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13 国際美術館立国際美術館「コレクション2 身体−−−身体」展。(コピーや転載は固くお断りします)

ルイーズ・ブルジョワ <カップル>(1996)(筆者撮影)

    

ルイーズ・ブルジョワの新収蔵作品の初公開を兼ねて、コレクションからテーマに沿う作品を5章に分けて展示。西洋美術史においては「身体と美術」と言う言葉は「美術と美術」というのと同じ、というのを持論としてきた私としては行かないわけにはゆかない。公開であるにもかかわらずほとんど読者のいない私のブログには、ルイーズ・ブルジョワについてこれまで書いた僅かな文章と、基本文献2点の何十頁にもわたるブルジョワの年表の邦訳を掲載しているが、その後の研究の行方が杳として知れないのが残念なところである。
待望の作品に近づくときにひさしぶりに胸が高鳴った。ガラスケースのなかに「これぞルイーズ・ブルジョワ!」という作品。縞模様のワイシャツを着た人体が、衿に手編みのレースをあしらった黒い服の人体に覆い被さるように抱きしめている。人体であることに疑念は湧かないが、首も下半身も手首から先もなく、残った部分も純粋なかたちとしては人体というよりも枕かクッションに近い。ケースの脚が長いために作品の位置が高く宙に浮き、しかも四方から見られるので、二体がとてもヴァルネラブルに感じる。20世紀前半の欧米の市民階級の服装をした二体は胴体だけになって永遠に抱き合っている。誰もいない家の中で突発的に行われた行為が四肢も首も奪われて人々の目にさらされているという痛ましさがテーマなのかもしれない。下半身がないせいか、性的な群像というよりは宿命的に結び合わされた(というか、貼り合わされた)二体に見える。ワイシャツの衿とレースの衿の黄ばみは制作以前、屋根裏に古着がしまわれていた年月の名残に見える。
ルイーズ・ブルジョワは、彫刻家として作品の脇に立つ写真でも「ブルジョワ」的なシルク、レース、上質のウールのように見える服装で写っている。少女のころからシャネルの子供服を着ていた彼女のアイデンティティを支えていたのがそうした衣裳であったことは、昔の服や下着をフランスの実家から取り寄せて晩年のインスタレーションに使っていることからも想像できる。本作品は、ないとは思うがもし私がルイーズ・ブルジョワ伝を書くことがあったら表紙にしたいと思うほど、彼女の本質を示している感がある。
第3章は「女性の美術家と彫刻家」。単に作家が女性という分類ではない。ルイーズ・ブルジョワと同時代や後の時代の彫刻家としての認知を得にくかった女性たちによる、さまざまな手法で自分の女性性を含みこんでいる作品たち(平面的な作品も)。草間彌生、イケムラレイコ、キキ・スミス、塩田千春ほか。シェリー・レヴィーンは、ブランクーシのブロンズ製の金や白の<ニューボーン>の形とサイズをそのままに、黒く輝くガラスで複製して<ブラック・ニューボーン>(黒人の新生児)として制作。
第4章「身体という領土」。バーバラ・クルーガーに<あなたの身体は戦場だ>という言葉を含む作品があるが、ここではアーティストたちが自分の身体性から出発して制作することを意味してそれを(自分の)「領土」と呼んでいるのだろうか。双方とも自分の身体を他者が領有することへの告発を含んでいる。オルラン<これが私の身体・・これが私のソフトウェア・・>は、整形手術をくり返すことが制作行為であるこの作家の直近の手術による変色と腫れが残る痛ましい肖像写真。鷹野隆大の<ヨコたわるラフ>シリーズは、肥満と角度のために男性性を直接的には感じさせない裸体男性を西洋絵画の「オダリスク」の系譜を想起させるポーズで写している。「見る者と見られる者=男と女」という硬直した図式に絡めとられている観者を柔らかく優しい世界に包み込んでくれる作品だ。最後の大展示室はブブ・ド・ラ・マドレーヌの<人魚の領土−旗と内蔵>。かつてこの作家はダムタイプの有名な舞台の1つ<S/N>に出演し、股間から万国旗をするすると取り出すパフォーマンスをしたという。また、人魚は人でも魚でもない確とした居場所を持たない存在として作家のアルターエゴ的なイマージュであったようだ。今回のインスタレーションの中心を占める金網でできた人魚の腹が裂け、そこから万国旗やドラァグクィーンの衣裳を思わせる派手な色彩の布でできた何かがこぼれ落ちているように見えるのは、作家の自伝的な要素から来ているらしく、会場の解説は最近作家が病気で卵巣と子宮を摘出したこととこれらの表現を結びつけている。とすれば、作家が自分のすべてを観客の前に投げ出したのがこのインスタレーションだといえるのかもしれない。
寛容に自分を与える本能がある人を作家と呼ぶのだろうか。ブブの作品へのイントロのように展示されているフェリックス・ゴンザレス=トレスの別の有名なインスタレーションに、エイズに罹患した同性の恋人と自分の体重を合わせただけの重量の銀色の紙に包まれたキャンディを展示室の隅に砂山のように積み上げ、観者はそれを1つずつ持ちかえってよいというものを見たことがある。一見「楽しい参加型アート」に見えるそれが一組の恋人たちの命を削る作業に思えてキャンディを拾い上げられなかったことを記憶している。そこに影すらも見えない作家だが、キャンディの重みに託して自らの肉体を見も知らぬ観者たちにさらけ出し、ゆだねている。それは自他の境界を開放することであって、あなたにも私にも、誰にでもできる行為ではないと思う。一方的に展覧会を見る生活に意味がなく感じるのはこういう瞬間である。

*なお、5月まで開催が予定されていたこの展覧会は美術館の都合で数日前に突然終了してしまった。工事都合とのことで仕方がなかったのかもしれないが、残念な思いの人も多かっただろう。 

