あらほうしブログ

好きなお笑いの事と日々の雑感を綴りたいと思ってます。

キングオブコント2019

 

後出しジャンケンやん、と言われるかもしれないけど、ネタが終わるごとに、審査員がどんな評価をするのかという予想はほぼ当たった。

 

2017でにゃんこスターがベタな繰り返しネタで高評価を得てるのを知ってる人は、どぶろっくのネタが終わった時、誰もが高得点を予想できたのでは。

 

それがたとえ、下ネタだろうが。

 

顔と名前を出してリスクを背負って審査する審査員たちの評価を、私は尊重する。

 

だから、どぶろっくの優勝に異存はない。

 

ただ個人的にはどぶろっくのネタで一切笑えなかった。

 

歌ネタ王2018と同じネタだったというのもあるけど、下ネタを面白いと思わないタチなので。

 

今年も客席は若い女性ばかりというのが、お笑い界のジェンダー意識を象徴するかのように、お笑い界はまだまだ、どっろどろの男の世界なんだなと改めて思った。

 

もちろん、そんなことは考えず純粋に楽しめたネタはいっぱいあって、GAGかが屋ジャルジャルネルソンズも面白かった!

 

今年も大会を開催してくれた事自体には、TBSに感謝している。

 

母の心の病の治し方

 

父の過去の不誠実な所業が発覚した60代後半から母は精神を病んだ。

 

運悪くガンにも罹患し、抗がん剤の副作用で寝たきりに近い状態になり、母の双極性のうつ病はよりひどくなっていった。

 

父を毎日なじるだけでは収まらず、私や兄や、親戚中に電話をかけまくっては、泣きながら暴言を吐きまくった。

 

父が何度謝っても母は許すことはなく、何度も何度も泣きながら父をなじった。

 

そのうち父も病んできたのだろう、母が父に暴言を吐くたび、父は家出を繰り返すようになる。

 

そうなると母は泣きながら「お父さんが出て行った、助けて!」私に電話を掛けてきた。

 

そのたびに実家に急行し、探し回る。

 

見つかったり戻ったりすると、母は泣いて「ごめんなさい。もう言わない」と謝るが、舌の根も乾かぬうちにまた暴言やなじり言葉が繰り返される。

 

ある時、深夜に父はまた家出した。

 

近所の民生委員さんが真夜中に出動して探し回ってくれ、父が橋から飛び降りようとしてたのを、すんでのところでとめてくれた。

 

そこまで父を追い込んで、他人も巻き込んでしまって、母は、父にも、民生委員さんにも、振り回した私達家族にも、泣きながら何度も謝った。

 

しかし、というか、やはり、というか…暴言は止まらなかった。

 

父はその後も何度も追い込まれ、自傷行為に及んで骨折したり、家出を繰り返した。

 

ここに至っては、別居、離婚という方向にいくのが順当なのだが、抗がん剤治療の途中であり、ひどい副作用で要介護2になってしまった母を、実家から動かすのは困難だった。

 

抗がん剤治療が終わり、母の体がある程度回復するまで、なんとかこのままもって行くしかない……

 

母の暴言と父の家出が繰り返されても、打つ手はなかった。

 

そんなある日、事態は思わぬ形で終息する。

 

父ががんに罹患した。

 

発覚した時点で、もう手の施しようがなかった。

 

母の暴言は止まった。

 

そして父が亡くなるまで、体調をおして通える限り病院に通い父に寄り添った。

 

父が亡くなった後、東京から駆けつけた兄が、お通夜や葬儀を段取りした。

 

兄に任せる、と言っておきながら、その段取りが気に入らないと、母が兄に暴言を吐きはじめた。

 

「そんな簡素なお式で送ったらお父さん可哀想でしょ!!段取りし直して!!」

 

それまで数年、母に振り回され続けながら、母の病状や気持ちを察し、ずっと堪えてきた私であったが、ついに切れた。

 

「死んでからいくら体裁整えても遅いねん!

