上がり、回復しがたい大きな傷を生む。社会人は、自分は大人だからこんなことはスルーしなければならないと相手にしないかもしれないが、それでも小さな傷は積み上がり、気づいたら体調を崩している、会社に行きたくなくなっている、そういう事態になる。

 マイクロアグレッションの被害に遭うのは、特定の属性を持つ人だけではない。誰でも被害に遭う可能性があり、それは例えば上司に気に入られなかったという本当に些細なことがきっかけかもしれない。だが、その上司に継続的に些細な嫌がらせを受けることにより、部下はいつの間にか大きな傷を受け欠勤するようになりかねないのだ。

 マイクロアグレッションはもはやだれでも当事者になりうる。

山本圭『嫉妬論』(光文社新書)

 嫉妬について小気味よくまとめて論じた本。嫉妬は民主社会において、人々が平等であることによっていっそう生じやすくなっている。嫉妬は公益的に作用すると世直しを導く可能性もあるが、基本的に公益をも害することが少なくない。嫉妬から逃れるためには、例えば物を作って自信と個性を持つことなどが挙げられる。嫉妬は比較から生まれるが、比較から逃れられないのなら逆に徹底的に比較することもよいかもしれない。

 本書は、嫉妬について古今東西の文学作品や哲学思想から論点を洗い出しきれいに整理整頓した好ましい本だ。嫉妬というこの厄介な感情について、理解は深まりはすれ、現実社会で自らが抱く嫉妬、自らが抱かれる嫉妬からは逃れられない。幸い自分は物を作っているから嫉妬から比較的逃れられているようである。

奥村隆『他者といる技法』(ちくま学芸文庫)

 論文集。人間はただのリラックスした家庭生活を送るときでさえ、表情を整えたり相手に反応したり、一定の他者とともに居る技法を用いている。他者といる技法についていくつかの論点から迫っていくが、その際に、著者のスタンスは被害者のそれではない。社会から被害を受けたものとして、社会の外側から問題を告発していくのではなく、社会のすばらしさも不適当さもともに味わっているごく普通の社会の中の人間として社会を論じていくということ。そのようなスタンスでこの論文集は書かれている。

 適度な複雑さで進行していく議論は心地よく、他者とあることの面白さについて楽しみながら読めていく本である。こういう本が読む者の教養を深めるのだろう。論文集は即効性のある知識はあまり提示せず、むしろ専門的な論点を扱っているが、こういうものを読むことで鍛えられる思考力は読者の教養を深める。とても良い本だった。