心が荒れ狂ったときは
人に怒られたとき。
味噌汁ひっくり返したとき。
わかってもらえなかったとき。
とんでもないミスして大恥かいたとき。
心が荒れ狂う瞬間って、あると思います。
そんなとき、とんでもないストレスが私たちを襲い、体中が沸騰するような感じがして、ビタミンCも一気に消費することと思います。
私の場合、泣きわめきたくなります。
しかし今泣きながら大暴れするわけにはいかない……!!!!
家ならばそれもアリかもしれませんが。
外の場合は、抑えなければいけないどころか、その後明るくふるまわなければならなかったりもするわけです。
そんなときどうするか。
もう一人の私に泣いてもらうのです!!
ところで、自分の中にキャラクターはいますか?
自分の中にもう一人自分がいるとかいうとイタさMaxですが、実は私は心の中にもう一人の自分を飼っています。
名前はちびあさ。
年は五歳です。
彼女は感情豊かでわがままで、思ったこと、感じたこと、欲求など全力をもって表現します。
しかも五歳にしては言葉も達者。
悲しい、悔しい、寂しい、うれしい、楽しい、あれがやりたい、やりたくない、などなど、非常に素直にはっきり態度に出します。
こんなちびあさに、私は感情を肩代わりしてもらっているのです。
鳥肌が立つようなストレスを感じたら、とりあえず私の中のちびあさに泣きわめいてもらう。
で、ちびあさを慰める(よしよしヾ(・ω・`)するイメージ)ことで同時に自分自身も慰め、ちびあさが落ち着いてきたらなんでこんなに泣いてるのか聞いてみる。
すると、昨日怒られたのにまた味噌汁こぼして悲しかったとか、今日こそはとはりきってたのにできなくて悔しかったとか、怒った人の期待を裏切るみたいでつらいとか、どんどんあふれてきます。
ちびあさは更に泣きます。
しかしそうこうしてると、なんだか妙に落ち着いてくる。
自分のやるせなさを人にわかってもらえたような気分になります。
完全セルフなんですけどね(笑)
たぶん、自分の感情を客観視できるのがいいんでしょうね。
結論:自分の中に五歳児を出現させることをお勧めします。
子供を持つことは親のエゴなのか?
anond.hatelabo.jp
こちらの記事を読んだ。
ほぼ同意したのだけれど、一か所だけ気になったところがあったので、その点について。
正直、子供を持つことは親のエゴでしかないと思っている(少子化うんぬんは置いといて)。実際、私が子供の時は、「親に感謝しなさい」、といわれるたびに、「別に生んでほしいなんて頼んでないし!」と何度も思った。(言ってはいけない気がしたから口には出さなかったけど)子供を作る理由に、「種の保存」とかいう人もいるけど、「まじかよ」って思う。
少子化……おいとかないでええええ
今回、言いたいことを一文でまとめると。
子供をつくることは社会全体のエゴなんだから、もうちょっと親になった人たち、これからなる人たちの負担を減らそうよ。
ということ。
以下詳細
少子化問題とかいって、なにか大きな社会問題で私を煙に巻こうとしているな……小癪な!!!!
ネットで少子化が~とか言い始める人がいたらこんな感じで警戒するのはむしろ当然だと思うんだけど、ちょっとだけ付き合ってほしい。ただ少子化問題をおさらいして子供が生まれることでだれにどんな影響があるのか考えてほしいだけなので。
子供が減ることの何が問題なのか?
- 日本民族滅亡の危機
- 経済状況の悪化=景気、生活環境の悪化
- 財政的なバランスが崩れて、年金等の制度が立ち行かなくなる
- 世代間格差がひどくなり、どんどん老人に都合のいい世の中になる
- 移民政策をとらなければいけなくなる
なかなかパンチが強い問題たち。
詳しくは省くけれども、もしこれらをみて少子化問題やばいと感じたら、「子供が生まれることによる恩恵」をあなたも受けてるってことだ。
この世界は、少なくとも日本社会は、新たに生まれてくる命を前提として成り立っている。いま、すでに生まれてしまった私たちは、新しく子供をこの世界に参加させないとうまくいかないようなシステムの中で生きている。当然子供にこの世界に参加させてやったんだから感謝しろよっていうのは間違ってるとして(子供はそんなこと、望みも頼みもしてない)、しかしだからといって、子供を作った責任とかコストとかを全部親に擦り付けるのもどうだろう。それだと、親になったひとたちだけ大変で、ほかの子供を持たない人は子供が生まれることによる恩恵だけ受け取ることになってしまう。というか、なってる。
子供を育てる親(特に母親)の労力というのは、本当に半端ない。
自由時間ほぼなくなるわキャリア死ぬわ、体形が一瞬で中年化するわ、食事制限辛いわ、ママ友だとかPTAだとか悩み尽きないわ
さらにお金。子供を大学まで行かせるとなると、養育費だけで3000~6000万円ほどかかる。
恐ろしい……!!!