12 翻訳:ルーシー・リッパード「奇妙な抽象」③の3 注など (コピーや転載は固くお断りします)

「奇妙な抽象」注など

* 『アート・インターナショナル』第X巻第9号(1966年11月)より、若干カットし、再構成して再録。この記事は、1966年夏にカリフォルニア大学バークレー校とロサンゼルス郡立美術館で行われたレクチャーと、1966年10月にニューヨークのフィッシュバッハ・ギャラリーで開催された同名の展覧会のカタログの基礎となった(出品作家はアダムズ、ブルジョワ、ヘッセ、キューン、ナウマン、ポッツ、ソニエ、ヴィナー)。この展覧会が法外に注目されたのは、出品作家の何人かが今ではあまりにも有名になったからだ。彼らの作品は、プライマリー・ストラクチャーとミニマル・アートの全盛期であった1966年当時は、今日よりもずっと「エキセントリック」であった。エキゾチックな要素のほとんどはすぐに排除された。当時、私はこの作品の意味を十分に理解しておらず、シュルレアリスムとの関連を強調しすぎていた。ロバート・モリスの「アンチ・フォーム」についての記事(『アートフォーラム』1968年4月号)は、素材の性質と物理現象が多くの新しい彫刻の形を決定するありようについて、より明確に論じている。この年の彼自身のフェルト作品は、ナウマンのラバー・ストリーマー(複数形)やランダム・ピース(複数形)、そしておそらくバリー・ル・ヴァやヨーゼフ・ボイスの作品を前提にしている。それ以来、「アンチ・フォーム」の傾向全体がモリスの手によるものとされているが、ヨーロッパでもアメリカでも、多くの若いアーティストたちが同時にこのイディオムを展開していた。

(✧1) 私はもはや、「非彫刻的」も「反彫刻的」も、形容詞として意味をなさないと思う。この文章が書かれた当時は、伝統的な彫刻から離れようとする動きの先鋭性を示唆するには、これらの言葉しかないと思われた。それからわずか4年後の今、このラディカルな性質は当たり前のものとみなされている。絵画と彫刻、あるいは「平面と立体」の区別はほとんど完全に克服された。 同様に、芸術と非芸術の区別(=「しかしそれは芸術か?」という問い)は時間の無駄だ。すぐに時代遅れになるような意味論的なラベルや理論化を考案して時間を浪費するくらいなら、すべてを芸術と呼んだほうがいい。

(注1) 筆者は、紙面の都合で割愛したアメリカ人はいうに及ばず、他の国のアーティスト(例えばイギリスのバリー・フラナガンやアルゼンチンのエミリオ・レワート)も同じような方向で活動していることを示す図版を見たことがある。
 
(✧2)その当時、私はドイツ人の先駆的な作品を知らなかった。

 (注2) 靉嘔、ルーカス・サマラス、リンゼイ・デッカー、ヴレダ・パリスなどは、箱、ヴィトリン、台といった従来の形式を捨てずに、同様の融合を達成している。これらは、形態を隔離し、それらが見られる空間をコントロールすると同時に、傘とミシンが出会った有名なシュルレアリスムの解剖台と対をなすものでもある。このような奇妙な隔離の手段としての台や箱の使用は、デ・キリコの空の広場、エルンスト(そしてダリやタンギー)の広い平原、ジャコメッティシュルレアリスムとそれ以降の彫刻、そしてシュルレアリスムのオブジェ一般にまで遡ることができる。

(注3)この文脈における19世紀について示唆を与えてくれたエリザベス・ギルモア・ホルトに感謝する。

(注4)クルト・フォン・マイヤーとカルル・ベルツ「ファンクの街: 西海岸のシーン」、『アートとオーストラリア』第3巻第3号(1965年12月)201頁。

(注5) バーバラ・ローズ「不潔な絵:嗜好の歴史におけるいくつかの章」、『アートフォーラム』第3巻第8号(1965年5月)24頁。

(注6) G. R.スヴェンソン『別の伝統』(フィラデルフィア、現代美術研究所、1965年)参照。

(注7)「馬の毛の手袋」より。マルセル・レイモン『ボードレールからシュルレアリスムへ』(ニューヨーク:ウィッテンボーン、シュルツ社、1950年)288頁に引用。

 

 

11 翻訳:ルーシー・リッパード「奇妙な抽象」③の2 本文 (コピーや転載は固くお断りします)

