言うほどのことでもない

結構大切なことのような気もする

私を構成する42枚

#私を構成する42枚 というハッシュタグTwitterで流れてきた。楽しそうだからやろ~と思った頃には流行りが落ち着き始めていて、体調不良やら何やらでこの記事を下書きに寝かせていたらもう誰もその話をしてる人がいなくなっていた。API事変もあったし。

 でも書きたいので書くぜ。

〈書房の私を構成する42枚〉

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「アルバムで42枚!? そんなにないだろ」と思ったけど、全然あったしもっと入れたいアルバム何枚もある。この画像は実は改訂版で、1回目に入れたけどこれには入れられなかったものもある。42がむずい。

 この画像を作成するにあたって私は「私を構成する」のワードに着目し、これまでの人生の中でよく聴いたものや、学生時代の思い出のアルバム・曲という観点で選んだ。全部について語ると長くなるけど、アルバムにまつわる思い出も書いていこうと思う。

 

〈backnumber「シャンデリア」「ラブストーリー」〉

 私がバンド音楽に触れるようになったきっかけはbacknumberとGalileo Galilei(後述)である。選出したアルバムには収録されていないが何かのドラマの主題歌だった「青い春」を聴いて当時中学生だった私は衝撃を受けたのだった。私の青春にはbacknumberがいつもそばにいた。青くて甘い片想いをするたびに楽曲に自分を重ねて、テスト前には背中を押してもらった。

 

Base Ball Bear 「十七歳」「新呼吸」〉

 高校1年生の春ごろ、友達がカラオケで歌っていた「ドラマチック」をきっかけにハマった。それまで出会ったことのない歌詞世界に衝撃を受け、自分が漠然と「良い」と思っていたものが音楽に、言葉になって目の前に現れてわくわくした。しばらく聴いていない時期もあったのだが、アイドルのオタクになってから小出祐介が描く「君」に好きなアイドルを重ねて再び目の覚めるような感覚になった。

 

クリープハイプ「死ぬまで一生愛されると思ってたよ」「吹き零れる程のI、哀、愛」「一つになれないなら、せめて二つだけでいよう」「泣きたくなるほど嬉しい日々に」〉

 上記の2組と同様、私の青春である。聴くと夏の匂いが蘇る。同世代の方はアネッサのCMソングだった「憂、燦々」でクリープハイプと出会った人が多いのではないだろうか。私も例に漏れずそうで、尾崎世界観の声やレトリックの効いた歌詞に衝撃を受けた。大学生になってから初めて生で見たときは、生きててよかったなあとしみじみ思った。

 

チャットモンチー「生命力」「告白」〉

 校内放送で流れていた「余談」をきっかけに聴くようになった。チャットモンチーを聴いていると、自分がとても可愛い(この「可愛い」は見目が麗しいというよりは、チャーミングで軽やかな、の意味)女の子になったような気分になれる。

 

〈米津玄師「diorama」「YANKEE」「Bremen」〉

 高校でいちばん仲が良かった友達がきっかけで聴くようになった。ボカロPのハチとしての印象が強かったので「アイネクライネ」を聴いたとき驚いた。こんなに人間のあたたかさを感じるような曲を作るんだなあと感動した。

 

ヒトリエ「WONDER and WONDER」「モノクロノ・エントランス」「DEEPER」〉

 米津玄師をすすめてくれた友達がヒトリエも好きだったので聴くようになった。毎年地元のライブサーキットイベントに来てくれていたので毎年楽しみに見に行った。目の覚めるような鋭角なギターサウンドは、未だに私の眼を覚めさせてくれる。

 

ASIAN KUNG-FU GENERATION 「BEST HIIT AKG」「君繋ファイブエム」「ソルファ」〉

 アジカンも、同世代の方はどこかしらで出会うと思う。「リライト」もそうだし、進研ゼミのCМ曲だった「マーチングバンド」もなじみ深い。これらのアルバムを聴くと、友達とCDを貸し借りしたことや予備校に向かう電車の中でうとうとしながら聴いたことを思い出す。

 

椎名林檎無罪モラトリアム」「勝訴ストリップ」〉

 人間、椎名林檎に衝撃を受けることが一度はあると思う(主語がデカすぎる)。「勝訴ストリップ」に収録されている「月に負け犬」は生きていくうえで私のモットーとなっている曲で、折にふれて聴いている。

