ぼうけんの記録

鹿児島に住む中で「鹿児島は情報発信能力が低い」と感じることが多く、地元の資源をうまく生かせていないことにもどかしい気持ちを持っています。情報発信能力を身につけるために「まずは自分のことを発信しよう」と思いブログを始めました。

あたらしい冒険はじめました。

おはようございます!

 

11月の2週目ぐらいからwordpressでサイトを作っておりました!

最近やっと記事を書く始まることができまして、今日やっと芯となる文章を書き終えることができました。

 

よかったら遊びに来てください。

ONESELF Lab by kazaguluma | Oneself Lab もっとじぶんを知るための研究室

 

 

はてなブログはこのまま残しときます。

メインは上に紹介したブログになるけれど、ここも大切な場所なので、たまに更新しに来るつもりです。

 

あたらしい冒険のつもりで、研究室をはじめました。

 

「なんやねん、それ」と思った方は是非リンクから飛んでください。

 

ではまた。

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2年前のじぶんと対話しました。

眠る前に書きたいことを。

 

さきほど、なんとなくPCのふだん開かないフォルダを開いたら2年前の日記が出てきました。

 

大学生の私の文章でした。

懐かしかったです。

 

今よりも若く、無知(今も無知ですが)なじぶんのの誰に見せるでもない文章はいいですね。

人の目を気にしてないから書きたい放題書いてました。

 

人の記憶は儚いもので、読んでると

「あ〜。そうだったねえ」

「そんなこともあったわ」

「講義サボりすぎだぞ、卒業前に痛い目をあうぞ」

と頬杖をつきながら、いろんな感情がわきました。

 

また、一度経験したことなのに、新しいじぶんを知れたような気がしました。

 

日記に書かれたその時期はある年上男性のことでけっこうしんどい思いをして悩んでいる時期だったので、読むのはやめようかなーと躊躇しましたが、読み返してよかったです。

 

悩んで消耗もしていたはずだけど、文章にすることで癒されてたのかな、とか考えることができました。

 

文章として残しておくことで、過去のじぶんと対話できておもしろかったです。

 

やっぱり日記っていいなー。

残しておかないと忘れてしまうことが多いし、未来のじぶんの為にも今の私を記録しておくのはいいことのような気がするな。

 

じぶんを愛する、大切にすることと直結するなと思いました。

 

ほほ。

今日のこのブログも、いつかの私が見返すんでしょうね。

 

わたし、元気?

ほほ。

 

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書くことが何もない日も、間違いなく私が生きた1ページだ。

 

大丈夫。

このままでいこう。

 

よしよし。

 

 

 

あなたに伝えたい!映画と小説をセットで楽しむ方法 ~新海誠編~

こんにちは!

11月に入り、冬らしさが増してきてますね。

鹿児島市は晴天。しかし冷え込んでます。

さむっ。うぅ。

 

冬特有の晴れの日ほどさむくなる現象ですね。

うぅ。

腰が痛くなります。ううっ。

 

理想としては11/1にでーっんと更新して、月めの気持ちよさ的なものにのって、ズバババンと更新しちゃうぞーっ!と思っていましたが、今日は11/2です。

かなしみ。はい。

 

意気込みがしぼみかけているそんなお昼時です。

はい。

 

今日は映画を小説とセットにして、倍以上楽しんじゃう方法をお伝えします。

よほ。

 

 

最近わたしが読み終わった本に、

小説 君の名は。 作者 新海 誠

があります。

 

 

 

大ヒット映画、君の名は。新海誠監督の本です。

私はTOHOシネマズ与次郎で映画君の名は。も見ました。

 

新海監督の作品を映画館で見たのは初めてで、感動でOPから大号泣でした。

ずっとハンドタオルを握りしめてました。

終わる頃には手汗、脇汗びっちょりでした。ほほ。

 

文庫版と、映画の内容はだいたい同じですが、細かい描写がちょっと違います。

映画よりおおざっぱな表現もあれば、映画よりこまかく丁寧な描写もありました。

 

先に見たのは、映画ですが、文庫版を読むことで、もっと深く君の名は。の世界に入り込めました。

 

今は、こちらのアナザーストーリー版の文庫を読んでいるところです。

 

 半分ぐらい読み終えました。

こちらは映画の主人公、瀧、三葉以外の登場人物の視点で書かれています。

三葉の妹、父、友人などの視点が短編形式で綴られていて、映画以上に三葉の性格がわかり、印象が強くなる本です。

 

新海監督はそういうことしちゃうんですよねー。

前作の言の葉の庭。では映画の後に、小説が発売されました。

その後、文庫も出たはず。

 

あ、出てますね。

 

私はハードカバーで出版されたものを読みました。

内容はたぶん変わらないはず。

加筆とかあるのかな?

