いろいろな問題。

政治・社会問題から日常の些細な問題まで。

理想主義者と現実主義者の話がかみ合わない問題

理想主義的な人と、現実主義的な人とでは、しばしば話がかみ合わないことがあると思います。

例えば、ある女性が夜中に道端で性犯罪の被害に遭ったというニュースが流れてきた場合。そのニュース(特に週刊誌の記事とか)で女性の服装が露出の多いものであったということが知れ渡ると、「露出の多い服を着ているからだ」という意見がネット等で出てくることがあります。この手の意見については、「セカンドレイプだ」との批判があって、個人的にはこの批判は妥当だと思います。犯罪は犯罪者が悪いのであって、被害者が悪いわけではないですから。

まあ、ここまでは理想主義とか現実主義とかは特に関係ありません。問題は次のような場合に起こります。

そういうニュースが立て続けにいくつか流れてきたとします。そんななかで、もし身近に露出の多い服装が好きな女性がいたとしたら、その女性に「最近物騒だから露出の多い服は避けた方がいいよ」と言うのはどうでしょうか。

その女性はレイプされたわけではないので「セカンドレイプ」だとの批判はあたりません。ただし、「服装は自由だろう。服装にいちいち口出しするな。だいだい悪いのは犯罪者の方なんだから」という意見はあるでしょう。また、そもそも女性の服装と性犯罪に遭う率は相関しないという意見もあるようです。

こういう場合に意見が分かれるのは、男女差というのもあるとは思いますが、理想主義と現実主義のどちらをより重んじるかによっても意見の違いが出るのかなと思います。つまり、服装の自由という理想を重視するか、性犯罪が現に起きているという現実を重視するかという違いです*1。この立場の違いはかなり大きくて、特に服装に無頓着な現実主義の人がいた場合、その人は理想主義に立つ人のことをなかなか理解できないかもしれません(逆もまた然り)。

この理想主義・現実主義の対立は、何も犯罪被害に関するものだけではありません。今話題の安保法制の問題にも、この対立があるように思います。

この場合、現実主義の立場として考えられるのは、例えば中国脅威論を強調する人たちの立場です*2。では、理想主義の立場として考えられるのは何でしょうか。まず考えられるのは、「戦争反対」を訴える人たちの立場です*3

この二つの立場では、現実主義の人は理想主義の人に対して「現実を見ろ」と言うわけですが、他方、理想主義の人は現実主義の人に対して「戦争反対!」と言うわけです。まったく議論がかみ合いません。まあ、「戦争反対」と言ったって本当に攻撃されたらやらざるを得ないだろうとは思うので、この意味での理想主義の立場に純粋に立つのは、それこそ現実的に難しいのかなあとは個人的には思いますが。しかし「戦争反対」をまったく叫べなくなるのもそれはそれで問題だと思います。

安保法制に関して考えられるもう一つの理想主義の立場は、「立憲主義を守れ」という立場の人たちです。つまり、違憲の疑いが濃厚な法案を通過させるなという立場ですね。これが理想主義であるのは、立憲主義は西洋においてフランス革命などを経て生まれたものであり、これは近代の理念がもつ理想を体現するために必要不可欠なものだと考えるからです*4。現実主義の人はそれに対しても「現実を見ろ」と言うわけですね。個人的には、この意味での理想主義に対してまで「現実を見ろ」というのは困難な主張なのではないかと思います。それは「近代国家であることをやめろ」と言っているようなものなので。

まあしかしいずれにせよ、現実主義と理想主義とで真っ二つに分かれて、互いの間で議論が成り立たないという事態は避けねばなりません。また、理想の無い現実主義は権力者のとても共感しがたい理想主義に利用される可能性もあって怖いですし、逆に現実をまったく見ない理想主義もつけ入る隙がありすぎて怖いです。安保法制にしろ*5何にしろ、両者が現実感のある理想主義に歩み寄ることができればと思いますが、どうやったら歩み寄れるようになるのでしょうか。大人はともかく子どもに関しては、中等教育などで、立場が違ってもかみ合った議論ができるようになるような教育を受けさせるべきなのかもしれませんね*6