 

キュウソネコカミ「ハッピーポンコツランド」〉

 修学旅行で東京に行ったときにタワレコで買った。地元にはタワレコがないので、特典の缶バッジを貰ったときすごくワクワクした。「ハッピーポンコツ」も私の人生のモットーである。ライブにも行ったし、大学の学園祭にキュウソが来たときも見に行った。

 

Czecho No Republic「MANTLE」「Santa Fe」〉

 これも高1で同じクラスだった友達にすすめられて聴き始めたと思う。ライブにも行った。前で見ていた背の高い人が場所を譲ってくれたのも良い思い出である。キラキラした音色と心に優しくふれてくれるような歌詞が好き。

 

〈amazarashi「メッセージボトル」〉

 これと、後述する欅坂46の1stアルバムは予備校時代の記憶と強く結びついている。とにかく自意識が尖って荒んでいたので、自分を奮起させるために送迎バスの中で聴いていた。そうして自分のこころを守っていた19歳の私を少し愛おしく思う。

 

欅坂46「真っ白なものは汚したくなる」〉※現在は「櫻坂46」

 サイレントマジョリティーと平手友梨奈の登場は鮮烈だった。当時受験生なりたての青く尖った自意識が揺さぶられるのを感じた。予備校時代は「エキセントリック」の"僕"に共感していたし、今は「二人セゾン」の情景描写を美しいと感じている。

 

フジファブリック「SINGLES 2004-2009」〉

 これも予備校時代によく聴いていた。歌詞と映像の美しさに感動した。バスに遅れそうで走っているときに脳内で「銀河」が流れていたのを覚えている。もう長い夏休みがある年ではないけれど、8月31日には必ず「若者のすべて」を聴く。

 

〈ズーカラデル「夢が醒めたら」「ズーカラデル」〉

 先述した地元のライブサーキットでライブを見て、感動のあまり終演後に物販で音源を買った。ズーカラデルは「私とあなたは違う人間で、あなたの気持ちを完全にわかることはできないけれど、私はあなたを愛している」ということを歌っていると思っていて、それが心地よい(解釈違いだったらごめんなさいね)。昨年福岡で行われたライブに行ったとき、MCで「自分たちは北海道出身だから金木犀の香りに馴染みがない」といった旨の話をされていたのを印象的に覚えている。

 

KANA-BOON「僕がCDを出したら」「DOPPEL」〉

 深夜のローカル音楽番組で「盛者必衰の理、お断り」を聴いて、「なんだこれは!」と目が覚めたのを覚えているし、未だに岸井ゆきのを「ないものねだりのMVの人」と思っている。

 

〈MONO NO AWARE「人生、山おり谷おり」〉

 大学に入る少し前、新しい環境に馴染めるのか不安でナーバスになっていた時期に出会った。たまたま見ていた深夜の音楽番組で「マンマミーヤ!」か「イワンコッチャナイ」のどっちかを披露していたと思う。記憶は曖昧だが、それでもなぜか張りつめていたものがゆるんで不安が溶けていったような気がした。秀逸な言葉遊びが魅力的で、難しい言葉を使っていないのに名状しがたいものに名前をつけてくれるようなさりげない優しさがある。

 

ゲスの極み乙女。「みんなノーマル」「魅力がすごいよ」〉※現在は「ゲスの極み乙女

 好きな芸能人がスキャンダルを起こした最初の思い出。当時はショックでしばらく食欲がなかった。それはさておき、すごい人たちが現れたという感覚を覚えている。川谷絵音は当時からバンド(Indigo la End)を掛け持ちしていたけど、どのバンドの楽曲も良くて、スゲーと思っている。インディゴも好きだったんだよなぁ。「瞳に映らない」が好き。

 

Creepy Nutsたりないふたり」「クリープ・ショー」〉

 意識してヒップホップに触れることがなかった人生だったが、大学に入って「Creepy Nutsオールナイトニッポン0」(当時)を聴き、その流れで楽曲も聴くようになった。DJ松永が世界一になった直後に地元でライブを見れたのは人生でも上位に入る幸運である。

 

