人生の閉じ方

大叔母が亡くなったという知らせが届いたのは、先月の半ばの事だった。
訃報を聞くときは、いつも最初は理解できない。現実感に乏しく、何だか遠く遠くの星が消滅したんだってという雰囲気にすら聞こえる。
しばらくして、おばちゃんが亡くなったのだと理解できたけれど、不思議と悲しいと思わなかった。ああ、おばちゃんも行ってしまったんだなと思った。みんな、行ってしまうんだなとぼんやり思った。

大叔母のことを「カメラのおばちゃん」と呼んでいた。
理由は明確で、私が幼い頃彼女がカメラ屋さんで働いていたからだった。
カメラのおばちゃんはいつ会っても優しくして可愛がってくれた。
記憶はもう薄いけど、いつもニコニコしてたような気がする。
働く場所は違うところへ移っても、私がどれだけ年を取っても、カメラのおばちゃんはカメラのおばちゃんだった。変わりなくずっとそうだった。

カメラのおばちゃんが亡くなってから、おばちゃんのことを思い出そうとしてみた。
一番覚えていたのは、私のおばあちゃん、カメラのおばちゃんにとってはお姉さんが亡くなった時の事だった。
お通夜と葬儀の会場に駆けつけたカメラのおばちゃんは、おばあちゃんの棺に手をかけて、声を上げずに悔しそうに泣いていた。本当に本当に悔しそうで、その姿は強烈に印象に残った。
だいたいの人が奥さんや旦那さん、兄弟と一緒に参列した中で、カメラのおばちゃんは1人で立っていた。その時に、ああそうだ、カメラのおばちゃんはずっと独身なんだと思い出した。カメラのおばちゃんはずっと独り身で、おばちゃんのお母さんが(私のひいおばあちゃん)が住んでいた家に、ずっとずっと住み続けていた。

そしてついこの間、叔母から少し詳しい話を聞いた。
カメラのおばちゃんは、その家で1人で亡くなっているところを発見されたのだという。
その一言が、私の胸に突き刺さった。
今まで私の身近で亡くなった人たちは、必ず誰かがいるところで最期を迎えていた。
家族やもしくは病院の看護師さんや、施設の介護士さんや。必ず誰かに看取られていた。
私も母を看取ったし、人とはそうやって亡くなっていくのだと思い込んでいた。
けど、カメラのおばちゃんはたったひとりぼっちで亡くなった。
誰にも看取られずに、ひっそりと。
その事実を知った時、あんまり寂しくて悲しくて私は訃報を聞いて初めて泣いた。
おばちゃんがどうして亡くなったのかも、生前の想いも、もう知る術がない。
あの古い家の中で、おばちゃんは亡くなってしまった。
その事実だけが突きつけられた。

誰かが死んだ後のその人のことを、こうされなかったからかわいそうだとか、こうしてあげられなかったから悲しいとか思うのは、私の自己満足かもしれない。カメラのおばちゃんが1人で亡くなったことも、一般的なお通夜やお葬式が行われなかったことも、おばちゃん自身にとったらもう何てことないことなのかもしれない。死んだ後のことは、もうすべてこの世に残った人たちに任されたことで、違う世界に行ってしまった人にとっては何も気にする必要のないことなのかもしれない。
人生の閉じ方には本当にいろんなパターンがあって、人から見たら悲しくても本人にとっては幸せなこともあるのかもしれない。もしそんなパターンを選んだ人がいたら、残った人は悲しみに耐えるしか方法はないのかもしれない。

今となってはおばちゃんの想いを知ることがもうできない。死んだ人の想いはほとんどの場合残らない。知ることができないことは悲しい。でも、本人もいつ死ぬかなんてわからないから残しようがない。だったら、日々思ったことやあったことや何でも何でも残しておくことが大切なのかもしれないと思った。

どうやって生きてどうやって死ぬのか、全部は決められなくても考えておくことが必要だと思った。死ぬことはなかなか自分の理想に近づけることはできないけど、理想を引きつけるような生き方をしたいと思う。

どうか、おばちゃんがすこしでも柔らかい気持ちで最期を迎えられていたならいいと思う。望む形の最期ではなかったかもしれないけど、それでも、できるだけは……。

きっと今頃、家族で再会を果たしていると思う。私のお母さんもいるので、どうぞよろしくお願いします。

君がないと生きてはいけない

私は、自閉症スペクトラム障害(ASD)と診断されています。
ちょっと前までは広汎性発達障害でした。
注意欠陥多動性障害(ADHD)とも言われています。
全部大人になってから診断を受けたものです。

診断されてからは気持ちの整理がなかなかつかない時期もあって
ずいぶん長いこと障害については後ろ向きでしたが
最近ようやく少し前向きになれてきて
いろいろ工夫して乗り越えようと思えるようにもなりました。
まだまだ足りないけど、私の日々の工夫を載せていけたらと思います。