奇妙な抽象*

醜いものだけが魅惑的である−シャンフルーリ

構造的な美術(=立体作品)は厳格なもので、決してエクゾティックな要素に向けて逸脱しないようにみえるかもしれない。だがここ3年余り、東海岸と西海岸のかなりな数のアーティストのグループが、ほぼお互いを知らないまま、プライマリー・ストラクチャーや、驚くべきことにシュルレアリスムの幾つかの面と多くの共通性をもつ、非彫刻的様式(✧1)を発展させ始めている。私が便宜的に「奇妙な抽象」と名づけるこの傾向の作家たちは、想像力や感覚的体験の拡張を拒む一方で、現在の最良の非具象美術に要求される堅固な形態的基盤を犠牲にすることも拒んでいる。「奇妙な抽象」は、50年代の彫刻とは共通点を持たない。50年代の彫刻と違って、空間を活性化することはめったにないし、アッサンブラージュとも似ていない。アッサンブラージュのように、何であるかが分かる物体を入れ込むことはないし、小さくもないし、その技術は加算的でも集積的でもない。実際には、ここで「奇妙な」と呼んでいる特徴は、いかなる彫刻的形態よりも、はるかに抽象絵画に近いのである。これらのアーティストたちはたいてい30歳前後で、構造主義者たちと同じく、最初は彫刻家ではなく画家としてスタートを切った。そして三次元に移行したときにも彫刻家としての訓練を受けず、イディオムも身につけないままであった。絵画の伝統は日増しに彫刻の伝統に影響を及ぼすようになり、明らかに行き詰まっている伝統彫刻の代案を提供するようになった。とはいえ、フォーマリストの絵画が特定の形式的課題に焦点を絞る傾向があるのに対し、「奇妙な抽象」は、素材、形、色彩、感覚的体験などの新しい領域の開拓を目指す非形式的伝統に、より強く結びついている。それはポップ・アートの悪意と不遜を分け持っている。これまでに述べた、そしてこれからも述べる一般化は、もちろん議論の俎上に載せるすべての作品に当てはまるわけではない。その幅の広さや多様性は、「奇妙な抽象」のもっとも興味深い特徴の1つなのである(注1 ✧2)
政府の出資によるアカデミックな彫刻が19世紀の残滓である英雄的、あるいは葬礼的表現に結びついているとすれば、プライマリー・ストラクチャーの作り手たちは、新しい種類の葬礼用記念碑を生み出した。この場合の葬礼用というのは侮蔑的な意味ではなく、その自己完結的な統一感やくり返される形態が、意図的な非活動性を示しているという意味である。「奇妙な抽象」は、死の領域と完全に感覚的で命に溢れた要素のあり得ない結合を示している。そしてそれは天使も足を踏み入れることを恐れる彫刻の語法にユーモアを導入するのである。あらゆるユーモアがそれに基づき、シュルレアリスムが深く依存するところの不合理性は、「奇妙な抽象」の第1の要素である。とはいえ、「奇妙な抽象」の場合、その不合理性が生み出すコントラストは、ある要素も他の要素も両者の出会いも強調することなく、淡々と扱われる。対立する要素は矛盾としてではなく、補完的なものとして用いられる。その結果は、形態的中立あるいは麻痺状態で、そこに特異な全体性が達成される。シュルレアリスムが「隔たった複数の現実間の和解」に基盤を置くのに対し、「奇妙な抽象」は異なる形態や形態的効果の和解に基づいている。それはつまり形態と内容の二元論の解体なのである。
たとえばエヴァ・ヘスは最新の作品である、3枚の灰色のパネルを等間隔に繋ぐ絡み合った白い糸の迷宮で、構造的なイディオムに固有のモデュール原理を採用している。彼女はパレットを黒、白、灰色に限定しているが、この選択の動機は、強烈に個人的な気分に裏打ちされている。過剰なディテールやエモーショナルな色彩を排し、シンプルな形態の中に暫定的で脆弱な性質を残すことで、彼女は以前の絵画や素描から受け継いだ、特異で固定されない空間を実現している。ある種の緊張は、小さな作品ではきつく縛られた逆説的な球根のような形によって、大きな作品では直線的なアクセントによって感じられる(『アート・インターナショナル』第X巻第5号、1966年5月、64ページの複製を参照)。エネルギーは、期待に彩られた、時を超えた真空の中に抑圧され、あるいは幽閉されている。

