アニクリに寄稿しました(または実相寺昭雄と鏡・未来を見ること)
久しぶりのブログ更新となります。アニメクリティーク(アニクリ)に2つ寄稿したので、アニクリとは少し違う角度で語りたいと思います。
アニクリと寄稿した2つの情報についてはこんな感じです。
遅れましたがもう一つの方、②アニクリvol.3.5 アニメにおける音楽号も入稿完了しております。#C96 pic.twitter.com/45s6nYXBfi
— Nag.@8/11_日曜け31b (@Nag_Nay) 2019年8月6日
— Nag.@8/11_日曜け31b (@Nag_Nay) 2019年8月5日
SSSS.GRIDMANについては鏡と実相寺昭雄のある作品に触れながら、誓いのフィナーレについては、海老原豊の「防犯/監視カメラの映画史」(ビジュアル・コミュニケーション)を引用しながら、それぞれの作品に迫っていきます。
— 尾道に行ったあんすこむたん(旧でりだん) (@deyidan) 2019年8月6日
実相寺昭雄といえば、SSSS.GRIDMANでも示されるように特撮との関係を考えられる方が多いかもしれません。
ただ、注意しなければならないのは、「屋根裏の散歩者」や「D坂の殺人事件」(どちらも原作は江戸川乱歩)などミステリーの作品もしていることです。なので、特撮だけで語るには、不十分と言えるのです。特に晩年には「鏡地獄」と「鏡」がタイトルにつく作品の監督をしているなど、「鏡」を意識したつくりの作品が多くなります。これはGRIDMANにおいてもいえることなのです。
誓いのフィナーレについては、ここであまり語ることはしませんが、この作品によってシリーズが終わりになるわけではありません。京アニにもこれからがあるのです。
一ファンとして「未来」を信じたいのです。
アニクリ、リズと青い鳥特集号に寄稿しました(もしくは学校という空間・図書室という特殊な場所)
作品が始まって感じたのは細かい動作に様々な意味を見出せるという良さがあるところです。それは作中作においても同じです。
そのことを伝えるための序盤の展開と考えると、作品の性質をよく伝えていたといえます。
鑑賞回数を重ねても、新たな発見や視点を見つけることが出来るのです。
今回アニクリに書いたのは、そんなリズと青い鳥における自分が重要な部分だと特に感じ、要点を抑えたものと考えています。 (ちなみに場所はコミケの最終日である3日目、日曜 東ナ35aです)
【告知:夏コミ】新刊・アニクリvol.9.5号(201808)『リズと青い鳥』総特集号発刊(3日目ナ35a) 表紙、サンプル等は以下ツリーにて。 https://t.co/n02HiMrOS8
— アニクリ@vol.9.5準備 (@anime_critique) 2018年8月6日
宣伝はこれくらいにして、
ここでは、リズと青い鳥の中に登場する図書室(作品内では「図書館」という言葉で言及される)について簡単に考えてみます。
公共の図書館と学校の図書室との違いを考えてみましょう。
第一は使用人数の違いです。
よほど人口が少ない環境でない限り、学校の図書室が、公共の図書館より使用人数が多いということはないでしょう。
(大学の図書館となると話は別になるかもしれません)
第二は遅延に対する措置です。
公共の図書館において遅延しても、それを知らせる文章がくるまでにも時間があり、新たな資料が借りれなくなるとペナルティに留まります。(長期間であるなら、違う場合もあるかもしれません。もちろん良くはないのですが)
では学校の図書室はどうでしょうか。
専門の司書や担当の先生がいても良いものですが、リズにおいて現れることはありません。
鎧塚が図書を遅延したことによって図書委員に小言を言われる訳ですが、図書委員も学校の生徒という意味では鎧塚と立場は変わらないはずです。
ここが学校の図書室における特殊性と言えます。
図書室も学校という特殊な空間の一部だと認識できるでしょう。
学校が舞台でほとんどが学校内で完結する物語においても、詳しくは述べませんが、重要な場面なのです。
ここで書いたのはアニクリで書いた一部分の導入と考えてもらえればと思います。
文学フリマ東京(またはアニメクリティーク寄稿についての宣伝、少女終末旅行と写真の話)
文学フリマ東京の季節です。
今回はアニクリに少女終末旅行とプリンセス・プリンシパルについて寄稿しています。
アニクリの全体の内容はこんな感じだそうです。
目次全体はこちら。批評文9本、コラム2本、対談一本をかなりギリギリまで詰め込んでおります。
— アニクリ@5/6東京文フリ.カ09 (@anime_critique) 2018年5月2日