私には無理だ……
子供なんて絶対生まない、今そう決めた!!!
今決めたのは嘘にしても、ほんと半端ない。その上、「子供を作ったのはあなたたち親のエゴですよね?だったらこの苦労も当然でしょ?感謝なんて子供にも社会にもされなくて当然でしょ?子供を育てることは本当の喜びなんでしょ?」などといわれてしまうわけだ。
子供ができるきっかけはそりゃ親だけど、あなたたちもそれで得してますよね?こっちは大変なんだからもっと感謝しろやおらあって感じである。
そう、じつはわたくし、子供を産んだ女がいちばんエライ教に入っているお母さんたちにわりと同情的なのだ。その当時は生まないという選択は今よりもっと重かった時代だろうし、簡単にはできなかったと思う。彼女たちの中には、今の生まない女性を見ると、社会の一員としての義務を果たしていないように、また、責任から解放されているように感じて憎らしくもうらやましく感じちゃったりする人たちもいるんじゃないかな。まあ私自身がその人たちに攻撃された一発で大嫌いになって近づかなくなると思いますが。
なんだか子供を作るのは親のエゴだっていう考え方って、社会が自分の首を絞めるような思想だと思う。そういう思想が影響して子供を作らない、という選択をする人も一定数いると思うし。ただ、勘違いしてほしくないのは、だからみんな子供を作れよ、子供を作らないやつはクズだよ、といいたいわけではないということ。個人の生存戦略として子供を作らないのは極めてまっとうな判断だと思う。言いたいのは、この場合、どう考えても社会としての最善と個人としての最善が相反してるよねってこと。そして、社会としての最善をとってくれるひとに対して、もっと優遇があってもいいんじゃないかということ。(もちろんそういう人たちが社会のため、という動機で子供を作ったわけではないと思うけど、それでも)もっと直接、具体的に言うと、子育てに税金回せってこと。実はこんなデータがある。
児童手当の国際比較
事項 | 日本 | フランス | スウェーデン | イギリス |
ドイツ
|
支給対象児童
|
第一子から
小学校六学年終了前
|
第二子から
20歳未満
|
第一子から 16歳未満(学生は20歳の春学期まで) |
16歳未満(全日制教育を受けている場合は19歳未満) | |
支給月額 |
第一子、第二子
(0歳から2歳)
1.0万円
(3歳以上)
0.5万円)
第三子から
1.0万円
|
第一子 なし 第二子 約1.9万円 第三子から約2.5万円 <割り増し給付> 11~16歳 約0.5万円 16~19歳 約1.0万円 |
第一子 約1.9万円 第二子 約2.0万円 第三子 約2.7万 第四子 約4.2万円 第五子から 約6.0万円 |
第一子 約1.9万円 第二子から 約1.3万円 |
第一子から第三子 約2.5万円 第四子から 約3.0万円 |
所得制限 | あり | なし | なし | なし | なし |
財源 | 公費と事業主拠出金 | 事業主拠出金と税等 | 国庫負担 | 国庫負担 |
公費負担
|
厚生労働省 海外情勢白書2007
日本なんでこんなにショボいの??
金額も期間も、果ては所得制限までまっっっっったくいいとこなし。外国を全部真似しろとは言わないけど、ちょっとひどすぎる。ここまで差が出る原因って、子育てに関する考え方の違いだと思う。データにある諸外国には子育て=国が面倒みるべきものっていう考え方があるのではないか。一方日本では、所得制限がかかっていることからもわかるように、子育て=基本家庭で完結しているもの、で、もしもあまりに不足してるならお金出しますよっていう姿勢なのかな、と。
正直、体形の問題とか新しい人間関係の負担とかを分散ていうのは無理があるけど、せめてお金、お金だけは社会全体で出し合った方が健全。私に子供はいないけど、むしろ子供に回る分は出させてほしいとすら思う。だって親になる人たちに貧乏くじ引かせるのは申し訳なく思うし、結婚も子供も将来設計に一切入れていない私も子供たちからの恩恵を気持ちよく受け取りたいから。すごーく無情なかんじに言えば、お年寄りなんてどうでもいいから子供に出して!子供はこれから社会に貢献していくけど、お年寄りの役割なんてほぼ終わっている。まあこれはいずれブーメランとなって帰ってくるわけですが。
P.S.
子供を持つことを貧乏くじと称することはなんでもかんでも損得勘定で考えるな、というおしかりを受けそうだけど、出産・育児の労力・コスト・責任をやりがいという免罪符をかざして一定の人にのみ押し付けるのは、とってもブラックくさい社会の怠慢。しつこく言うけれど、恩恵を社会全体で受ける以上は責任も社会全体で分散するべき。この分散がうまくいっていない状態で、責任の方を重く引き受けなければならない出産・育児が貧乏くじでなくて何なのか。そこにやりがいを感じることや、子供をかわいく感じることは別の問題。