あとがきとかは変わってそうですね。 

 

こちらはですね、映画を見ただけではわからなかった物語の隙間を埋める本といえます。

 

映画は長くても2~3時間ぐらいで終わり、主人公がメインで紡がれていくことが多い(というかほとんどそう)ですが、君の名は。のアナザーストーリー版や、言の葉の庭の小説は、主人公以外の視点で語られるのです。

 

映画のことがすきであればあるほど、内容が記憶に残り、いわゆるサブキャラと呼ばれるキャラのことも頭に入っているので、「ああ、その行動の裏にはそういう感情があったのね」と納得したり、考えさせられたり、「んんんー。それは言わないとわからんやろー。伝わらんやろー」と、映像の外に出ても、悶々としたり憤ったりします。

 

私はこれで、映画で見ただいっきっらっいだわ、絶対この女と性格合わないわー、なんでそんなことするん?と思っていた女の先輩キャラのことを、大好き!、いや愛おしい!、その感情私も抱いたことある!共感できる!!まで変化しました。

 

やー、誤解ってしてしまうものですよね。

あぁ。胸がぎゅってなります。

 

このメインキャラ以外のキャラの視点を知るっていうのは、多角的視点で映画を見ることができ、登場人物それぞれや世界観に対して理解できる部分が増えるからおもしろいです。

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対人間に対しても同じで、ある1面だけではわからないんです!

わかっているつもりになっているだけ!

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人が自分に見せる面と、家族に見せる面、友人に見せる面、恋人に見せる面が違うように、1つの映画だとしても、登場人物の視点が変われば見え方が変わるんです。

私がだいっきっらっいなキャラを反対に愛おしく思えるようになったように。

 

 

よほっ。

映画って、小説って、物語って楽しいです。

 

映画を見ただけではわからない、物語の隙間を、小説で補填し、その世界への理解の幅を広げる

 ことが、映画と小説をセットで楽しむ方法です。

 

大変、おすすめです!

 

よほ。

 

 

 

 

 

 

 

 

2度のトイレ→起床→ラジオ体操→朝さんぽ

こんにちは!

2日ぐらいは続きますね。

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ふふ。

 

今朝は、昨日より1時間早く目が覚めました。

寝る前に飲んだホットミルクのせいか、夜中トイレに2度起きました。

コップ1杯しか飲んでないのに2回も起きるとは。

寝付いてすぐと、4:30頃に。

 

やー、「熟睡できてなさそー」と損したような、残念な感情が沸いていますが、「大人になったんだなー」とも思いました。

小さい頃は寝る前に水分を取りすぎてしまっても、まったく起きることなく、布団にダイレクト噴射していたのですが(噴射中に目が覚めることはあった)、大人になるとちゃんと目が覚めるんですね。

 

自分のお布団は自分の力で守ることができるんですね!!

(けっこうぎりぎりのところで目が覚めたけど)

 

というわけで、起きて5時間くらい経った今、とても眠いです。

はい。

 

起床後は、ラジオ体操をしました。

後ろにあるベッドに手を強打しながら、第2までしました。

YouTubeで第1を流したら、勝手に第2も流れ始めたので、勢いでやってみました。

もしかしたら、第2ははじめてまともに体操したかも。

手の強打は運よく免れました。

 

そして朝ご飯を食べ、窓を開け、なぜか元気がありあまっていたので、20分だけ朝さんぽに出かけました。

やー、音楽がついてきてくれるとどこまででも歩けますな。

ありがたし。

 

洗濯を回していたので、ほどほどのところで切り上げて帰ってきました。

玄関に入ると、テレビがつけっぱなし⁉

よっぽど散歩にいきたかったんでしょうか。ほほ。

 

 

最近は、ちゃんと朝といえる時間帯に目が覚めて、日中は外に出てふらふら歩いてみたり、自転車に乗ってみたり、PCに向かって手を動かしてみたりしてます。

わりと調子がいいです。

 

この勢いで、2度めのハローワークに行って、仕事探して、見つけて、堂々とちゃんと生きれたらいいのにな、とか思っています。

ご飯を食べて、0時ごろには寝て、起きて、仕事なんかして。

当たり前のことなのになー。

 

 

とはいえ、やりたいこともふつふつと沸いてきているので、今日はそれについて勉強や調べたりします。

今日は相方さんは帰りが遅いみたいなので、集中してできるといいな。

(一緒にいるとね、やっぱりね、ちょっかいとか出しまくってしまうんでね)

 

冬用のカーペットを干しているので、乾くといいなー。

天気予報が晴れだったのが、午後40%になっていてちょっと心配ですが。

 

太陽出てきたら、毛布も出すぞー。干すぞー!

 

今日もよい1日になりますようにです。

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ではでは。

 

 

 

 

特に書き残すほどのこともない生活~20代女性の毎日~

こんにちは!