 関連過去記事

arguediscuss.hateblo.jp

 

*1:あるいはもっと極端な例を挙げれば、「露出の多い服は避けた方がいい」どころか、「夜道に気をつけてね」という服装に言及さえしない言い方にさえ、「犯罪は犯罪者が悪いのだから女性は何も気をつける必要がない」と答える理想主義者もいるかもしれません。

*2:ここでは議論を単純化するために、中国の脅威が本当に現実なのか否かという問題は置いておいて、「今現在差し迫っているとまでは言えないかもしれないが、徐々に差し迫りつつあるとは言えそう」くらいに解しておきます。

*3:ここでは議論を単純化するために、安保法制が戦争をもたらすのか、それとも抑止するのかという問題は置いておいて、「場合によってはもたらしうる」という程度に考えておきます

*4:ここで言う立憲主義とは、立憲主義 - Wikipediaで言うところの「近代的立憲主義」です。

*5:安保法制の場合は、まずは違憲性を何とかすることが最も重要だと思います。政府も合憲だと思っているなら、たとえ話ではなくちゃんと理詰めで説明すべきだし、憲法学者ともちゃんと議論した方がいいです。

*6:国語か社会科の授業でディベートをやるというのも一つの手ですが、いわゆるディベートは型がありすぎるので、ディベートと一緒に子どものための哲学(p4c)みたいなものも取り入れるのもいいかもしれません。p4cが具体的にどういう効果があるのはあまりよく知らないのですが…。

雨上がりに閉じた傘で周りの人に怪我をさせないための3つの方法。

梅雨ですね。雨の日が続いています。一日中雨が降っていることもありますが、例えば午前中に雨が降っていて、傘を持って出掛けたけれど、帰る頃には晴れている、ということもたまにありますね。そういう時に問題になるのが傘の持ち方です。
傘をカバンと一緒に水平に持ったり、傘の柄の部分を持っていても先端を後ろの方に向けていたりして、後ろにいる人(特に子供)が怪我をするということがよくあるみたいです(下記記事参照)。
 最近、午前中・昼には雨が降っていたものの夕方には雨が上がっていた、という日がありました。その時に道行く人の傘の持ち方を意識してみたところ、カバンと一緒に水平に持っている人はもちろん、普通の持ち方の人でも、歩いていると自然と傘の先端が後ろにいきがちなのか、傘の先端を後ろに向けて歩いている人が結構たくさんいて危ないなあと思いました*1
 
周りの人に怪我をさせないためには、意識して傘の先端を下に向けることが大事ですが、ずっとそれを意識して歩いているのも気疲れしてしまうかもしれません。そこで、傘を持って歩いているとき、あまり意識しなくても周りの人に怪我をさせるリスクを無くす方法を3つ考えたのでご紹介します。

1.杖をつくような感じで、傘の先端を地面につけて歩く。

これなら傘の先端が周りの人に向くことはありません。ただし先端が傷むのが早まりそうですし、あまり体重をかけてしまうと傘が曲がってしまいそうです。
あと、場合によってはもしかしたら周りから変な人と思われるかもしれません(下記記事参照)。

2.筆を持つように傘を持つ。

書道の毛筆を持つように傘の柄の真っ直ぐな部分を持つと、自然と傘が地面に垂直になり、傘の先端が真下を向くので、周りの人に傘が当たることもありません。書道では、筆を半紙に垂直になるように持つとよいと聞いたことがあるので、筆の持ち方で傘を持つと自然と傘が垂直になるのもうなずけます。
ちなみに筆の持ち方は、主に単鉤法と双鉤法と呼ばれる二種類の持ち方があるそうです(下記記事参照)。
ただし、傘を長い間持つ場合、手や腕が少し疲れてしまうかもしれません。

