結婚しました
先月県外へ転居し、結婚をしました。
気温も湿度も、街並みも空気も全然違います。
夫両親との敷地内同居のような感じで、まだ自分自身のペースはつかめていませんが、のびのびと過ごしています。
家族のことを気にしなくていい、自分自身の希望で予定が決められる、物音を気にして過ごさなくていい、家族のことでイライラしなくていい。
気は張っていますが、負担だったことの多くがなくなったお陰で、肩は軽いです。
入籍したと、母へメールで報告をしました。
その返信に、おめでとう。と書かれていました。
初めての祝いの言葉でした。
少し心も軽くなりました。
嬉しいというか、やっとわたし人生を認めてもらえたのかなという気持ちになりました。
これから新しい生活に慣れていくにつれて、精神面のバランスを崩すことも出てくると思います。
転院先の精神科病院にも、かかっています。
そこの先生のことも信頼できそうだと感じました。
先生と二人三脚、新しい家族とも一緒に、病気と付き合っていこうと思います。
新しい生活に幸せがありますように。
家族
父の介護に外のサービスを入れたがらない母も、そんな母を独占しようとする姉も嫌いだ。
弟はひたすら、被害者だ。
そこから抜けようとしているわたしも加害者だ。
姉は退院してきてから、以前と変わらない生活をしている。
家で引こもる。何もしない。母が父の世話をするのを嫌がるため、弟がパンクしそうになっている。
わたしは引越しの準備や送別会で慌ただしくしているから、弟になぜ家のことをしないのかという目で見られている。
余裕がない弟は、わたしにあたるしかないんだと思う。
プライベートの時間さえ大事にさせてもらえない。
わたしも精神科に通っている、調子もそんなに良くはないといっそぶちまけた方が良かったのだろうか。
でもそれをしたら負けな気がする。絶対に嫌だ。
そうするくらいなら何も言わずに今すぐ家を出ていく方がよっぽどいい。
こんな家。
里帰りができるような家ではないから、あまり近寄りたくない。
裏切り者のわたしには、きっと居心地良く過ごせない。
里帰り出産なんて絶対にありえない。
姉の面倒もみるつもりはない。
家のことを一切せずわがまま放題で過ごし、家族の負担を増やすばかりで財産を食いつぶしていくような姉はわたしにとってなんのプラスでもない。
いつまで悲劇のヒロインでいるつもりだよ、そんなに父が嫌いなら父の建てたこの家から出ていってくれよ。
これ以上家族の足を引っ張らないでもらいたい。
入院中は穏やかだったのに。
早く出ていきたい。
明後日だ、もう少しの辛抱だ。耐えろ自分。
あるきょうだい児ブロガーさんのこと
わたしがこのブログをつくろうと思ったきっかけをくださった、きょうだい児さんのブログ。
なくなっていました。
削除されたのでしょうか、もう知るすべがないのでどうしようもないことなのですが、気になります。
彼(もしくは彼女)の本音が綴られた文章は、鋭いほどに真っ直ぐでした。
でも、その本音に強く共感して、わたしも本音を吐き出したいと思って、今に至っています。
批判を受けることもあったんじゃないかと思います。
実情を知らない、このような環境に縁のない人にとっては、障害者差別に思えたのでしょう。
蚊帳の外にいる当事者じゃない人が、そんな家族を責めるのです。
我慢して我慢して、自分の人生を犠牲にしてきた家族に。
障害者なのに大事にできないのかと。
ただの兄弟なら、毛嫌いしても縁を切っていても何も思わないだろうに、障害があっただけで無条件に擁護の対象になり、そうされないことは差別だと言うのです。
世間は勝手です。
自分で自分の幸せを追いかけることのなにが悪いんだろう。
身内に障害をもつ人がいたら、幸せを求めることすら認められないのでしょうか。
彼(彼女)の悩んでいたことは、問題たちは、一つでも解決したのでしょうか。
