アンズスズメ ブログ

最初は音楽制作中心になると思います。

アナログマルチどんな音がするのか? クリムゾン・キングの宮殿 デビュー40周年記念エディション2CD版

私が世を忍ぶ仮の姿により転生する以前(生まれる前)ぐらいの昔といえば、いわゆるハイレゾ録音はおろか、CDもない時代であった。

1970年代(80年代前半ぐらいまでも含むか)はデジタル録音が普及しておらず、演奏家は、巨大なオープンリールに録音して、人々はレコードで聴いていた。

通常ならば、①演奏をパート別にテープに録る→②ミックスをするため、テープに録音し→③そのマスターテープを、レコードなりCDなりにする…。ようは、制作の全工程がアナログ録音であり、2度もテープに録音しているわけですよ。

近年は、CDを再販売するにあたり、リマスタリングということで、特に60から80年代前半ぐらいの音源をいろいろ調整して売っている。確かに、音圧を上げる、シャーというテープに特有のヒスノイズを消すなど、音をよくするための工夫はしている。しかし、調整とはいっても、マスターテープの段階でマルチよりは劣化しているわけだから、聴きやすくなったとはいえても、音質が良くなったというのは...詐欺みたいなもんである。

それはともかく、どうすれば音質が良くなるかといえば、前述した、①のマルチのテープから直接、現代テクノロジーのデジタルマルチレコーダーに録音→②’まったく劣化させずにミックスし直す。これでよい。

 

さて、ここからが本題の、クリムゾン・キングの宮殿 デビュー40周年記念エディション2CD版である。実家にこのLPがあったので、一番最初に書くならば、『クリムゾンキングの宮殿』にしたかった。 このキングクリムゾン(の不動のメンバーたるロバート・フリップ)も、幾度か周期的にCDを販売していた。すでに述べたように、リマスタリングでは大して音が良くならないため、往年のファンからは「また販売してるのかよw」ととられかねない面があった。しかし、この40周年盤は、オリジナルのマルチトラック・テープからロバート・フィリップとスティーブン・ウィルソンによって再ミックスされた2009年版ミックス。なのでとっても音が良い!以前のLPやCDは2度と聴けなくなる。ただ、販売している側がリマスターとリミックスを混同しているような気がするが、とにかくリミックス音源から作った、全く新しいCDである。

個人的な話であるが、このLPが実家にあったのだけれど、平成元年ぐらいにディフェンティブバージョンとかいうCDが発売されて、世を忍ぶ仮の小学生だった自分は購入…する前にレンタル屋で聴いてみたのであった。しかし、変にこもった様な音の悪さに買うのをやめた過去がある。

どこが「決定版」なんだw その後も再三作り直しているじゃないかw

ずっと後になって、『宮殿』のマスターテープが紛失していたために、そのコピーから仕方なくLPやCDを作っていたという事情を知った。

また個人的な話だが、昔従兄が70年代に作った2枚組のベスト盤をもっていて、自分はスゲーと思ったたことがあったんだけれど、このような事情を考えると、微妙なものをつかまされたことになるわな。まあ、従兄が買った当時はバブル期だったので、4000円なぞ大した痛手にもなってないだろう。(ただ、レコードからCDの移行期であったために、コンプするには時期的に微妙だった)。

 

今回は、そのCDを作り直した甲斐があったというわけである。ティーブ・ウィルソンはgjであった。

『空気を読め』何とか形になる

 さて、去年の年末までは、他のパートはできていたのに、5曲分のギターだけはできていない状態であったが、年始に何とか懸案だったギターを入れた。そして現在、それをミックスしたものができた…といえる。(それにしてもひどいマスタリングだが…。これは後日様信濃に差し替える)

 

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『空気を読め』プロトバージョンを作る

 私は2015年の秋から『空気を読め』というCD1枚分の内容のものを制作していて、
年内に完成版をうpしようとしたが、このブログの去年の記事にもあるのだけれど、tascam424の機械の故障等があったために不可能になった。しかし、その後最終的には自力で修理をして制作を続行できたので、ギターを入れるところ以外は12月時点でミックスダウンできるところまで漕ぎ着けることができた。ほとんどこれは活動記録的な理由でうpしているのだけれど、前の記事にも書いたようにいちいち完成版でもないものを1曲ずつうpするのもどうかと思うので、一括してあげることにした。

 

 

 

 

creofuga.net

ほんとうに困ったものだ。うpしたものの整理はめんどくさい

 今年も年末だ。全く、片づけはめんどくさい。

 

 動画でも音楽でも何でもいいが、私のようにネット上にものをうpするようなことをしていると、制作の途中で知らないうちにパソコンのなかは、試験的に作ったようなもの、圧縮する前のWavや、あるいは単なる失敗作など、多量の無駄なデータだらけになってしまう。

それだけならまだしも、音楽制作でmuzieクレオフーガなどにうpする場合、ひとつのページ(アドレスか)で自分の歌もの、その曲のボカロ版などをうpしていたせいで自分のページはとッ散らかった内容になってしまった・・・。

 特にクレオフーガはひどい。デモバージョンやら、昔の曲の転載やら、コンペ用のものやボカロまで、自分自身が見ていていらいらする。ここらで一度整理したいなあと最近は思っているけれど、一度消しちゃうと、他のユーザーのいいねが消えてしまうというジレンマもあり、そのことを気にしてしまうと、簡単に消せなくなる・・・。