3.折り畳み傘以外は持たない。

折り畳み傘であれば、そもそも先端が尖ってないタイプも多いですし、短いので手に持って歩いていても他の人に当たることもそうそうありません。ましてや傘袋に入れてかばんに入れておけば絶対に当たりません。
ただし、強い雨の日の場合、折り畳み傘で外に出るのは心許ないという欠点があります。その場合、レインコートと長靴で傘をささずに頑張るという手もあるかもしれません。晴れたときに周りの人に怪我をさせるリスクを無くすためだけにそれをやるのは聖人くらいだと思いますが笑
 
どの方法も一長一短ありますが、試してみたい方法はあったでしょうか。これら3つの方法を考えた自分としては、最終的にはやっぱり周りの人に怪我をさせまいとする意識が大事なのではないかなあと思いました(この記事台無し笑)。

*1:なかには、腕の振りに合わせて後ろの人を突きにかかっているのか!?と言いたくなるような人もいましたが笑

集団的自衛権は合憲かもしれない!?(集団的自衛権は違憲か合憲かについての頭の整理)

安保法制が、特に集団的自衛権が多くの憲法学者違憲と言われていますね。自分が思うには、プロの学者なら基本的には、あからさまに筋の通らない主張はしないはずなので、その学者たちの「違憲」という判断にはかなりの説得力があるだろうと予測できますし、それに対して合憲だと主張しようとするならば、違憲と考える学者たちの主張をよく検討して批判を加えていかなければならないでしょう*1。ここで「学者の言う通りにしたら…」*2と言ってしまっては、合憲か違憲かの議論を投了した(つまり、学問的には違憲と考えられると認めた)のと同じではないでしょうか。まあ、こんなことはすでに多くの人に指摘されているとは思いますが。

ここで自分の立場を明らかにしておくと、自分は少なくとも*3今回の安保法制の法案がこのまま通ってしまうことには反対です。安保法制の必要性と合憲性がよくわかるような議論が国会その他でなされていないように思うからです(自分が知らないだけで本当はなされているのだとしたら、ソースを挙げてご指摘いただけるとありがたいです。その可能性もあると思いますので)。
さて、自分としては反対なのですが、反対の人が反対の立場の側からだけ考えても、もしかしたらあまり生産的でないかもしれないと思ったので、ここでは賛成の側になるべく寄って考えてみようかと思います。
では何を考えるか。安保法制の必要性については、正直今の自分には考える材料(例えば安全保障環境についての知識とか)が足らない気がするので、今回は安保法制の合憲性・違憲性を考えることにします。しかし一口に安保法制といっても内容盛り沢山なので、今回は集団的自衛権、いわゆる後方支援、PKO等への協力のうち、集団的自衛権に限定して考えてみます*4
 
集団的自衛権違憲とする憲法学者は沢山いますが、では憲法学者はどのような論理によって集団的自衛権違憲とするのでしょうか。ここでは、憲法学者木村草太先生の「なぜ、憲法学は集団的自衛権違憲説で一致するのか?」という記事を参照します。ちなみにこの記事は論点が整理されていてきわめてわかりやすい文章なので、安保法制に賛成する人も反対する人も、未読なら是非読んでほしいです。
この記事の内容をまとめると、憲法9条は戦争や武力行使を禁じているが、憲法13条(「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を国政上、最大の尊重を必要とするものとしている)を根拠とすれば、国内の安全確保・主権維持のための、つまり「防衛行政」(≠軍事)としての自衛のための「必要最小限度の実力行使は、9条の例外として許容される」と考えることはできる(個別的自衛権合憲説)。しかし、集団的自衛権については、これを9条の例外と見なせる条文は憲法の中に見つからない。というのも、集団的自衛権というのは国際法上、結局のところ他国の防衛のための権利であり、他国の防衛を助けるための武力行使は「「防衛行政」や「外交協力」の範囲には含まれず、「軍事」活動になる」と思われるが、しかし軍事権についての規定は憲法にはないからである。つまり、「政府が集団的自衛権を行使するのは、憲法で附与されていない軍事権の行使となり、越権行為になるだろう」と。まあ、こんな感じだと思います。
 