官能的なオブジェには多くの先例があり、そのひとつが、メレット・オッペンハイムの悪名高い毛皮の裏地のついたティーカップ、ソーサー、スプーンである。サルバドール・ダリがこのアイデアを発展させ、1941年にボンウィット・テラーのショーウィンドウのために制作した毛皮張りのバスタブは、いっそう官能的な同一化を誘うものであった。見る者は比喩的に、大きな毛皮の子宮に身を浸すよう誘われるのである。その25年後、クレス・オルデンバーグの青と白に輝く柔らかいビニール製バスタブが、同様な誘いをかけた。イヴ・タンギーが1936年に発表したオブジェ<橋の向こう岸から>もこの種の初期の作品だ。"愛撫、恐怖、怒り、忘却、焦燥、綿毛 "と書かれたパネルから伸びるきつく締められたゴムバンドによって、手のような形のぬいぐるみが2カ所で縛られている。1960年頃、草間彌生は同様のアイデアを発展させ、ファルスをちりばめた家具を発表した。それは紛れもなく肥沃でありながら、シュルレアリスムの精神を保っていた。リー・ボントクーのぽっかりと穴の空いたレリーフは、喚起的な要素を意表を突く形態的目的にしっかりと服従させるという点で1つの出発点であったし、H.C.ヴェスターマンの<ぬいぐるみ>(1964年)は、官能的な要素を無表情な抽象形態にユーモラスに融合させていた(注2)。
1940年代後半から、ルイーズ・ブルジョワは、非彫刻的ではないものの、彫刻の主流から大きく外れた、「奇妙な抽象」に関連づけられる作風で制作を続けてきた。1964年にステイブル・ギャラリーで開催された彼女の展覧会では、土色や肉色の小さなラテックスの「型」が何点か展示されたが、その特異でソフトな形態は、エロティックなものや排泄物の間接的な暗示や、芸術の審美的でない側面の強調によって、今日の他のアーティストたちの作品を予期させるものだった。多くの場合、唇のかたちに切れ目を入れたり、「型」を回転させたりすることによって、確たる触感の「型」の外側だけでなく滑らかな黄褐色の裏側が見えるようにしている。彼女の作った盛り上がり、噴出物、凹凸のあるレリーフ、結び目のような堆積物は、覗き見を誘うことによって内側に向けられている。それらは、進行する変形ではなく、そこにあるもの自体を暗示していて、彼女の若い同僚たちの巨大なスケールの作品にくらべて超然としていて攻撃性が少ない。通常の彫刻用語で言えば、これらの小さくてどちらかといえば平らで流動的な「型」は、装飾的なシルエットや量塊感など、従来彫刻に期待されるほとんどすべてを無視した、決定的に見栄えのしないものである。その一方で、現実そのもののような不安なオーラがあり、小さいにもかかわらず、不思議と包まれているような親密さを感じさせる。これらの「型」は、目によって活性化して強い身体感覚を感じる脳の部分を刺激するのである。
心理学用語の「身体自我」やバシュラールの「筋肉的意識」が完璧に当てはまりそうな、精神を欠いた本能的なものに近い形態へのこうした同一化は、「奇妙な抽象」の特徴である。ある形や形の扱いが、なぜ他の形よりも官能的な反応を引き起こすのかを説明するのは難しい。ある時は、アーティスト自身の素材や形態へのアプローチによって、またある時は、鑑賞者の間接的な感覚的同一化によってそれは決定される。その場合の鑑賞者の感覚的同一化は、その人の感覚的体験一般についての現実の、あるいは疑似的な体験を反映している。身体自我は2つの方法で経験することができる。1つ目は、作品の感触やリズムに魅了されて愛撫したいという願望を通じて、2つ目は、理解するのに時間がかかる特定の形態や表面に対する即時的な反応であるところの反発を通じてである。
1853年、P. J.プルードンはつぎのように書いている。「悪徳のイメージは、美徳のイメージと同様に、詩の領域にも絵画の領域にも存在する。つまり、芸術家が与えることのできる教えによれば、美醜を問わず、あらゆる登場人物は芸術の目的を達成できるのである」(注3)。広い意味でいえば、あらゆる現代美術は、「それは悪すぎるから善いのだ」というキャンプの決まり文句に従い、それは対立するものを中和する役割を果たす。醜さと空虚さという言葉は、現在でも新しい芸術様式に関して定期的に復活する。これらの言葉や、新しいものに対する好ましくない反応を合理化する反芸術という修正概念は、もはや時代遅れである。現代のアートシーンにおいては、何ものも永続的に醜いということはない。二元論もまた時代遅れであるという路線に従って、これらのアーティストの中には、油と水のように対立する、アートとしてのアートと生活としてのアートの2つの基本姿勢を調和させるという、ほとんど不可能な課題に取り組んでいる者もいる。
これまでに述べてきたアーティストたちの作品に見られるこの試みを特徴づける要素のひとつは、ポップ・アートのさまざまな側面を非対象的なイディオムに適応させたことだ。ポップ・アートがこれらのアーティストに直接的な影響を与えたわけではないが、アート、ファッション、商業における趣味の創り手たちが求める「美」に対して、以前は下品、醜悪、劣等とみなされていた現代的環境の一部を受け入れられるようにしたのはポップだった。それは素材や判断に新たな可能性を切り開いたが、アーティストたちの作品においては、すべてが美的観点からしっかりとコントロールされることになるだろう。
フランク・リンカーン・ヴァイナーは、1961年ごろからこのイディオムで制作を続け、感情を排除した官能性を多方面に追求してきた。現在ではより厳格な、だが同じように非彫刻的方向に注力している。その基礎になっているのは、こわばって角張った硬い形態と、弱々しく無秩序な柔らかい形態との併用だったり、ときには1つの作品における両者の混在だったりする。それは例えば、オレンジ色のビニールで作られた巨大な吊り下げ型の作品で、青と黄色の巨大な渦巻き模様がシルクスクリーンで描かれ、さらに色とりどりのフリンジで縁取られている。一連の同じような長方形の形態の中央には穴あるいは通路のようなものが貫通している。派手な図柄と規律正しい形態の組み合わせは、構造的な効果を和らげるというより、焦点をずらしている。他の作品では、硬い形態を不規則な波状の帯で和らげる一方で、柔らかい表面を光沢のある金属の鋲で鎧うなど、表面はそれが覆っている形態と矛盾するまでに操作されている。何年にもわたって一貫してこの方法で制作を続けてきたため、ヴァイナーは、他の人たちがまだ夢中になっている「奇妙な抽象」の、より明白な側面のいくつかを排除してしまっている。彼の作品は、美醜の対立軸を破壊することで、醜さを超越し、非論理的な視覚的複合体、あるいは了解不能な光景を生み出している。
ヴァイナーの最新作のサイズは、環境芸術の規模に近づいている。これまでのアーティストの大半は、形式的な全体性を保つためにそのような発想を避けてきた。より彫刻的なコンセプトに固執するハロルド・パリスは、感覚的な対立の融合を、より複雑なレベルにまで拡大した一連の空間を作った。最新の最も成功した空間は、鑑賞者の動きや彼らが作品の表面にかける圧力によってコントロールされる、温度の変化や電子音までを含んでいる。さまざまな種類の黒い合成ゴムを主体に作られた表面は、それぞれ独自の色彩を持ち、光を吸収したりはね返したりして輝いている。滑らかに柔らかいもの、マットなもの、細かいテクスチャーや筋のあるもの。それらと、折りたたまれたり型取りされたりした有機的な形態は、手だけでなく目も欺く。一見潰れやすそうに見える形は金属のように硬く、平らな壁のような表面は触ると弾力がある。彫刻そのものは、多数の部分に分かれた通路のような構成になっており、大きな形態の前に似たかたちの小さな形態が置かれ、環境全体の儀式的な質を強めている。
これらの作家たちは通常、人工素材を好み、古くからの文学的連想を誘う伝統的素材を避けるが、ドン・ポッツ(パリスと同じくサンフランシスコ出身)は、毛皮や革にベニヤ板を使用している。ここに挙げた作家のなかでも特に彫刻家である彼は、その素材を、曖昧な仕掛けとしてではなく直接的に官能的なものとして創られたような、商業的な精度の高い表面に変換している。ポッツの流れるようなかたちの大きな構造物や、毛皮の縁を思わせぶりにこすり合わせている平面の作品は触ることを誘うが、悪意さえ感じさせる完璧な外観によって感情を拒絶する贅沢な品物である。<不安な、緩慢に>は、2色の革製の表面をもつ巨大な波形の床置きの作品であるが、感覚的と同時に官能的で、そのかたちがこれほど明白に控えめなものでなかったら、刺激的というに近い魅力を放つものになったであろう。
「奇妙な抽象」に使われる素材は、明らかに特別な重要性を持っている。予期しない素材面は、作品を彫刻的な文脈から一層根本的に切り離し、たとえ触れることを想定していなくても、感覚的な反応を呼び起こすように創られている。その表面が人の触覚に馴染み深いもので、触ったらどう感じるかが目で見てわかるものであれば、より効果は強い。アメリカ美術に限って言えば、クレス・オルデンバーグがソフトスカルプチャーの主要な原型である。彼の作品はつねに具象的だが、彼は身近なオブジェから、堅固さ、永続性、親しみやすさを取り去っている。流れるような、吹かれているような、突けるような、押せるような、凹凸のある表面やフォルムを好む彼には、例えばダリの幻想的に溶けたオブジェのような強い自意識はない。一つしかない手作り品や複数存在する既製品を題材に、それらを高度に抽象化して使用することで、彼はアッサンブラージュの作家たちが品物の結合の仕方によって設定している逸話的な限界を回避している。ソフトマテリアルを使った若手抽象芸術家の中には、全員ではないが、オルデンバーグの作品を通してこの素材の可能性に気づいた者もいる。以前の布の使い方とは一線を画し、彼は布に詰め物をして少し抵抗感を持たせたり、ゆるめたままにしておいたり、自在に操作できるようにしたりと、素材をフルに使っている。
オルデンバーグは、巨大な照明スイッチの作品のために、柔らかいキャンバスで造ったモデルと、流線型の硬い最終版とを合わせて、ビフォー・アフター、あるいは両刃の経験のようなものを作り上げている。同様に、ここに図示されている多くの作品の「主題」は、控えめなメタモルフォーゼと言えるかもしれない。能動的で感情的な意味でのエネルギーは、これらのアーティストの多くにとって忌み嫌われるものだが、彼らは変化という観念を否定したわけではなく、その過程を示すよりもその力を暗示することによって変化を体系化したのである。彼らの作品は尻すぼみになりがちで、盛り上がりもたたみかけてくるような形態もない。たとえばゲーリー・キューンは、非対称的な形態を中和の手段として用いる立体を創る。正確な長方形の断面がたっぷりとしたファイバーグラスの流れに溶けこむ。キューンの初期の作品には、箱型と流体の組み合わせがよく見られ、流れ落ちるような動きが豊かであった。一方最近の作品では流体の形態は重く、自己完結していて、源になった形態から切りはなされていることによって非活性的な対照が意図的に示されている。瞬間的な興奮は省略され、行為以前の事実と行為以後の事実は語られるが、行為そのものは省略される。キューンはここ3年ほど、構造的なものと風変わりなものを結合させる作品を制作してきた。もっとも重要で独自な形態を構築し、それらを枕や柔らかい物体と並置し、つぎには裸の枝や小枝の束、明るい色の石膏の流体、髪の毛に似たナイロン繊維の色見本のようなものと取り合わせる。最近の作品の高い仕上がりと安定感は、斬新さと奇抜さを弱めることで、感覚的な体験の具体的側面を強調し、結晶化している。
固定された素材の代わりに柔軟性のある素材を使うことで、運動芸術とキネティック・アートの中間に位置する、実際に動いたり動くように見えたりする要素が極めて控えめな領域が切り開かれた。それは大方のキネティック彫刻の騒々しい「技術的」基本とは正反対であった。キース・ソニアの空気を入れて膨らませることができるかたちは、あるときには静止していて、あるときには「呼吸」している。ゴツゴツしたビニールの形態を膨らませたり凋ませたりしている作品には、同様にゴツゴツしている硬い彩色された対の形態もあり、同一の現象の相反する2つの側面を示している。それは触るだけで変化を与えることができるソフト・スカルプチャーの、少々スピードアップしたヴァージョンである。リズムが動かない物体に命を吹き込むと同時にその物体本来の静的な状態も見逃されていない。膨らませた形が動かないときでさえ、それらの形は1つの身体感覚の内部にある幾本もの動線を示唆するかのように、空間(壁面から床まで)に拡がっている。透明なビニールのフォルムは、形態的な質量の効果をとともに、物理的な脆さや脆弱さからくる強靱さをも感じさせる。
ソニアとキューンが教鞭を執ったラトガース大学は、「奇妙な抽象」の温床として注目されている。それは主に個々のアーティストたちの独自の展開ではあったが、間接的にはアラン・カプローの縛られない考え方と彼自身が奇妙で持続性に欠けた素材に取り組んできた歴史が、辞任後でさえ影響を残したということなのだろう。昨年はロバート・モリスもラトガースで教えていたが、彼の旧作はオルデンバーグの直感的なアプローチとは対照的に、相反する前提を頭脳的に織り交ぜるものだった。サン・フランシスコでエポキシ樹脂と彩色した布で巨大な男根の彫刻を創っていたジーン・リンダーも、1965〜66年にダグラスで教えており、その時に彼女はサン・フランシスコ(主としてバークリー)のいわゆるファンク・アートの特徴であったラフな素材と技法に決別したのであった。現在彼女はニューヨークで家具に似た彫刻を制作しているが、それらは明らかに性的なイメージのもので、その不器用で大胆極まる形態は予想をはるかに超えている。柔らかく透きとおったプラスティックとビニールのシートで、彼女は透明性の幻覚的な使用を発展させた。彼女の最良の作品は比較的単純で想像を掻きたてることが少ない。

