恋愛資本主義

私は、世の中のものはすべて、極端な話、愛も友情もお金に換算できるのではないかと考えている。実際、レンタル彼女といったものもビジネスとして成り立つほど付き合うという行為も人によっては価値がある=お金としての価値があるということなのである。

実際、このような考え方は批判の的となるものであろう。しかし、それは的を得たものであるからなのではないだろうか。あまりにも想像からかけ離れた考え方に対して人は関心すら抱かない。なぜなら、批判をせずとも誰もが間違っていると考えるからだ。

一方、批判があるということは、その言説を信じる余地があるもしくは少数の人が信じているという事実があるのではないだろうか。

そして、言説を人が批判するということは、ただその人が信じたくないだけなのである。

 

経済学的な資本主義と同様に恋愛における資本主義においても大きな格差が生じている。つまり、世の中の大多数は負け組みなのである。ほぼ一握りの人たちが多くの美女たちをものにしている現実がある。例えば、芸人田●敦はテレビで抱いた女性の数を高いカップラーメンの値段だと暴露したほどであるし、俳優KYさんはラジオで100人以上の女性と寝たことがあると暴露している。

負け組はこれらの現実を信じたくないからこそ批判をするのではないだろうか。

昔の村社会では、経済だけでなく、恋愛も社会主義であった。昔は何の努力をしなくても普通の日常生活を送っているだけでお見合いをし、結婚をすることに何の不自由もなかった。

しかし、社会が先進化するにつれて、経済の自由とともに恋愛の自由が社会における主要な思想となっていった。

そのような社会に生きる私たちはそろそろ認めても良いのではないだろうか?

この世の中は、恋愛においても資本主義の構造が生じているということを。

この今までとは変化しまい、世の中の大半の人が信じたくないこの考え方をまず

受け入れることが恋愛資本主義の世の中で勝ち組となるためにまず必要なことなのではないだろうか?

 

このブログでは、社会における信じたくない現実を考察を通して解き明かしていきたいと思う。

 

そして、そのような社会の中で私たちはどのような戦略を持って生きていくべきかを導きたいと思う。