この記事を読む限り、国際法上のいわゆる集団的自衛権をフルに行使することはまず間違いなく違憲だろうと考えられますが、しかし集団的自衛権の行使となるようないかなるケースも自衛のための「必要最小限度の実力行使」や「防衛行政」には当てはまらないのでしょうか*5。こういう疑問は当然出てくるかと思います。例えば、砂川判決を根拠とするいわゆる「限定容認論」というのはこの疑問に対する一つの回答として受け取ることもできると思います。ただし、砂川判決をその根拠として挙げるのはまったく正当でないでしょう。この点については、木村草太先生の記事の2ページ目で、合憲論者が集団的自衛権を合憲とする四つの論拠のうち、第四の論拠について述べられている箇所から、十分そう言えると思います。
しかし、砂川判決を持ち出すことが正当でないとしても、上記の疑問を呈すること自体が不当になったわけではないでしょう。では、この疑問についてはどう考えればよいのでしょうか。考える手がかりとして、まずは木村先生の記事の、合憲論の第三の論拠についての箇所を引いてみます。
第三に、「自衛のための必要最小限度」や「日本の自衛の措置」に集団的自衛権の行使も含まれる、と主張する論者もいる。〔中略〕しかし、集団的「自衛権」というのがミスリーディングな用語であり、「他衛」のための権利であるというのは、国際法理解の基本だ。それにもかかわらず「自衛」だと強弁するのは、集団的自衛権の名の下に、日本への武力攻撃の着手もない段階で外国を攻撃する「先制攻撃」となろう。集団的自衛権は、本来、国際平和への貢献として他国のために行使するものだ。そこを正面から議論しない政府・与党は、「先制攻撃も憲法上許される自衛の措置だ」との解釈を前提としてしまうことに気付くべきだろう。 
ここでのポイントは、集団的自衛権の行使は、日本に武力攻撃を未だしていない外国への先制攻撃となってしまうという点にあるでしょう。しかし、先制攻撃は「自衛のための必要最小限度」を必然的に超えてしまうのでしょうか。それを超えないような先制攻撃というものは、まったくありえないのでしょうか。
たしかに、例えば地球の裏側みたいな、日本からかなり離れたところで同盟国・友好国の軍艦が他国に攻撃されたとしても、その軍艦を守ることは純粋に単なる他衛であって、日本国内の安全確保・主権維持とは関係ないと思われるので、そのような場合に集団的自衛権を行使してその他国に先制攻撃をするのは違憲となるでしょう。しかし日本の領海・領空内やその付近であったらどうなんでしょう。例えばそこでアメリカの軍艦が近隣の某国から攻撃されたとしたら。そういう場合にアメリカの軍艦を守るために相手国の軍艦等々に対して攻撃(日本とその相手国の二国間では日本が先制攻撃)するのは、「自衛のための必要最小限度」とは考えられないでしょうか。無論、やはりそれも「必要最小限度」を超えているのだという意見もあると思いますが、しかしそこでアメリカの軍艦を守らないことが日本国内の安全確保・主権維持に重大な影響を与えると考えられるならば、そのようなケースにおいて集団的自衛権という他衛のための権利を行使することは、「自衛のための必要最小限度」に含まれるものと考えられる、というような意見はまったく成り立たないでしょうか。そこに議論の余地は無いのでしょうか。
 
と、ここまで合憲論者寄りに考えてみましたが、やはり集団的自衛権を限定的にでも認めるのは、今の憲法では難しいだろうなという気がします。日本の領域から離れれば離れるほど違憲感が増すので、どこか遠くに行って集団的自衛権を行使するというのはまず無理そうだなと思いますし*6、日本の領海内や領海付近の場合で「必要最小限度」の範囲内の事態を想定しようとすると、今度はその事態は個別的自衛権や警察権の範囲内では対処できないのかという疑問が出てきます。
また、たとえ個別的自衛権や警察権では対処しきれないがしかし「必要最小限度」には収まる(と多くの人が納得するような)事態が想定できたとしても、そういった事態にのみ集団的自衛権を行使できるようにするための、行使の可否を分ける明確な基準を規定する必要があります。いわゆる歯止めですね。この明確な基準がなければ、時の政権が好き勝手に判断できることになって、理念的には合憲を目指したが実質的には結局違憲にしか見えないということになってしまうでしょう*7
 
