幸せに生きる上で大切なこと。
1.自分の幸せのために生きる
誰かの為に生きていては長期的な幸せを得られない。他人を愛せる自分を第一に愛し、他人はその次。他人を1番にして得られる幸せは大きいが、短期的である。
2.正解はない
正解なんて死ぬまでわからない、死んでもわからないかもしれない。迷ったらあえて直感で、今やりたい方を選ぶ事も大事。それでも大事な選択はちゃんと後先考えて、考えすぎて今が不幸だと思った時に直感を使う。バランスが大事。
3.捨てる勇気、変える勇気
満たされなくては幸せになれない。満たされすぎても幸せになれない。怖くても辛くても変える勇気があれば総合的な幸せを得られる。難しいけど勢いで無理やり環境を変えてしまうといい。
4.周りと比べない
無理。どうしても比べちゃう。でも意識的に、自分のやりたい事をやるべき。1ヶ月後に自分は死ぬと思うと自分のしたい事は見えてくる。「周りなんか気にするな」を言える人間になれ。
謙虚に自己中に
子供と大人の違いに正解はないと思いますが、大人になったのですかね…自分は…
高校に入るまで自分はやればなんとかなるって思っていた。
昔っから運動は得意で顔も悪いわけじゃないし、なんにもできない人を少し小馬鹿にしてる時もあった。勉強だってやれば最低限はできたし、怖いもんは少なかった。
でも、一時期すごい落ち込んだ時があってその時に全てが悲観的になった。
今まで主人公だったけど、この世には何億人の人生があってその社会の中で生きてるただの1人なんだと知った。
そん時に全てのやる気が無くなった。
上には上がいるし下には下がいる。
意味わからんほど人はいて、それを理解している人もしていない人も意味わからんほどいる。
そん時始めて、たくさんの人生について考えてなんども生きる気をなくした。
でもどんなに考えても生きてる意味に正解はでてこないし、死んで人生辞めるほどの勇気もなかった。
そんで気づいたら、なんだかんだ楽しく生きようと思えるようになっていた。なんとなく生きてていいんだと思えた。
この世には本当に上から下まで天才からアホまで沢山の人々が生きていて、みんな考え方が違って、そんな人達が毎日隣合わせで生きている。
なにが言いたいかって言うと、いろんな人の中の1人って思える事も大切だし、その中でも自分を見失わない程度の自信も必要である。
これからも多くの人間の1人という事を忘れずに、自分を見失わない程度の自信を持って、謙虚に自己中に楽しく生きていこうと思う。
考えられる人でありたい
このブログじたい、
考えすぎの面倒くさいの一言だと時々思う。
自分が満たされてる時に読んでも驚くほどぜんぜん響かない。
けど、どんなに自分が毎日充実しようが幸せになろうが、どん底の人に寄り添えるこの感覚を無くしたくない。
たまには思い出して、脳みそフル回転させて真剣に考えたい。
自分の特技だと思って、何十年たっても考えられる人でありたい。
「どーせ」と「どーせなら」
「どーせ無理」って言葉はとても恐ろしいと思う。
誰だって物事を否定的に捉えてしまうことはあるが、それをクセにしてはいけない。
自分に言い聞かせたら鬱への近道。会話に使ったら周りはいなくなっていく。
もうすでにクセになりかけてる自分は、悪循環にハマらないためにも
「どーせ」の後に「どーせなら」って思うようにしている。
「どーせ死ぬ」けど「どーせ死ぬなら楽しく生きよ」って
すごいポジティブになれる訳でも、心が満たされる訳でもないが、
自分の場合はマイナス3ぐらいの気分がプラス1ぐらいにはなるよ
自殺をとめるべきか
ちょっと前に、自殺をしようとしている人をとめるのは勝手すぎるって書いたけど、それについて詳しく書こうと思う。
自殺しようとしてる人を止めた英雄がニュースになる事がたまにある。
日本には自殺を手助けした人は罪に問われるって法律もある。
でも自殺が良いものか悪いものかどうかは、死者の意見を聞けない時点で片寄っている。
あの世で「死んでよかった〜」って言ってる人は何億人いるんだろうか
そりゃ皆んな、生きてきたんだから、生きた方が良いって言うだろう。
自信をもって生きてる人は、どこかで自分の人生を肯定してあげている。
自分の人生を肯定できず、死ぬ勇気もなくただ生きてる状況が1番辛い。
そんな状況を打破しようと自殺に踏み切ったのにそれをとめるべきなのか
結局、生きることが全てではないし、どっちが正しいかはわからない。
でも、目の前に自殺しようとしてる人がいてとめたとしたら、そいつが自分の人生を肯定出来るようになるまで面倒をみる。
それぐらいの責任は持たないといけないと思う。
それが出来ないのに、家族でもなんでも助けて自分は満足して、それが本当に本人の幸せの為になっているのだろうか?
やってから文句を言える人
なにか始めようか迷った時、やめといた方がいいと言ってくる人はやった事がない人だったりしないだろうか。
自分が好きなTEDの植松努さんのスピーチにもあるように、
宇宙飛行士になろうと思っても、なれるか教えてくれる身近な人は学校の先生だったり親だったり、宇宙飛行士になったことのない人が大半である。
そんな奴の否定は聞かなくていい、と。
これは何事においてもそうだと思う。子供の頃、父親はよくサッカーを見ながら選手がミスをすると文句を垂らしてた。そんたんびに「お前ならできんのかよ」って言いたくなったのを覚えている。
とは言っても、自分もつい噂やイメージで物事を否定してしまうことがある。
勝手に相手の可能性を潰していたかもしれない。
相手が自分の意見を求めていないなら語るべきではない。
よくないって思うなら、それを伝えたいのなら、何事もやってからだ。
幸せと不幸はセット
幸せってなんだって、ふと思っていろいろ調べたんだけど
幸せって結局、不幸があるからこその幸せなわけであって
普段忙しい人は休日が幸せでも、毎日が休みになれば、休日はただの1日でそのうち幸せじゃなくなるんだよね
幸せは不幸ありきで常にセットになっていて、腹が立つほどよく出来てんなぁって思う。
そんな中でも、幸せに生きるにはどうすればいいか考えに考えたんだけど、
幸せと不幸の振れ幅を大きくすることだと思う
つまり、ハイリスク、ハイリターンな人生。迷ったら険しい方の道を行けって言うあの生き方ですね。
リスク飲まなきゃ得られるもんも得られませんよと。
自分は何か行動をする際、まず頭でリスク、失敗を考えてしまう、、
そして結局行動できない‥
失敗なんて恐れない、強い心の持ち主かそもそも失敗を考えない脳天気な人のほうがハイリスクハイリターンな人生を送れるのかもしれない