何で生きて元気にしてる時にもっと優しくできへんのよ?! 最低や!!」

 

母の前では誰も口にしなかったが、集まった親戚は「お父さん、お母さんに追い込まれてたもんね…」と、母の度重なる暴言が父の病気の遠因であると、みんな捉えていた。

 

私もそう思っていた。

 

父は母に追い込まれても仕方のないことをしてた。

 

ずっと母を傷つけてきた。

 

しかも結構な長期間。

 

だから、私は、母を父から離す方法はないかと画策したり、父が家出して泣く母に「家出されて泣くぐらいやったらもう暴言吐くのやめたら?」と諭したことはあっても、母が父に暴言を吐くこと自体を非難したことはなかった。

 

だけど、父の死後、親戚の前で悲劇のヒロインを演じる母を、どうしても許せなかった。

 

あなたが追い込んだんよ、お母さん。

どう? 気が済んだ?

 

声には出さなかったけど、親戚が揃った後、大仰に泣き出す母に、そう思って冷たい視線を送った。

 

そして私は、全く泣けなかった。。

 

その後、母の抗がん剤治療は終わり、要介護度も下がり、心療内科に通っても薬を飲んでも、何をしても治らなかった母の双極性うつは、あっさり治った。

 

今、私が思うのは、母に振り回されて、一時自分まで心を病んでしまった、あの数年を返してほしい、ということ。

 

自分なりに、母のために必死で動いた。

 

できるだけ母に寄り添おうとした。

 

母が泣きながら電話をかけてきて言う父の悪口に、1時間2時間ひたすら耳を傾け、電話を切った後、トイレに駆け込んで嘔吐する日々。。

 

でも、その全ては解決に結びつかず、無駄に数年を費やしてしまった……実際のところはともかく、そういう気持ちになってしまってる。

 

誰かの心が病んだ時、解決法は、心が病んだ原因を取り除く以外方法はない。

 

三者がいくら頑張っても解決しない。

 

もし友人が、家族や大切な人の心が病んで、私にアドバイスを求めてきたとしたら、経験を踏まえてこう言いたい。

 

心が病んだ原因を取り除くための具体的なお手伝い以外は、関わらない方がいいよ、と。

 

闇営業とか直営業とか。。

 

連日の報道で、芸人さん個人の責任に帰する向きより、吉本興業のブラックなやり方への風当たりが強くなってきた。

 

私も常々、吉本興業のやり方はどうなんだろうと思ってた。

 

だいぶ前だが「吉本興業の歴史」みたいな本や、それ以外にも昔の演芸事情について書いた本を2.3冊読んだことがある。

 

それらを読んでひしひしと感じたのは、明治、大正、昭和初期の興業主にとって、所属の芸人は自分と同等の人間などではなく、儲けるための「駒」でしかなかったんだな、ということ。

 

令和の世でさえ、ブラック企業が従業員を使い捨ての駒にしているが、それとは少し感覚が違う気がする。

 

あくまで読んだ本の感想だが、前者は江戸時代からの身分制度の差別を引きずってのもののように思えた。

 

江戸時代、役者や芸人を河原乞食と呼んでいたその感覚が、抜け切れずにそのまま残ってしまっていたのではないか。

 

当たり前に自分達より低い立場にいる者、自分達と同じ配慮は必要ない者、という感覚。

 

だが、明治、大正、昭和初期の興業組織は令和の世にはほぼ残っていないので、そういう感覚も自然消滅したと思われる。。吉本興業を除いては。

 

明治時代創業の吉本興業が、厳しい競争を勝ち抜いて、令和の世に残った。

 

その勝利体験のノウハウが、良くも悪くも今まで続いてしまったのではないか。

 

吉本興業が芸人さん達ときちんと契約を交わさない、ということは、いまだ対等な人間として見ていないということ。

 

反社会勢力と知らずに闇営業に行った事の是非は色々あると思うが、吉本興業が芸人さん達ときちんと契約を交わさずやってきた事は、令和時代においては、明らかに「非」だと思う。

 

大きな代償を払ったこの事件を機に、少しずつでも吉本興業が変わっていくよう、お笑いファンとして切に祈る。

 

 

博多華丸大吉

 