まずはこれです!
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タイマーは生活のいろんな場面で欠かせないものになりました。
私は100均タイマーを、同じく100均のカードホルダーに入れて
首から下げられるようにして使っています。
例えばやかんを火にかけているとき。
だらだらスマホをしたり本に熱中したり、過集中してしまうとき。
あらかじめタイマーをセットして首から下げていると
やかんのことも思い出せるし、過集中も一旦はリセットされやすいです。
ピンク色のは付箋で、長い時間がかかることのときは付箋に
「カレーを煮込んでる」と書いて貼っておきます。
首から下げるとタイマー自体の置き場所を忘れる心配もなくて安心です。

これは、何をやっていたかすぐ忘れてしまう特性と、時間の概念があまりない特性に役立ちます。
音がなるタイマーは時間をとても実感しやすいんです。
首からたいまーを下げている姿は何とも情けないときがあるけど
火にかけたままやかんを焦がしたり
過集中して何時間も時間を無駄にしてしまうよりはずっといいです!
100均で手軽に試せるのも嬉しいです。

考えればまだまだいろんな使い方ができそうなタイマー。
また工夫を考えてみるつもりです。


100点あげましょう

滑り台は前を向いて滑るものだって
私はそう思っていた
お得意のパーフェクトビジョン
模範解答、これがお手本です
だけど女の子は滑り台を後ろ向きに滑っていった
そして着地して一言
「できた!」と言った
そうか、今日のこの子にとっては
これが100点の滑り台
滑り台だもの、滑れたらOKなはずなんです
前向きでも後ろ向きでも「滑れた」のが大事なんです
この子はちゃんとそれをわかってる
「できた!」って言ってまいにち自分に100点を上げることが
また滑り台に挑戦する力になるってわかってるんだ
私は自分に100点があげられないでいた
でも、私も「できた!」って言ってみたくなったよ
今日の自分はこれで100点って花丸を上げてみたくなったよ
前向きに滑れなかったら後ろ向きに滑ればいい
そんな自分はすてきで100点だ!
そんな君に私はとっても勇気をもらったのです
今日の私は100点でした!

味方宣言

私はいつでもあなたの味方だよ
誰よりも味方でいるよ
でも、出来ることは限りなく少ないし
あなたはもっと別のことを期待しているのかもしれない
私はすごいことはできません
あんまりかっこいいことも可愛いこともできません
でも、月並みな言い方だけど
世界中の人があなたの敵になっても
私だけはずっと味方であり続ける自信があるのです
だからここに宣言します
私はあなたの味方です

私は楽観的な見方をするから
誰の味方にでもなるんじゃないかって疑うかもしれないけど
それはちょっとちがいます
私は人のいいところを見つけるところは得意です
けどだからと言って誰でも味方になるわけじゃありません
ちゃんと感じて考えて決めてるんです
だから堂々と宣言できます
私はあなたの味方です

映画のスーパーヒーローみたいに
窮地にさっと出てきてすごい攻撃を繰り出したり
バリアを張って防御できたり
空をびゅんと飛べたり
魔法が使えたりなんかしたらいいなぁとは思います
そうしたらもっとグレードアップした味方になれそうです
でも悲しいことに私は超能力も魔法も特殊スーツもないので
グレードアップは難しそうです
その代わり、耳が聞こえるので話を聞きます
腕があるので嫌じゃなかったらぎゅっとハグします
最近はなかなか上手にお茶をいれられるので
あったかいお茶をいれておもてなしします
いざとなったらあなたを傷つけた人に怒ります
疲れてたらマッサージもできます
何も要らなかったら、ニコニコしてただそこにいる
そんなことができます
私のできることを総動員します
そして宣言します
私はあなたの味方です

でも、私は筋が通らないことは嫌いだから
もしあなたがまちがっていたり悪いことをした時には
私はきっと怒ります
敵だから怒るんじゃなくて味方だから怒ります
味方になることは無条件に肯定することじゃないと思うので
怒ったり注意したりするかもしれません
それはあなたのことが大好きで、キラキラしていてほしいから
例え怒っても、私はそんなに簡単に離れたりしません
だって宣言しました
私はあなたの味方です

あなたがキラキラするのを見るのが大好きです
キラキラしてるあなたが私もキラキラさせてくれるような気がします
だからそのキラキラを完全に消してしまわないように
私も頑張ります
近くにいても離れていてももう会えない存在でも
味方は味方、たくさんいるのです
だから心配しなくてもきっとあなたは大丈夫です
立派な翼があるから安心して飛んでいけます
翼がない私は一緒に飛べないからちょっと寂しいけど
地面にいてあなたのことを喜んだり誇らしく思ったりしています
そしていざという時のためにお茶を準備したりしながら
また帰ってくるのを待っているので
空がどんなだったか聞かせてね

ここに宣言します
私はあなたの味方です

変わるもの、変わらないもの、受け入れること

 