このことはサン・フランシスコでファンクを扱うほとんどすべてのアーティストに当てはまる。ある西海岸のライターによって、ファンクとは、粗野で個人主義的で公式に認められていない品格に欠けたキャンプとして描写されている。「キャンプが『良い』悪趣味を貴重で得難いものとして作り上げるのに対し、ファンクは見てくれよりも本質に関心があり、徹底したファンクは『悪い』悪趣味になり得る」(注4)。ファンク・アートあるいは西海岸の「奇妙な抽象」が、ニューヨークのアーティストに共通する猥雑でシニカルなエロティシズムを扱っている一方で、西海岸の典型的部分は構造的なフレーム・ワークよりもアッサンブラージュに関わっている。(筆者が見ることのできた小品から言える範囲ではあるが)形態に関する優れたセンスを持っているアーティストとしては、ウェイン・キャンベル、デニス・オッペンハイム、ロジャー・ジェイコブセン、ジェレミー・アンダーソンがおり、中でもモウリー・バーデンの大きな繊維状の膜のような作品<トラップ>や、より抽象的な陶器などが特筆に値する。
もっとクールなファンクの典型が、サンフランシスコ在住でロサンゼルスでも一度展示したことのあるブルース・ナウマンだ。ナウマンの逆説的なアイデアと知的な創意工夫は、ロバート・モリスを彷彿とさせるが、作品は似て非なるものだ。彼は染みだらけの合成ゴム、着色されたファイバーグラス、塗装された木材や金属を操って、単に存在するだけのものと、かろうじて示される空間的位置の確立の間にある不思議な宙ぶらりんの存在を創ってきた。彼の最近の作品は、主に型に関係している。つまり空虚で開いた堅固な形態と、それらを囲み、あるいは容れている空間との、ネガポジ、またはインサイドアウトの特性である。以前の作品はよりランダムで、ゴムのような一群の吹き流し、わずかに湾曲した脚を持つ細いT字型のバー、壁に向かって弧を描く不規則な「溶けた」バリア、中央で止めつけられて床に投げ出されたほぼ円形のゴム紐の束などがある。ナウマンの作品の大半は、無造作に表面加工が施され、どこか古い感じがし、ぼやけ、そっけない印象で、彫刻的でなく、一見すると取るに足らないものだ。そのもろさは断片化を思わせるが、不穏なまでに自足的で、失われ、取り残された機能の強靭さを備え、エレガントさを完全に欠いている。ナウマンが色を使うときは、都会的でありながら商業的でなく、まるでペンキの塗り直しが必要なエビ色のピンクの家のようだ。
ロサンゼルスのケネス・プライスは、ペイントされた小さな卵形の陶器の中に、傷つきやすい敵意というアンビバレントな感覚を表現している。明るく乾燥した甲殻の自己完結性は、芯から現れる暗く湿った蔓と対立する。後の作品では、外側のフォルムは自由で流動的で、生物形態学的に官能的だが、特定のエロティックな参照は避けている。またある作品では、ゴツゴツして小さな島のように孤立した形態は完全に有機的カテゴリーの外にある。メタリックに輝く色彩は、初期の作品と同様に不吉な洗練を示しているが、後期の作品は既存の彫刻の諸傾向から切り離されている点で際立っている。非常に自立したアーティストであるプライスが、主流の様式からの意図的な孤立によって、キューンやナウマンに間接的な関連づけが可能な、固定されない非対称の流れるような形態にたどり着いたという事実は、このようなイディオムが一般にどの程度存在するかを示している。
アリス・アダムスは長年熟練した織物職人だったから、彫刻に転向したときに、素材を神聖視することなく自由に発想することができた。柔軟で操作しやすい素材に慣れ親しんだ彼女は、明らかに人工物でありながら、自然のレベルに近い奇妙な操作性を持つ形態を手がけるようになった。チキンワイヤー、工業用ケーブル、リンクフェンスで構成されたゴツゴツとした半建築的な構造物は、生物形態主義の痕跡を残しているが、名もない生き物、繊維の粗いもつれ、ペイントされたケーブルを想起させる彼女の以前の作品ほどではない。アダムスの生命体を思わせる形態はエロティックで時にユーモラスだ。一方ロバート・ブリアーの白い発泡スチロールの<フロート>は、より不吉である。この作品は隠されているモーターによって、ほとんど気づかないほどのゆっくりとしたペースで這うことができ、それが移動してゆく空間を変化させ続ける。そのシンプルで角ばった、擬似幾何学的な形態は、その動きから生じる生物学的な暗示のほとんどをさりげなく払拭している。ポル・ブリーの運動彫刻とは異なり、かわいらしさはない。