Galileo Galilei「車輪の軸」〉

 当時、Galileo Galileiが活動を終了するタイミングでリリースされたベストアルバムである。熱心に追っていたわけではないけれど、携帯会社のCMで耳にした「ハマナスの花」や好きなアニメの主題歌だった「青い栞」、好きなドラマのエンディング曲だった「さよならフロンティア」など人生と結びついている曲が多いので、ショックだった。しばらく名前を変えていたが、最近またGalileo Galileiとして活動を再開したと知り青い記憶がよみがえるのを感じた。

 

〈Mrs.GREEN APPLE「Progress」「Variety」「TWELVE」〉

 ミセスがテレビに出ているのを見るたび、「ワシはミセスのメジャーデビュー当時から知っとる!」という厄介マウントを取りそうになる。メンバーの脱退など様々な変化はあったが、良いなぁと感じる気持ちは変わらない。先日久々に「我逢人」と「CONFLICT」を聴いたら昔とは違った感じ方ができて沁みた。

 

yonige「Coming Spring」〉

 「アボカド」の衝撃を覚えている。当時の私はちょっとスレた、爛れた恋愛に憧れがあったようである。今は全然そんなことない、幸せな恋愛がしたいしなんなら恋愛をしたくない。

 

My Hair is Bad「narimi」〉

 「爛れた恋愛への憧れ」でマイヘアも聴いていた。多感な私には「ブラジャーのホックを外す時だけ心の中まで分かった気がした」がすごくセンシュアルな響きだったことを覚えている。

 

 こうして見ると、邦楽ロックにハマった高校時代によく聴いたアルバムが中心になっているなと思う。中学までは見ていたアニメやドラマの主題歌、またはボカロの曲を聴くくらいで、「CDを買って音楽を聴く」という習慣がほとんどなかった。(というか、ごく私的な感覚として私の自我が芽生えたのは高校生になってからと記憶している)

 また、大学生になってからもしばらくはCDを買ったり借りたりして音楽を聴いていたが、サブスクを利用するようになってからはまたCDを買う習慣がなくなってしまったこともわかる。サブスク解禁していないアーティストのものはCDを借りたり買ったりするけれど、YouTubeでミュージックビデオを見て満足してしまうことが多い。音楽のサブスクリプションサービスが登場した当初「私は絶対CDを買って音楽を聴くんだい!」と息巻いていた自分がこうも時代の波に流されているのは面白くもある。

 

 そして、思い出を語るときに「衝撃を受けた」という表現を頻用しているのを見ると、中学~予備校時代の私はすごく感受性が豊かだったんだなと微笑ましく思う。自画自賛とかじゃなくて、目にするもの耳にするもの何もかもが新鮮に感じていたんだなと切なくなった。今だって音楽を聴くのが好きで、新しい音楽と出会うたびに良いな、とは思うけどあの頃みたいに衝撃を受けるほどではなくなっていることに気づく。学生時代、現在の私と同じくらいの年齢の人が同じようなことを言っているのを見て「いくら大人になったからといって感受性が変化することなんかあるのか?」と思っていたけど、20代も折り返しとなった今になったらわかる。Galileo Galileiの「夏空」に「好きだった歌が響かなくなったな」という歌詞があり、高校生の頃はこの歌詞について「そんなことあるわけない」と思っていた。これも、今ならすごく共感できる。昔よく聴いて救われてさえいた曲が今の自分とは合わなくなっていて愕然としたことがある。でも「夏空」は今でも好きだし、響いている。あの頃好きだった曲は今でも好きだ。あの頃の私がたしかに救われたことを抱きしめていたい。合わなくても響かなくても、大切だから。

 

四半世紀と健康

 25歳になった。

 20歳を過ぎたあたりから自分の年齢が自分に紐づけられているという感覚が薄くて、今も「25歳と言われましても……」と思っている。

 この数ヶ月は体調を崩してばかりだった。日中の強い眠気に診断名がついて(病気の話については詳しい言及を避ける)、薬が処方されたもののその薬が合わず副作用の動悸吐き気食欲不振に1週間ほど苦しめられた。前回の記事を書いたのはようやく復調してご飯がまともに食べられることの喜びをかみしめている時期だった。

 幸い代わりに処方された薬では副作用もなく安心していたのも束の間、今度はいやに長引くタイプの風邪をひいた。PCR検査は陰性だったのだが、前述の体調不良で免疫が下がっていたのか刺すような喉の痛みがしばらく続いた。