お母さんの命が断ち切られてしまうその時に

私はあんなに近くにいてその変化を止めることが叶わなかった
私がこの世にあらわれた入口であり
何十年も一緒にいたその人の存在があの一瞬で消えてしまった
人がひとり消えてしまうことは大きな大きな変化だ
私にとってそれは「喪失」とは少し違う「変化」だったのだ
存在していたものが、逆らえない大きな力で消え去ってしまった
痕跡は残るのに辿ることは日に日に難しくなっていった
変わってしまった
私の人生も私以外の家族や親戚の人生も変わってしまった
日々の生活も変わってしまった
 
変わってほしくなかった
お母さんの存在も「生」から「死」へなんて変わってほしくなかった
共存」から「回顧」へ
「会いに行く人」から「偲ぶ人」へ
変わってほしくなかった
私の生活も私以外の人の生活も変わってほしくなかった
今までそこにあったものが一瞬にして無くなり
今までなかったはずのものが忽然とあらわれた
いやだ、いやだ、何にも変わって欲しくないんだ
お母さんの変化を引き止めることが出来なかったから
そこから広がる変化の波は何としてでも食い止めたかったんだ
 
だって私は変わらないものがいいから
同じものがとっても安心するんだ
太陽やお月様、お星様
人が話すのはずっと言葉
コンビニで買うおにぎりの味
起きる時間、寝る時間、猫のご飯の時間
変わらないと安心するんだ
だからみんな変わらないでよ
変わらずに同じままでずっといてよ
どうしてみんな変わってしまうの?
どうして変化を拒むことができないの?
 
がんばったけど変わってしまった
それを認められなくて受け入れられなくてずっとがんばった
お母さんがいた時と同じ生活を自分に与えたかった
お父さんも妹にもそうしてあげたかった
そうすることでお母さんの代わりになれたら
私が存在する意味も見つかると信じていたんだよ
必要とされたら生きていてもいいと許されると思ったんだよ
 
でも間違っていた
お母さんがいなくなったことで生活が変わることは仕方の無いことだった
お母さんの変化を止められなかったように、そこから広がった波も
止められないものだったし、止める必要も無いものだった
その変化はお母さんの生きた重みなんだ、きっとそうだ
お母さんはお母さんで、私が代わりをすんなりつとめられるはずもないし
そんな必要もなかったし、事実出来てしまったらお母さんの立場がない
がんばってきたけど、そんながんばりはいらなかったんだって悲しかった
涙がたくさんたくさん出た
鼻が詰まって息が苦しくなった
 
結局、生活は変わることを余儀なくされた
変化を受け入れて適応しなければいけなくなった
同時に私はお母さんの代わりにならなくても良くなった
お母さんになるんじゃなくて娘に、 お姉ちゃんに戻ることになった
お母さんのようなご飯は作れなくても良くなった
お母さんみたいにおうちを保つことは望まれなくなった
でも、もしかしたらお父さんも代わりをしてほしかったわけじゃないかもしれない
お父さんは、もう変化を受け入れていたのかもしれない
受け入れていなかったのは私だけだったのかもしれない
お母さんの存在は変わった
そして残された私たちの生活も変わった
それは自然の変化だったのかもしれない
季節が変わるように
ずっと同じ季節ではいられないように
葉っぱが色を変えるように
花が咲いては枯れていくように
命あるものの宿命のような変化だったのかもしれない
自然には抗えない
葉っぱにずっと緑色でいてとは言えないし
お花にずっと枯れないで咲いていてとは言えないのだ
大きな波が来て私ひとりで食い止めようとしたって出来るわけがなかったんだ
変わることは怖くて不安だ
できればなんにも少しも変わって欲しくないんだ
でも変わってしまうんだ
私にはそれは止められないんだ
 
変わることを変えられないならどうしたらいいんだろう
怖い気持ちや不安な気持ちはどうしたらいいんだろう
誰か一緒に考えてくれるかな
きっといい答えが見つかると思うんだ
何かが変わっても、きっと変わらないものもあるはずだしね
だってお母さんは変わってしまったけど
私とお母さんの間の気持ちは変わってないもんね

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何度目かの仕切り直しに当たって

ひどく不安定で
明るいところと暗いところを
行ったり来たりして
暗いところにわざわざ潜り込んだり
光を恋しがってみたり
そんな日々でした。

1年と少しパートタイムで働いてたけど
厄介な解離症状に邪魔されたのです。
仕事帰り、自覚のないまま海に進もうとして
それが怖くなったのがきっかけでした。

あんなにサポートにも理解にも恵まれた環境だったのに、何故病状が悪化したのか、結局納得のいく答えは見つからないままです。

そもそも見つかるのかすら
わかりません。

自分の想いを書き起すことにも
意味を見いだせなくなって久しいです。
けど、まぁ、とりあえず
頭の中や胸の中にもじゃもじゃうずくまっているよりは
こうやってぽつりぽつり文字に刻んで外に出した方がいくらかは救われるかと
思い直した次第です。


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