浮かんでは消えて

思ったこと、感じたこと、起こったことを不意に書きたくなった時に書きます。特に面白くはないです。

真っ白な本棚には何もなくて…秋

ここにきてどどーんと処分したいものが出てきました。

本です。

 

そもそものキッカケは先日の断捨離中の友人との会話で「(服の断捨離は難しい…)本なら簡単だけどねー」と出たこと。

 

簡単なのか!!

本もなかなか難しいと思ってた私はその言葉を励みに本の断捨離に挑みました。

 

結果…本棚の本は1/3以下になりました!

どうしても現時点で判断に迷った本は保留にしましたが、スッキリ!!

引っ越しの荷造りも兼ねた断捨離行なので、保留にした本も含め、とりあえずダンボールに詰めました。

 

ほぼ何もない本棚を見ては「よ、よき…!!」と、断捨離の醍醐味、心のスッキリ感を存分に味わってます。

 

服と断捨離

近々引っ越す友人も断捨離していることを最近知った。

彼女はとても服が好きな人だった。私も負けず劣らずだったが、特にトレンドに敏感な服やかわいい小物が大好きな子だった。

 

そんな彼女も今では一児のママ。

「もう子育てしてると服は数着を着回すだけで十分だと思うんだ!」

など、当時の彼女では想像つかないようなことを言って、時の流れとは…としんみりした。

 

そんな彼女もなかなか服の断捨離が進まないらしい。

私も先日取り組んだけど、まだまだスッキリ出来るような、本当に必要なものだけを残しているとは言い難い。

 

やたらめったらモノを少なくすれば、捨てればいいもんじゃないだろうけど、大好きな服だからこそ、タンスの肥やしにならずに着てあげることが出来るモノだけを残して、その選抜たちを大切に着たいと思う。

 

友人とは意志を強く!!とお互いを励まし合った。

ToDoリストをすべて消した日

ToDoリストが好きだ。

いつも仕事の時は前日にやることを確認し、翌日終わったものをどんどん消していく…

あの感じがたまらなくスッキリする。

 

もちろん繰り越しになる場合もあるけど、立てた目標(終わらせたい仕事)がその日のうちに終わるのはとても清々しい気持ちになる。

 

私の仕事はこちらの都合で動けることの方が少ないので、どうすれば効率よくタスクをこなせるか、と考えるのも好き。

 

今日はとてもうまくいった。

こういう日はただ仕事が片付いただけでなく充足感も得られるから仕事が楽しい。

やってみなくちゃ本当のことはわからない!断捨離

時間を見つけては断捨離に励んでいます。

不思議なもので部屋の中にある不要なモノを片付けると心まで浄化された気分になります。

あぁなるほど、これが人々が断捨離に魅了される理由なのだな、などと今更ながら気付きました。

 

生まれて初めての断捨離。

こんな私でもシンプルライフ的な本には興味があり、過去にいくつか読んだことがありました。

 

そこには、断捨離についても書かれていて…。

ただ、行動に移したのは今回が初めてでした。

シンプルライフに憧れがあり、素敵だなと思いつつも行動には移していない。

 

最近学んだのはやっぱり「行動」そして「経験」しないと情報だけではわからないことばっかりだということ。

 

こんな当たり前のことを今更ながら実感しているのです。

 

また、今は時間がないから今度時間が出来た時に!というのは絶対実現しないということ。

思い立ったが吉日とはよく言ったもので、思い立ったらその時にやっちまうことが大切だということ。

 

断捨離を通して、当たり前のことを身をもって経験している最中です。

ミニマリストに目覚める

引っ越しを控えている。

新たな生活に向けての期待や不安が入り混じっている。

初めて実家をでるのだ。

どんなインテリアにしよう?

家電は…?

 

いや、その前に荷造り…!

18年間過ごした7.5畳の部屋にはモノが溢れていた。

 

自分は容赦なくモノを捨てられるタイプだと思っていた。

ただ、私には収集癖があった。

洋服も大好きだ。

 

意外にもこの狭い部屋にモノが詰まっている現実に驚いた。

 

新しい生活をどんなものにするか、いろいろとネットで見てみるとミニマリストに辿り着いた。

正直、それまでの私のミニマリストのイメージは「偏屈者」だった。

でも、Twitterミニマリストの方に出会い、180度私の中のミニマリストのイメージが変わった。

 

「こ、これだ!!!!!!」

 

自分が本当に好きなもの、必要とするものだけを残して一切の無駄を省く生活。

お金、時間すべてを自分自身で管理していく。

自分で作った常識に囚われない。

せっかく新たな生活を始めるのだから、自分自身も新しく変わってみよう。

そんな風に思えたのだ。

 

まずは引っ越しの前に今部屋にあるものの中でそれが本当に必要かどうかを考えてみることにした。

果てしなく忙しい

最近、忙しさのあまり本来の自分を見失いつつある。

「本来の自分」というのは、私自身が思っているだけで、忙しさで余裕がなくなっている今こそ、もしかしたら本当の私の姿なのかもしれない。

 

だけど、この余裕のない自分を本当の私だなんて思いたくない。

 

イライラして、口が悪くなって、人にやさしくできなくて…

そんな自分は誰だって嫌だと思うだろう。

 

私もそう思った。

忙しくさえなければ、時間にもっと余裕さえあれば…こんなの私ではない!!!

 

しかし、同じような状況でも穏やかでいれる人はいる。

現に私の周りにはいるのだ。

 

私もそんな人になりたい。

人にやさしくしたい。

 

時間がない、疲れた、と本当はそこにある時間を無駄に使っていることが多々ある。

その「無駄」も時には必要だということもわかるけど、ずっとそれではいけない。

 

今の私には思い切って旅行に行ってリフレッシュとか

好きなものを好きなだけ食べたいとか

自分のお気に入りを探し出して買うとか

そういう欲求すらない。

 

だから、体を労わることにした。

疲れていてもストレッチをするとか

気になっても寝る前はスマホを見ないとか

瞑想をする時間を取るとか

 

疲れたとダラダラする時間を自分の体を労わる時間変えることで

「こうでありたい」と思える自分になれている気がする。

 

自分だけではなく、周りをみる余裕が出来たり

感情ばかりで動くことを抑止できるようになった。

 

これは少し成長したかなと思える。

それはこの気が狂いそうな忙しさがあったから出来た成長だと思う。

 

こういう綺麗事は言いたくない質なのだけれど

こうでもしなきゃ乗り切れないくらいの忙しさなんだ。

忘れないためのブログ

ブログを開設することした。

何の節目でもないただの日。今日が私のブログ開設の日だ。

 

 

今思っていること、感じたこと、あった出来事、それらを残しておきたいと思い立ったのだ。特に何の面白みもない備忘録だ。徒然なるままにというやつ。

 

というのも、最近何だか忘れっぽい。

物忘れが激しいのである…

別に大したことではなく、きっと年齢的なもの。

だけど、認知症というのはこういうことが増えていき、何もかも思い出せなくなる、というか思い出すものがあるということすら忘れてしまうということなのかもしれないと思ったのだ。

それは、とても恐怖だ。

 

つらいこと、嫌なことだけでなく、嬉しかったこと、楽しかったことそれまで忘れてしまうと思ったら怖くなった。

 

 

だから、私は書くと決めた。

ブログを開設したことすら忘れてしまうかもしれないけれど。