「悲しみに立ち向かう勇気をもたらす」というエリクサーがきっかけだった
今日は射手座の新月。
ずっと自分の中でも封印していたし、こういったブログなどにも書かなかった(書けなかった)ことを、今日からぼちぼち書きます。
これはかなり勇気が必要で、実は書いてみれば「な~んだ」ってことなのかもしれないんだけど、今の自分は勇気を出そうと自分を奮い立たせなければ、出来ないことだったりします。
そもそも私は、本音を言うことが苦手。
体裁を取り繕うのが癖になっているタイプではなかろうか…。
何もかも全部、明け透けにする必要も無かろう…というスタンス。
先日、私が愛用しているゼリツィン®エリクサーのディプロマセミナーの中で、一つのエリクサー(波動水)の解説が始まったとたんに、身体の奥底の激しい叫びに氣がついたのですね。
そのエリクサーは、「悲しみに立ち向かう勇気をもたらす」というような植物の波動が入っているものでした。
「悲しみ」という感情をしまい込んでいる箱を取り出して、鍵を開けて、中身をちゃんと見る。
そうすることで、ちゃんとその感情に向き合い、癒すことができるんだと、開発者のエリザベート・ゼリンさんが淡々と話す中…私は嗚咽を漏らしそうになって、こらえるのに必死でした。
まずい!
まずい!
叫び出しそう!
大声で泣いちゃいそう!
エリザベートさんの話は、まずは私の父の死のことを連想させました。
子どもの頃、家にほとんど帰ってこなかった。
何かしてもらった記憶がほとんどない。
してもらったとしても、どれもちぐはぐな、へんてこな感じ。
家族にもたらしたものは、恥と迷惑。
母親からは、「あんな人間になってはいけない。」と言われて育った。
さんざん好きなことをして、
自堕落な生活で身体を壊して、仕事中に転落事故。
怪我をして働かなくなり、
アルコール依存。
鍵がかかった病棟に入っていたこともある。
その頃、私も結婚していたんだけど、義父母がその精神科病棟に見舞いに行ったということを知った時には、もう死ぬほど嫌だった。
もうその頃からは、脳がおかしくなってたのかな、人格障害みたいになってた。
悪態をつき、ガラスを割ったこともある。
わがまま放題、やりたい放題。
感謝のかけらもない。
夜、酔ってお酒を買いに自転車で出かけて、車にひかれたり、
入院中に、盗みを働いたり、
まあエピソードには事欠かない男でした。
恥ずかしすぎる。
消えてくれ!と思っていた。
死ぬ前の1年ぐらいは、食事もあまり食べなくなって、がりがり。
若いころに胃の病気をしているから、と言って、食は元々細かったので、食べさせるのは、かなり苦労してました。
その頃には、そんな父を介護していた母も認知症の症状が顕著になって…。
通院介助はわたしのしごと。
自力では立ち上がるのも困難で、歩くのも大変だった。
「病院なんか、行かんでええ。ほっとけ!」と悪態。
自暴自棄のかたまり。
「死んでもええんかね!?」と叱りつけて、がりがりの父親をおぶって、車にのせたこともあったなぁ。
冬のある朝、自宅で危篤状態に。
救急車の隊員さんには、虐待じゃないかと疑われた。
病院に運んで翌朝、ひとりで息を引き取りました。
ひとつも感情は動かなかった。
冷酷な自分がおかしいほどでした。
淡々と葬儀や、死後の手続きなどをこなし、もう終わったことにした。
現実的には、その後の母親の介護が待っていた、というのもあります。
母の決着のつけ方は、さらに激しかった。
終わったことにして、なかったことにした。
でも、終わっていなかった。
今なら、そこを観察することができる気がする。
そして今こそ、ちゃんと見つめて、ちゃんと昇華していく時だと思っている。
つづく
blogを再スタートします。
お久しぶりのblogです。
今日は、2年前に突然この世から消えた 実母の誕生日。
思うところあって、今日から再スタートします。
blogのタイトルを変えまして、
これまでの記事は消しました。
以前読んでくださった方、ごめんなさい。
自分自身の人生を振り返り、
どうやって生きてきたのか?
何を経験し、何を感じ、どう行動してきたのか?
そこに関わってくれた方々や出来事のおかげで、今の自分がいるのです。
感謝と共に、綴っていこうと思います。
こうして、今の七緒 美琉生(ななお みるき)になりました。
そんなお話を綴っていきます。
これからもどうぞよろしくお願いします。