2019年の抱負

▪︎2018年の振り返り

2018年は激動の一年だった。

右も左もわからない状態から膨大な量の仕事の波。まさに駆け抜けた。

 

弊社の人との関係もすごく濃くなったし、失敗することやできないことも多かったけど、前向きに今後できるようにするためにはどうしよう?というスタンスが出来てきた。

弱みを見せられるというか、数年前より格段に自己開示は上手くなっている。

 

あと自分のこころや体の限界にだいぶ気づけるようになったとも感じる。

まだ無理してしまう癖は残ってるけど、崖から落ちる前に気づくことが増えたような。

一人暮らしして、より一層自分の限界に気づくことに対して感度が高まったのかもしれない。

 

 

▪︎2019年の抱負

「笑いながら成功する」「武器をつくる」が2018年の抱負だった。

 

今年は、1年が終わったときに「こんなところにいるとは思ってなかった」と言っていたい。

去年は弊社1年目、クライアントを持つの1年目だったから、否応無しに新しい経験を積めたけど、今年はすべてが2回目になる。

1回目に許されていたことも2回目では許されないかもしれない。それに前よりできるようになるのはある意味期待通り。

「期待を超える」ことが大事だと思う中、それをやっていても仕方ない。

 

2019年だからこそ、、、

「新しいことへの挑戦」「takeよりgive」を大事にしたい。

 

 

承認欲求のままに生きない

忘れないように自戒の念を込めて書く。

承認欲求のはなし。

 

わたしは人から好かれたい

面白い人、すごい人と思われたい

 

それで、そうした欲求に従って行動してしまうことがある

 

好かれたいから

すごいと思われたいから、これをする。っていう風に。

 

今までその欲求に従うことは自分のやりたいことをやることだと思ってたんだけど、どうやらそれは違うらしい。

 

私の中には、人からすごいと思われたい私とそうじゃない私がいて

人からすごいと思われたい私の声を聞くことじゃなくて、そうじゃない私の声を聞くことが自分のやりたいことをやるってことらしい。

 

人から凄いと思われたいっていう欲望もたしかに自分の中にあるものなんだけど、

それは心の中の自分がほんとうにやりたいことかと言われるとそうではなくて。

 

みんな、人から凄いと思われたいじゃない?

 

みんなの欲望は、自分だけのやりたいことではない訳なのよ

 

つまり何か行動をとるとき、

これは誰かによく思われたいからそうしてることのか、それとも本当に自分がやりたいと思ってることなのか、

自問自答しなきゃいけないってこと。

 

自分がほんとうにやりたいことだけをやる

 

そうすると承認欲求から解放されるのかな

アドバイスほんとに届いてる?

人に何かの話をしたとき、

ちゃんと伝わったのか、その人の役に立ったのか、自分の話によって何かを変えられたのか、がとても気になる。

 

アドバイスって、相手のためを思ってするわけで、すること自体が気持ちのいいことではあるけど、それが受け入れられるとより嬉しいよね。

 

でも、「大変役に立ちました」「貴重なお話ありがとうございました」なんて言葉じゃ、受け入れられたかが測れない。

 

逆にここは違うって思った部分があったとしたら、それすら私は知りたいなー。

 

なんにせよ素直な反応が知りたいわけよ。

 

でも、アドバイスされる側からしても、ほんとうに感謝してるとか役に立ったとか伝えるのって難しいよね。

 

言葉で伝えたってどうしても表面的になりがちだし。

 

やっぱり次からの「行動」を変えることで表すしかないのかなー。

 

結局、モノを言うのは行動なのか。。

自己表現とクライミング

 

人は誰でも自分の中に「なにか」を抱えていて、それを表したいという欲がある。

 

自己表現の手段はいろいろあるけど、

 

ダンスでも歌でも詩でも芝居でも

 

自分に合う表現方法に出会えれば幸せだ。

 

 

はて、クライミングはこの自己表現の手段になり得るだろうか。

 

 

結論から言うとわたしは「なる」と思っている。もっと正確に言うと「なり得て欲しい」と思っている。

 

 

理由は2つ。

 

1つ目はクライミングと「美」の親和性が高いこと。

 

課題の美しさ、ムーブの美しさ、肉体美の美しさ、岩の美しさ、、

 

ライミングと美しさは切っても切り離せない関係にある。

 

「美」が常に付きまとうということは、クライミングが「表現」の世界にいる証拠なのではないか。

 

2つ目は、クライミングのもつ「抗う」という性格。

 

そもそも(スポーツ)クライミングの原型は、自然の岩を登る岩登りであるが、

そこにただ「在る」の岩に

無理やり課題というルートを求め、

名前を与え、

かつ重力という何よりも大きな自然の摂理に抗い続けながらそれを登るという、クライミング行為は、まさに「自然への抵抗」だ。

 