漫才が好きな私は当然、博多華丸大吉の漫才はチェックしていて、華丸さん扮する中年のおじさんが「YouTuberになりたい」などと最新のものをいっちょかみするも、結局「博多のおじさん」丸出しで終わるその漫才は、関西人で、関西の主に若手の漫才を見まくってる私には逆に目新しい物だった。

 

生で見たのは2回。

2回とも安定感は半端なく、安心して笑い転げられた。

 

華大さんぐらいの知名度を持つ、華大さんぐらいのキャリアの漫才師は、実はほとんどいない。

 

華大さんより上の世代で、漫才ブーム時の漫才師より下の世代は、ダウンタウンのように漫才で頭角を現した人達も、後々は漫才を辞めてしまった人が多く、続けている人も知名度では華大さんに及ばない。

 

その後、漫才が盛り上がったのはM-1以降で、華大さんは漫才の空白世代の唯一の漫才師のスターだ。

 

福岡よしもとの一期生で、東京や大阪の芸人さんとは違う困難を乗り越えて来た彼らは、気がつけば唯一無二の存在になっていた。

 

今テレビタレントとして多忙を極める彼らだが、漫才はずっと続けてくれるのではないかと思っていて、いつか大阪のなんばグランド花月でトリを取ってくれるのではないかと、私は勝手に期待している。

 

それが何年後、何十年後になったとしでも、私は絶対に観に行きたいと思っている。

 

ピエール瀧さんに思うこと

 

逮捕の一報を聞いて驚き、ひとしきり報道に目を通した後、ふと思い立って先週の瀧さんの回の「たまむすび」をラジオクラウドで聴いてみた。

 

そのトークは、良識も常識もある、思い遣りも優しさもある、面白くてちょっとふざけた、ボキャブラリー豊富で達者なものだった。

 

つまり「異変」は感じられなかった。

 

「たまむすび」は、以前は欠かさず聴いていたのだけど、最近は若手芸人のラジオにはまっていてちょっとご無沙汰だった。

 

今日久々に聴いてみて、以前と受ける印象は変わらず、不審な点などは全くなかった。

 

報道によると、瀧さんのコカイン使用はかなり前からではないか、とのこと。

 

「たまむすび」の当初からコカインを常用してたのだろうか。

 

薬物に関しては全くの素人なのでわからなかったが、薬物を使用してても、あんなに「普通」に過ごせるものなのかと改めて驚く。

 

じゃあ私の周りにも普通に過ごしている薬物常用者がいるかもしれない。。

 

そう思った時、背筋に悪寒が走った。

 

瀧さんはこの一件でこれまで築き上げた物を自分でぶち壊してしまった。

 

こうなることは、当然わかっていただろう。

 

だけど止められなかった。

 

「中毒」とはなんと恐ろしい。

 

今、瀧さんに思うことは、裁判等片がついたらきちんと専門医にかかって治療してほしい、ということ。

 

もう、彼の意思や自身の頑張りではどうにもならないと思う。

 

どうか、愛娘「エリザベス」のためにも、真摯に治療に向き合ってほしい。

 

 

酒乱とM-1と、上沼さんとミソジニー

 

前にも書いたと思うが、お酒を飲んで暴言を吐いたり暴れたりする人を「普段はいい人なのに、お酒のせいで」と、まるでその人の人格は全く悪くなく、全部お酒のせい、とかばう人がいまだに結構いるが、それは絶対違う。

 

暴言を吐いたり暴れるのがその人の本性で、普段は巧妙に隠している卑劣な人だ。

 

お酒のせいにされたら、お酒が可哀想だ。

 

もしその人の人格が素晴らしいのなら、お酒で一度でも失敗した時点で、すぐにお酒を断つはずなのだから。

 

酒乱の叔父はお酒が入ると妻や娘を殴りまくったが、1人でも男性が現われると一瞬でおさまった。

 

この叔父や、叔父ほどではないがお酒を飲むと人格が変わる人に共通するのは、普段気の弱い八方美人で、しらふの時から相手を見て態度を変える傾向が若干あった。

 