ブログサボり魔のふくしまです。

ご無沙汰しております。(毎回ご無沙汰している)

 

今日はわりと早めの時間に目が覚め、やりたいと思っていた家事+排水溝、ゴミ箱の掃除がぜんぶできたので機嫌がいいです。

起きてすぐにお風呂も入りました。

あごに大きなニキビが1個できていることを覗けば特に不満はありません。

 

 

 

 

嘘です。

不満とかたくさんありますが、とりあえず生きてます。

 

「いざ、ブログ書こう!」とはてなブログを開き、ログインしましたが、いかんせんネタがない。

NOネタ。

ネタNO。

 

 

お昼ご飯はカップ焼きそばをバージョンアップさせた、オムレツのっけ焼そばを食べました。

おいしかったです。

 

 

そうですね。

このブログを始めた当初は、大学生でした。

卒業を控えた大学4年生のとある日にはじめましたね。

 

その時は、

・毎日更新してやんぞっ

・PV数バリバリ稼ぎてえええええ

・みんな、見て!このブログ!!!!!

と気合だけは十分でした。

実際最初の数日は、毎日更新することもできていました。

 

当初のコンセプトというか、思いとしては、

我が人生という、ぼうけんを記録しよう

とか考えていたような気がします。

 

大分前に読んだ、安藤美冬さんの著書からイメージしたはず。

 

 

自分の生き方、人生をぼうけんと名付けてかっこつけたかったのかな?

かっこつけたかったのかな?って言い方はまるで他人の事を現わしているみたいで、自分の事なのに冷たい印象ありますね。過去の自分すまん。)

 

まあ、でも自分っていうのは、過去の否定と今の承認の繰り返しでだんだんとわかってくるようなところあるので、自己否定と自己承認はイニシエーション的なものなのかもしれないっすね。

 

しかし、今はぼうけんという名をつけられるようなひびじゃないなあ、と思い、なかなか筆(PC電源ON→タイピング→Enterキー)が進まないのかもしれません。

 

じいちゃんばあちゃん4人とも生きてて、遺伝子的にはおそらく長生きの遺伝子を持つ私のなががががあああああああああい人生から振り返れば、今のこの安っぽい毎日なんで鼻で笑って吹き飛んじゃうぐらいのものなのかもしれないっすね。

 

ま、安っぽいとか言っちゃうと、一緒に過ごしてくれる相方に悪いので、そこの表現の仕方も考えないとっすね。 

 

うんうん。

 

 

 

 

 

少しずつ自分を信頼できる練習を

ブログ更新2日目!

できそうなことを「できる範囲でやろう!」と思って手を動かすのは、そう思った過去の自分と実際にやっている今の自分が手を取り合う行為みたいで楽しいです。

 

過去の自分の思いによって、今の自分を知る行為。

めんどくさいし、遠回りだけど、楽しいです。うっきうきです。

 

少しずつ、できることを増やしていくぞ。

 

自分のことを誰と比べても(それが世界中の誰であっても)、焦りや嫉妬や劣等感が多く生まれる性格最悪クズ人間です。私は。

 

最初のうちは「あ~素敵」「いいなあ」と純粋に憧れるんですが、自分に余裕がなくなると一気に負の感情が沸きだしますね。心の底から。

ブラック福島が現れます。

 

たぶんそういう思考回路にはまってしまうのは私だけではないはずで。

だから、誰かと比べてもやもやしながら生きるよりは、これまでの自分と話し合いながら、これからの自分に期待しながら、今の自分の機嫌を伺いながら生きることにしました。

ひとまず、今のところはそういう風に生きていけたら幸せで、楽だと思っています。

 

その練習のために、社会に背を向けて、周囲に迷惑をかけて、最低な態度を振りまいて1人になったのかもしれないです。

 

幼少期から悲劇のヒロイン気質が強いせいで、すぐ「私ばっかり」思考に陥ります。

馬鹿みたいに人に認められたくて、評価されたくてしかたないくせに、小心者で頑固でびびりです。

傍から見たら「何あの子」「人の気も知らないで」とイラつかせることも多々あるだろうけど、まずは自分のために、自分が何者か知るために、自分のことを考える密度を上げながら人生を送りたいです。

 

大半の人は「そんな人生みんな送りたいわ!」と願っていると思います。

そこを想像すると、自分に対して申し訳なさと恥ずかしさと苛立ちの感情が芽生えます。

でもやりたいです。ごめんなさい。

 

環境が整っているとはいえない、いつまでも甘えていられない。しかし、今だからこそわかることがあり、発見に近づけるのかなとも思います。

 

今日はある方の誕生日でした。

Facebook上でいいねを押すだけの精いっぱいのお祝いを送りました。

 

その先輩は、誕生日を境に新しく自分メディアを立ち上げたようです。

(私が勝手にそう思っているだけともいえますが)

 

それよりまだ若い私。

その先輩の歳を自分が迎えた時に、稚拙でも未熟でも自分という膨大なデータが残っているように願いながら、今こうやって文章を書いています。

 

現代ではネットに記すことのできる膨大なデータを個人と呼び、それが私と呼ばれ、みんなに認知されるのかもしれないっすね。

 

もっと勉強して、もっともっと自分という枠を作って、色を濃くしたいです。

いろいろな自分を形成して、納得できて、胸をはれたら、今ここにある大量の後悔を清算できるかもしれないです。

 

堂々と胸をはって生きるということがこんなに難しいとは思いませんでした。

少しずつでいい。やり直しながら進めていきます。

 

しばし、申し訳ないですが、よろしくお願い致します。