 そして先月初旬に家族丸ごとコロナになった。今? 幸い軽症だったし生活に支障をきたすほどの後遺症はなかったもののよく考えたらしばらく体がだるかったかもしれない。

 こう体調不良を繰り返すと、心の方まで弱ってくる。どうにもならないことを考えては自分の過去を否定したり、今までやってきたことが全部無駄に思えてメソメソ泣いたりした。最近復職(少しややこしい事情があるのだが、書くと長くなるのでそう表現する)したのだが、その直前までは不安も相まって動悸が止まらなくなったり情緒不安定になったりした。家族のおかげでどうにか持ち直して、最近は心身ともに元気になりつつある。

 

 25歳の目標としては、心身ともに健康に生きること。いきなりバリバリ働いたり完全に何にも依存しない人間になれたりしたらそれが一番理想だけれど、そう上手くはいかないだろう。自分がそれほどストイックでも、意思の強いわけでもないと認めるのはいささか苦しいけれどそれを認めて自分なりに、持続可能な頑張る方法を見つけるのも「大人になる」の第一歩ではないだろうか。

 それと、魂を濁らせないこと。心身が弱ったこの数か月、心の核の部分が薄汚れて、自分がこれまで生きてきた中で大事にしていたことがわからなくなってしまった。これがいちばん辛いことだったかもしれない。元気になりつつある今、「そういえば私ってこういう感じだったな」と再認識することが多々ある。それを見失って信念がブレた状態で生きるのがしんどかった。そんな状態でも絶対に守り続けたことはあって、そういうところは自分でも良いなと思う。

 私は自分のことがそこそこ好きだ。大好きとは断言しない、やや逃げ道を作るような言い回しも含めて好きで、興味深い人間だと思う。そんな自分を信じて愛していたい。後から読み返したら恥ずかしくなるだろうが、私はまた心が萎れるであろういつかの私を救うためにこれを書いている。この1年も大小さまざまなことが起こるだろうけど、25歳の私が健やかに自分と、自分が大切にしたいひとやものを愛して生きていけるように願っている。いや、願うだけじゃなく、努めていく。

また春が来て

 お久しぶりです。前回の更新はいつだったろうと確認したら2020年の1月30日だった。3年前!?3年前て。この頃はまだ、まさか世の中が流行病によってガラッと変わってしまうとは思ってもいなかったような気がする。まだキャンパスに通っていたし、そもそもオンラインで授業を受けるとかライブを見るとか、そういうシステムがあまり想定されていなかったように思う。

 この3年の間に私はジャニーズJr.にハマり、就活をし、あまり上手くいかず、体調を崩し、卒論を書き上げ、大学を卒業し、就職のための研修を受け、Excelの資格をとり、全く想像もしていなかった業界で少し働き、体質というか持病というかによって一旦また無職(療養中とも言える)となり、今に至る。何も成し遂げなかったし何もなかったような気がしていたが、こうして書き連ねてみると思いのほか濃い3年であったように思う。

 この3年の変化と称してハマったもの、コンテンツを書いていこうと思う。

 

 ・ジャニーズJr.にハマった

 「2020年のあの頃あるある」だと思う。強制的に家で過ごす時間が増え、膨大なおうち時間が与えられた(そうでない人ももちろんいたと思う)。私はちょうど大学の春休みも重なり、無限のような暇を持て余していた。そのタイミングで友達からジャニーズJr.チャンネルの動画を教えてもらい、何本か見ているうちに本来勧められたのとは違うグループにズブズブとハマっていった。

 また、あの頃すべてのイベントが中止になり、チケット代や旅費、受験料などが全て返ってきた。別にもともと自分のお金だったものが返ってきただけで収入が増えたわけではないのに、あの時はあたかも臨時収入のように喜んでいたよね。返ってきたお金で私は雑誌やグッズを買い漁った。

 ジャニーズにハマったら終わる=お金や時間を無尽蔵につぎ込み、全てを犠牲にすると思っていたけど、別にそんなことはなかった。恐れていたようなことは起きなかった。2020年は配信ライブを何公演も買ってお財布がカツカツになったけど、そもそもオタクである以上常に財布はカツカツである(そうでない人もいるだろうし、いたらめちゃくちゃ尊敬する)。時間に関してもたまたま人生の暇な時期にハマったので心配することはなかったし、どうにかした。人間、キャパシティ以上のことはなかなかできないし、しようとすれば(自分の中の、もしくは外的要因の)何かが止めるようにできている。