そういうわけで、自分としては、少なくとも今回の安保法制の法案がこのままたいして議論もかみ合わずに通ってしまうことには反対なわけです。与党にも野党にも明快な議論を求めますし、無理を通して道理を引っ込めるようなやり方は絶対に避けていただきたいです。
事実誤認や筋が通らないなどあれば丁寧なツッコミいただけると幸いです。何人に読まれるのかわからないですけれども。
あと追記ですが、記事タイトル変えました(2015/07/25)。

*1:違憲か合憲かを判断するのは最高裁なんだから学者は黙ってろ的な意見もあるかもしれませんが、自分としては最高裁が判断を回避するのではないかと不安です。統治行為論というのでしょうか。このあたり、よく調べてないのでなんとも言えませんが、しかしこのような重大な法案については、それが通る前に違憲か合憲かを憲法学者が考えて世間に主張する方が健全だと思いますし、逆にこういった状況で憲法学者が何も言わない方が怠慢だと思うのですが、どうでしょう。

*2:「学者の言う通りにしたら平和が保たれたか」高村氏

*3:本音を言うと、(特に今の)自民党のやり方や価値観にはまったく賛同できないので、今回の法案は言語道断と即断してしまいたくなるところもありますが、言語道断だとしてしまうと議論が成り立たなくなってしまうし、自分の意見が正しいとは限らない以上、異なる意見に対して耳をふさぐのは危険なので、なるべく言語道断と即断しないようにしているつもりです。

*4:盛り沢山の内容については次の記事を参照。盛り込みすぎ!な安保法制の内容を分かりやすく紐解く!【第44回山田太郎ボイス】 | 参議院議員 山田太郎 公式webサイト

*5:この点はすでに木村先生の記事についたコメントで指摘されていると思います。表現は若干違うかもしれませんが。

*6:ホルムズ海峡の話はどうなんでしょう。ある国があそこに機雷を置くことは、どの国に対して攻撃したことになるのか。もしもあそこを通ろうとする不特定多数の国に攻撃したことになるのだとしたら、日本はそこに含まれないのか。含まれるのだとしたら、日本の個別的自衛権で機雷掃海できないのか。無論、他に石油を手に入れる術がなく、石油を手に入れなければ日本の主権が維持できないと認められる場合の話ですが。だいたいそんなことがそもそも起こるのか。

*7:そういった難関を乗り越えて、合憲らしく見える法案ができあがったとしても、その法案のメリット・デメリットについてなど、議論すべきことはまだまだ残っているでしょうけれど。

このブログについて。

世間には政治的な問題、社会問題、日常生活の中でのちょっとした問題、その他さまざまな問題がありますが、このブログではそうした問題について、論点を整理したり問題の解決策を考えたり、とにかくいろいろ考えたことを書くつもりです。あとは世間にあまり認知されていない(かもしれない)問題について知る機会があったら、このブログで紹介できればと考えています。

所詮は素人のチラ裏的な戯言ですが、折角書くならちゃんとかみ合った議論を形成できるようにしたいものです。自分が書いたものに対して間違いの指摘があれば確認して修正し、批判的なコメントがあればできれば応答したいですね(自分に時間やエネルギーの余裕があれば)。ただし、まずそんなに反応を呼ぶものが書けるのかどうか…いや、そもそもこのブログの更新がどれだけ続くかも疑問ですが。

ちなみに自己紹介はしませんが、政治的な問題も扱うことになろうと思うので(現在、安保法制の問題とかもありますし)、日本版ポリティカルコンパスなるものをやってみました。その結果が下の画像です。政治的にも経済的にもちょっと左のようですが、ほぼ真ん中と言ってもいいですかね。参考にしていただければと思います。

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