社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

孤独なクレーマー

 行政職員をやっていると様々なクレームを受ける。そのクレームが自分の担当する事務や所管する事務に関するものだったら速やかに対応するのみだ。だが、中にはほとんど自分の担当事務と関係のない案件について切々とクレームを訴える人もいる。端的にクレームを申し立てる窓口を間違えていると切って捨てることも可能だが、事情はそう単純ではない。そういうクレーマーは、たいてい悩みで苦しんでおり、それでありながら周りには話を聴いてくれる人がいなくて、藁にも縋る思いで行政の筋違いの窓口に電話をかけてくるのである。私はひそかにそういうクレーマーを「孤独なクレーマー」と呼んでいる。

 孤独なクレーマーは様々な悩みを抱えている。その悩みの一角に、私の担当事務がかろうじて掠るのである。それをよすがに孤独なクレーマーは私のところに電話をかけてくる。それで孤独なクレーマーの話す内容は、家族の問題とか自分の受けたひどい仕打ちのこととか、とにかく誰かに吐き出して少しでも心が軽くなりたいような内容なのだ。それは直接的には私の業務とは関係がない。だが、孤独なクレーマーは誰も聴いてくれない自分の悩みを切々と訴える。

 孤独なクレーマーは高齢だったり病気を抱えていたりする社会的弱者であることが多い。誰も聴いてくれない悩みを誰かに聴いてほしくて何かで知りえた行政の窓口に電話をかけてくる。孤独なクレーマーが電話をかけてきたとき、とにかくちゃんと話を聴いてあげることが大事である。なぜなら、孤独なクレーマーの真の欲望は誰かに話を聴いてほしいということなのだから。自分の業務とは関係なくても、孤独なクレーマーの望んでいるのはそんな回答ではない。とにかく誰かに話を聴いてほしいのだから、話を丁寧に聴いてあげる。大変でしたねえ、心中お察しします、そういう相槌が欲しいのである。結局問題が真に解決することはないが、孤独なクレーマーの話を聴いてあげるだけで、孤独なクレーマーの心をやわらげ、より過激なクレーム行為や犯罪へと駆り立てることを抑止することができる。

 行政は所詮冷酷な権力装置でしかない。だが、だからと言って弱者を差別したり、排除したり、弱者への想像力を失ったりしてはいけない。クレーマーの相手をするのは負担ではあるが、そういう人たちのメンタルを少しでも良くするため、特に孤独なクレーマーの話はよく聴いてあげる。もちろん悪質なクレーマーの場合はまた対応は別だ。その線引きは非常に難しいが、現代はみんなが心の余裕を失っていて、人の話を聴くという当たり前のことが機能不全に陥っていて、それが人々のメンタルを悪化させ、悪循環を生んでいる。少しでも他人の話を聴いてあげることで自分の話も聴いてもらえるようになる。その循環が人間社会の基礎にあることを忘れてはいけない。

後藤正治『清冽』(中公文庫)

 茨木のり子の生涯を描いた初の評伝。茨木は家柄もよく容姿にも恵まれながら、柔らかく、でありながら毅然とした態度で戦争などの日本社会の動きと対峙した。「倚りかからず」「自分の感受性くらい」に端的に表れているように、自律してさわやかな精神的態度を持つ近代的な女性であった。本書は、作品や日記などを豊富に引用しながら、そのような茨木の清冽な精神を描いている。

 茨木のり子は特にドラマチックな人生を歩んだわけではない。良家の子女ではあったが、その人生に大きな波はなかった。だが、その自律した精神と豊かな感受性でもって、戦後詩を代表する名作をいくつも生み出した。また、『詩のこころを読む』というエッセイでも広く知られている。彼女の人生は詩人の人生の一例として興味深く読める。

清水俊史『ブッダという男』(ちくま新書)

 ブッダ研究の論点がわかるスリリングな本。我々がブッダの教えを解釈する際、どうしても現代においても有意義であってほしいというバイアスがかかり、現代の価値観を先取りをしていたといった解釈がなされがちである。だが実際には、ブッダは業と輪廻の実在を信じていたし、一般社会での階級の区別を是認していたし、女性が男性より劣っていると信じていた。ブッダはあくまで当時の歴史的条件によって限定されていたのである。

 ブッダはこうあってほしいとか、ブッダは先進的であったとか、我々はそんな望みを託してブッダの教えを読みがちである。本書はそのようなバイアスが真のブッダ像をゆがめることに警鐘を鳴らしている。ブッダについて様々な論点が示されていて、ブッダ研究の入門書ともなるであろう。とにかく楽しく読めた。

 

 

本間・中原『会社の中はジレンマだらけ』(光文社新書)

 経営学者の中原淳と、ヤフーの上級執行役員が、日本の職場をめぐる多様な論点について対談している本。話題は、上司が部下に仕事を振ることや、部下のワークライフバランス、働かないおじさん、新規事業、転職など多岐にわたり、それらについて豊富な議論が交わされている。2016年の本であるが、十分現在でも通用する話題ばかりである。これからは人事の時代になり、多様な働き方や価値観に対応する人事が必要になっていくとのこと。

 私は中原淳のことは信用していて、彼の著作はだいぶ読んできたが、今回は対談ということで幅広で自由な議論がなされている。理論的にかっちりしているわけではないが、中原の問題意識がこの本にはだいぶ凝縮していると感じる。中原の本はまだ未読のものもあるので読んでいきたい。

情報公開担当職員を2年やって気づいたこと

1.量の多さ

 近年、情報公開制度が国民に広く知られるようになったため、公文書開示請求や保有個人情報開示請求の件数は増加の一途をたどっている。それをすべて把握するため、仕事量は多い。さらに、それに比例するように不開示決定等に対する審査請求の数も増えており、それを審議する事務も重い。マンパワーが必要な職場である。

 

2.期限の設定

 情報開示には期限があるし、審査請求を審査する会議も定期的に開催されるため、その期日に合わせるように仕事をすることになる。とても自分のペースでなんか仕事はできないし、常に目の前の仕事に追われることになる。迅速な判断と事務処理が要求される職場であり、ストレスも大きいため病気休職者が出ることもある。

 

3.国民との近さ

 国民が自分から開示請求してくるので、当然国民とじかにやり取りすることも多い。これは仕事が国民に近いということであり、そこでクレーム処理の技量なども必要となってくるが、国民にじかに役立っているというやりがいも生じるだろう。柔軟な精神が必要であり、お役所対応だけでは通用しない。

 

4.デジタル化への対応

 個人情報保護制度がデジタル化に対応するために大改正を行ったように、情報開示についてもどんどんデジタル化が進んでおり、それに対応する検討が必要になっている。旧来のやり方にとらわれず、時代の要求をくみ取る力が試される。個人的には個人情報保護制度の改正に携わったが、制度を変えることの大変さを嫌というほど味わった。