 そんなこんなで、私は楽しくジャニーズJr.のオタクをしている。

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こんなことをするのにも躊躇いがなくなってきた。

 

 ・匿名ラジオ

 なんとなく聴き始めたらいつの間にか完走していた。ツイートを見て恐山のことをなんとなく怖いと思っていたが、匿名ラジオやオモコロチャンネルを見ていると憎めなくて愛おしいアホちゃん(©︎ARuFa)な側面に気づき、かなり好きになってしまった。ARuFaの芸達者ぶりやインターネット全方位配慮マンなところ、オモロのためなら手間も時間も惜しまない、ストイックさ通り越して執念も怖くて面白い。恐山にARuFaがいること、ARuFaに恐山がいること、いいな〜〜と思う。おすすめの回は数え切れないが、マックのメニューと友達になる回はすり切れるほど聴いている。

 

 ・マユリカのうなげろりん!!

 正直ネタ以外のことを詳しく知らず、TLでの評判が良いことでなんとなく聴き始めたのだが、まんまとハマってしまった。3歳からの幼なじみが30歳を過ぎてもかなり閉じた世界を構築してそれなりに楽しそうにしているのを見ると、ほのかに希望を感じる。阪本に中谷がいることも、中谷に阪本がいることも、いいな〜〜と思う(再)。

 #17 キャッチコピー、#33 ルーレット、#36 キモ萌えキュン、#43 おばさん 専用 服、#45 思春期の伝達者、#76 東京移籍が特におすすめの回。東京移籍の回は何回も腹抱えて笑った。

 ・フワちゃんのオールナイトニッポン0

  初めて聴いたのはオールナイトニッポンX(クロス)時代の、Creepy Nutsがゲストに来た回だった。「たりないふたり」を流しながら歌詞にブチギレて大暴れするフワちゃんに、その日抱えていた憂鬱は全て消え失せた。いつ聴いても、なんかしょうもないことで悩むのやーめよと思わせてくれる。また、フワちゃんが語る芸能人のエピソードを聴いていると、売れている人にはちゃんと理由があるんだなと思う。失敗も癇癪も笑いにできるフワちゃんに元気をもらっている。森フワBFF……

 

 あとはつばきファクトリーの豫風瑠乃ちゃんのパフォーマンスに涙したり、≠MEの「君はスパークル」に感動して指原莉乃さんに感謝したり、心豊かにこの3年を過ごした。

 

 こんな風にさまざまなコンテンツにハマってコロナ禍を過ごしたが、相変わらずお笑いは好きで賞レースのたびにワクワクして、毎年毎回「お笑いって良いな〜!」と思いながら充実した眠りについている。ひとつ違うことがあるとすれば、どこか一組に肩入れして賞レースを見るのをやめたことくらいだ。

 誰に言い訳をするわけでもないけど、あの頃好きだった芸人のことを嫌いになってしまったとか、そういうことではない。でも、実際いま深く追いかけてはいないわけだから結局飽きたんでしょ、と言われるとことばに詰まってしまう。けれど、飽きたというのもまた違う。

 端的に言うと、辛くなってしまった。当時の彼らを取り巻く環境やファンダムの雰囲気、時流などさまざまな要因が重なって、少し距離を置こうと思った。バラエティ番組のプロレスと呼ばれる構図を私は上手く楽しめなかった。大きな賞レースの度にどうせ組織票で勝ち上がるんだろうと中傷されているのも胸が痛かったし、芸能界にうっすら漂うミソジニーや女性軽視に彼らが染まっていってるように感じられるのもすごく嫌だった。最後のは結構大きかった。

 いま冷静になるとそこまで重く考えることではないと笑えるけど、そのときは本気だったし大切だったから、本気で辛かったのだ。辛かった自分をバカにすることはしないし、間違っていたとも思わない。そしてもちろん、彼らが悪かったわけでもない。今でも彼らがテレビに出ていると素直に「頑張れ!」と思うし、ここ数年賞レースで思うように結果が残せていないと語っているのも知っているし、4年前はオールナイトニッポン0を1年でクビになっていたのにソロラジオが2年続いていることに感動しているし、資格や特技を活かして幅広く仕事をしていることを知って「よかったね〜( ◜◡◝ )」と温かい気持ちにもなっている。あの頃みたいに全てを追いかけてはいないけど、どうでもいいわけじゃない。これも全部言い訳みたいに聞こえてしまうだろうか。