2017-2018を中心としたアニメ作品を振り返りたい方、アニメーション/ゲームシーンの現在を展望したい方、観光に還元されない旅という現象について省察したい方などなどには、是非お手にとってもらいたく。 pic.twitter.com/HYRo7awFhw
詳しくは
宣伝とはいえ、少しアニクリとは違った視点で、写真と少女終末旅行について語ってみたいと思います。
土門拳
文章内で土門拳に触れたのは、偶然図書館で土門拳が書いたエッセーを見つけた。
ということもあるのですが、
社会的リアリズムという言葉が気になったということもあります。(社会的リアリズムの説明は省きますが)
少女終末旅行という世界の中でも、土門拳もその後の写真家も注目した「記録」ということを意識させる状況な訳なのですが、
土門の主張をそのまま肯定する訳にも行きません。
「絶対非演出の絶対スナップ」にしても、「乞食写真」と揶揄されたこともある通り、
それだけが写真の可能性ではないはずです。
少女終末旅行においては、その具体例が映像として例示されます。
気を付けなければならないのは、土門拳の主張は、今では忘れがちなことも同時に提起していたことです。
それは「さまざまな理論的矛盾や不整合性を抱えこみながらもきわめて説得力の強い、魅力的なものになっていた」*1のも事実なのです。
写真と映像
最終話ある場面で初見の時には涙が止まらなくなり、再視聴の時も目頭が熱くなったことを記憶しています。
それはチトとユーリが、艦内のコンピュータによって空中に浮かんだ様々な映像と写真を見ている場面です。
なにげない映像と写真はアーカイブとして機能し、写真と映像の差は「音」と「動作」というシンプルなものになります。
そして、写真が動きを止めるように終末旅行においても世界が「停止」すると断言されるのです。
断片的ではあるもののアニクリを読む中で参考になるのではないか思った点を強調して書いてみました。
この短い文章を読んだ後、アニクリの最新号を見てもらえれば幸いです。
文学フリマ(または寄稿した文章について)
アニメクリティークに2本寄稿しています。
⚡️ "アニクリvol.7.0 告知+試し読みまとめ #bunfree" #anime_critique
— アニクリ@東京文フリ カ-15〜16 (@anime_critique) 2017年11月13日
『この世界の片隅に』から『メッセージ』『ブレードランナー2049』、『メイドインアビス』、『GTB』、『ヘボット』『lain』『打ち上げ花火』、『レクリ』まで https://t.co/8ESXT19ooq
アニクリ。メイドインアビスを書いたときに意識したのは、「上下」もそうなのですが「反転」という言葉です。これは「養老天命反転地」から来ています。アニバタで聲の形書いたときに意識はしてましたが、それが無かったら、これは書けなかったんじゃないかというレベルです。(続く)
— 嵐山に行ったあんすこむたん(旧でりだん) (@deyidan) 2017年11月12日
これだけだと流石に説明不足なので補足すると、聲の形の中に出ていた「養老天命反転地」についてアニバタ(アニクリと同じくアニメ評論同人誌)の原稿を載せる時に色々調べていました。気になったのが名前にもある「反転」という言葉です。この「反転」を他のアニメで使えるのではないか。と無意識で考えてたんじゃないかなと感じるくらいメイドインアビスに当てはめていました。
もう一つのレクリエイターズについては「クリエイター」とは何だろうか?とそもそも最近色んなアニメで問われているのような気がしていた(私が意識してる?)のが、きっかけになりました。
もちろん色々あるとは思いますが、私は広い方がいいと考えている人です。
言葉の意味は時代によって変わるもので、定義をするにしてもある程度柔軟なものがいいとも考えています。
とにかく文学フリマでアニクリを買ってほしいというのが、寄稿者としての思いです。
文学フリマ東京の宣伝(もしくはアニメクリティークの寄稿文に書かなかったこと)
[告知] 2017/5/7(日) アニクリvol.6.0 新房昭之×西尾維新号、発刊(同時発刊、vol.5.0、付属冊子vol.5.1) #bunfree https://t.co/KSDOldjLe4
— アニクリ@文フリ_カ-31〜32 (@anime_critique) 2017年5月4日
【告知 カタログ更新3冊同時刊行】#bunfree
— アニクリ@文フリ_カ-31〜32 (@anime_critique) 2017年5月4日
[新刊1]アニクリ第5号 アニメ化する資本・文化・技術/不条理×ギャグアニメ
[新刊2]アニクリ第6号 西尾維新×新房昭之