ライミングの目的は自然に対し無力な自分からの脱却かもしれないし、

もっと言うとそのまま生きていては充足しきれなかった自己満足感を、課題を登ることで補おうとしていることなのかもしれない。

 

「抗う」ということは「自由を求める」ということだ。

自己表現の世界は、ありのままの自分を垂れ流すのではなく、

表現したい自分をきちんと人に伝えるべく鍛錬を積み、努力し続ける世界だ。その姿勢に「自由」が宿る。

 

うん。こういうところがクライミングっぽい。

類友

類は友を呼ぶ。

 

付き合う人は結局、その人のレベル(生活レベル、学力レベル、趣味嗜好、価値観、行動範囲等)に規定される。

 

そして、人から受ける影響は限りなく大きい。

 

 

だから、歳を取ってもなにか新しいことに挑戦してみようと思える人は

 

過去に自分と付き合っていた人の中で、

なにかに挑戦している人がいて、自分もまたなにかに挑戦したことがきっとある人だ。

 

そういう人は「挑戦」が身近なことなんだと思う。

 

いい人の周りにはいい人が集まるし、

 

悪い人の周りには悪い人が集まるのは、

 

人と行動が循環しているから。

 

 

では、人から影響を受けやすい人と受けにくい人の違いは?

 

今の自分に満足せず、新しい自分になりたいと切望している人?

観察眼と相手の話をきちんと聞く耳をもち、心が柔軟で素直な人?

確固とした自分を持たず、流されやすい人?

 

私は常に自分に問いたい。

「自分はほんとうに◯◯ちゃんになりたいのか?」と。

 

 

 

 

◯◯志向と成長幅

 

自分のことしか考えない内向き志向なことを英語でなんて言ったっけ…?

 

忘れちゃったけど、そういう人は成長幅が小さいそうです。

 

確かに、社会的に大きな成功を収めている人は小さいことなんて見てなくて、周りの人のため社会のためなど、より高次なものを見つめて動いているよね。

 

 

だけど、例えば学生が留学したり、ボランティアをしたり、学生団体を立ち上げたり、起業したり、、学校の枠から出た活動に精を出すことを盲目的にリスペクトできない。

 

経験に基づいた志があり、はっきりとした目的意識の下そういう活動をやる人はほんとうにすごい人だと思うし、

 

それこそ視野が広く、自分以外の何かのために頑張れる器の大きな人だとも思う。

 

だけど、自分の今いる場所が充実していないが故にそっちの方向に手を出す人。(こういう人は結構いる気がする。)

 

そういう人は所詮低いレベルで終わるんじゃないかな。

 

成長の幅の話で疑問に思うのが、

 

自分の今いる場所、例えば部活などにのめり込み、自分の技術力向上だけを考えてストイックに努力する人と

 

貧困の子どもたちの学力向上のために学生団体を立ち上げ、一生懸命活動する人

 

どっちが大きいって簡単に言えないんじゃないのってこと。

 

前者は確かに視野は狭いし、自分のことしか考えていない人だけど、

自分の今いる環境の中で熱中できることを見つけてそれに向けて努力できる力って強いと思うんだ。

 

特に、強制力の働かない環境で自分のことを頑張り続けられる人って強いよね。

 

頑張り続ける過程でもしかしたら、自分以外の「誰かのため」にシフトする時がくるのかもしれないけど。

マイ道具の責任

なにか新しいことを始めるとき、

それに使う道具を「いつ」「どのレベルで」揃えるかって、すごく性格が出ると思うの。

 

最初の方は、人から借りたり店で借りたり…。しばらく借り物の状態。

 

それが、結構魅力を感じるなってなったり、がっつりハマったりすると、自分の道具を揃えるようになるけど

 

わたしは数回しか経験したことないことに、マイ道具を揃えることに引け目を感じるタイプ。

 

ちゃんと続くかなー(=道具代の元が取れるかな…)っていう不安ももちろんあるんだけど、

 

それ以上に、こんな未熟な私なんかが、こんな新参者の私なんかが、道具を揃えていいものなのか?!!

 

という謎の遠慮が生まれる。

 

だって自分の道具を持っちゃったりするともう言い訳できないじゃん。

道具が借り物の状態って、結局やっていることに対してまだ斜めを向いてる。まっすぐ向き合っていない感じなんだよね。

 

裏を返すと、ちゃんと自分の道具を揃える時点で、「これに私は向き合います!」って周りに宣言してることになる気がする。

 

これが恥ずかしくて、わたしはマイ道具を揃えることに引け目を感じるのかなー

 

職人気質の男性なんかは誰になにを言われるでもなく、好きだと思ったらさっさとマイ道具を揃えて、その道に入っていくイメージ。

 

私は、好きだと思ってもしばらく様子を伺って、周りにそそのかされるくらいまで時間をおいて、マイ道具をもつ責任から極力逃げる。。

 

 

うん。

 

どっちがいいかは一目瞭然だな。。

 

…買うか。4000円のpamoスティックブラシ。