1924年アンドレ・ブルトンは、彼にとって最も効果的なイメージとは、最も恣意性の高いものだと書いた。ここで取り上げる作家たちは、イメージ、形、隠喩、連想性を一体化させた特定の形態を好み、恣意性を排除している。彼らは鑑賞者を、相反するあるいはつり合いの取れた部分の集合としてではなく、全体として1つの純粋な美的感覚であるかのように扱っている。フロイトの司祭たちの力を借りるまでもなく、想像的な特質は無意識のレベルまで抑制され、逆に官能的な側面は不快なものとされたり、最小限にとどめられたりしている(注5)。隠喩は主観的な束縛から解き放たれる。バッグはバッグのままで子宮にはならないし、チューブはチューブであって男根ではなく、半球は半球であって乳房ではないのだ。鑑賞者側の自由すぎる連想は、形態的な表現の抑制によって打ち砕かれる。その抑制は非言語的な反応を強調し、感覚的ないし官能的な反応を結晶化させることによって高揚させることがあるのだ。
抽象は、それがいかにエロティックな示唆に富んでいようとも、法的にも具体的な意味でもポルノにはなりえない(ポルノグラフィックな音楽というものは存在しない)。シュルレアリスムや抽象表現主義では通常性的な暗示と解釈される生物形態的な表現を用いる代わりに、ある種のアーティストたちは、長くゆっくりとした、官能的な、しかし機械的ではある曲線を用いている。それは感情的というより意図的なもので、退化し想起的であるにすぎないリズムを刺激する。それは完遂し、完結し、いまだ回復していない行為の恍惚ではなく、絶頂後の静寂のリズムである。惰性に近いエロティシズムを生み出す感性は、エロティックな行為や刺激に対して無頓着で、それらに非ロマンチックに(=色恋無関係に)接する傾向がある。シュルレアリストが意識と無意識を区別したことはこの場合関係ない。なぜなら最近の若い世代は、具体的な事実、つまり我々がなぜそうするのかよりも、何を感じ、何を見るのかが示されている方を好むからだ(注6)。シュルレアリスムの詩人ピエール・レヴェルディは30年前にこのように語っている。「強いイメージの特徴は、それが互いの関係が心によってのみ把握される2つのかけ離れた現実の自発的な結合から生まれるということである」、とはいえ「もし諸感覚が1つのイメージを完全に受容するならば、イメージは心の中で殺されてしまうだろう」(注7)。この最後の条件はシュルレアリスムとその「奇妙な」子孫とを明確に区別するものである。視覚的、触覚的、そして 「内臓的」な感覚によるいっそう完全な受容のために、感情的な干渉や文学的な絵画的連想が存在しないことこそ、新しい芸術家たちが追い求めているものなのである。