 これに比べてmuzieは一度あげた曲の修正版を、再生回数を引き継ぎながらうpできるので、最初にデモ版をうpしておいて、完成してから差し替えることも可能だ。これは自分のページを散らかさないことを考えた場合、とても便利だ。しかし他のサイトにこの機能はない。あればいいのに。そうすれば無駄に「アンズスズメさんが××(修正版)をうpしました」というメールを自動送信させずに済む。まあクレオフーガの場合に問題になるのはコンペの応募でだろうが、それならコンペではダメとすればいいと思うのだが。

 

ああ片づけるのは面倒だ。

この頃何か楽しくない。

 自分のことを書くのは恥ずかしい。かといって、自分の作ったものを人に見てもらうには、自分のことを書かないわけにはいかない。私の場合は、曲なりなんなりを作ってしまえば、自分の思いのたけをブログや何かに吐き出そうという気持ちがなくなってしまう。そういう性分だから、そもそもあまりSNSには向いていないなーとこの頃は思っている。

 

 本当に苦しい気持ちや心の闇のようなものは、中途半端な覚悟で不特定多数が見る場所でははけないと思っている。ネット上で変な因縁をつけられたくないし、書いたところで、しばらくして自分が読むと、自己嫌悪になってしまう。かといって、毎日現実感のないことばかり書いていると、読み手もつまらないだろう。

 

 自分は何でこんなことをやっているんだろう。私は世を忍ぶ仮の20代を棒に振ってしまった。2011年に『我ヒキコモリシ年の夕暮れ』というアルバムを作ったまではよかったが、その後、迷いが生じるようになった。2014年に初音ミクで『同床異夢』という曲を作って、それがゲーム音楽に採用されたのはよかったが、その後、本来自分は何がしたいのかがわからなくなったのであった。ああ、そうそうこのころ大変な不眠になっていたこともあって、日常生活すらあヤシいところがあった。

 そもそもは、ボーカロイドをやるったのは、自分の曲を聴いてもらう機会を増やすことが目的であったはずなのに、自分のリアルの世界で会う人にはボカロPのような認知になりはじめている。それが悪いわけではないけれど、最初からDTMをやってきた人たちにはとてもかなわないし・・・。

 

というただのぐちであった。

唐突に自作曲紹介 「dqn」

  思えば1997年ごろだろうか。ある日横浜の関内や伊勢佐木町を歩いていた時、市営地下鉄の改札口の地べたで、唾を吐いて煙草を吹かしながら携帯電話をいじくり続ける茶髪の若者がいた。そしてその若者に、私は、理由は分からないけれど何やら強烈な不快感を持ってしまった。自分も似たような年齢なのにね。

  私が世を忍ぶ仮の学生だった頃は、インターネットがあったとしても現在のようにいつでもどこでも簡単にできるという時代ではなく、いわゆる森善朗元総理による「イット革命」以前あった。私がインターネットを始めるようになったのは、ちょうどその前後ぐらいからだったが、その頃最初に知った衝撃的な言葉の1つがDQNという言葉だった。 「そうだそうだ、これだよこれ」と私は思った。そうしてできたのがDQNという曲だった。 でも、自分としてはDQNをただDQNとして描くのはどうかと思った。90年代の頃にはあまり聞かなかったけれども、近年は資本主義の中での虐待や貧困の再生産について聞くようになった。

 

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経済の格差がなくなればみんながうまくゆくなどと考えているのは、はっきり言ってバカな左翼だけである。経済の格差がなくなっても、人の持って生まれた資質や能力の格差、それに伴って生ずる機会の格差はなくならないのですよ。 話がそれてしまったが、それで、ならば「DQNの再生産」wというのもあるうるよなあ、と思ったので ~切ない切ないDQN達 大人たちに産み落とされ  切ない切ないDQN達 大人たちに見放される~ という一節を入れてみたのだった。それで、人が生まれて背負う悲しみというか、DQNがDQNという枠を超えることの難しさみたいなものを表してみたかった。 

県道探訪 1 町田厚木線

 神奈川県の県道に町田厚木線というものがある。一応は主要地方道という、道理地図で緑色に色分けされている道路のうちの一つだ。特徴としては道路そのものに特に走りにくい個所があるわけではなく、とてつもなくひどい坂道があるというわけではない。全区間まではさすがに知らないが、おそらくほぼ2車線で自転車が車と並走できるスペースはあるだろうと思われる。

 

 

  或る日私は相模原に用があってこの道路を知っているのだが、小田急線の相模大野駅周辺は大変なことになっていた。ただの平日だというのに、この道路の歩道に人がアリのようにあふれかえっている。私が某大佐なら見ろ、人がごみのようだ!と思うだろう。歩道の面積に対して人が多すぎてスペースが足らないのだ。この風景は何とも奇妙だ。ジャニオタやフーリガンがいないのだから。相模大野は新杉田あたりに雰囲気が似ているが、新杉田周辺はもっと道が広いからこうはならない。やはりなんだかんだ相模原は人口が多いということなのだろう。

 

 相模原市平成の大合併ブームに便乗し、旧津久井郡四町と無理やり合併した結果、2010年に、何とか人口が70万の大台に乗ったので、なんちゃって政令指定都市になった。こうやって書くと熱心な相模原市民に殺されそうだが、旧相模原市の範囲でも人口は60万いた。これはさいたま市になる直前の浦和や大宮より多い。しかし公フォローしてみようとしたものの、却って合併の無理やりさを感じてしまった。