 2018-2019年ごろのブログを久々に読み返してみた。なんとも痛痒くテンション感のウザい、良いことを言おうとしてる感が鼻につく文章ではあったが、彼らを応援していてとても楽しかったこと、彼らを大切に思っていたことを思い出した。今だったらきっともっと上手く言葉にできると思うけど、21歳の私がいろいろ悩んで考えて捻り出した駄文の数々を「悪くないな」と思った。あと、楽しそうに生きてるなと思った。2018年や2019年の私は楽しそうに生きていたし、2020年から現在にかけての私も楽しく生きた。バイト先の生徒が言うことを聞いてくれなかったり、就活が上手くいかなかったり、それもあって体調を崩したり、医療費が高かったり、卒論に追われたり、体質に悩んだり、仕事に行きたくなかったり嫌なことなんてたくさんあったけど、楽しいこともそれと同じくらいかそれ以上にあって、トータルで見たら楽しく生きてたなと思う。それだけで、私はこれからもなんか大丈夫なんじゃないかと、根拠のない自信が生まれてくる。

 

 追伸:書房(hitsuji_shobo)のTwitterアカウントは消してしまったけれど、先日何となく書房のアカウントで繋がっていた人のツイートを見てみたら私の話をしていて嬉しかった。何の挨拶もせずアカウントを消してしまったけど、広大なネットの海の中にこうして自分のことを覚えてくれている人がいる事実が嬉しかった。私は元気です。

1/29

 あと2日で2月になるのは流石に嘘でしょ 気付いたらリハビリのために始めたこれも20日ほどサボっていたし、「20日」経ったことにも驚いている。あと変な時間に寝落ちしたからこの時間まで眠れない。明日1コマしか授業がないから余裕をぶちかましている。最近レポートを書いているからさまざまな文章の語尾がお堅くなりがち、である。

 

 「推しが武道館行ってくれたら死ぬ」(以下、「推し武道」)が好きで、毎週見ている。原作も全巻読んだ。

 「推し武道」は岡山県の地下アイドル「Cham Jam」とその熱狂的ファンを描いたものだが、その内容は何かや誰かを応援する人、オタクなら誰しも刺さるものだと思っている。えりぴよが真摯に、時にやり過ぎなほどに推し(市井舞菜)への愛を表現するさまに自分を重ねたり、他のオタクのスタンスを否定しないくまささんを見習ったり、「自分の推し方は良くないのではないか」と悩む基さんに共感したり、自分が何かの「オタク」である認識のある人は共感せずにいられないのではないだろうか。

 そして推し武道を見るたびに、「私が推しにできることは少ないけど、せめてお行儀の良いファンでいよう」と思う。そして今日の四千ミルクを聴いていても思った。私はライブを頻繁に見に行けるわけでも、ラジオの観覧に行けているわけでもないけど私の行動が原因で彼らの評判が下がるようなことがあってはならないのだ。もしかしたら手遅れかもしれないしそれは怒ってほしい。それでも彼らの事務所の先輩のことばを借りると「重々マナーだけは守っていこうね」と自分に言い聞かせている。こんなことを書いている時点でダメなのかもしれないけど。

1/9

 小学校のときの友達の誕生日のような気がする。たぶんそう。もしかしたら19日かもしれない。

 

 重めのレポートの締め切りが2月末であることが分かり、ちょっと安心するなどした。レポートの締め切りがわかるたびに「今度こそは余裕もって取り組むぞ〜」と決意して、結局前日の深夜に慌て出すことになるの一生やるんだろうか。レポートで使う文献を借りに研究室に行ったら4年生が卒論に追われていた。同い年の子は来年卒論を書いてるのかと思うと震えがした。私も2年後に控えている。それにしても大学生になってからの時間の流れはえげつなく速い。もうすぐ大学生活の半分が終わる。早すぎる。もう少し待ってほしい。

 

 強い顔面になりたかったので、ホットピンクの単色アイシャドウを買った。強い顔面になれそうである。もっと最強になりたい。ゆくゆくは顔面で威嚇できるようになりたい。

 