[新刊3]付属冊子 夜は短し歩けよ乙女×四畳半神話大系https://t.co/EYwDsVfy6B
(アニメクリティーク)
— 高野に行ったあんすこむたん(旧でりだん) (@deyidan) 2017年5月4日
補足しておくと
vol.5.0 に「キズナイーバー」「落語心中」
vol.6.0に「終物語上巻」(とクビキリサイクル)がのります。
ただ宣伝だけでは味気がないものです。
書かなかったというより寄稿文で書くには話が逸れてしまうことを書いていきます。
画面の特徴として赤という色を多用していることが上げれます。(7話が特に顕著)
夕焼けにしても、傘にしても心を惑わします。
終物語上巻と落語心中
実はどちらも叙述トリックを使っているということで書きたいなとは感じていました。
終物語についてはかなり触れているので、落語心中をメインにします。
落語心中の叙述トリックにおいて重要なのが、1期はあくまで八雲が語った「回想」(実は一部に偽の回想があった)を、映像にしたということです。叙述トリックは「作者が読者に対して仕掛けるもの」*1です。
ですが、(物語の登場人物である)八雲が真実を言わない理由は、心理描写を見ても不自然さが無いのです。
真実が露見するもののそれは松田が言ったもので、八雲が語った訳ではなくある人物を守り抜いたということもポイントでしょう。
前期アニメの寸評・感想(もしくは土曜日は前期のアニメを語りたい)
しばらくブログを更新できずにいましたが短めになりますが、しようと思います。
前期はけものフレンズが席巻しました。
優しい世界観に見える設定にもかかわらず、考えてみると深いものがあります。(様々な考察ができるようになっている)
ただけものフレンズがいいアニメなのは確かなのですが、
そればかりで他のアニメについてあまり語られないまま、今期を迎えたように感じているように思えます。
今回は前期アニメで自分が好きだったアニメの寸評および感想です。
幼女戦記
一見知識があるか文章で詳しく語られないと分かりにくい戦術の話も主人公のデグレチャフが的確に導きます。
分かりきれなくても分かったようにさせる技術があります。
なんといっても魅力は、主人公のデグレチャフです。
本人が後方勤務を望んでいるにもかかわらず、才能と「神様」(存在X?)の悪戯からか最前線に送り込まれる展開は見るのを飽きさせません。
特に(第伍話のはじまりの大隊における)「宣誓」から始まるセリフです。幼女という設定を最大限に活かしたものに他なりません。
ACCA
会話劇として素晴らしいものがあります。
(声優に詳しくないのですが)メインキャラの声優はこのキャラを演じるなら、この声優さんと言えるようなぴったりさです。
OPのアニメからして伏線が色々出ているのですが、理解できるのは回収された後なのです。
この素晴らしい世界に祝福を!(このすば)
個人としては1期の方が好みなのですが、2期も安定した面白さ。
旅行はしても、冒険せず結果として魔王軍の幹部を倒していくというストーリーもコメディとしていいものです。
文学フリマに行こう(またはアニメ評論同人誌に寄稿するとは)
11月23日に文学フリマというイベントがあります。
カの35-36がアニメクリティークの場所になります。
当日目印ポスター (A1) pic.twitter.com/oKygPxcYE6
— アニクリ@東京文フリ_カ36 (@anime_critique) 2016年11月16日
ポスターから見る通り、君の名は。についてです。
寄稿した内容は、時間に関するトリックと組紐についてです。
という宣伝とは別にアニメ同人誌に寄稿するということは、
どう考えているかや、書きたいと思っている人のアドバイスを書きたいと思います。
寄稿する
評論の文章を質を良くするのはもちろん重要ですが、自分の伝えたいことを最大限に表現できるようにと意識しています。
同時にツイッターのツイートやブログで伝えられることの限界を超えることが、出来るものとも考えています。
編集する人がいるということを意識することも大切です。
書くか書かないか判断に悩んだ箇所は、出だしだけを書いて編集する人がどのような反応をするかを見るということをしてもいいと思います。
編集の人の意見を聞こう
編集された文章を見る時の注意は、省略された部分よりも強調された部分を見ようということです。
自分がそこまで意識していなくても重要、文章として良くなると判断した。
ということですから納得がいかなかった場合、どうしてそう思ったかを思い切って聞いてみるといいかもしれません。
細かいことはツイッターならDM、スカイプなどの手段で伝えましょう。本文には関わりなくとも、どう考えているかをよりはっきりと伝えることができます。