生きやすい環境を手に入れて、穏やかに暮らせていることを願っています。
親との関係
辛かったこと。
わたしが中学生に上がるくらいのころだったかな。
年頃の娘さんを持つ親御さんはお分かりかもしれませんが、下着、ブラジャーを購入するようになるころです。
わたしも同様に、ブラジャーを買いたい、と思いました。
周りの友人はお母さんと買いに行ったりしたのだそう。
わたしもそうしたかった。
でもちょうどその時期は姉が不安的になり母がほぼ付きっきりで過ごしていたので、言い出すことができませんでした。
すごく悲しかった。
いま思えば、とりあえず言うだけ言ってみたらいいのに、と思うのだけど、既に諦め感を身につけていたんでしょうね。言えませんでした。
言いたいのに言えませんでした。
結局どうしたのかあまり覚えていませんが、お金だけ貰って、自分で買いに行ったんだったと思います。
大人になった今思えばどうってことのない話なのかもしれませんが、中学生なんです。
どんなに複雑な思いだったろうなあ、と今も思います。
確か、生理用の下着のことも同じように悩んでいた気がします。
当時の母親は、わたしのこんな情緒の動きにも気付けなかったのです。
次女なのだから前体験があったはずなのに、それでも構う余裕がなかったのです。
もしわたしがいつか娘を持つことがあったら、何があっても親としてケアをしてあげたいです。
不安で仕方がなかったと思うのです。
同級生、周りの友達はもうブラジャーをしているのに、ときっと思っていたはずです。
一切口にせず堪えさせ、お金だけ渡して自分で解決させてしまうなんてこと、わたしはさせたくないです。
その結果が今のわたしだから。
大人になっても姉ばかりが優先され、金銭面でも恐ろしく融通をきかせ、親の介護にも一切関わらずにいる。
お願いだから、それらがもし済んだあとは自分のことは自分で片をつけて欲しい。
親のお金も時間も、好き放題独占してきたでしょう。
結局わたしは、親に愛されたかったのです。
明らかな格差を感じながらしょうがないと飲み込んできたけど、本当は同じように愛されたかっただけなのです。
その問題と物理的距離を置くことができれば、きっと心穏やかに過ごせるはず。
見えないところへ逃げてしまえば。
悲しいですが、そうすることでしか心の平穏を保てそうにありませんでした。
逃げてしまってごめんなさい。
退院が近づく
姉の退院の話が出ています。
入院してから、そろそろ3か月。
外出許可、外泊許可が出ました。数回、母と一緒に出掛けています。
そのうち一度はうちにも帰ってきました。一泊はせず、数時間。
まだ状態は不安定なので、母が張り付いて過ごしました。
次はうちに泊まって過ごす予定だそうです。
入院前のように自傷他害を加えてしまわないかについては、本人は不安だそうです。
またそうなってしまうかもしれないと。
母親としては、自傷他害の恐れがなければ退院してきていいと思っているそうです。
弟は、例え自傷他害の恐れがなくなったとしても、退院は不安だそうです。
わたしも同意です。自傷他害以外の症状の方が家族を拘束するのです。
日常的に人の目が必要な状態です。
母が拘束された結果、弟は父親の介護に拘束されます。
わたしがいなくなれば、何もできません。
次は弟が逃げ出す番でしょうか。
姉は、どうなりたいと考えているのか。
自立するために、まず今何が必要なのか、何をするべきなのか。
医療や福祉と足並みを合わせていかなければならないと思います。
頼る相手は家族ではない方がいいと思うのです。
もし両親が亡くなったらどうするつもりなのだろうか。
自分も死ねばいいと思っているのだろうか。その後始末は誰がすると思っているのか。
きょうだいしかいないというのに。
姉の退院の目途が立ったことで、わたしの転居を一週間延ばしてほしいと言われました。
結局そうなる。
逃げられない。
最後のわがままだと思って聞いてやろうと思います。