 

 

 

 

 


  

 

 

 

 

 

 

10 翻訳:ルーシー・リッパード「奇妙な抽象」③の1 序 (コピーや転載は固くお断りします)

ここに訳出する「奇妙な抽象」("Eccentric Abstraction" , Lucy R. Lippard , Changing : essays in Art Criticism, 1971, printed in U.S.A.所収)は、このブログのテーマの一つ、ルイーズ・ブルジョワのルーツを探るもっとも初期の論文です。以前から気になっていて、ブログ主の知る限り邦訳もなさそうなので、ここにその全訳を掲載します。ブログ主は現代彫刻の専門家ではありません。思い違いや不適当な訳文もまぎれ込んでいる可能性大です。明らかな誤りについてはコメントをお待ちしています。なお、数カ所(××)または(=××)という表記で訳文を補ったところがあります。また、具体的な美術作品の描写については、原著に図版が2点しかないため、正確に訳せていない点が多々あると思います。
なお、邦訳に際し、優秀な翻訳ツールとして知られるDeepLに一応すべての原文を入れてみました。結果は思わしいとは言えませんでした。スキャンして得られたPDF文書をコピー&ペーストできたのはありがたかったのですが、1パラグラフづつ、時には数行ずつしかコピーができず、また特定の文字が別の文字になってしまうところは手動で直してからDeepLに入力する必要がありました。翻訳結果についても、とりあえず日本語になった部分でも専門論文としては問題が多く、なぜか途切れ途切れになってしまう部分も少なくありませんでした。もっと質の高いPDF文書を作れれば事情は違ったかもしれないとも思うのですが、技術的なことはわかりません。結果としての印象は、砂漠で1人さまようよりは良かったかという程度のものでした。

9 デーヴィッド・アーウィン著/鈴木杜幾子訳『新古典主義』(2001年 岩波書店)のこと その③(コピーや転載は固くお断りします)

本書の翻訳に取りかかる前、筆者はすでに小学館の世界美術大全集の『新古典主義と革命期美術』(1993年)に、編者兼執筆者として、ダヴィッドと政治史の関わりについて書いていたし、単著『画家ダヴィッド 革命の表現者から皇帝の首席画家へ』( 1991年 晶文社)も、タイトルに明らかなように同様な視点からのもので、フランス以外の地域の新古典主義も、ヨーロッパ内での「新古典主義国際様式」として扱っている。
その後著者は、もっと多様な視野からの新古典主義論を書きたいと漠然と考えるようになったが、具体的には何も手つかずのまま出会ったのが本書だった。翻訳作業を通じて、これが自分では書き得なかった規模の内容であることを実感。巻末の参考文献はかなり精選されたものではあるが100点以上にのぼり、しかも数カ国語にわたる。参考図版は242点。参考地図はグリーンランドからアルゼンチンやオーストラリアにまで拡がる。個人的能力はさておき、満足な美術図書館もない日本の一研究者の手に届くテーマではない。だが、まさに自分が書きたかった本を翻訳できたというのが実感であった。筆者はその後新古典主義の身体表象研究に重点を置くようになり、そこから現代美術とジェンダー論に関心を持ちはじめ、このブログにしばしば登場するもう一つのハッシュタグ「ルイーズ・ブルジョワ」が登場することになるのである。
本書日本語版に挟み込まれるために書いた「訳者解題」を付しておこう。20年以上前の文章なのであまり読みやすくないかもしれないけれど。



8 デーヴィッド・アーウィン著/鈴木杜幾子訳『新古典主義』(2001年 岩波書店)のこと その②(コピーや転載は固くお断りします)