 今年の冬休みは午前中からバイトがあったため、人生初といっても過言でないほど規則正しい生活を送っていたがすぐ戻った。人間ダメな習慣を身につけるほうが早い。これを書いているのも気づいたら爆寝落ちから覚めたもはや早朝といって差し支えない時間だし。

 

 

 

 

 

1/8

 しばらく、特になんというわけでもなく長い文章を書かないでいたら見事に鈍った。英語と文章は継続が大切なんだと身にしみますね。

 

 5日前、母がインフルエンザになった。しばらくはてんやわんやだったので母の偉大さを痛感することとなった。もっと日頃からこまめに家事をしておこうと誓ったが、母が本調子に戻れば忘れてしまいそうだ。不肖な娘で申し訳ない。

 

 今日から授業が始まった。ここから春休みまではあっという間だけど、期末なのでレポートが鬼のようにある。去年も同じこと言ってたな、学習しないなぁ。

 

 この年末年始はバイトをし、ひたすら年末年始特番を追っかけながらTwitter見ていたら終わった。四千頭身をたくさん見れた正月で幸せだった。すべらない話もある。楽しみ。

 

 前述のとおりやることはアホほどあるけど、リハビリとしてこのくらいの長さの日記は書こうと思う。気が向いたらでいいと思う。

なんというか

 久しぶりにブログを書く気がする。いや、久しぶりだ。久しぶりですね。前に更新したのは元号が変わる直前だったようで、時の流れを感じる。私、いつも時の流れ感じてない? 基本的にはずっと時の流れを感じて驚いているだけのしょうもな人間ではあるけれどしょうもな人間なりにはそれなりにいろいろあって、8月はレポートを片付けなければいけないし(これを書いているときも翌日提出のレポートを半分くらい書いたあたりだったりする)バイトもしなければいけない。去年の今頃は何をしていたかなと思い返すと、あまりに何もやることがなさ過ぎて永遠に家にいたこと以外マジで記憶がない。8月の中盤か後半あたりに「文章を人に見られることに慣れよう!」と思い立ってブログを毎日書く試みを始めてそこそこ続いたのちやめたことと、8月後半に初めて日雇いの試験監督のバイトに行ってもらったお金でいきなりステーキに行ったこと、9月のはじめに友人の運転する車で海を見たこと、9月後半にバイトの初出勤日がやってくるもそれまで引きこもっていたせいで人間怖いモードに入ってグズグズだったことは覚えている。それ以外本当に何にもなくてびっくりしている。私、毎年びっくりしてない? 今年は最高の夏にするぞ! 夏、やったるで! という気持ちでいるけど、やっぱり「何もない休日だからこそここから出ない」、みたいな、Lucky KilimanjaroのHOUSEみたいな夏休みがおそらく性に合っているのでそうするのだと思う。

 思い返してばかりで恐縮なんですが、大学2年生になってからの4~6月は人生で暫定一番ライブに通った気がする。タイタンシネマライブにも行ったし、四千頭身マヂカルラブリー、ゆにばーす、コマンダンテハナコの単独ライブに行った。普段はテレビやラジオ、YouTubeでお笑いを鑑賞・聴取しているけど、やっぱり生(ないしそれに近い状態)で見るお笑いはいいなあとしみじみ思う。学校とかバイトとか、普段の生活をがんばるモチベーションにもなるし……。

 あとサブスクに手を出した。なんとなく敬遠していたが、いざ使いはじめるとめちゃくちゃに便利でひれ伏している。好きなバンドのCDを買うのも楽しみのひとつだけど、こうやってたくさんの音楽を手軽に聴けるのもありがたいなぁと思う。

 あと、咀嚼音の動画をまんまと見ている。これもなんとなく敬遠していたけど、なぜかついつい見て……聴いて? しまうようになった。流行りってそういうものだよなぁ。知らない人が嘘みたいなサイズの食べ物をひたすら食べている映像を見ていると楽しくなってくる。巨大な揚げ物とか、文庫本くらいの厚みの刺身とか。最近は夜中に魚を捌く動画を見てお腹が空いてしまうということを繰り返している。

 この夏はやりたいことがたくさんある。ひとり○○をやり倒したいし、おすすめしてもらった映画をたくさん見たいし、積ん読を消費したいし、小説もしっかり書き上げたい。とりあえずはギャグマンガ日和の全エピソード読破から始めたいと思う。そっち?