葵の道 1 徳川の系図
徳川家康は、征夷大将軍として1603年慶長8年、江戸に幕府を開きますが、徳川家による治世は、最後の武家政権として、後の明治維新を迎える1868年慶応4年までの約265年に渡り長期政権となりました。
幕府の長である征夷大将軍は、源氏の血統でなければ、就くことが出来ず、その源氏も辿ってゆくと、天皇家に結びつく慣例のためとされるます。
将軍となるために家康が行ったことは、素性のはっきりせぬ自らの血統を、自分は、第56代清和天皇から始まる~清和源氏の嫡流、新田氏を祖先として系図をまとめて将軍になることを思いつくのです。
さて
家康が自らの祖先として結びつけた新田氏とは…?
このカテゴリーでは、家康が将軍となって明治の世に政権を渡すまで日本の武家の頂点に立っていた徳川家の前と後について、少々長くなりますが、書いていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
歴史紀行 明治以降編 1 北海道庁旧本庁舎
歴史紀行 明治以降編 1 北海道庁旧本庁舎
北海道札幌市中央区北3条西6丁目
北海道庁旧本庁舎は、道民から赤レンガの愛称で親しまれている旧本庁舎で、明治時代になって本格的に始まった北海道全域の開拓を推し進めた開拓使、札幌、函館、根室の3県の廃止後に設置された北海道庁の本庁舎として1886明治19年に着工し、1888年明治21年に完成しました。
建物の特徴でもある中央の八角搭は、建設予定に無かったものの、初代の道庁長官、岩村通俊の発案によりつけ加えられ、道民からの人気もありましたが、構造的に無理があり、撤去されました。
1909年明治42年に火災で内部を焼失したものの、ネオバロック様式の赤レンガの壁に損傷は小さく、内部と屋根の復旧で済みました。
本庁舎は1968年昭和43年に新庁舎の完成に伴って役割を終えた後で、北海道百年記念事業として、創建当時の八角搭をシンボルとした道立文書館~北海道庁旧本庁舎として復元されました。