Open carefully

"Open carefully "

折畳んだ便箋の上に、そう書かれてあった。

もう、三十年近く前に彼から貰った手紙。

アラスカをマウンテンバイクで旅していた彼。

道端に咲いていたワイルド・ローズを、押し花にして、送ってくれた。

今朝、共通の友達から彼の悲報を聞いた。

大切な大切な想い出。

いつか、一友人としてサプライズ訪問をしようと企んでいたのに。

それも、もう叶わない。

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Open carefully

 

父の後ろ姿(3)

4月に父が他界した。

色々な手続きが終わり、あとはお墓の手続きのみとなった。

父は映画関係の仕事をしていた。母と結婚するまでは、助監督などもしており夢大き青年だったと思う。結婚後、フリーでは食べていけず企業の映像部で脚本・演出家として働いた。

父は生前、「自然に死にたい」と私たち姉弟に話していた。病院で訳もわからず生かされることを良しとしない、ということ。祖母が肺癌で死ぬとき、苦しんでいたのを見てそう思うようになったのだと思う。

父は、それこそ眠るように息をひきとった。

家族みんなに囲まれて。

love music

音楽を嫌いな人はいないんじゃないかと思う。

私はいつから音楽を意識し始めたのだろう。

小学生の低学年のころ、母が買ってくれた子供用教育教材に、クラシックのレコードが着いていたような気がする。また、父が持っていたレコード、ポールモーリアの「オリーブの首飾り」や、物悲しいロシア民謡などを聴き、狭い部屋で情景を想像し踊っていたことを思い出す。当時は、家族みんなで歌謡番組を見ていたし、身近に音楽があった。小学生高学年になると、誕生日プレゼントに父から、どこぞのクラッシックオーケストラのレコードを貰ったことを覚えている。その中に、今でも好きな「韃靼人の踊り」が入っていた。この曲を聴き、私は何度ロシア人になって踊っていたことか。。。

my ★ David Bowie

デヴィッド・ボウイとの出会いは、10代のとき。

「Let's Dance」から始まりました。
友人の弟さんが行くはずだった「Serious Moonlight Tour」。彼が行けなくなり、私の友人も行けなくなり、私に回ってきました。(なんと前から10列以内だった!!!)
美し過ぎるその容姿から、最初は敬遠しました。また当時は、レッド ツェッペリンとP.I.Lにドップリはまっていたので、目の保養💖ぐらいにしか感じませんでした。
 
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ボウイのファンになったのは、ずっと後。30を過ぎてから。きっかけは、思い出せません。アルバムで云うと、多分「Earthling」からだと思います。
その頃、iMacを買ってインターネットを始めたと思います。ボウイ・ネットというボウイのオフィシャルサイトに登録して、一生懸命メールを送ってました(ボウイから返信が来た人がいたとかいないとか。。)。
自分の携帯のメアドは「earthlng」❣️アースリングで登録出来た〜❣️と思ったのも束の間。「ℹ︎」が抜けてました。。。友人に「愛がないのね」って言われたのを覚えています。
 

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当時、何故、ボウイにはまったのか。。。音楽が合ったと思う。ドラマチックと云うか、ストーリー性があると云うか、1曲1曲聴くのも良し、アルバム全体を通して、場面場面を思い描きながら聴くのも、また愉し。と、云ったところだろうか。

 

今、私のTwitterは、世界中のボウイファンがアップしたボウイで一杯です。※Blackstarwhiteduke★さんのツイートより↓

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幸福

Facebookで、家族だけが閲覧できる写真を整理してました。

14年前ぐらいから、家族の集合写真をお正月に撮り、毎年数枚プリントしていた。

最初のうちは、フィルムで撮っていた。フィルム写真はぼかしの味が出ていて写真らしい写真だ。デジタル写真は、劣化することも無く(データだから)クリアな写真だ。

どの写真を見ても、幸せを感じることができる。色々なことがあったけど、私は、幸福なんだと思う。

幸福と感じるからこそ、あの時、ああしていれば良かったとか、後悔することも、その反省をこめて、ちゃんと恩返しをしていきたいと思えるのだろう。

悩みは尽きないけれど、私は、幸福なんだと思う。

まだまだ私には、やることが、やれることが有る。だから、幸福なんだと思う。

写真を撮っておいて、良かった。これからも、撮っていこう。

父の後ろ姿(2)

父のPCを整理中。

父が、散歩へ行って帰ってこれなくなる一年前までの、ファイルが沢山残っていた。父は、数年前まで、ワードを使って母の原稿を仕上げたり、手紙を書いたりしていた。

データの中に、父が仕事仲間へ書いた手紙が残っていた。高齢故に体調が芳しくなく、今まで通り仕事ができなくなったことを伝えていた。

そして、大量の母の仕事原稿。母は、PCを扱えないので、全て父が原稿を起していた。父と母の強い繋がりを感じる。

 

整理する前は、全て残さずデータ消去をしようと考えていた。

胸が苦しくなりそうなので、コピーして、私のPCへ移すことにした。

後で読み返すことができるように、後で父を感じることができるように。

 

 

父の後ろ姿

父のPCを片付けようと思う。
父が長年愛用し、母の仕事の手伝いをするとき、必ず使用して来たウィンドウズ。

私は、もっぱらMacを愛用している。今、父のPCは、年末に母の年賀状を作成するときにだけ、私が使用している。私は、Macの他に自分用のノートPCを持っている。このノートに宛名書きソフトを入れて、母の年賀状を作ろうと思う。父のPCは、デスクトップで場所を取る。キーボード操作などは、デスクトップの方がやり易いのだが、場所を取る。考えた挙句、ノートへ移行することに決めた。決めるまでに、何度も考えた。父は、このPCを70歳を超えてから覚えた。ワードを使い、母の原稿を作成し、宛名書きソフトで年賀状作成も行っていた。一人でヨドバシへ何度も通い、このPCを選んできた。片付けても良いよね?片付けても良いよね?何度も自問し、決めた。

もう一度、PCの前に座って原稿を打っている父の姿を見たいが、叶わない。