まず目次から。

この目次は、一見新古典主義を「初期、盛期、その後」の三期に分けているように見える。けれども1〜9の各章の内容は実に多岐にわたっている。新古典主義を数十文字で定義するとすれば次のようになるだろう。「新古典主義は、18世紀中頃から19世紀初頭にかけて、西欧で建築・絵画・彫刻など美術分野で支配的となった芸術思潮を指す。それまでの装飾的・官能的なバロックロココの流行に対する反発を背景に、より確固とした荘重な様式を求めて古典古代、とりわけギリシアの芸術が模範とされた」(日本語版ウィキペディア冒頭:2023年6月2日21時20分)。これはこれで間違いではなく、むしろ新古典主義の基本のキであるといえよう。だがここに書かれている要素は、18〜19世紀という時代、地域(西欧)、(荘重な)様式、淵源(ギリシャ)についてに限られている。一方本書の1〜9の各章が、この無味乾燥な定義とはくらべようもなく多彩で魅惑に満ちていることは、各標題を一瞥しただけで想像ができるだろう。以下簡単に紹介しよう。
ギリシャ・ローマ(古典古代)の伝統がないヨーロッパの北の国々、特にイギリスの(裕福な)若者は、教育の総仕上げとしてイタリアに旅した(=1)。彼らは古典古代の伝統的建築を絵に描き、図面に起こして持ちかえり(自分に絵心がないときには画家や建築家を連れて行った)、北の国々には装飾過多なバロック風建築の代わりにギリシャ神殿風だったりローマのパンテオン風だったりする簡素な建築が建てられるようになった(=2)。
絵画にも美徳溢れる古代ローマの物語やギリシャの英雄譚が、ギリシャ彫刻のように理想化された人物によって表されるようになった(=3)。古代の庭園はむろん残っていないから、新しい庭園は、イタリアやイタリアに留学した画家たちが古代の庭園や風景を想像して描いた絵を手本に造園された(=4)。新様式の建築や庭園を飾る装飾品や彫刻も「ギリシャ風」をモットーに盛んに制作販売され、その利潤は工房を所有する王族にもたらされることも多かった。高邁と思われる新古典主義時代は意外に商魂たくましい時代だったのである(=5)。
高邁な新古典主義は世俗の歴史に疎かったか。とんでもない、この時代に起きた革命その他の政治的大事件の各派閥は、新古典主義美術を自分の陣営のプロパガンダとして用いた(=6)。しかも新古典主義はウィキの言うように「西欧」には限られていず、アメリカやオーストラリアにまで「宗主国」の流行として伝えられ、ワシントンD.C.のナショナル・モールなどに至っては、それこそ「ギリシャ人もびっくり」な古典主義建築の連なりである(=7)。結果、19世紀になると世界中の都市住民は都心に出かけるたびにギリシャ風の建物を目にし、懐具合に応じて新古典主義テイストが感じられる家具や置物を買ったりもしたのである(=8)。本書の著者アーウィンは心の広い人で、新時代の素材で造られたクリスタル・パレスや日いずる国(最果てとも言う)の建築家桜井正太郎設計の横浜正金銀行神戸支店(現神戸市立博物館)も新古典主義の仲間に入れ、反逆精神旺盛な現代美術家フィンレイのスコットランドの庭園<リトル・スパルタ>で本書を締めくくっている(=9)。
かつて美術史の知人に「あなたは本当に新古典主義が好きなのか?」と真顔で尋ねられたことがある。フランス人の彼女は日本美術史専攻で、西洋の真髄ともいうべき新古典主義を無味乾燥で非人間的で退屈な美術と考えていたのだろう。不幸なことに新古典主義ナチス・ドイツを始め、全体主義国家の公共建築にしばしば用いられたから、その影響もあったかもしれない。だが、本来の新古典主義は1〜9で紹介したように俗で多彩な無数の顔を持っているのである。
時々筆者は、新古典主義時代と20世紀初めのアール・デコの時代が、ピュアな形態感覚、商業主義、国際的拡がり、分野の多彩さ、多くの要素が時代を超えて継承された点などにおいて共通の性格を示しているように感じる。次世代の研究者の方々がそういう視点を検討して下されば嬉しいが、現在の美術史研究は個別テーマを掘り下げる方向に進んでいるから、そのような総論が書かれる機会はなさそうだ。

 

 

 

 

7 デーヴィッド・アーウィン著/鈴木杜幾子訳『新古典主義』(2001年 岩波書店)のこと その①(コピーや転載は固くお断りします)

2000年から数年にわたって刊行された「岩波 世界の美術」(全24巻 原著はPhaidon Press刊)の一巻。写真にあるように、この全集は編年体でも芸術家別でもなく、世界美術を網羅しているわけでもない。『セザンヌ』などというどの全集でも入っていそうな巻があるかと思えば、『アボリジニ美術』のように、日本語の参考書が少なそうなテーマの巻もある。拙訳の『新古典主義』についても、このテーマでまとまった概説書は日本語では存在しない。
実はこれだけ西洋美術が日本で人気があっても、日本語で読める本が扱っている題材はかなり偏っている。その芸術家についての単著(個人画集含めて)が存在するのは、ルネサンスから19世紀末までで10人くらいではなかろうか。ミケランジェロレンブラントドラクロワゴッホなどの「常連」については何冊もあるが、ラファエロプッサンダヴィッドなど「古典主義系」の芸術家はぐっと少なくなるはずである。その理由は、日本の出版界やメディア世界が「知的」アートより「激情系」を持ち上げる傾向があり、読者もそれに慣らされているからではないかと筆者は思っている。本当は「知的」アートも作家の情念から生まれるし、「激情系」の作家も冷静な技術的計算なしによい作品を生むことはできないのだが。
だからこの巻の翻訳を依頼されたときには嬉しかった。その前に原書には目を通していて、これが貴重な新古典主義概説書であるだけではなく、まったく新機軸の新古典主義観を示していることを知っていたからである。判型は小さいが447頁あり、ずっしりと重いのは他の巻も同じである。全巻写真中央付近に『新古典主義』の原著があり、日本語版は次の写真で示す。

岩波 世界の美術

新古典主義』の巻