M-1の採点方法が気に入らなかったのか、お酒を飲んで上沼恵美子さんに暴言を吐いた、とろサーモン久保田さんとスーパーマラドーナ武智さんは、普段どんな方なのかは知る由もない。

 

しかし普段からああいう事を思ってるんだろう。

 

男尊女卑の日本の中でも、芸人の世界はより男尊女卑が強い。

 

お笑い好きで、芸人さんのCS放送やラジオまでフォローしている私は、ずっとそれをひしひし感じていた。

 

女性が好む漫才や漫才師を揶揄する発言を今まで何回聞いた事だろうか。

 

そしてネタだけを見てもわかる。

 

いまだにプロポーズの言葉は「お味噌汁を作ってください」だったり(インディアンス)、「お弁当を作るのは女の子の仕事」だったり(和牛)、「芸人を支えてくれる嫁がほしい」から結婚したい、だったり(見取り図)する。

 

結婚しても、自分は、料理する気も、妻の仕事を支える気もないらしい。

 

今現在でこの体たらく。

 

上沼さんは40年以上前の、もっと露骨な男尊女卑の中で芸人を続け、ゴールデンに冠番組を持つまでにのし上がってきた。

 

どれほどの苦労を味わってきたのだろう。

 

仕事で忸怩たる思いをした日も多々あったと思うが、久保田さんや武智さんのように仕事の後に仲間たちとお酒を飲んでクダを巻く事もできなかっただろう。

 

なぜなら上沼さんは芸人をしながら、家事も子育てもしなければいけなかったから。

 

仕事の間は母親に子どもを預けてたらしいが、長々と預けられないからいつも急いで帰ってた、というエピソードを本人の口から聞いたことがある。

 

しかし愚痴る事も許されなかったに違いない。

 

「嫌ならやめれば?」と言われるに決まってるから。

 

私は正直、上沼さんの笑いの取り方が好きではない。

 

が、色んな抑圧をはねのけてここまでになられた事に、心からリスペクトしている。

 

久保田さんや武智さんが、上沼さんの採点方法に不満を持つのは勝手だけど、上沼さんが男性だったら同じように言っただろうか。

 

ほぼ女性特有の病気をあげて上沼さんを揶揄した行為は、単なるミソジニーだと思われても仕方ない。

 

こういうミソジニーのせいで、今まで何人の女性が潰されてきたのだろう。

 

上沼さんがもし、この発言で審査員を降りる事があれば、また一人潰される事になる。

 

もう嫌だ。

 

「上沼さん以外の人がこの発言に怒る事はおかしい」という意見を読んだが、この発言が「批判」ではなく「女性差別」だという事にすら気づいてないのかと、暗澹たる気持ちになった。

 

優勝した霜降り明星も気の毒だ。

 

霜降り明星

 

粗品くんはせいやくんという相方を持って本当に良かったのではないか。

 

あの人は稀有な存在。

 

天然でもあり、モノマネなど器用にこなす側面もあり、動きも面白い。

……と、文章で書くとちっとも稀有でない平べったい存在のように聞こえてしまうが、唯一無二の「せいや」という存在の、他の濃い人達に負けない存在感たるや。

 

もちろん芸の上での努力もあると思うけど、やはり持って産まれたものが大きいように思う。

背が低くて可愛らしい容姿も、彼の芸風の追い風になってるのでは。

 

オールザッツで最年少優勝した粗品くんのセンスは誰もが認めるところだろう。

 

が、彼のテレビやラジオ等のフリートークで時々垣間見えるミソジニーな発言やぶっきら棒な言動。。

 

「感じ悪っ」と思う事があっても、彼の才能の素晴らしさは消える訳ではないけれど、純粋なお笑い好きを自負してる私でも、やはり多少心に引っかかりは残ってしまう。

 

が、せいやくんがボケとして前面に出てはちゃめちゃにやってくれる事で、いつのまにかそういうトゲは消えている。

 

コンビって凄い、と改めて思わせてくれる霜降り明星、今年のm-1 は果たして⁈

 

時期はともかく、決勝に躍り出る日もそう遠くはないと思う。