ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1991年4月号)
マイコンベーシックマガジン1991年4月号(第10巻第4号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店総数は先月比+8の100丁度となり、7か月ぶりに3桁の大台に復活しました。
参加店募集が続けられたこともあり、先月に続いて今月も4店の新規掲載があります。
・ナムコ系
プレイランドナムコ(長野県)
・タイトー系
・その他
ゲームスポット(千葉県)
ゲームセンターUFO(神奈川県)
(マイコンベーシックマガジン 1991年4月号より)
「プレイランドナムコ」は先月の諏訪に引き続き長野県内ジャスコ(当時)のインストア店舗です。両店で掲載が示し合わされたりしたのでしょうか。
「ウィルトークタイトー空港通り店」は、ゲーメスト掲載店も含めると松山市で4軒目のタイトー系掲載店となります。
千葉県鴨川市の「ゲームスポット」は、同一市内で約1年前から掲載が開始されている「ゲームコーナーヤングパレス」から至近距離。青森県の五所川原市もそうですが、決して大きな商圏ではない場所に複数のハイスコア掲載店が存在していた時期でもあります。
(マイコンベーシックマガジン 1991年3月号より)
(マイコンベーシックマガジン 1991年4月号より)
また、前号まで掲載されていた相模原市の「ゲームセンターUFO」が、店名欄はそのままで住所が町田市に変更されています。住所が変更になっているためマップには新たに位置をプロットしていますが、新規掲載店の扱いとはしていません。
以下スコア欄を掲載します。
【チャレンジハイスコア 1991年4月】
(マイコンベーシックマガジン 1991年4月号より)
今号で目を引くのがコーナー末尾の「チャレハイ集計後記」です。
某キャロットからの掲載打ち切りの件が記載されていますが、その理由が、「マニアが群がってゲームを見る」はまだしも「店でチェックしたスコアに対してウソスコアと難癖をつける」そして挙句に「店内でハーモニカを吹く」といった振る舞いによるものであったという内容。
「常連の扱い」というのはゲームセンターに限らず客商売におけるテーマでもありますが、特にハイスコア集計店においては、「新作を一部の常連が独占」「ゲームをプレイせず長時間店内に滞在」と言った店舗側に不利益な行為が目立っていたことも事実です。
挙句に店内で傍若無人な振る舞いを起こせば店舗から煙たがられてもやむを得ない面もあり、ひいてはスコア集計中止に至る店舗が増えてしまったことは今思い起こせば非常に残念な部分です。
トピック店舗:プレイシティキャロット常盤店
トピック店舗は場所を四国へと移します。
まずは香川県高松市のナムコ系店舗から「プレイシティキャロット常盤店」をピックアップします。
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)
2023年5月2日撮影
2023年5月4日撮影
高松市は中心部に総延長約2.7㎞の長さを誇る日本一のアーケード商店街があります。アーケードの街区はことでん(高松琴平電気鉄道)のターミナルである瓦町駅から隣の片原町駅付近まで広がっていますが、瓦町駅前から延びる常磐町商店街の街区に店舗は存在しました。
(ゼンリン住宅地図 高松市1988年より)
1988年の住宅地図です。薄くなっていますが赤枠の箇所に「(株)ナムコ キャロット」の文字が確認出来ます。
こちらはゲームマシン誌1984年2月15日号の記事「全国縦断ゲーム場ルポ」にて高松のロケーションが取り上げられた際、営業当時の貴重な写真が掲載されています。
(ゲームマシン 1984年2月15日号より)
また、@Area51_zek氏のX(旧twitter)には、季刊NGに掲載された店舗正面の写真が掲載されていたのでこちらも引用します。
プレイシティ キャロット常盤店(香川県高松市:1985年9月頃)。高松市の繁華街、高松琴平電気鉄道、瓦町のすぐ近くのキャロット。2Fに高松事務所があったのか。併載のビッグキャロット高松店(琴電片原町駅のすぐ傍)は残念ながら写真なし。『季刊NG11号』より。#ゲーセンを語ろう #懐かしい写真 pic.twitter.com/dvGAlJ6vAi
— ぜくう@誰がパックマンを描いたのか 山下正 伝(委託) (@Area51_zek) July 12, 2020
ゲームマシンの写真は、記事中に「奥フロアの床が一段高くなっている」との記述があるため、店内奥から入口に向かって撮影されたものと思われます。2階がナムコの事務所となっていたようなので、店内写真に見える階段は事務所への出入りに使用されていたと想像します。
誌面へのスコア掲載ですが、こちらはベーマガ1984年1月号から掲載されたオリジナル26店のうちのひとつで、市内に3軒存在したナムコ系キャロット店舗のうち最初に誌面に登場しました。
(マイコンベーシックマガジン 1989年5月号より)
しかし閉店は3軒中最も早く、1989年5月号のチャレハイ通信欄にメッセージが残されています。既に閉店から30年以上が経過しており店舗の形跡は一切残っていないものの建屋はまだ当時のまま存続しているようで、2023年時点では写真のように青果店として使用されていました。
【前記事】
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年3月号
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年3月号
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