(1)牧師に傷つけられた人へ
日本の教会の大半には、1人ないし2人、3人というところもありますが、牧師がいます。
牧師というのは本来、皆さんをお守りするよう神様から預からせていただいている立場です。
神様のお側でゆっくり身を横たえることができるように。
神様のお言葉を受け取れるように。
その為の訓練を受けています。
受けて…います…。
けれど、はっきり言って神学校はいい意味でも悪い意味でも、神様任せ&聖書任せな所があるんですね。
神学者の発言については学校全体でバックアップしてくれて修論までかけちゃうのに、信徒の嘆きに耳を傾けるための授業はほんの何コマかしかない(しかも選択授業)。
もちろん、
説教を通して、神様が信徒の嘆きを癒してくださるんだ!
教会での問題を立て直すのは何より説教だ!
牧師の仕事とは、牧会とは、つまり説教だ!
という考えが根本にあるのですが。
…教会で嫌な目にあって傷ついた信徒は、その教会での説教は全然胸に響かないのでは…ボソッ
例えば、群れでいじめられて逃げ出した羊が何処かへ歩いて行ってしまっているのを見ながら、羊飼いがそのほかの99匹にばかり話しかけていてもしょうがないというか。
その迷った羊のところまで話しに行ってあげないと。
何が言いたいかっていうと、説教って講壇の上でうやうやしくする語ることだけじゃない。
一人一人の心の状態に合わせて、神様のお言葉を届けることもまた必要なのです。
2へ続く
初めまして!
「教会が嫌になったあなたへ」
こんな題でブログを書き始めることに致しました。
tomoyaと申します。
ここで私が言う「教会」というのは、キリスト教会のことを指しています。
他の宗教の方々でも、礼拝する場所を教会と呼ばれることがあるでしょうが、このページをご覧になってくださったのに、違った!と思われた方。申し訳ございませんー!
さて、キリスト教会と一口に言いましても実に様々な教派や教団がありますけれど、私が話していく舞台となるのは、日本のプロテスタントのとある教団がどうしてもメインになってしまいます。カトリックのミサに参列していた期間もあったのですが、神学的な観点以上のことはあまり分かりません。ですので、聞きなれない言葉や習慣があったら申し訳ございません!先に断らせていただきます。
早速本題に入ります。
今回ブログを書くにあたって、掲げた題は「教会に行くのが嫌になったあなたへ」です。
教会に行きたくとも、行けない人はたくさんいます。
人それぞれの事情がありますから。
けれども、中には教会内で傷ついたことが原因で、行くことができなくなった人もいます。
このブログは、そのような人を少しでも励ましたくて始めました。
教会で、誰かが傷つく?
神の教会ですよ?
キリストの体ですよ?
そんなこと、一部のカルト的な教派や教会を除いて早々ないでしょう…
そう思われますか?
私は教会で働く立場にありましたが、そんなことはありませんでした。
一見普通の、それはそれは平和な教会でも、傷つく人、教会に行けなくなってしまう人は必ずおられました。
地方でも、都会でもありました。
教会に来れなくなった人に対し、様々な言葉が教会内ではあがります。
「何かあったんだろうか?」
「体調でも悪いのかな?」
そんな言葉なら良いですが、
「あの人は大したことない」
「神様から離れてしまって…いつか神様のところに戻ってこれるといいねぇ」
そんな言葉があがることもあります。
正直、そんなことを言う人がいれば、戻って来たくとも戻ってこれません。
その言葉を聞いた人も、例えば教会内で辛いことがあって休みがちになった時、戻ってこれません。
まず、はっきり言います。
教会に行けない=神様から離れている
ではありません!!!!!
そして、そのように考えている人に言いたい。
例え信徒一人の小さな言葉であっても、教会を建てもしますが倒しもします。
教会に行くのが嫌になろうとも、教会を愛してやまない人はいます。
微力ながら、そのような方々に少しでも届くように、書かせていただきます。